安斎利洋の日記全体に公開

2007年02月03日
14:18
 重版出来
(じゅうはんしゅったい)

この歳までずっと「じゅうはんでき」と読んでいた。

全国のバカを笑うサイトでバカを笑っていたら、自分もバカだった。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%83%90%E3%82%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%BE%9E%E5%85%B8/%E8%A8%80%E8%91%89/%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%81%94
 

コメント    

2007年02月03日
14:36
sugi2000 / 杉本達應
自分もバカです。
でも、「でき」でも伝わるから面白いですね。
2007年02月03日
15:44
nazo
広辞苑第四版を開いて調べてしまった。意味は同じだし「じゅうはんでき」がなじみやすい。

国民投票でもして「(じゅうはん)しゅったい」は古語か死語にしてしまいましょう。
2007年02月03日
16:42
メンタルスタッフ
そうなのか。知りませんでしたね。
こういう「勝手読み」は、子供のころ本好きでたくさん本読んでいるような人に、意外にあったりして、面白いですね。

最近、大学の食堂で行列していて、生まれて初めて見た言葉に、「出食」というのがありました。だぶん「しゅっしょく」と読むんでしょうが、「でしょく」と読むのも雰囲気出るなとか思いましたね。
ちなみに、一緒にいた、古希を廻られた哲学者のY先生にとっても、この言葉は始めてだったそうです。新語かな。
2007年02月03日
20:09
安斎利洋
>出食

きっとその料理が、出色の出来だったんですね。

しゅつじき、なんていうと、仏教由来っぽくなる。
2007年02月03日
21:02
うさだ♪うさこ
私は「ちょうはんでき」だと思ってましたハハハ。
それ以外にも、「トラ技」は「とらわざ」だと思っていた過去もあります。
2007年02月03日
21:02
小林龍生
ぼくは、長いこと、《覚束ない(おぼつかない)》を《かくそくない》だとばかり思いこんでいた。なんでATOKで変換できないのだろう、なんてね。
2007年02月03日
21:07
sugi2000 / 杉本達應
>出色の出来
「でしょくのしゅったい」なのか「しゅっしょくのでき」なのか、まぎらわしいなあ(笑)
2007年02月03日
22:51
にしの
勉強になりました。ついでに調べてたら。
「出来す」

答えはこちら。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=1335960-0010&kind=jn&mode=5
2007年02月04日
00:59
安斎利洋
>トラ技

格闘技の雑誌だったか。

>覚束ない

小林さんにも、そういうのあるんだ。
身近の東大生からの情報によると、教室で半数以上が「文盲」をぶんもうと読んでいたらしい。

>でしょく

色彩心理の用語に、ありそうだね。

>「出来す」

否定は、できねーっす。
2007年02月04日
01:15
社長
ぼくも「でき」だと思ってました!
赤裸々を「あからら」と思ってた時期もあります。

執着は「しゅうちゃく」だけど「しっちゃく」って読む人、結構いますね。

あと、漢字じゃないけれど、「シミュレーション」と「シュミレーション」とか!
2007年02月04日
01:20
安斎利洋
>あからら

熱い温泉に入ってたりしますね、赤裸々。
やばいなー、だんだんウソの方が脳にしみついてきた。
2007年02月04日
10:40
なさ 飛鳥井
なぜ読めないといけないと感じるんでしょうね?

読み、書き、って対応関係が必ずあるわけではない。読めない書き言葉、書けない読み言葉。

書けない読み言葉は、非言語や汎言語で説明できるとしても、読めない書き言葉は?
2007年02月04日
13:26
安斎利洋
僕は独学で学んだことが多いので、音声化できない言語や記号がたくさんあって、その調整をしないと専門分野について他人と話せない、ということがよくありました。
会社や学校を通して新語の情報が流れてくる人にとっては、読みは暗黙で言葉に付随するけれど、テキストから流れてくる場合は読めないのが普通。

言語の私的使用は可能か、というウィトゲンシュタインの問題に通じますね。
2007年02月04日
15:59
メンタルスタッフ
日本語っていうのは、漢語の造語力を微妙に使って成立しているんですよね。「じゅうはんでき(じゅうはんでき)」の場合は、こちらの方が、読みから来るイメージ、ニュアンスの適合度がよいので、こっちに安定してしまうというようなことがありそう。

