安斎利洋の日記全体に公開

2004年11月10日
16:31
 圧倒的な色彩体験とタレルの手術台
イチョウが色づいてきた。イチョウは、黄色いのではなく、圧倒的に黄色い。この季節になると、近所の城北公園に出かけて、環境の差や日差しの加減で最も祝福された圧倒的な黄色の一本を探しては圧倒されるのが大好きだ。

色は、物理学的な単純要素に還元すればただの色だけれど、色彩は圧倒的な体験なのだ、ということを言い続けたのはゲーテだ。体験は要素化できないし、ほかの人生に接続できない。たとえば、写真のイチョウはニセモノだからといって、ホンモノのイチョウの大きさを再現して、視覚の周りを取り囲んだとしても、おなじ色彩体験はそこにない。

昨日、金沢21世紀美術館で、タレルの『ガスワークス(1993)』に入ってきた。CTスキャンに入るような具合に、視覚的になんのとっかかりもない球体に体を埋めると、10分間の<全体野>体験が仕組まれていて、いろいろな不思議なもの(?)を見る(?)ことになる。見るという行為は、たんに対象に感覚を這わせる行為ではないことがよくわかる。

タレルの求めるなにかを試行するエスキスがそこにあったものの、この心理学実験装置には交換不能な圧倒的な体験としての色彩は、なかったように思う。このがっかりした感覚が、僕にとっては貴重だった。

<関連>地中美術館の睡蓮
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1199661
 

コメント    

2004年11月10日
16:50
あ っ こ
うん☆★☆

オカエリナサイ・・・・・
2004年11月10日
17:16
安斎利洋
ただいま。

圧倒的だったのは、金沢の市場の方だったんだけど、それは中村さんちで。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=3367453
2004年11月10日
18:47
中村理恵子
あのぉ、何度か眠ってしまいました(告白)。
貴重な、順番待ちを我慢してまで体験したのに。
タレルの光系の試みは、補色や錯覚や、あの大掛かりで、キッチュな、ガスワークスなどなど。ちょっと身体に悪いってことはないんでしょうか?素朴に。
2004年11月10日
19:11
安斎利洋
あの中で眠るかよ!

あの球体は、本当はプラスチック製なんだけれど、鉄のようで、密閉感を演出してますね。閃光が走ったあと、係の人が「大丈夫ですか」と声をかけにくるのが、妙におかしかった。パニックになる人がいても、おかしくないね。

それからあの作品、完全にマニュアル操作で、係のおねえさんはたまにボーっとして色の順番を間違える、と自分で言ってました。
2004年11月10日
19:15
あ っ こ
やっぱ!市場はすごい トリコ
安斎さんは疲れないの?
2004年11月10日
19:36
安斎利洋
>やっぱ!市場はすごい トリコ

金沢の台所は、やっぱりすごいですよ。

旅先で、市場に行くか、美術館に行くか、っていう二者択一で迷うことがけっこう多い。
2004年11月10日
20:28
あ っ こ
市場通って美術館へゆく。
市場通って帰ってくる。で
駄目なときはドラッグストアーへゆく。美術館もゆく。

あ〜〜
忘れていました。私には二者択一という回路がない?かも?
2004年11月10日
23:25
トクジュン
またまた、イタリアの話させて!
北には一応イチョウの木はあるものの、
あの日本人には嬉しい銀杏が生ってたのよね。
それで、嬉しくなって一杯拾って(道行く人は胡散臭げというかまさに臭げで)花壇の土に埋めていつか食べようと思ってたのに、イタリアの僕ちゃんがウヘッて言うもんだからつい1〜2年先送りにしたら、芽が出来てそりゃもう慌てました。
だって、イチョウの繁殖力ってすごく原始的、セコイア並みじゃないかな。花壇で大きなイチョウになって銀杏なんか生って見なさい、景観にうるさいイタリア人に怒られちゃいます。
それから、しばらくしたら広場に植えたイチョウはもっとおしとやかな木に変わってました。
あ、すいません、話の腰折って。
2004年11月10日
23:25
なさ 飛鳥井
タレルに引っ張られて来ました。
21世紀美術館と地中美術館は近いうちに行きたいところです。
21世紀美術館にもガスワークスがあるんですか。
ガスワークスは何度か体験しましたが、一番面白かったのは、最後に外に出るときでした。
視覚的には何も変化がなくて「止まっている」のに、身体は加速度を感じて「動いている」という不思議な感覚です。

色彩体験、確かにメディアとかモダリティでは決して再現できないですね。
最後に残るのは心理的状態だと思います。
心理的状態、人間の内部的状態を再現できなければ、同じ体験は得られないと思います。
同じような心理的状態をどのようにして誘導するか、これは技術的には難しい問題です。
2004年11月10日
23:30
るーぱぱas不良mixi
市場で鑑賞して、美術館で食っちゃったりしそう。
いいな〜、金沢の市場。
いいな〜、タレル。
2004年11月10日
23:42
tamie
>昨日、金沢21世紀美術館で、タレルの『ガスワークス(1993)』に
白い大きなカプセルみたいなの?
世田谷美術館でのタレル展の時、ハガキで申し込んではずれました。
行きさえすれば、当日券みたいなのがあるか と思いましたが、当選した人だけしかダメだった。
結果がっかりでもいいから、何が見えるか見てみたい。
そう言えば、バブルの頃、六本木の怪しいビルで、うーん、何て名前だっけ、、、シンクロエナなんとか。薄暗い中リクライニングシートでアイマスクに光あてて網膜の映像みる ってのを、友人に誘われ試したことがあります。
友人は いろんなサイケな映像みて面白かった〜 って言うのだけれど、私はぜんぜんでした。
2004年11月10日
23:46
安斎利洋
イチョウって、ヨーロッパでは薬として栽培して、葉を利用しているって聞いたけど、ほんと? 日本人は銀杏を拾っても、葉はとりませんよね。
2004年11月11日
00:06
tamie
>日本人は銀杏を拾っても、葉はとりませんよね。
幼稚園の時、イチョウだけを拾い集めて母にねだってつなげてもらい、ネックレスにしました。

