安斎利洋の日記全体に公開

2007年02月11日
23:51
 タンジブルビット
NHKの番組で、石井裕さんのタンジブルビット(触れられるビット)のコンセプトが、クリアボード(人を挟む仮想透明板)の実績を捨てろ、という苦しい制約の中で生まれたことを知って、ちょっと意外だった。僕にとって、これらはまったくシームレスに繋がって感じられたからだ。

彼に出会ったのは二の橋連画展のトークセッション(1994年)で、人と人が絵を介して接続する連画は、クリアボードとまさに響きあい、年齢が同じだったこともあって、いきなり話が弾んだ。

彼がMITでタンジブルビットの実績を蓄積していた頃、僕らは触覚連画をやっていて、そういえば新宿の飲み屋で石井さん光島さん草原さんを交え、触覚絵画を触りながら飲んだこともあった。

そんなふうに共振し合うなにかを感じているので、僕は彼が一貫して目指しているのが「物をインターフェースとする情報」「触れる情報」などという単純なものではない、ということがよくわかる。

それは、僕らがカンブリアンゲームを通して掴もうとしているもの。あるいはおそらくikeg(池上高志)さんがテクスチュアネットワークと言っている世界。物・情報という稚拙な二元論では片付かない「あるもの」。

デパ地下でチーズを購入する際ふとひっくりかえしてみるのは、「賞味期限はいつですか」というクエリに「○月×日です」と答えるような単一の文脈にはまる行為じゃないし、ノートやナイフの散乱した机の上には、象徴もメタファーもサムネイルもない。情報の調和的なシステムを物のシステムに投影したところで、それはたんなる言い換えにすぎないが、物はそれ自身が情報として振舞うとき、もっと野蛮に好き勝手な文脈に接続してしまう。

僕らが最終的に求めているのは、ある目的にかなうデバイスだったり作品だったりするものじゃなく、誰もまだ実現していない、無目的でユニバーサルなタンジブルビットを手にすることだ。
 

コメント    

2007年02月12日
00:00
かーるすてん2こと
>誰もまだ実現していない、無目的でユニバーサルなタンジブルビットを手にすることだ。

久々 泣けてきました。
2007年02月12日
02:23
タンジブルビットに対する印象は日記にも書きましたが、少し違う印象も持ちました。
まず「タンジブルビット」というネーミングが巧い。
なんとなく明確な概念が立ち上がるような気にさせます(素人の私にとっては、あくまでも何となくです。)。
そして複数のコンピューターからの入力が同一のディスクトップに重ね合わせることであたかもタンジブルと錯覚する。
物のシステムに投影することで産まれる質感は、ネットを介さないユニバーサルな質感と同じなのでしょうか。
同じ気もするし何処か違う気もする。
2007年02月12日
02:37
安斎利洋
僕が目指したい無目的でユニバーサルなタンジブルビッツ、というのはユニバーサルな質感、という意味じゃなくて、モノと同等の計算過程をプログラムできる計算機、という意味です。もちろん並列でネットワークされた。
2007年02月12日
02:54
>モノと同等の計算過程をプログラムできる計算機
モノとは質感そのもののと同意ではないですか?
計算機が算出するデータは質感そのものではないですか?
(素人質問なので、流して頂いて一向に構いません。)
2007年02月12日
03:17
安斎利洋
yfujiさんの用語系を理解しました。計算機が算出するデータは質感そのものです。
目指したいのは、言い換えるとタンパク質のような計算機です。タンジブルでプログラマブルなプロテイン。
2007年02月12日
04:50
Archaic
先日、はてなの近藤さんと少しだけお話させていただきました。
ネットの世界にイメージされている世界をバーチャルではなく、かといってミクシーのようにリアルを単にバーチャルに持ち込みマージさせる(ちょっとクローズドな世界)とか。そんなバーチャルとかリアルとかそういう事を超えた、そんな世界をネットに立ち上げたいと考えておられるようでした。二元論を超えて思考するというところで、ちょっと思い出しました。新しい世界を考えるということはそういうことかなぁ、と。

タンジブルビットが正確に何を示そうとしているのか、素人の私にはわかりかねるところもあるのですが、石井さんと学生さんの発想の模索をテレビでみていて、やはりヒューマンというイメージとインターフェースというものに染み付いたイメージ、既成概念をはずすこと、が求められていると思いました。
携帯電話の触感によるコミュニケートというのは、今の5感のうちの一つをフューチャーしただけにすぎず、一つの方向性としてありかもしれないけれど、それだけでは駄目だなぁ、携帯電話にボタンがあるとか無いとか言うレベルにすぎないなぁ、というのがあの女学生のアイデアに対する私の正直な感想でした。