「覚束ない」についても(私も「カクソクナイ」派ですが)、初めてこの言葉を見たとき、この漢語から推論して了解してしまう意味が、「おぼつかない」という和語の意味とはちょっと離れていて、しかも「カクソクナイ」のイメージがぴったりしているので、そっちに安定してしまうなんてことじゃないのかな。最初に「おぼつかない」に「覚束ない」を当てたのっていつごろのことなんでしょうね。国語学者って結構こういうこと知ってたりするんですよね。
2007年02月04日
19:52
安斎利洋
というわけで、小林さんがルビ論を展開する下地は整った。
2007年02月04日
20:59
なさ 飛鳥井
読み言葉じゃなくて話し言葉でしたね。(笑)
失礼しました。
話し言葉を固定するものとしての書き言葉じゃなく、書き言葉の発展としての書き言葉は読めなくていいじゃん、と思ってしまいました。

メンタルスタッフさんの「イメージ、ニュアンスの適合度」って共感覚に通じる話でしょうか。
出典は忘れましたが、音と形との関係性がありますよね。
2007年02月05日
03:03
安斎利洋
なささんとメンタルスタッフさんは、実世界のリンクはないんですね。僕のイメージでは、すでに破線で繋がっているんですが。

>書き言葉は読めなくていいじゃん

エクリチュールに声は必然じゃない、というのはその通りだと思います。しかし、声に出せるというのは、どういうことなんでしょうね。たとえば、数式は声に出せる。C言語は声に出せる。グラフ構造は声に出せない(出さない)。

独学派としては、数式にルビを振ってもいいんじゃないかと思ったことがある。
2007年02月05日
09:40
nazo
>独学派としては、数式にルビを振ってもいいんじゃないかと思ったことがある。 

参照となる話。認知症のお年寄りを対象にした、或るデイサービス施設の脳リハビリ(計算や漢字の書き取りなどをする)で、3+4=という計算式を「さん たす よん は」というふうに「ひらがなルビ」の計算式にすべて書き換えてやっているのを見て、なるほどなと思いました。お年寄りたちは「なな」という風にひらがなで正解だけを書いていきます。掛け算も同じで、5×2=10は、「ごう かける に は」と問題が書かれてあって、お年寄りたちは「じゅう」と書き込みます。

脳の中でアラビア数字の計算式を「さん たす よん は」といった具合に「ひらがな」に置き換えて「音読」(無音だが)する作業部分を、お年寄りたちにあらかじめ提示して脳の動作の手伝いをしているのかな、と思案しています。大方の日本人の場合、文字の音読と書きの手始めは、「ひらがな」から入っていくのと関係している?
2007年02月05日
15:48
miyako/玉簾
「出来」は、迷わず「でき」と読んじゃう。わたし、絶対。

>「シミュレーション」と「シュミレーション」とか!

これこれ。最初「シュミレーション」ってよく書いてあって、そう発音する人も多かったので、それを擦り込んでしまいました。未だに、脳内で英字を浮かべて「シミュレイト」と発音してみてから書くというすごい手間をかけています。
困ったもんです。
2007年02月05日
23:05
なさ 飛鳥井
メンタルスタッフさんとは一方通行で、書かれたものは読ませていただいたと思います。

ところで、数式もC言語も読まれたものは書かれたものと何が違うのでしょう。
読むことによって付け加えられるものは何でしょう?
抽象的な言語としての数学に汎言語情報はないように思えます。
グラフを声に出さないのは、意識的な思考が並列にできないから、それとも多声で発声できないからでしょうか?

英語で書かれた何かの輪講のとき、数式をどう読んで良いのか、わからなかったことがあります。
シグマとかインテグラルとか、すべての数式の読み方って決められているのでしょうか?

なんだかわからないことだらけです。
2007年02月06日
03:25
メンタルスタッフ
> 音と形との関係性がありますよね。
そうですね。ただ、関係は一筋縄ではいかないようです。
擬態語の研究なんかを見ても、音と意味の間に生得的に強い関係があるわけでもなさそうですしね。

単純な式の計算でも、「声」(内言も発声された声も)なしには、遂行できない場合も多いですよね。例えば、掛け算をする際、たいていの人は九九の音声表象に頼っている。(サンシジュウニというように。)
誰でもそうかという、そうでもないようです。算盤(そろばんと読みます:))の熟達者が暗算をする場合、算盤のイメージで計算するといいます。算盤のイメージが出てきて、珠が動いてしまうのだそうです。

「グラフは声に出せない」というのは面白いポイントですね。
でも、なんらかの規則を定めて、ノードを直列化することはできますから全く声に出して読めないわけではなさそう。こうしても、あまり役には立ちそうにないのでやらないのでしょうね。