社宅から幼稚園までが 桜並木のトンネルで、この紅葉も見事だった。歓喜して見上げて、葉を大事に拾い集めて陽にかざしてました。
今ことばにするなら、それはまさに圧倒的色彩の体験だったと思います。
2004年11月11日
00:07
安斎利洋
なささん、網張って待ってました。

>同じような心理的状態をどのようにして誘導するか、これは技術的には
>難しい問題です。

ナイアガラの滝の前に立った音響体験は、たぶん再現できないと思うけれど、それは再現する必要はない、と思うんです。
ナイアガラの滝の音響体験と、同じ構造をもった、単純な感覚の複雑な干渉を、音楽で構成することはできると思う。

それをここにあてはめると、イチョウの圧倒的な黄色を、どうやったら別の要素で構成できるのか、ということになります。これは、技術の問題ではなく芸術の問題で、言い換えると技術はどうやったら、このようなメタフォリカルな領域に踏み込めるか、ということだと思う。僕も、芸術の側からでなく、技術の側から、「同じような心理的状態をどのようにして誘導するか」に興味があります。
2004年11月11日
00:09
tamie
>日本人は銀杏を拾っても、葉はとりませんよね。
安斎さんが書かれてるのは、役立つもの としての葉 ですね、すみません。
2004年11月11日
00:14
安斎利洋
金沢の「ガスワークス」は、なんと無料のエリアにあるんですよ。そういえば、セザンヌやモネも、無料エリア。考えてみると、古典には著作権がないんだから、パブリックドメインなんですよね。

ガスワークスは、平日だったけど、待ち時間1時間以内で、体験できました。

いろいろ不思議な体験が詰まってました。僕は、閃光の中の何もないところに、フラクタルな模様や、ニュートンリングの干渉のようなものが見えました。それから、補色に急に落ちていくときに、目をあけながら視覚を失ったような、恐ろしさを感じた。

一度体験すると、面白いと思います。
2004年11月11日
00:15
安斎利洋
>役立つもの としての葉

そうそう。健康食品で売ってるでしょ。そこらへんに葉があるのに、なんでみんな買うんだろう、と思ってるんだけど。
2004年11月11日
00:19
安斎利洋
築地の場外市場を、作品のネタにしているヤツがいます。
シェリンさんという、ケーキアーティストがいました。食える作品を、彼女のパーティで食べたことがあります。

まさに、
>市場で鑑賞して、美術館で食っちゃったりしそう。
ですね。
2004年11月11日
01:00
eiko
金沢の近江町市場と博多の柳橋連合市場は、規模も雰囲気もすごくよく似ているんです。

日常的な食事がおいしい都市の要件として、食材に恵まれていることと、口の肥えた遊び人がいる、ということがあげられると思うんですが、そういう意味で、この2つの都市は共通する部分があります。金沢からちょっと気取りを引くと博多、という印象です私のなかでは。
2004年11月11日
01:25
安斎利洋
うまい食材があるから食文化が育ち、食文化が育つから、うまい食材が集まる、という良い循環なんでしょう。

東京だと、なかなか午前中に築地に出かけるのは、つらいものがあります。市場や商店街はどんどん弱くなって、スーパーかデパート。つまらない。
2004年11月11日
03:04
gilli
東京も私が学生のころは文化の日のころが八王子が真っ黄色で、
八王子銀杏祭りというのがあったはず。
勤労感謝の日のころの東大駒場祭もハラハラと降ってくる銀杏の
中で模擬店の屋台が並ぶのだった。
でも今は年末でも緑の時もあります。

>色彩は圧倒的な体験なのだ

>メタフォリカル

ほんとうに、こうした個々の中にある経験やイメージをいかにして
再現するかということはいつも考えてゆかなければならないことですね。

シェリンさん、昔の名刺ならどこかにあったぞ。

2004年11月11日
03:38
あ っ こ
ギンコライト

これがイチョウの薬効成分です。

私はイチョウの新芽を食べるのが趣味です。うちのお婆がおつむがよくなると嘘をいった・・のがことの始まり。ものの本によると、脳みそ関係にさようするらしい色々がでてきます。大きくなるまで嘘だと思っていました。

でもそれとは全く別に趣味として、あの鮮烈に食欲をそそる翠を口にしないでいられなかった・・・・のです。毎年あの季節が楽しみで、味噌汁に浮かべて食べるのが一押しです。

圧倒的体験をもたらす秋の黄色と(あれは光色)と春のみどりの細胞レベルの震動をもたらす経験はもうこの世のものとも思えない恍惚を与えてくれます!!!!うにゅ
2004年11月11日
06:08
さとっち
ガスワークス、、、

<視覚的には何も変化がなくて「止まっている」のに、身体は加速度を感じて「動いている」という不思議な感覚です。

や、
<僕は、閃光の中の何もないところに、フラクタルな模様や、ニュートンリングの干渉のようなものが見えました。それから、補色に急に落ちていくときに、目をあけながら視覚を失ったような、恐ろしさを感じた。

のようなお話を聞くと、、、やはり、一度行って経験してみたい、と。。

<tamieさん
網膜の映像みるというのは、真っ暗な部屋で、目を閉じてうえから強くしばらく押さえていると見える映像とは違うのかな?たまに、やったりしています。。

<イチョウの圧倒的な黄色を、どうやったら別の要素で構成できるのか
これは、やっぱりスキーマ(シェーマ)の誤認識への誘導のプロセスが無いと難しいような、、、

もしくは、、、メタフォリカルな領域って、ハードに依存しないと存在しいえないので、画期的なハードによって、新たなるメタレベルが、発生するのかしら??

