安斎利洋の日記
2007年03月07日
01:11
新聞小説はなぜ面白いか
新聞小説が面白いのは、読者の心に「推論」を育てるためだ。
次回を待たせている間に、読者の心の中に言葉の枝葉が育っていく。孵化する卵を抱え込ませる。その時間を考えながら、じっくり計画されているから新聞小説は面白い。
日本語に主語はいらない、という主張がある。むしろ、主語が必要であるというのは思い込みだ、という主張だ。
日本語に限らず、言葉は相手の心に推論の種を植えつける「さごと」だ。コンピュータの言語は、まったく文脈から自由に、つまり推論なしで解釈できるように設計されるが、自然言語は必ず受け手の推論によって完結する。推論の要求が、日本語は特に強いんじゃないだろうか。
テレビにしても一般誌にしても、その世界の仕事をするとたいてい「もっとわかりやすく」と言われる。相手の推論をなるべく少なくしないと、多くの人が受け入れられず、競走に負けると業界人は思い込んでいる。
教室の授業も、噛んで含めるように知識をぐだぐだにする配慮がなされる。難解な推論の種を蒔けば、何人か落ちこぼれるからだ。
相手の推論に期待する文化が衰退すると、意味の熟成する時間、ということをみんな忘れてしまう。即決の知識にしか興味をもたなくなる。
だから、知識のリズムや、疑問の溜めや、発見のアウフタクトを生活に回復する新聞小説のような仕組みを、工夫できないだろうか。
コメント
2007年03月07日
02:00
安斎利洋
とりあえず、上の疑問を未来の自分にメールしてみるか。
2007年03月07日
04:07
小林龍生
バレンボイムは、サイードとの対談「音楽と社会」や若手ピアニストのための公開レッスンで、音と音とのつながり、次の音への想像力について、たびたび言及している。
アウフタクトとはそういうことであり、音楽の最後の音の後には、沈黙=静寂が待っている。
2007年03月07日
05:59
中村理恵子
>次の音への想像力について、たびたび言及している。
間、だね。
>沈黙=静寂が待っている。
間合い、だね。
これを取り去られると、考えたり、想像したりができない。
つまり「あんた考えるな、とっとと息だけして生きろ。」と言う状態の窒息状態になって、精神的に転んじゃいそう。
2007年03月07日
07:09
みやばら
私はよく主語がないと怒られます。
分析してみると、私の頭のなかには映像があり
それを話しているので、どんな場なのか説明をわすれます。
相手は脳をフル回転させて話さないといけないと怒るのです。
>主語が必要であるというのは思い込みだ、という主張だ。
大賛成!
2007年03月07日
07:46
smi
>知識のリズムや、疑問の溜めや、発見のアウフタクトを生活に回復する新聞小説のような仕組みを、工夫できないだろうか。
その答えを私は見つけた。
だが、ここに書き記すにはスペースがたりない。。。
2007年03月07日
08:57
ikeg
昔、物理の本のページをめくる前に次に展開する論理を推論してました。なかなか難しかった。年をとって、例えばニューラルネットによる脳の研究、prediction baseで考えがち。知覚はpredictionではないと思う。JUMPは入らないか。
2007年03月07日
14:32
安斎利洋
>アウフタクトとはそういうことであり、
終わるっていうのは、休符のアウフタクトなんでしょうね。人間は、ずっと死ぬことを推論して生きていかなくちゃならないのがつらいな。
2007年03月07日
14:41
安斎利洋
>これを取り去られると、考えたり、想像したりができない。
「言葉に間がなくて考えられない」と、誰かに何度か言われたことがあるなあ。
>私はよく主語がないと怒られます。
僕の母の電話は、論理的に省略不可能な省略から始まりますよ。相手の推論を期待しているふうでもないのが、困る。
>だが、ここに書き記すにはスペースがたりない。。。
「私は〜を証明した。ここには書けない。」というのを、死ぬまでにひとつ残しておこうと思う。
2007年03月07日
14:58
安斎利洋
>知覚はpredictionではないと思う。
三宅なほみさから聞いた話ですが、ある工学者に連句の話をしたら「連句は発句だけじゃなくゴールを先に決めておけば、推論する機械がセッションに参加できるのに」と言ったそうで、爆笑してました。
養老先生が出てきて「知るっていうのは、知る前の自分と、知った後の自分が違う、人が変わるってことなんですね」と言う朝日新聞のCMがありますが、これがわかってほしい人に、これはわからないんだろうな。推論をし始める自分が、推論をし終えたときの自分と変わりない場合、推論可能な範囲は非常に狭くなる。
2007年03月09日
20:29
マイルス
> 推論をし始める自分が、推論をし終えたときの自分と変わりない場合、推論可能な範囲は非常に狭くなる。
議論というものは論理的に進めないといけないと思い込んでいる人(普通の機械もそう)は結局演繹しかしないので,結論はtrivialになってしまう.
2007年03月10日
00:43
安斎利洋
マイルスさん
人間は、天から降りてくるtrivialでない結論をつかまえることができますが、人工的なシステムはどうやってジャンプすればいいんでしょうね。
2007年03月11日
20:48
マイルス
それが分からないから人は人として安心していられるというか.
論理的にはabductionとかinductionといわれているわけですが,真に意味のあるジャンプを実現するには,一種のフレーム問題を解かないといけないですね.
creativityの研究も,こういう環境に人を置くとcreativityが高まる傾向がある,ということ以上は言ってないですしね.
2007年03月12日
01:10
安斎利洋
>それが分からないから人は人として安心していられるというか.
ははは、なるほど、名言です。
人間も、フレーム問題から逃げることはできないから、自分の戦略の中でジャンプする以上のことは、できないのかもしれません。天才は、人間にとって十分に天才なだけかもしれない。
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