無目的でユニバーサル。そういう新しい次元(タンパク質、つまりはそれらが自動的に生命的な力をあるいは世界の方向性を持つような)を模索することは、自分の思考を結果が超えてゆくという可能性があって、わくわくすることですね。
2007年02月12日
04:51
安斎利洋
Archaicさん、ボストンの石井さんちではまだ見てないって話ですが、ごらんになったんですね。

リアル・バーチャルなんていう二元論は意味ない、っていう話。近藤さんとは、そのあたりのイメージはいっしょだと思います。Archaicさんも、かなり正確にイメージを共有しているように思います。こういう本質論は、NTTとかMITとか仕事とか論文とかいったコンテキストでは見えてこないことで、番組の流れもそういうことじゃなかったけれど、50年後にはそんなことはどうでもいいことで。

うれしくなっていろいろ書きたいところだけれど、こっちはそろそろ夜が明けるのでまた明日。
2007年02月12日
04:54
Archaic
あ、すみません。一回消してしまって。

番組は何だか色々と人様にお願いして録画してもらったのを送ってもらいました。こちらでは衛星のNHKでながれるようですが、我が家は見れないので。
2007年02月12日
09:03
びすけっと
> 誰もまだ実現していない、無目的でユニバーサルなタンジブ
> ルビットを手にすることだ。

僕もこれには共感します.というかこれを目指さないとダメです.でこれを解くのに欠けているのは,計算の基本原理みたいな話だと思います.人間のことが出てこなくてもいい気がする.

僕が最初にタンジブルビットのデモを見たとき,コンピュータが遠くなった感じがしたんですよね.今まで遠かった人には近づいたと感じたんでしょうけど.

別の話題ですが,Wiiリモコンって,単純な触れるデバイスのユニバーサル版だと思います.
2007年02月12日
09:24
Archaic
びすけっとさん
以前、小豆島で、最近の学生の研究テーマが至近距離を狙い過ぎてる感じがするねって会話を
私とちょっとだけしてくださったこと、覚えておられます?
すぐに商品化されるようなこじんまりした事が多いよねって。学生だからこそ大きな、先の先を考えなきゃって。

本質的なことだと既成概念からみると一瞬遠くなる感じがして、そういう概念から縁の無かった人からみると、世界に近づいたように感じる。そういうのって凄くわかるような気がします。音楽も響きや音そのものの持つ世界に直接的で環境とか空間の原型に近くなるということがあったりします。抽出されて来た象徴性を捨てるってことかな。

安斎さん、すみません。人の軒下で。
2007年02月12日
09:50
なさ 飛鳥井
見逃しました。

僕にとって石井さんは、クリアボードの頃は興味なくて、タンジブルのコンセプトを出されたときは、ものすごく面白いと感じました。

ただ、石井さんのリサーチで興味を持ったのは、フォアグラウンドの意識的なタンジブルなインタフェースではなく、バックグラウンドの無意識的なアンビエントなインタフェースの方でした。
2007年02月12日
15:43
安斎利洋
>人間のことが出てこなくてもいい気がする.

ここが、マン・マシンの問題としても、大きなポイントだと思う。つまり、いまのコンピュータプログラムは、人間に対して何かしらをしようと構えている(ように作られている)。でも、何かしようとしているというのは、それしかしない、それしかできない、ということ。

実世界にあるオブジェクトは、あたかも人に対して何も企図されていないように、そこにただあるだけ。だから、電線用のニッパーで爪を切ったり、定規で背中を掻いたりすることができる。

かつて東急ハンズが大ブレイクしたのは、それまでの百貨店には人に媚びたものしかなかったのに、ハンズには何も意図されていない素材が並んでいるだけだから、そこに入った人は全ての組み合わせを想定し、さて何をしようか、と目的を考えることができた。

なささんに言っている
>バックグラウンドの無意識的なアンビエントなインタフェースの方でした。

というのもここに繋がっていて、明示的なクエリーとレスポンスで繋がっている機械は、脳のごく一部にしか作用しないけれど、相手がただ自分の原理(物性)で動いているだけの機械は、人間の意識も無意識も総動員させて向かわせる力がある。

「タンジブルビット」という言葉は、確かに巧みですね。ここは踏まないで、もっとベタに「マテリアルコンピューティング」のような方向を、模索したいですね。マテリアルといっても実物を動かす必要はなくて、物のように無目的に振舞うモノの総体として、つまりビスケットのような世界として、ソフトウェアを考える。

カンブリアンは、いまだんだん「プロテインマシン」のようになってきた。

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