いずれにせよ、とても、面白そうですが、ちょっと恐い側面も感じます。。。
2004年11月11日
09:28
ちゃ〜り〜田中
何年か前に世田谷でガスワークス体験したのですが、
ガスワークスって手動だったのですかぁ。そこに驚いた。たしかに、あれだけの段階数はアナログな操作なのかもしれない・・・。コントロールのうまさが要求されるのですね。
あの中に入って、視界の外側がどうなっているか、見てみたいけど、見たらガッカリしてしまいそうだし、と葛藤してしまう自分が思い出されました。
長時間いたら寝むれそうですね。
2004年11月11日
09:47
tamie
>補色に急に落ちていくときに、目をあけながら視覚を失ったような、恐ろしさを感じた。
現実世界では 体験できない感覚ですね。

ローデン・クレーターにも行ってみたい!っていうのが夢だけれど、難しそう。
金沢、待ち時間1時間ならぜひ試してみよう。

さとっちさん、

思い出した「シンクロエナジャイザー」です。
マッサージチェアみたいなリクライニングシートに横たわり、ゴーグルみたいなLED付きアイマスクとヘッドホンを装着。

>網膜の映像みるというのは、真っ暗な部屋で、目を閉じてうえから強くしばらく押さえていると見える映像とは違うのかな?

たぶん ちょっと違うのかも。
音と光が視神経を刺激することで脳内の視覚野へ影響を与えるっていう理屈らしいので。
六本木のは黒服のお兄さんが接客するバブリー空間で 私は居心地悪くて何の映像も見れずじまい。
そのうち同じものが市販されるようになり、その友人宅で、生演奏とともに体験させてもらい、これはリラックスできて、気持ちよい映像を見れました。
2004年11月11日
09:53
中村理恵子
れ;手動だったのですかぁ。

はい、人が横たわるスライダー式のベッドもすべて若い女性の手動です。
安斎さんを本体から、まるで焼きたてのパンを引き出すように作業する女性、大変そーでした。
重そうで(笑)。
交代でこのシステムを運営してるようですが、彼女らの研修もまぜながらの順番待ちです。

でも、金沢も、直島も、タレルといえば、お空をキャンバスにみたてて枠切った;空ものでいんじゃないの?
特徴的な白い斑点のついた翼をひろげてトンビが横切ったけど、良かったよー。あっちもこっちを枠の中で見てる。

Blue Planet Sky
http://www2.kanazawa21.jp/public/sakuhin/det.jsp
オープ・スカイ
http://www.chichu.jp/j/tour/

2004年11月11日
10:50
ユミ
昨日夕陽の中で目をつぶって瞼の日光浴をさせた。
圧倒的な赤の体験。

ところでイチョウと言えば、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=3368358
こんなことを良しとしていたら貧相な人間になっちゃう。

大掛かりな装置をつくらなくったって圧倒的な体験はそこに在るのにね。
2004年11月11日
12:32
なさ 飛鳥井
私の生まれた家には大きなイチョウの樹がありました。
それは家のシンボルでもあったけど、銀杏の腐った匂いは大嫌いでした。

安齋さん、やっぱりここには面白い人たちが集まっていますね。
(なかむら_Rさんにも安齋さんと一緒にお会いして以来です)

tamieさん、申し訳ない。(笑)
私は葉書をいっぱい出して、世田谷美術館で3回ぐらい体験しました。
その前の水戸芸術館でも1回。
世田谷美術館では同様なコンセプトのテレフォンブースという作品もありました。
名前の通り、電話ボックスみたいに、立って体験する作品で、自分でパターンを調整することができます。

安齋さん、確かに別の要素で構成するというアーティストの立場は理解できます。
私はナイヤガラの滝ではなく、グランドキャニオンがなぜ絶景なのかという話をたまにします。
景色は確かに素晴らしいかもしれませんが、決定的に大きいのは観る人が高い場所に立っていることです。
高い場所に立つと、人は無意識の恐怖から、自律神経系の活動が盛んになって、心拍数が上がります。
その心拍数の上昇を、人は景色に結び付けてしまうのです。
心理学の実験で有名な「吊橋実験」と同じ原理です。
吊橋実験は高いところで異性に会うと、心拍数の上昇の原因が相手への好意であると、無意識にうちに誤認して、相手を好きになってしまうと言うものです。
別の要素による構成には、こういった無意識の心理的要素も重要だと考えています。
2004年11月11日
15:20
nolicco
はじめまして。みゆきさんのとこからやってきたらタレルのお話だったので・・・

ガス・ワークス、私は世田谷美術館でライト・スタッフといボランティアで特別体験しました。やりかた説明ってやつですけどね。
どちらかというと病院でCTだかMREとったときの方がアート感強かったような? 私の担当は主にテレフォン・ブースでしたが、白衣を着てこんな感じにやってくれ、私たちも作品の一部として・・みたいな話がタレル自身からありました。

本当の真っ暗闇な部屋に入る作品は体験されましたか?
関知すれすれの微光が点滅してる暗い部屋に手探りで行って鑑賞するもの。私はあれが一番印象的でした。光がないことによって自分の内面や視覚にたよらない身体感覚に光が当たるような・・・

