安斎利洋の日記全体に公開

2007年03月09日
18:27
 わからない時間
一番大事な言葉は、たいてい受け取った瞬間には何を言っているのかわからないものだ。何年もたってから、友人と交わした雑談の意味がわかってきたりする。

理解しきらないまま抱え込む言葉は、時間をかけて自分を解いてくれるから、あるときふとその言葉が腑に落ちてくる。

自分の言った言葉が、相手のなかでそういう種になっているのがわかるときもあるし、同じ相手から種を蒔かれたままになったりもする。そうやって、まだわかっていない種の貸し借りのあるまま、長く会わない友人もいる。

言葉は、交わされた瞬間に解読される必要はないし、むしろわからない時間が長い言葉ほど、わからせてくれる世界が大きい。

承前
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=366313213&owner_id=63253
 

コメント    

2007年03月09日
20:13
わかります
妙に印象に残る言葉が
すごく時間がたってからわかったりすることあります
2007年03月09日
22:45
ペコルン
受け取った瞬間にすぐわかる言葉は、言った本人が実は一番体得し得てない、ということがわかる言葉でもあります。(いってる事とやってる事が違わない?みたいな)
表層的な言葉ほどわかりやすい。〜劇場のように。
相手の深層の核にある思いが、言葉に辿り着くまでの時間が長ければながいほど、自分が受け取ってから自己の核に辿り着く、腑に落ちるまで同じくらいの時間がかかる。
2007年03月10日
00:46
安斎利洋
>表層的な言葉ほどわかりやすい。〜劇場のように。

劇場は、幕までに決着しないといけませんからね。
でも、わかりやすい言葉で幕をおろしたのに、あとから「わからなさ」がわかってくることもある。
2007年03月10日
01:38
あ っ こ
もらった種が発芽したことをその人に伝えるまえに相手に先に死なれたりもします。

最近は意識的にもらった!もらったでもまだ芽をだしてません!って信号を発するようにしています。
わたしものもちがよいほうなので・・・・・・

2007年03月10日
13:46
寝太郎
そのときピンとこない言葉でも、「経験」になっちゃう言葉もあるんですね。確かエリオットだと思いますが「言葉によってショックを与える。というのは後でしんみりと思い返されるからだ」というようなことをいっています。確かにショックでなくとも「後でしんみと思い返される」言葉もありますね。
なんか、状況の尾ひれがくっついたメロディーのようですね。
2007年03月10日
14:41
安斎利洋
>もらった種が発芽したことをその人に伝えるまえに相手に先に死なれたりもします。

その体験、最近何度かしてしまった。死ぬ前に、相互作用しておかないとね。

徒然草に、「ますほのススキ」か「まそほのススキ」か、どっちが正しいのか、それが知りたくて、雨の降る深夜にそれを知っているという聖のところに馬を走らせるというエピソードがあります。自分が死んで、聖が死んでしまったら、誰が尋ね誰が教えるのか。「人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」。ここは好きなところ(188段)。
2007年03月10日
14:46
安斎利洋
>「言葉によってショックを与える。というのは後でしんみりと思い返されるからだ」

音楽を聞くというのは、音楽を思い出すことなんじゃないか、と思うことがあります。つまり、あらゆる音楽(曲という単位ではなく)は始めて聞くときがあり、それはかならずショックなんじゃないか。
2007年03月10日
16:51
>むしろわからない時間が長い言葉ほど、わからせてくれる世界が大きい。

心配に思うのは、
おそらく今の若者にはこのことに気づく者が少ないのではないかと思うことだ。すぐに手に入る答えばかり欲しがる。自分が既に手にしているものの中に豊かなものの種が沢山あるというのに。

できないことやわからないことの中にこそ、求める答えがあったりするのではないか?ということは、何度も映像の演習の時に言ったりしたのですが。。
2007年03月10日
17:10
寝太郎

エリック・ドルフィーが言うように、「音楽は終わった。音楽は空間の中に消えていく、演奏している尻から。そして二度と取り戻すことは出来ない」、音は消えていく、「聴く耳」を持って初めて音楽は保持される。フッサールはメロディーを「コメットの尻尾」と形容しております。単なる記憶(回想記憶 recollection)だけでは十分ではない、「保持する記憶 (retention)」が必要である。瞬間瞬間の音のショックは「保持記憶」が働く中処理され音楽として記憶されるのではないでしょうか。
2007年03月10日
17:32
安斎利洋
>保持する記憶 (retention)

すばらしい!!

いま、多くの葉を茂らせている「音の樹」は、一昨年の日記「時間泥棒としての遅延線」 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=55370828&owner_id=63253 に端を発し、自然発芽しました。

デュシャンの「タブローとか絵画の代わりに{遅延}という語を用いる。」という言葉。

エニアック時代のコンピュータの記憶装置が、水銀のさざなみを循環させた「遅延回路」だったということ。

遅延回路を使った30年前の僕の音に、Lincoさんが「変換」を加えた。

そして、音の樹が発芽した。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1092204

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