| 安斎利洋の日記 | |
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| 2007年03月28日 16:05 | ケータイ+カンブリアンの本 | ケータイが作るソーシャルな空間は、今のような限られた形だけじゃないはずだ、というコンセプトでやってきたプロジェクトの成果が本になった。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/4/0228710.html
一昨年、東大情報学環の水越伸さんのところに立ち上がったMoDeプロジェクトで、僕らは共同研究者として参画し、カンブリアンゲームを核に、ばらばらの細胞のようなケータイに、成長するイメージと繋がる仕組を与えた。
『コミュナルなケータイ ―― モバイルメディア社会を編みかえる ―― 』
岩波書店 2,310円(本体 2,200円 + 税5%)
水越伸編著
伊藤昌亮、飯田豊、林田真心子、古川柳子、鳥海希世子
安斎利洋、中村理恵子
茂木健一郎、鄭朱泳、ソフィア・ウー、アスケ・ダム
僕の寄稿分の書き出しは、以下の通り。
カンブリアンゲーム──未来のテクスト
安斎利洋
1.〈読者=作者〉クラスの誕生
たとえばルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、思索のためにルソーが歩いた空間と、テクストの空間と、本を手にする読者の空間をそれぞれ切り離し、それぞれに別の時間を割り当てる。しかし私がこれから論じるカンブリアン・テクストは、テクストの空間と、テクストを囲む人々の日常空間を連続させるばかりか、テクストの成長は散歩を巻き込み、散歩の時間とテクストの時間は互いに浸潤しあう。これが喩え話ではないことを説いてみようと思う。
(略)
私たちはケータイやソーシャルネットワークをサービスの誕生と考えるが、それは作者と読者を対消滅させるためにテクスト自身が希求していた形式の具現なのである。おそらく未来のテクストの実装を担うのはオンラインゲームのようなものになることを、私たちはしだいに受け入れるだろう。そして映画や写真のときのように、そこで可能なことを試行を重ねながら洗練する道を私たちは探ることになる。未来のテクストは、座を巻き込みながら作動し続けるシステムとして設計されなくてはならない。
続きは書店へ
(表紙・図に使われたセッションに参加した方々、画像借用しました。事後承諾でごめんなさい)
関連日記:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=386728197&owner_id=64544
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