ちなみに銀杏の葉は紙の虫除けになるそうです。本とか着物のたとう紙に効果があるそうでタンスに入れてます。
2004年11月11日
16:51
なさ 飛鳥井
真っ暗なのは"Blindsight"ですね。
網膜のノイズが増幅されて、その人固有の色が見えます。
私の場合はヴァイオレットでした。

Blindsight(盲視)とは、後頭葉の視覚野の損傷で視野の一部が見えなくなった人が、その場所が見えるようにちゃんと振舞うことから、見えないのに見えているという意味で名付けられています。
この説明としては、視覚野を経由しない第2の視覚経路の存在が指摘されており、視覚野を経由しないので意識できないものの見えているらしいです。
2004年11月11日
18:42
さとっち
<tamieさん
ご説明ありがとうございます。。
光はともかく、音がが視神経を刺激することで脳内の視覚野へ影響を与えるって言うのは、面白いですね。音の刺激が、映像認識に影響をあたえるなんて。。

和音なんかでも、長3和音は明るくて、短3和音は暗いって認識も、第3音が下がっているから、暗く感じるのでは無くて、倍音構成上の歪みで不安感など感じているっていうのを読んだ事が。。

すべての要素は相対的に派生してしまうのかな。。

2004年11月11日
19:52
なさ 飛鳥井
シンクロエナジャイザーで使っている音はバイノーラルビートというやつで、左右の耳に僅かに異なる周波数の音を聞かせると、その周波数の差のビートが聞こえるというものです。

視覚と聴覚の相互作用(クロスモーダル現象)で、もっとプリミティブなものは"Double Flash Illusion"で、光を1回点滅させたときに、音を2回聞かせると、光が2回点滅すると言うものがあります。
空間知覚には視覚が支配的ですが、時間知覚には聴覚が支配的なために、こういう現象が起きます。
だから、音を1回聞かせたときに、光を2回点滅させても、音は2回聞こえません。

以前はサンプル映像が下記のところにあったのになくなっていますね。

http://neuro.caltech.edu/~lshams/illusoryFlashingDemoWeb/illusoryFlashingDemo.html
2004年11月11日
22:44
安斎利洋
クロスモーダルっていうのは、共感覚とは関係あるんでしょうか。誰もがもっている共感覚、ということなんでしょうか。

以前、さとっちさんたちと、音楽の調性にと色の関係について話しましたっけね。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=2474496
2004年11月11日
23:00
安斎利洋
みなさんの面白い話の展開を読んで、なにかが少しわかってきた。

ガスワークスに感じた、ある不足感というのは、「アートは人間に感覚を注入する装置なのか?」という疑問なんです。そうなんです。

たとえば、何十年かあとに、「電子的な空間で、なつかしいと思えるものはなにか」なんて質問をされるとします。なんて、答えるだろう。僕は、もしかするとmixiとMYSTというかもしれない。どっちも、感覚を補強する仕組みはどこにもない。しかし、そこに空間の体験が生まれるのはなぜなのか。

>メタフォリカルな領域って、ハードに依存しないと存在しいえないので、

僕は、メタフォリカルな領域は、ハードに依存しないソフトやシステムや言葉の領域にあると思っています。空や建物を使ったタレルの作品と、ガスワークスが違うのは、そこに隠喩があるかないか。ガラスを使ったシャガールの絵は、ガラスから得られる光と色彩が欲しかったからだと思いますが、同時に描いているものとガラスの色彩が、分かちがたく結びついている。いまのアート、特にメディアアートの流れは、そういうメタファーの力をどんどん信じない方向に向かっているんじゃないか。

頭の中が、うまく整理できました。
2004年11月11日
23:07
安斎利洋
アートは人間に感覚を注入する装置なのか?といいつつ、なささんの話、実に刺激的。

>吊橋実験は高いところで異性に会うと、心拍数の上昇の原因が相手への好意で
>あると、無意識にうちに誤認して、相手を好きになってしまうと言うものです。

知覚を操るこういう研究の行き着く先に、脳に直接感覚を注ぎ込む世界があるんでしょうね。恋愛やセックスも脳に注ぎ込む未来、というビジョンはSFで幾度も描かれているけれど、人間は否応なくそこに行きたがりますね。少なくとも、僕は一度行ってみたい。

とりあえず、高所で告られたら、相手の戦略を読み取らないとね。
2004年11月11日
23:11
安斎利洋
>ガスワークスって手動だったのですかぁ。そこに驚いた。

でしょ! あの装置の雰囲気からすると、原始的なダイオード式のシーケンサかなにか、使ってるのかなと思ったら、フラッシュもすべて手動ボタンを押してました。

ですよね?>nolicoさん

あと、ガスワークスの正式版はもっと長いプログラムなんだけれど、たくさん人を入れるために10分のショートバージョンを使っている、とのことでした。
2004年11月11日
23:17
安斎利洋
>私はイチョウの新芽を食べるのが趣味です。

新芽を採るんですね。どんな芽だっけ?
たらの芽みたいに食べるんでしょうか。
来年、絶対にやってみよう。

>ちなみに銀杏の葉は紙の虫除けになるそうです。

これ、なかなかすてきですね。青い葉?
2004年11月11日
23:23
なさ 飛鳥井
安齋さん、日記の共感覚の話は既に読ませていただきました。
そうそう、スクリャービンの色とコードの対応表の出典はどこですか?
私も数年前ぐらいから共感覚には興味を持って調べたりしています。

複数のモダリティの知覚がお互いに影響するという意味で、共感覚はクロスモーダルな知覚です。
ただし、共感覚はあるモダリティの知覚が別のモダリティの知覚を新たに引き起こす現象なので、クロスモーダルな知覚が必ずしも共感覚ではないと思います。

それから、安齋さんが書かれているように、クロスモーダルの研究の対象は誰もが持っている現象を対象としており、一方で共感覚は特殊な共感覚者を対象にしていることが多いです。

クロスモーダルな現象と共感覚が同じメカニズムで引き起こされているかどうかはまだわかっていないと思います。

それから、共感覚で気をつけなければならないのは、後天的な認知に基づく共感覚的なもので、これは連想のように大脳皮質が関係しているようです。
2004年11月11日
23:32
安斎利洋
なるほど。切り分けるべき要素が、見えました。

>スクリャービンの色とコードの対応表の出典はどこですか?

