安斎利洋の日記
2007年03月17日
00:58
M女と言語の起源
先日、あるバラエティ番組に出演していたM女の行状が気になってしかたない。
会社に入っても数ヶ月でクビになる。男とつきあってもすぐに破綻する。電話を受けても取り次がない。旅行の約束はドタキャンする。彼女は、意識的か無意識的か、相手を怒らせるようなことをしでかしては、責められてぼろぼろになるための理由を自作し続けるのだ。
気になるというのは、こういうのにかかわりあいたくないなあ、って話じゃなくて、人間の行状の基本形ってむしろこれなんじゃないか、と思い始めたから。人間は、原因があって行動しているんじゃなくて、行動するための原因を探索しながら生きているんじゃないか。
たとえば怒っている人は、怒ってしまう原因によって怒っているのではなく、怒る原因をまんまと見つけたということかもしれない。人間は問題を解決するのではなく、解決を問題にしてるんじゃないか。演繹的に考えるより、帰納的な道筋を探索するのが思考の基本形なんじゃないか。
岡ノ谷一夫さんの言語の起源に関する考え方は、「言葉で表現する内容がまず進化し、そのあとに言語の形式が進化する」という普通の直列的な考え方を否定し、「歌が勝手に複雑になっていって、そこに内容がくっついてくる」という独立進化仮説だ。
たとえば、いま僕が目の前にある花を見ているのは、花を見るためにこの形を探し当てたのかもしれない。僕の直感的経験則に従うなら、うまくいかないプランは、たいていこの順番を取り違えている。
サイエンスチャンネル「小鳥の歌から言語の起源へ 岡ノ谷一夫」
http://
sc-smn
.jst.g
o.jp/8
/bangu
mi.asp
?i_ser
ies_co
de=I02
6904&i
_renba
n_code
=020
コメント
2007年03月17日
01:06
確かにそういう行動周期性のようなものって私にもあるかもしれない。うまくいかせるためには、自分の中に内包するものに進化を遂げさせないといけないのですね。解決の行き先の定め方とか。
2007年03月17日
01:39
しゅわっち
んじゃ、太るためにケーキを食う女子が世の中にはいるわけ?
2007年03月17日
01:52
安斎利洋
太りたくないのについ食べちゃう女子であるためにケーキを食べてるのだ、と主張すべきなんでしょうけど、まあ、ケーキのために食ってるんだろうなあ。
2007年03月17日
04:37
ごれ
>演繹的に考えるより、帰納的な道筋を探索するのが思考の基本形なんじゃないか。
同感です。というか先日読んだ「ユーザーイリュージョン」という本では「行動は”無意識”が決定しており、”意識”にできることはせいぜいそれを制止することぐらい」と主張しておりました。
意識で考えてから行動すると第一に遅いし、第二にとんでもない馬鹿なことをやるわけです。と書いていて思い当たる節がいくつも。
2007年03月17日
04:58
osamu
「人間は行動するための原因を探索しながら生きている」ために、因→果という順序概念を発見して、そのうちそれに洗脳されて、結果には原因があるのだ、と思い込んじゃったんじゃないのかなぁ。。と思う今日この頃。
2007年03月17日
06:10
小林龍生
>いま僕が目の前にある花を見ているのは、花を見るためにこの形を探し当てたのかもしれない。
これって、なかなかプラトニズムですねえ、ムフフ。
2007年03月17日
06:12
小林龍生
>いま僕が目の前にある花を見ているのは、花を見るためにこの形を探し当てたのかもしれない。
これって、なかなかプラトニズムですねえ、ムフフ。
2007年03月17日
07:22
中村理恵子
>行動するための原因を探索しながら生きているんじゃないか。
うん。
動きたいからね。
あたしら動物だから、その適切なというか説得力ある原因の設定を誤ると、病んでると問題行動;M女になるしってことだろか。
この行動するための原因というのを、表現したい、だから芸術に置き換えて考えると、「爆発だー!」の岡本太郎になるんだろか。
動くための原因を探しながら生きるって構図、嫌いじゃないな。
むしろすごく腑に落ちるよ、考え方によっては。
2007年03月17日
09:15
H.耕馬
んじゃぁ、役者は人間行動の何を演じてるの?
無意識の具現化??