一方、式の場合は、確かに、複雑な入れ子構造がっても、ルールに従って、苦労せずに頭から読めます。例えば、
5x(3+4x(7x2+8)+2x4)+(5+3)x7
"ごかけるかっこさんたすよんかける..."などと声に出して読めます。
でも、読まれた音声から、直接、そこにある木構造を認識するのはかなりつらいですよね。

上の文字列による直列的な式の表現は、そこにある木の構造を見やすいものとして表現する表現方法ではなさそうです。まあ、直列化された音声表象よりはましですが。

数学の理解に、数式の表現形態がどんな役割を果たしているのか(ネガティブなものも含めて)を明らかにしていくのは、面白くて大事な問題だと思います。
もっとよいものがある可能性もあると思います。簡単に換えられるかどうかはまた別な問題でしょうけれど。
2007年02月07日
17:32
小林龍生
>というわけで、小林さんがルビ論を展開する下地は整った。
えっと、ちょっとデオクレティアヌスでありますが。
以前、下記のような小論を書いたことがあります。
http://www.kobysh.com/tlk/digitalculture/1998-ruby.html
とはいえ、ルビ論については、かつて謦咳に接した由良君美先生や紀田順一郎さんなどの圧倒的迫力の議論があるわけで、ぼくの出る幕などとてもとても。
この小論を発表した研究会で、シュテファン・カイザーさんという筑波大学の日本語研究者と田中克彦が、発表者そっちのけで、ルビを音声として捉えるか(田中克彦)視覚的に捉えるか(シュテファン・カイザー)を巡って、大激論を始めてしまった。日本語ネイティヴの田中克彦の方が、ソシュール流の音声偏重言語学に固執し、日本語を純粋に対象として捉えるカイザー氏がルビの視覚性多義性を積極的に捉えていたのが、ぼくにはとても印象深かった。
ところでメンタルスタッフさんの令夫人の名作に、《かずのりかい》をATOKで変換すると《数の理解》ではなく《和宣会》になる、というのがあって、この変換は、いまのATOKでもそのまんまです。
2007年02月08日
01:33
メンタルスタッフ
> http://www.kobysh.com/tlk/digitalculture/1998-ruby.html
ルビの話、やっぱり面白いですね。
(Rubyと表現するということも知らなかった。これはこれでRubyを使っている身にはちょっと驚き。)

気になるのは、昔はもっとルビがふられていたのに、そうしなくなっているように思えますが、どうしてこうなったのかということ。

同僚の博識のKさんは、「重版出来」など問題なくパスするのですが、これは本人の説によれば、昔の本にはもっとルビがふってあったからではないかとのこと。 Kさんは私より7つぐらい年上ですが、私の子供のころも、ルビがふってあるものはもっと多かったような印象を持っています。
ルビはかっこ悪いというような気分があるんでしょうかね。
2007年02月08日
12:59
kono
私もバカですね(少なくとも「出来」は).
*IT*バカ用語辞典のエントリを作るなら,1番目は
「PageRankを長いことPageさんが提唱した
ランキングアルゴリズムではなく,
Web Pageをランク付けするアルゴリズムだと
思いこんでいた」でしょうかね.
2007年02月08日
15:52
メンタルスタッフ
> PageRank => Pageさんが提唱したランキングアルゴリズム
へぇ、そうなんですか。これも知りませんでしたね。

これは、初めてこの言葉に触れたときにでも学ばないと、修正されるの難しいケースでしょうね。言葉使った本人も、まぁ、ページに掛けているぐらいの気分はありそうですし。
Larry Page(Googleの創立者の一人)がWinogradの学生だったていうのも後で知って面白かったのですけれどもね。
2007年02月08日
17:15
kono
「ではなくて」は言い過ぎでしたね.
かけてるが(たぶん)正しいかと.
2007年02月09日
00:04
安斎利洋
>視覚性多義性を積極的に捉えていたのが

ルビの話は、奥が深いですね。きっかけが自分の日記だったことを忘れて、考え込んでしまいました。

ルビはオマケのように、あるいは補強のようについているけれど、ルビの方をメインの活字にして、傍らに漢字を振る表記もありえたわけですね。それから、あからさまに別の読みをふったルビなんかは、これはルビの多義性ということができます。ルビは、言語に多義性を回復する機会(機械?)になりうるんじゃないか、と思いました。