図版は、この本からです。
『20世紀音楽』
H.シュトゥッケンシュミット著
吉田秀和訳-平凡社-1971-(世界大学選書,025)

ただ、あの図はスクリャビンの『プロメテ』に指定された色鍵盤の色から、単純に起こしたものだと思います。楽譜を見てないので、どのように指定されているのかは、わかりません。

さとっちさん、ご存知ないですか?
2004年11月11日
23:34
なさ 飛鳥井
そうだ、安齋さんって下記の話は読まれました?

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20020423302.html

もうちょっと意識に関するまともな話としては、下記のBenjamin Libetの実験があります。
(私の要約なのでわかりにくいかも)

http://home.r02.itscom.net/asukai/diary04/diary0404-06.html#20040503
2004年11月11日
23:38
なさ 飛鳥井
『20世紀音楽』は持っており、図版は今確認しました。
どうもありがとうございました。

良い子は寝ます。(笑)
2004年11月11日
23:51
安斎利洋
うわ、『超常体験は脳への磁気刺激が生み出す幻か』の記事の中にある広告が、アートネーチャーだ。何を植えつけるやら。

この話、聞いたことあります。

電気信号で神様を召喚できる、と考えると意外だけれど、神様は脳に住んでいると思います。脳をどう揺さぶっても出てこないものは、人間にとって無に等しい。

でも、すべてが(神までも)人間の内部にあるって、なんだか生き埋めになったような圧迫感がありますね。

自由意志の話、これはよく咀嚼しないと。生きることの根幹にかかわる。
2004年11月12日
00:45
gilli
何故、銀杏の落ち葉がいつまでも変色せずに、歩道に落ちてるのかといえば、防腐作用が強いからだと聞いたことがあります。
2004年11月12日
01:14
あ っ こ
イチョウの葉っぱはすっごくうんまい!
2004年11月12日
01:19
gilli
そっか、あの春の明るいリンデングリーンはたしかにおいしそうだと思っていたけど、おいしかったのね。
銀杏とは似ていないの?
2004年11月12日
02:39
あ っ こ
>新芽を採るんですね。どんな芽だっけ?
たらの芽みたいに食べるんでしょうか。

イチョウの葉っぱまんま極小サイズ、たとえようもない翠(うまれたてだから)新芽の出る真ん中は触ってはいけない、イチョウの大事な場所。1茎に6枚以上になったところを外の葉から頂戴する一枚づつはずす。熱湯を掛けてそのまま食べる、味は少し甘苦いでもさっぱりしたはっぱの味。

>銀杏とは似ていないの?
おなじ植物とは思えないあっさり系。

(心臓悪い人はたくさん食べないほうが善いと思います。どうにもなりませんがすこし心拍数が上るみたい。)

好きな人にイチョウの葉っぱ食べさせて勘違いさせるってのは、究極の魔女的テクですか?つり橋じゃ怖いのが先。
2004年11月12日
03:40
gilli
>好きな人にイチョウの葉っぱ食べさせて勘違いさせるってのは、究極の魔女的テクですか?

なるほど! それはいい手かもしれませんね。
ところで、ヴァイアグラはもともと心臓の薬かなにかで開発されたんですよね、ひょっとして強壮剤としても効く?
2004年11月12日
15:18
あ っ こ
>ヴァイアグラはもともと心臓の薬かなにかで開発されたんですよね、ひょっとして強壮剤としても効く?

心臓との関連ねぇ?なるへそ。ギンコは脳みそに働きかけるみたいです。おつむはビカっとするでしょう。たぶん
私はもともと、ビガビガだから自覚できなっかた。
2004年11月12日
15:30
安斎利洋
Benjamin Libetによれば、きっと恋愛も自由意志じゃないんでしょうね。恋に落ちる、っていうくらいで、恋に降りるとは言わないもんね。

恋に落とす話でしたね。
2004年11月12日
18:09
さとっち
<なささん
バイノーラルビートというやつで、左右の耳に僅かに異なる周波数の音を聞かせると、その周波数の差のビートが聞こえるというものです。

わ〜、これ知らなかったけど、ものすごいピンときます。
ズレが産み出すビート。
クロスモーダルと共感覚における差異も、僕も頭の中クリアになったかも。

<安斎さん
MYST懐かしいです。これ好きでかなりやりこんだ記憶が。。。

<ハードに依存しないと
っていうのは、肉体的な感覚器や、それを補助、補強する機具っていう意味合いで出してみたのですが、脳にいきつくまでの経路ですね。
カンカクによる認知と脳でのヘンカンにずれ(メタ領域)が生じるような。ハードとソフトのフィードバック回路ですね。。

<神様は脳に住んでいると思います。
昔、村上龍がニンゲンを構成しているのは、マシーンとアニマルとアートの3要素でその上からゴッドがかぶさる、、、っていうの、思い出しました。
僕も、カンですが神は脳の中に存在すると思います。

