2004年11月13日 00:41
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>アメリカには弾性がある。それを信じたい。
信じることができる。わたしも
がしかし、いつでも不思議に思う、タックスペイヤーとしての意識があれだけはっきりとしていながら、なぜ?って外からかってに思うことが多い。でもしかし、あらゆる意味で多様、なゆえの弾性(民のバイタリティ)それがアメリカなのかも知れない。きっとそうだ。
世界ボツニュースで「世界のみなさまごめんなさい」特集があった。アメリカの反ブッシュ市民のばっちりユーもたっぷりの講義行動が報じられていた。
>世の中の過半がそれを容認したとしても、それを批判する声を圧殺しない、というコンセンサスがシステムとして組み込まれている」とある。
であってほしい!!!切に願う。
湾岸戦争のときの友人達が経験したことも事実として記憶の外にはずすことはできないが。
現地に住む友達が肌で感じている危機感もまたメールとかじゃなくて本人たちの顔を見ながらユックリ聞こうと思っている。
彼らは無言の圧制と呼んでいる。日本で見ることできる半分も事実は伝えられていないと感じているのだ。口出すことはおのずと見張られてもいるということだ。 |
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2004年11月13日 00:46
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2004年11月13日 01:05
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アメリカの建国からさほど時間を経ないときのことですが、年度末に、政府要人が部下の裁判官の任命の承認をデスクにつんだまま、疲れたので帰ってしまった。しかも、翌日から自分はその職を離れ、かつ、反対勢力の大統領が就任するという日に。当然、承認されなかった裁判官は、そのまま次の政権にも承認されなくて、そのことで訴訟になる。
その訴訟を扱った連邦最高裁長官が、当時承認をしないで帰ってしまった元政府要人その人で、かれは自分のしたことと、現政府と自分の立場のつりあいと、承認されないで裁判官になれないでいる元部下たちの立場を上手に取り繕うために、ある方針を打ち立てる。それが、いま各国の司法権の最終兵器と考えられている「違憲審査権」の元になった考え方につながる。
アメリカって、果たして立派なんだかどうだかよくわからない、ふしぎなところをいっぱい持った国ですね。
取り繕わない、立派でないところもけっして包み隠さない、というのは偉い、とは思います。
でも、アメリカ人がよくいう、「われわれは失敗に学ぶ」というヤツは、そういう良い面も映し出しているけど、ちょっと辟易することもあります。そのせりふをいってる本人は、確かに失敗に学んで、次からは失敗しないのかもしれないけど、100人のアメリカ人を相手にしたら、100人すべてが、1回ずつくらいは失敗するわけですから。学んだことは、共有しろよ、と言ってもいいかなあ?? という気持ちになっても怒られない、、、ですよね? |
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2004年11月13日 01:10
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>アメリカって、果たして立派なんだかどうだかよくわからない、ふしぎなところをいっぱい持った国ですね。
同感!まさに不思議。 |
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2004年11月13日 01:41
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>世の中の過半がそれを容認したとしても、それを批判する声を圧殺しない、というコンセンサスがシステムとして組み込まれている
同様のことをチョムスキーも言ってました。彼は自国の事を世界一のテロ国家だと自書の中で告発し続けているのですがその彼をして「アメリカという国はいい国だ」と、、、つまり、ノーム チョムスキーの意見を抹殺しないが故に。
翻って日本を見るとイラクの人質事件の時の彼らに対するパッシングなどジャーナリズムが先頭切って集団ヒステリーを盛り上げてるようなところがある。
少なくとも知識階級を自認する人々くらいはクールに行ってほしいなぁ、、、 |
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2004年11月13日 01:52
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>翻って日本を見るとイラクの人質事件の時の彼らに対するパッシングなどジャーナリズムが先頭切って集団ヒステリーを盛り上げてるようなところがある。
少なくとも知識階級を自認する人々くらいはクールに行ってほしいなぁ、、、
9.11の時のアメリカ現地報道のあり方が集団ヒステリーじゃなかったか、これから検証されていくことだろうと思う。それとは別に日本のジャーナリズムの当時の対応は世界的にみてこりゃ又不思議だったみたい!あれには私も開いた口がそのままだった。
私は湾岸戦争のときにフォトジャーナリストの吉田ルイ子さんに「戦争と女性とアメリカ」というテーマでインタヴューしたことがある。強烈に印象的だったことは「The United States of America is number one」という国是といってもいいくらいに流布している考え方があるということだ、つまり言論の自由も素晴らしい国であるために必要であるということだ。
アメリカの弾性・・これをどう意味つけるか、面白いと思う。 |
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2004年11月13日 02:06
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2004年11月13日 03:46
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>それを批判する声を圧殺しない、というコンセンサスがシステムとして組み込まれている
これって民主主義システムでは当然の話ですよね。
アメリカのマスコミって本当にそんなに平等でしょうか?