マイクロフォーマットは、自然言語の文脈依存性を文脈自由にしようとしていて、僕はなんとなく自然言語の隠喩的な広がりを殺す動きなんじゃないか、と思ってしまう。

でも、多義性を回復するマイクロフォーマットが、ありうるかも。

>PageRank

Pageさん作だったんですね。こういう、機械が混乱するカテゴリーエラーは、いいですね。GNU のルビに GNU is Not Unix とふる、みたいな。
2007年02月09日
05:12
小林龍生
>マイクロフォーマットは、自然言語の文脈依存性を文脈自由にしようとしていて、僕はなんとなく自然言語の隠喩的な広がりを殺す動きなんじゃないか、と思ってしまう。
《マクロフォーマット》とか《ユニバーサルオントロジー》いったものになると、ある世界観で文脈をガチガチに規定してしまうのは、まあ当然のことなわけで。
マイクロフォーマットの(ぼくが妥協可能だと思える)利点は、規定する文脈の粒度を最小限にとどめているところにあるわけで、ある言語で相互理解可能なコミュニティの最大公約数に近づけることが出来る。
まあ《自然言語の隠喩的な広がり》まで、議論の射程を拡げられてしまうと、恐れ入谷の鬼子母神、といった塩梅になってしまうわけだけれど。

>でも、多義性を回復するマイクロフォーマットが、ありうるかも。
いまの、XMLのタグ付け方式の大きな問題の一つは、一部分だけが重なった文節(センテンス?)の多重タグ付けがうまくいかないところ。
例えば、
N O W H E R E
という文字列を、
NO WHERE
と読ませたり、
NOW HERE
と読ませたりしたいとき、文節区切りを指定するだけで、意味が一意に定まってしまって、所期の多義的な意図が吹き飛んでしまう。これを一つの(シリアルな)文字列上で二重にタグ付けすることが出来ない。
<多義性あり>NOWHERE</多義性あり>
みたいな、間抜けなアノテーションもあるかもしれないけれど。
(ぼくらは、このようなアノテーションを、通常は顔の表情などの非言語的なコミュニケーションやイントネーションなどに自然に埋め込んでいる)
2007年02月09日
22:40
なさ 飛鳥井
すみません、ちょっと気になった部分があったので、そちらにコメント。

計算モデルって、脳の新皮質にしっかりとしたものがあるように思えるけど、少なくとも「声」という発話行為に依存した九九って、運動の記憶ですよね。
小脳辺りに蓄えられているのかしら?
算盤のイメージで計算、こちらは指の運動の記憶と、算盤の視覚的なイメージの変化の記憶とが結び付いたもの?
2007年02月10日
14:05
安斎利洋
>《自然言語の隠喩的な広がり》まで、議論の射程を拡げられてしまうと、

ワープロもインターネットもメールも、設計者はまさかこのプロダクトが文化の根底を変えるとは思ってなかったと思う。

たとえば「きさらぎ」という言葉に「季節」とか「日時」といったタグがついた時点で、この言葉がもっている草木の更生するイメージが死ぬわけだけれど、二月にきさらぎのイメージが加わるようなマイクロフォーマットの使い方があるんじゃなかろうか。

>二重にタグ付けすることが出来ない。

入れ子にならないタグ付けをするためには、開始点と終了点を独立のポインタにするという解決があるけれど、これをするとテキストを切り刻むのがえらいことになりますね。
要するに、文書は木である、という命題をどう考えるかですね。
2007年02月10日
14:09
安斎利洋
>九九って、運動の記憶ですよね。

数学にとって「読み」が本質に関係しないことは明白で、それだから数学なんですが、一方で、人間にとって物語(運動)として理解できない科学は、科学たりうるのだろうか。
2007年02月10日
14:30
小林龍生
>要するに、文書は木である、という命題をどう考えるかですね。
Tree?
Fungus?
Ribosome?
2007年02月10日
14:57
安斎利洋
rhizome??

はびこるって意味じゃ、自分は菌類でありたい。
2007年02月10日
16:54
メンタルスタッフ
ルビの問題から、いろいろ考えさせられますね。

「考えすぎてはだめで実践しなければ幸せになれない」という仏様の教えにそって、取りあえず、ルビやアノテーションをもっと自由に使って実験できるような自由度がある環境が手元に欲しいですね。

> 要するに、文書は木である、という命題をどう考えるかですね。
もう少し小さい単位かもしれないけれど、コミュニケーションの道具としての言語表現にするという意味では、木を直列化したり何なりして、「勢い」をつけないと受けてが受け取れないという問題もありますね。
2007年02月10日
17:50
小林龍生
>>rhizome??
そうそう、それ。

以前、村田真が、数学的な生垣構造を考えている、って言っていたっけ。

それから、XMLのネスト構造が、文学や言語学研究には無力だ、という批判を豊島正之さんから聞いたことがある。
2007年02月10日
19:18
安斎利洋
>実践しなければ幸せになれない

>数学的な生垣構造

そうだ、XMLで詩を書こう。

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