あと、スクリャービンの楽譜ですが、恥ずかしながら、まだ未見です。
悪しからず。。

<あっこさん
好きな人にイチョウの葉っぱ食べさせて勘違いさせる

これいいですね〜、メモメモ。。
2004年11月12日
19:06
あ っ こ
さとっちさん
>これいいですね〜、メモメモ。。
メモしても3分後に消えてしまうかも。魔女の囁き。

>きっと恋愛も自由意志じゃないんでしょうね。
そのようですね。男女50人対50人くらいの集団見合いを統計的に好き嫌いマトリクス作っていくと、遺伝子的に一番遠い人を「好き!」って思う(感じる)傾向がみられるらしいです。
人間も所詮DNAに支配された「ただの存在」ということなのかも。いずれにしろ、「意思」「感情」も脳内物質の分泌によって発現する一種の物理作用?ってことですしょうか?およそ反応のみで生きている私には、とってもリアリティがあります。
2004年11月12日
21:38
安斎利洋
なささんの紹介してくれた
>自分の意志で自由に指を曲げたときに、その指を曲げているのは本当は誰なのだろうか?
の話、はじめは膝を打ったものの、考えるとだんだんわからなくなる。

たとえば鉄棒で蹴上がりをするときや、ピアノを弾くときに、身体をすべて意識的に操っているとは思えない。でも、いまここで「指を曲げる話だな」と思いながら、じゃやってみるかといって曲げる指は、少なくとも曲げはじめるトリガを引いている意識があるとしか思えない。
2004年11月12日
22:50
なさ 飛鳥井
あっこさん、吊橋実験に似たもので、偽心音実験というのもあります。
この実験では男子大学生に女性の写真を見せます。
大学生にはセンサのようなものを身に着けさせ、近くのスピーカから心拍数のような音を出しておきます。
すると大学生は決まった女性の写真を好きになるのです。
決まった女性の写真とは、心拍数のような音を速めたときに見た女性の写真なのです。
つまり、吊橋実験では実際に心拍数の上昇があったのですが、偽心音実験では心拍数のような身体の変化がなくても誤認が生じることを示しています。
この偽の心音は心理的誘導と言っても良いと思います。
2004年11月12日
23:23
なさ 飛鳥井
安齋さんに呼び出されて来ました。(笑)
脳の中の話はあまり専門ではないので、細かい間違いは見逃してください。

Libetの1979年の実験によると、感覚を意識するのに0.5秒かかります。
従って、鉄棒の蹴上がりなどを、感覚によるフィードバックを使って、意識的に行うことは不可能です。

一方で指を曲げる行為などは、意識を伴わなくても行える自動化された行為です。
自動化された行為は、意識を伴わないで、どんどん前頭葉に挙がってきます。
前頭葉の損傷によるUtilization Behaviorで説明したように、その状況で誘発される行為、あるいはアフォードされる行為と言っても良いかもしれません。
前頭葉で行うのは、その行為に対する禁止のみです。
言い換えると、例えば指を曲げるときに、我々が意識的に行うのは、指を曲げる行為だけを通過させるフィルタを、前頭葉に設定することだと言っても良いと思います。
しかし、Libetの実験から分かることは、その指を曲げる行為を最初に起動したのは、自分の意識ではないと言うことです。
なぜなら、指を曲げようと意識する前に、指を曲げるための指令が、脳で出されているからです。

指が曲がることがわかってから、自分で曲げようと意識したと思い込むような現象は、(説明すると長くなるので省略しますが)分離脳患者の実験にもあります。
2004年11月13日
00:09
安斎利洋
>指が曲がることがわかってから、自分で曲げようと意識したと思い込む

僕はいまさっき、爪の割れたところを反対の手の指でごしごしやっていたのですが、そのようにしようと思ってやっていたような気がするけれど、しかしそれは思い込みにすぎない。それは理解できます。

恋人を愛撫する、とか、食事をする、とか、そういう行動も意識に先行するアフォーダンスの連鎖に身をまかせつつ、軌道修正のための意識が後を追いかけている感覚、これはわかります。

言葉を話す、絵を描く、字を書く、これはどうなんだろう。意識に先走って勝手に連なる言葉の連鎖に、どう意識を反映させているんだろう。

>言い換えると、例えば指を曲げるときに、我々が意識的に
>行うのは、指を曲げる行為だけを通過させるフィルタを、
>前頭葉に設定することだと言っても良いと思います。

であるなら、フィルタを通過する前の信号は、たくさんの行為を含んだホワイトノイズのようでなくてはなりませんよね。これは、イメージを喚起する話ですね。
2004年11月13日
00:26
なさ 飛鳥井
少なくとも「言葉を話す」は無意識みたいです。
もちろん、これは言い回しとか発話に伴う行為のことで、話す内容の枠は意識的に決めています。
私のように話し慣れていない人は、意識化されている部分が多いので、スムーズにしゃべれません。
2004年11月13日
00:30
なさ 飛鳥井
ホワイトノイズの話は良く分かりません。

複数の行為が混じってしまうようなとき、信号がちゃんと分離できていないと言う話ですよね。
2004年11月13日
00:31
安斎利洋
そういえば、実に流暢に内容のない話をする人がいますね。

だから、ある意味、どもりとか、一瞬言葉を失うとか、そういうことは意識を覚醒する意味では大事なのかもしれない。
2004年11月13日
00:35
安斎利洋
>複数の行為が混じってしまうようなとき、信号がちゃんと分離できていないと言う話ですよね。

分離脳で、服を脱ぎながら着る、という話がありますが、あんなふうに、いわばポリフォニックにさまざまな行為の可能性が用意されていれば、意識は、禁止ボタンだけで、かなり自由度の高い制御を手に入れるんじゃないか、と思ったんです。
2004年11月13日
10:25
なさ 飛鳥井
混乱させそうなので書かなかったのですが、「禁止」に同様な準備電位が必要かどうかという疑問があります。
最新の研究成果は知らないですけど、「禁止」に準備電位が必要だとすると、意識が行為をコントロールする手段がなくなるので、「禁止」は別メカニズムではないかと言われています。
2004年11月14日
02:12
いしたにばんび
超遅い書き込みですいません。
ナイヤガラすごいです。
なぜなら、3歳だったのに記憶しているからです。
2004年11月14日
04:34
あ っ こ
夜中に突然思いたったのですが。むくっとおきてみました。
脳みそいっぱいにあふれ出すものの未知なる作用について、無意識の営みってどう扱うのでしょう?

