安斎利洋の日記全体に公開

2007年02月13日
02:52
 プロの反対
プロフェッショナルの反対語、ってなんだろう。

あきらかにそれはアマチュアではない。アマチュアはときにプロよりも専門的先鋭的でありうるから。

では、プロフェッショナルの反対語は何かというと、現代においてそれはフランチャイズチェーンだ。

あらゆる仕事は、模倣を基礎にしている。そこからどれだけ自分だけの熟練を作り出すことができるか。その差異の大きさが、プロフェッショナルの尺度になる。

フランチャイズチェーンは、熟練の余地をなるべく小さくするシステムだ。だから、プロは本部にしかいない。

多くの仕事がフランチャイズチェーン化している。極論を言うなら、大学である理論を教えるのも、ひとつのフランチャイズである場合がある。家事さえ、フランチャイズチェーン化している。

熟練の余地とは、すなわち一つの仕事に対する可能世界の大きさに比例する。つまり、仕事圏というのは、ひとつのゲームの設計と等価でないか。良いゲームは、プレーヤーの満足が最大になるように練られている。

ゲームのように、熟練の余地を設計する必要がある。熟練の余地を作る仕事、というのもありうる。


番組名から思いついた思考中途のたわごとなれど、
とりあえず。
 

コメント    

2007年02月13日
03:24
godzi2
先生、池袋事務所にこの間の「ガイア」のDVDが入荷しております。
お手すきの折りにピックアップしてくださいな。


って、関係ない話題で御免!
2007年02月13日
09:50
ワット
そう、フランチャイズがプロ意識も、職人芸も消し去っていますね。
コンビニやスーパーはもちろんのこと、本来は職人芸があったブティックもブランド化し、フランチャイズになってしまいました。
2007年02月13日
10:00
ワット
ブティックをフランチャイズにしたのは、商売しか考えない商社などの商業資本。いくつものブランドを傘下に・・という企業が良くない。

エルメスなどはまだちゃんと本来のブティック(馬具屋)があるそうな。
そのルーツがなくなったら、複製可の単なるスタイルになってしまう。実際、ルイヴィトンやプラダなど、本物もコピー商品も品質にはあまり差が無いらしい。
2007年02月13日
10:41
ちゃ〜り〜田中
ミドルウェアの仕事に携わってますが 最近思っていたことのひとつに余地を設計している気がする 音楽なら五線紙や楽器のような。 一方で 完全コピー出来るのもある側面プロのような気がする
2007年02月13日
13:28
安斎利洋
ブランドは、プロ意識を鍛える場でありうるけれど、逆にプロ意識を眠らせる鋳型のようにもなりますね。

「あるある大辞典」もひとつのブランドだったわけだけれど、その型の影で、現場の制作会社はコンビニのアルバイトのようにふるまっていたわけで、これも一種のFC現象。

不二家も、販売網はFCだけれど、会社全体が本部の死んだFCのようになっていたのかもしれない。
2007年02月13日
13:33
安斎利洋
ミドルウェアは、この話の中ではすばらしいヒントです。

Bookoffは、プロでなくても古本の売買ができるFCシステムですが、高田馬場にある2店舗は他のBookoffとはあきらかに違っていて、いい本を選ぶ自分の目をもっている。あくまで想像だけれど、Bookoffシステムをミドルウェアとして使用した、自分の店を展開しているんでしょう。仕事は、こういう形で形成されるべきだ、と思う。
2007年02月13日
17:17
にしの
>そこからどれだけ自分だけの熟練を作り出すことができるか。

「そこから」にびびっと来ました。

素材・環境・時刻のすべてが異なる状況で、それらすべてを飲み込んで全く同じ物を創りだせるならばそのときプロの熟練の仕事であり、
状況をすべて切り捨てて同じようにみえるものを作るのがフランチャイズだと理解しました。

大学の(もしくは知の)フランチャイズ化は深刻です。ただ今に始まった話ではないと思います。
2007年02月13日
19:18
安斎利洋
>お手すきの折りにピックアップしてくださいな。

奇跡的に暇をもてあまして死にそうな日があったら、教えてよ。飯でも食おう。
2007年02月13日
19:31
安斎利洋
>状況をすべて切り捨てて同じようにみえるものを作るのがフランチャイズ

なるほど。だから、世界中どこに行っても状況の方が同じに見えちゃうんですね。旅先で、無印とかサティとかを見ると、がっかりするよなぁ。
世界中どの店に行っても同じ店はありません、という、ひとつ高次元のマニュアルをもったフランチャイズが出てくるかもね。

>大学の(もしくは知の)フランチャイズ化は深刻です。

「文学理論」というカオスが、ここ数十年でパッケージ化されていったのは、面白い現象でした。まさに、状況の切り捨て方の見本のような。
2007年02月13日
23:03
ikeg
科学も大学の講義も、馬鹿でも分かる、が目標になってるという意味でフランチャイズ化が理想ではないですか。フランチャイズできる知はどんどんそうしたらいいと思う。個人名義のうちは、まだまだ科学になっていないともいえますよ。
 しかし安斎さんのフランチャイズをプロフェショナルの対語として出すのはナイスですね。面白い。professionalって個人的内省的なものなのですかね。
2007年02月14日
01:02
にしの
>フランチャイズできる知は…
知識はフランチャイズ化できると思いますが、知と科学はプロの仕事だと思います。
自然は一つですが、解釈は人の数だけありそれの多様性が科学を駆動するのだと。
で、
>professionalって個人的内省的なもの…
ここに繋がるのかなぁと。
2007年02月14日
02:49
安斎利洋
>個人名義のうちは、まだまだ科学になっていないともいえますよ

問題が一段、深いところにきますね。

哲学や芸術や文学が個人名義にこだわるのは、いつでもアドホックに新パラダイムを作れるからなんでしょうね。つまり、「自然は一つだが解釈は人の数だけある」から。

しかし果たして、人の数だけ自然の解釈はありうるだろうか。自分だけに通用する言語が意味ないのと同じ理由で、自然の解釈は人の数より必ず少ない。というより、かなり少ない。

芸術は個人名義のようだけれど、芸術のしくみはフランチャイズそのものです。

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