あくまで愛国的二大政党体制内での批判の範疇から逸脱しない意見しか聞こえてこないように見えます。
ワタシにはかなりイカレテル国家にしか見えません。 |
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2004年11月13日 06:24
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安斎さんに盟友、と名指ししてもらった小林龍生です。
一つだけ、安斎さんの記述を訂正させてもらいたいのだけれど。ISO/IEC JTC 1/SC 2 チェアの任期が切れたのではなく、1年がかりで、うんざりするような手続きを経て、やっとチェアになったのでした。任期は3年、普通は再任を妨げないので、6年やることになります。
で、JTC1(情報分野の標準規格を作っている公的な国際組織)と言えば、例によって、アメリカとヨーロッパ勢の思考過程の相違が目立って、たぶんこれは国連でおこっていることの縮小版なのだろうな、などと。
訂正だけ、と思っていたけれど、みなさんのコメント(とおそらくは安斎さんの戦略)に乗せられて、一言だけ。
<quote>
それを批判する声を圧殺しない、というコンセンサスがシステムとして組み込まれている
</quote>
と書いたのには、かなり具体的な例が念頭にありました。
アメリカには、少なくとも二つの公共的な放送組織があります。
一つは、National Public Radio(BBCみたいなもの)であり、もう一つは、Voice of America(海外向け)です。
このVOAが911直後の9月20日、にタリバンのリーダー、モラー・オマールの単独インタビューに成功した。
これは、ジャーナリズムの世界では、快挙と言っていいのだろう。
ところが、FCC(連邦通信評議会)からの圧力で、VOAは、このインタビューを仕切った女性ディレクターを解任し、アラビア語関係の多くの報道番組を、愚にも付かない音楽番組に変えてしまう。
この一連の出来事に対して、VOAの職員たちから抗議の声が上がる。
そして、ぼくが、ある種の感銘を受けたのは、このVOAの一連の出来事を、NPRが取り上げた、ということ。
事実関係を報道し、当時のVOAのプログラム編成責任者と、解任された女性ディレクターの双方からのインタビューを放送したのだ。
そして何よりもびっくりしたのは、VOAもNPRもアメリカ政府関係の同じ組織からの資金援助で成り立っている、ということを堂々と述べているところ。下記に、この番組がアーカイブされている。
http://www.onthemedia.org/otm072304.html
翻って、日本。NHKの一連の不祥事が取り上げられた国会の審議を通常はNHK関連審議を必ず放送するNHKが放送しなかった、というニュースを民放の報道で知った。やれやれ。 |
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2004年11月13日 16:22
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アメリカという国には、自分と異なる人間にも価値や権利を認めるリベラルな部分と、自分たちと意見の違う者は(時には自国民ですら)容赦なく抹殺する保守的な部分と2つの側面があって、どちら側を見るかで評価がガラッと変わってしまう国ですよね。
今までのアメリカはこの2つの方向性の上に絶妙なバランスで成り立っていたような気がしますが、今回の大統領選の流れとかを見ていると、この2つ間の亀裂が広がりつつあるように見えます。
我々外国人の立場では、どちらサイドが支配権を握ると付き合いやすいかということになるというのですが、ここしばらくはあまり付き合い易くない相手になりそうですね。 |
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2004年11月14日 12:48
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昨日は、水越伸さんのメルプロジェクト公開研究会で話をしてきました。久しぶりにべろべろになるまで飲んで、まだ頭痛い。そういえば、NHKの宇治橋さんもいっしょだった。
小林さんの話は、ジャーナリズムのシステムの話でもあるけれど、もっと個人レベルのプロ意識とか、根性とか、良心の問題でもあると思います。日本のジャーナリズムに、そういう厚みを感じることが、あまりない。というか、根性のあるジャーナリストは、必ず組織からはみだしてフリーになっている。
ジャーナリストに限らず、職業は組織の細胞であって、所属するハイアラーキーのトップの意のままに動くしかない、と思っている連中があまりに多い。
個々のプロ意識の総体が、社会を動かし、ひいては弾性を形作るんだと思う。少なくとも僕がふだんお付き合いしている人たちは、所属する企業と独特の距離を持ってはみだしている人が多い。VOAもNPRも、そういう健全なジャーナリズムのプロ意識が集まった空気をもっていたのでしょう。
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