もしかすると、人間は大きな無意識のプールに浮かんでいる存在なのかも・・・・・って半分夢見てます。寝よ
2004年11月14日
05:54
さとっち
例えば、鉄棒という概念を知らなくて、たまたまあったその物体、それに対してなんらかの反応を示す(システムから見ると意味不明な動物的、好奇心的な態度)が安斎さんの言っているホワイトノイズの体現の一部なのでしょうかね〜?

信号がちゃんと分離できていないから、逆説的に動物的な面が生きるのかな。

そして、信号の流れが止まっている無意識の状態からのフィードバックはどこで感じるのでしょう?

<あっこさん
今さらですが、、、ハッパの使い方忘れてました〜、、、魔女ですね。。
2004年11月14日
06:00
さとっち
、、、と、webなんか俳諧しながらゆっくり考えて書いていたら、あっこさんとちょっとかぶっちゃいました。ビックリ。。

無意識の状態がホワイトノイズの原形なのでしょうかね〜?
2004年11月14日
11:06
ユミ
極地とかで起こるホワイトアウトってあるじゃないですか。
目の前真っ白で方向も時間も失っていく状態。

ホワイトノイズってそれ想像しちゃう、、、

一度、箱根の山の中で霧に囲まれて車止めざるをえなかった時に外に出てちょっと歩いたらほんとうに何も見えなくなった。このままひとりでどこか別の時空に迷い込みそうで恐怖!でした。

無意識の領域ってあの、孤絶感のイメージがする。
2004年11月14日
12:50
るーぱぱas不良mixi
何も無いことと、全部在ること。
実はとても近しいことではないかと思います。
もしかしたら全く同じかも?
ホワイトノイズも白いキャンバスもどちらも夢があって好きです。
2004年11月14日
12:53
安斎利洋
>ナイヤガラすごいです。
>なぜなら、3歳だったのに記憶しているからです。

こういう体験から始まった人生は、いいですよね。僕なんか、記憶に残っている始めの映像は、曇りガラスに殺虫剤を吹きかけると、外の景色がぼんやり見えてくる、だもんな。
2004年11月14日
13:07
安斎利洋
>何も無いことと、全部在ること。

話がずれるかもしれないけれど、シャワーをあびていると、電話の音とか、人の声とか、いろんな幻聴を聞きますよね。ノイズにはあらゆるものが含まれているから、自分が聞きたいもの(この言い方は厳密には違うんだろけど)を聞いてしまう。

僕は、ウォシュレットのノズルが前後に動くときに発する駆動音が、毎日違う言葉に聞こえます。スイッチを入れる瞬間に何も考えてないんだけど、かならず何かの言葉に聞こえる。「銀行銀行銀行」とか、「すいとんすいとんすいとん」とか。
2004年11月14日
13:19
gilli
>安斎さん
>いろんな幻聴を聞きますよね。
よね?と聞かれても・・・
そういえば、
子供のころトイレットペーパーのホルダーのカランカランという音が音楽に聞こえたことはよくあったような。

話はズレますが腰椎麻酔をして意識があって、
下半身だけ麻痺させる手術をしたことがあるのですが、
次第に麻酔が覚めてゆく過程で、
ボディイメージは神経の枝の一点だけの刺激回路ではなく、
皮膚や肉の振動や、普段あんまり感覚というものを感じないような場所やいろいろなものが複雑に絡み合ってできているんだなぁとわかりました。正座の跡のシビレと回復時の痛みは、一旦オフになった回路が入ることでかく乱されて痛みと感じてしまうので、修行僧や何かは大丈夫なんだなぁとか思った。
2004年11月14日
13:48
なさ 飛鳥井
安齋さんの文章の前半は、ノイズにあらゆるものが含まれていると言うよりは、シャワーの単調な音による変性意識状態と言うべきではないでしょうか。
つまり、単調な感覚刺激に麻痺してしまい、ある種の感覚遮断状態になり、知覚が記憶などの内面に向かってしまう。
ちょっと話はずれるかもしれませんが、脳の感覚処理が間に合わないとき、間に合わない部分は記憶から適当な情報で埋めてしまうらしく、このときの情報の埋め込みが適切でなかったときに、幻聴や幻覚となるのではないかという説明がされています。

後半は知覚の文脈依存性、環境はほとんど一緒だとすれば、自分の身体状態や心理状態による文脈依存性でしょうね。
脳の感覚系ニューロンの感度の変化だけで、知覚が異なってしまう面白い例があります。
下記の日記を見てください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=559876


今、この文章を書いている「意識的な自分」というのは、「自分全体」の上にちょこんと乗っていて、普段はその動きを眺めているだけで、たまにちょっかいを出しているような、「自分全体」の中ではちっぽけな存在ではないかと感じています。
2004年11月14日
15:11
あ っ こ
<あっこさん
今さらですが、、、ハッパの使い方忘れてました〜、、、魔女ですね。。

ハハハッパ?ギンコかなー、もう黄色だから作用しないです。実は460歳。

混沌って可能性って翻訳されちゃうのです。わたしの脳みそでは。大いなる無意識の果てに生き物であるってことの秘密が眠っているみたいで、そこはかとなく安心感があふれてくる。
2004年11月14日
16:06
るーぱぱas不良mixi
知覚は偽薬に弱そうなので、付け入る隙が沢山あっていいっすね。
催眠術に掛かった状態で、ものすごい黄色!とかを感じている時、
ニューロンも興奮しているのかなあ?