2007年03月17日
14:02
安斎利洋
プラトンか。人間は自然の状態では、自分のイデアに合った事柄しか見えず、自分で自分を閉じ込めているやっかいなM男M女で、そこから脱出するために演繹的思考や、芸術的爆発が必要なのだ、というのが僕の立場です。
動くために原因を探す、というのは探索的な行動で、町の中に「何かに見える」星座を探すようなもの。星座は、自分の中にあるんだけれど、自分のイデアからはみだしてしまうことがある。この微妙なズレが、いちばん考えるべきところなんですけどね。
2007年03月17日
14:04
安斎利洋
>意識にできることはせいぜいそれを制止することぐらい
自分の自由意志は、なにかやっちゃったあとで、自分がやったと思い込むことにすぎない。
Libetの研究について、なささんの解説:
http://
home.r
02.its
com.ne
t/asuk
ai/dia
ry04/d
iary04
04-06.
html#2
004050
3
このあたりですね。
2007年03月17日
14:07
安斎利洋
>因→果という順序概念を発見して
因果は、発見でしょうね。
>役者は人間行動の何を演じてるの?
いいところをついてきますね。役者と観客って、あんまり違いはないんじゃないかな。違ったら、役者の行為が理解できない。
役者と、非役者の違いは、シナリオのありかだけじゃないでしょうか。
2007年03月17日
14:09
安斎利洋
>行動周期性
テレビに出てた人はあきらかにドツボにはまっていて、結果→原因と、原因→結果とが循環してましたね。その罠から脱出できない、というのも彼女のシナリオの一部だったりして。
2007年03月17日
15:28
H.耕馬
つーことは、、、
f(x)=.....
という関数が人間の中にあったとすると、
xの値が変化する事によって結果(行動)が生まれるのでは無くて、
ある行動を行った際に、自分の中にある公式群を検索して、当てはまる式を探し出して
「この行動は公式578番と認定」とかやるわけだね。
それならお客=役者に成り得るね。
2007年03月17日
15:57
安斎利洋
耕馬さん、まさにその通り。
たまに式の選び方を間違ったら、入力側を調整しちゃう。
アドリブのうまいお客、ってのもありですね。
2007年03月17日
22:15
ピッピ.
馬の話しで恐縮ですが、普通の馬は何かに驚いて暴れるのですが、暴れるために、驚くものを探している馬が、確かにいます。
2007年03月18日
01:20
安斎利洋
>普通の馬は何かに驚いて暴れるのですが、
>暴れるために、驚くものを探している馬が、確かにいます。
その違いは、ピッピさんじゃないとわかんないだろうなー。
馬にも、M馬とか役者馬とか、いるんでしょうか。
2007年03月18日
01:48
あ っ こ
我が家の家訓に・・「原因を問うても状況はかわらない。要は自分が何を獲得したいかだ」っつうのがある・・・・
そして私は「ねむい」「はらへった」「むずい」の3拍子で生きてきた・・だはは。
2007年03月18日
06:17
今池荘
それが分別っていうことだと思う。頭の良い子ってそれが身についてる。黒板の前に立つと常に褒められるんだけど、間違いをしでかす子が愛される様子を見て、ぼくも間違いをしでかさなきゃ、みたいな・・
一度身についた分別は捨てられないんだと思うな。
2007年03月18日
08:47
H.耕馬
> 間違いをしでかす子が愛される様子を見て、
これは凄く良く分かります。
教員をやっていて、全員が間違い無く解答してくれちゃったら、こちらの存在意義が薄くなります。
こちらが期待したような「うまい間違い」をしてくれた学生には、漫才の相方の様な親しみが生まれますね。「ナイスぼけ」ならぬ「ナイスミス」ってな感じです。
2007年03月18日
14:39
安斎利洋
>「ねむい」「はらへった」「むずい」の3拍子で生きてきた
4拍子目が出てくると、転ぶわけね。
> 間違いをしでかす子が愛される様子を見て、
でもこれって、自分に割り当てられているロールを読み取って自分を合わせこむ、って話ですよね。くだんのM女がすごいのは、「間違いをしでかす子が愛される空気を自分で作ってから間違いをしでかす」みたいなところ。これは手ごわいです。
2007年03月19日
00:17
MERC
原因と結果があって、普通は原因ありきの結果だけど、芸術家が、その反対のことを言ったとき、うん。そんなこともあるかなと感じるのは、単なる迎合なのか?
石くれを見つめて、石工がノミをふるう。出来上がった石像を前に、巨匠は、「私がノミを入れたから、この石仏が出来上がったのではなく、この石くれの中にはじめから仏様がおられたのですよ。」
また、あの有名なスペインの巨匠、ダリ宣わく、
「私は生まれてダリになったのではなく、ダリが生まれたから私になったのだ。」云々。
うん。そんなこともあるかなと思うでしょ?
でも後半は私の創作です。
フフ
2007年03月19日
00:44
安斎利洋
はまった。まじ、くやしい。
MERCさんがいま創作した時点で、ダリは生まれる前にダリになったのでしょう。
デイヴィッド・ロッジの「ちいさな世界」という「文学部唯野教授」みたいな小説があるんですが、ある文学研究者が「シェイクスピアに対するT.S.エリオットの影響について」研究している、っていうくだりがあります。
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