混沌としてきました。ギンコには活性プラシーボ作用があるのかも。
それにしても、このスレすごい長さですね。
ミクシーレコードに挑戦しましょうよ。
2004年11月14日
16:59
なさ 飛鳥井
当然ながら「意識」のない生物の方が多いです。
「知覚意識」はともかく「自己意識」を持っているものはほんの一握りです。
知覚意識は例えば「見ていることに気付いている」こと、自己意識は「私が意識していることを意識している」のように再帰的なものです。
もちろん意識があるから「えらい」わけではなく、なぜ進化生物学的に意識が生まれてきたかが重要だと思います。
(もちろん、米国の過半数の人たちによれば、神によって創られたのでしょうけど(笑))

意識は無意識に生み出されてきた行為を監視できます。
問題は、意識を生み出すために脳を肥大化させるコストと、意識によって行為を監視して柔軟に変更できることと、どちらが生存に有利かと言うことです。
2004年11月14日
18:03
安斎利洋
>下記の日記を見てください。
>http://mixi.jp/view_diary.pl?id=559876

面白かった。僕はバナナがダノンになっていった。バ■ナの繰り返しは、タクマになってしまった。バナナとダノンは、リンクがあるのかな。でも、初期条件のわずかな差で、無数の適合する語彙のどれにでも落ちていける、という感じがしました。
2004年11月14日
18:05
安斎利洋
>それにしても、このスレすごい長さですね。
>ミクシーレコードに挑戦しましょうよ。

ほんとだ、いつのまにかすごい長さ。いつも深爪で、伸ばしたことないんですが。(脳が迷走している)
2004年11月14日
19:00
安斎利洋
<quotation>
安齋さんの文章の前半は、ノイズにあらゆるものが含まれていると言うよりは、シャワーの単調な音による変性意識状態と言うべきではないでしょうか。
</quotation>

そうなんですかね。たとえば、子供の頃、壁の模様をずっと見ていると、人の顔に見えたり、動物に見えたり、それと近いことではないかと思う。星の配置から星座を作る力なども、同じではないかな。
2004年11月14日
19:02
noriko
>イチョウは、黄色いのではなく、圧倒的に黄色い

最初のこの一言、なんだかもの凄く共鳴して、なんて書こうかな・・と思っていたら、この長さに吃驚。

「全てを表示」にしてスクロールしながら全部一気に読んで、また最初の日記を読んだ。
2004年11月14日
22:09
なさ 飛鳥井
すみません、ここ面白いので、私が書き散らかしてますね。

「バナナとバ■ナ」の話、楽しんで貰えたようで良かったです。

シャワーの話は、安齋さんの説を否定しているわけではないです。
ある意味では人間の知覚能力はもの凄いです。
心霊写真がその例で、どんなパターンでも、人の顔に見えたりします。
それと同時に、情報が欠如したときの補完能力にも、凄いものがあるということです。
視覚の盲点の補完もそうですし、周辺視における色の補完もそうです。
下記は、周辺視における色の補完の例で、ここでは情報の欠如ではなく、現実の情報を補完によって塗り替えてしまっているとも言えます。

http://neuro.caltech.edu/~daw-an/misbinding.html
(顔を真ん中に近づけて、落ちているのが何色か見てください)
2004年11月14日
22:47
なさ 飛鳥井
ここ、同じことを言ってますね。
補完能力も知覚能力の一部として機能しています。

結局、私の言いたかったことは、知覚される情報は、すべて外界にあるのではなく、想像であったり記憶の中にあったりするということでした。
2004年11月14日
22:52
安斎利洋
昨日、フィンランドから来た院生がいたのですが、日本語はまったくわからないのにもかかわらず、日本語に反応して受け答えしていたりする。やはりフィンランドの、エルキ・フータモも同じような反応をすることがあります。
フィンランド語が日本語に似た構造をもっている、ということもあるのかもしれませんが、言葉を聞くときは、相手の言いそうなことを頭に構成しながら聞いているので、ときどき相手とは独立に自走してしまうことがある、ということなのかもしれない。一種の補完能力でしょうか。
2004年11月15日
01:29
るーぱぱas不良mixi
「バ■ナ」の■の情報量を定義しましょうよ。
やっぱ負の値がいいな。
■は認知構成主義の基本ユニットです。

ついに8合目です。
2004年11月15日
02:01
あ っ こ
>結局、私の言いたかったことは、知覚される情報は、すべて外界にあるのではなく、想像であったり記憶の中にあったりするということでした。

やっぱって・・・

>もしかすると、人間は大きな無意識のプールに浮かんでいる存在なのかも・・

って本気で思いはじめてます。今は 起きています。

何かのひょうしに、DNAに刻まれたホモサピエンスの歴史そのもが一揆に再生される・・・ことも、人の話にうなずいてるうちにスイッチおされて・・・・

実感!つかってないとこ、多すぎ!!!!

 ∴ がいい!・・・・この三角好きです。・・すみません。あ?いいか???!★
2004年11月24日
19:57
安斎利洋
共感覚のことが話題になりましたが、

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=8766

この方の自己紹介に、
>音楽聴くと色になっちゃいます(共感覚)。
と、書いてある。

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