安斎利洋の日記
2007年02月02日
01:46
仲裁
近所の路上で、べろべろに酔った作業服のおっさんと会社帰り風のおっさんが小突きあいをはじめたところに、たまたま自転車で通りがかってしまった。こういう人たちにかかわらないのが信条なのだけれど、「やめようよ」とつい声を出してしまった。
自転車に乗ったまま逃げきれる距離を確保して、
「いま110番したから、警官が来るから、もうやめよう。おっさんはこっち、おじさんはあっち、いいからはやく帰ろう、くだらねぇから、とっとと家帰ろう」
と、まくしたてた。110番はウソ。
なかなかすんなりモードは切り替わらないものの、会社員風は照れ笑いをうかべながら、酔っぱらの方いは「けーさつでもなんでも呼びやがれクズ」とかなんとかいいながら、最後は二人とも従順に指示した方へ去っていく。
たぶん「家帰ろう」が深層心理に効いたと思う。ふたりともそこで表情が変わった。彼らの家が、それぞれその方向だったかどうかは不明。
コメント
2007年02月02日
03:05
かぶとぼとけ
えらいっ!!
2007年02月02日
03:35
小林千早都
ご無事でなによりです。
でも、安斎さんの迫力があったからこそ
仲裁が可能だったのかも・・・なんて。
2007年02月02日
03:49
安斎利洋
>えらいっ!!
直球で褒めていただいて、ありがとうございます。
>安斎さんの迫力があったからこそ
それは、ないと思うよ。
2007年02月02日
04:49
Mike
>えらいっ!!
同感!!
こう言うのって、なかなか勇気がいりますよね。
最近、逆切れして仲裁した人が被害を受けるケースもあるし。
きっとこういうとき、普通に止めろと言ってもダメで、なんと言うか、気合いとか、相手の気持ちにすっと入っていける言葉を発する必要がありますよね。その辺の気の読み方が安斎さんは巧かったのだと思います。
なんか、最近の日本の社会はいろいろ問題があるのか、しょうもないことでいざこざが起こったりしているようです。
つい最近も、義理の兄が新宿駅の階段で酔っぱらいにもろに身体をぶつけられ、12段も下にころげ落ちて、右手首骨折したようです。結構重症らしくて心配しています。車の運転もできないみたい。
2007年02月02日
07:30
中村理恵子
>「やめようよ」とつい声を出してしまった。
キャリブレーション効果ですか?(笑)。
気持ちの水準器がニュートラルにセットされたのかもね。
しかし、二人の間に割って入らなかったのは賢い。
溺れてる人を助けようと正面からいくと、逆にしがみつかれてダンゴになって一緒に沈むというじゃないですか。
距離というか、自分のこの件への配置のしかたに知性感じますよ。
へんな正義感というより、もっと生き物として自然な行動ですね。
2007年02月02日
07:41
Linco
すごいです!
高校生の時、喧嘩の仲裁に入った男性が眼球を取られた(と言っていた)のを見て、いまだに忘れられないものになっています。
昨年は、若者の喧嘩(片方がヤクザの子風)の仲裁をしようとしたら(勇気いったな〜)、あっさりシカトされました(笑)。
2007年02月02日
09:05
machiko
良かったですね。
きっと、ほんとにどうでもいい、くだらないことでケンカしてたに違いない。
なるほど、「家帰ろう」と言われて、モードが切り替わったんですね。
>自転車に乗ったまま逃げきれる距離を確保して、
少なくとも飛び道具の心配はあまりしなくていい、日本。
2007年02月02日
09:12
もし自分だったら、「一刻も早く家帰ろう」と自分に言い聞かせていたように思います。
2007年02月02日
10:26
smi
電車の中で酔っ払いから女性を助けて、恋になるのは「電車男」でしたが、安斎さんは、さしずめ「自転車男」。
2007年02月02日
10:28
godzi2
エライねえ。
おれなんかこの歳になって、まだ自称やの字にからまれたりするもんなあ。
先生の場合は人徳ですな。
2007年02月02日
12:42
安斎利洋
座禅のキャリブレーションのせいかもね。
「や」の字とか、いかにも喧嘩しそうな連中の喧嘩は、自分で喧嘩しているんだから勝手に自滅させとけばいいけれど、弱い者と弱い者が喧嘩をはじめるのは狐憑きですね。
狐はなんでもするから、酔っ払いの方が転倒した拍子に死んでしまって、サラリーマン風が殺人犯になって、家族が路頭に迷う、という筋書きが思い浮かんでしまった。狐だから、言葉だけで退散したんでしょう。
他人の身体の間に割って入るなんて、絶対に御免ですね。満員電車だって嫌だ。駅の人ごみも、Mikeさんの話みたいなことはありますよ。
でも、そうか、飛び道具は思いつかなかった。
>「自転車男」
たのむから、男ストーカーの話にしないでくれ。
2007年02月02日
12:44
これで、世界の争いの芽が一つつまれたような。。
2007年02月02日
12:50
中村理恵子
でも、ホントに素朴に思うのは、安斎さんが仲裁?ってこと。
人でなしなのにねぇ(笑)。
2007年02月02日
12:51
Mike
>ホントに素朴に思うのは、安斎さんが仲裁?ってこと
あっ、きついこと言っている。
2007年02月02日
13:25
miyako/玉簾
>えらいっ!!
同感!!
すぐにおさまってよかったね。よいことをしました。
うちは、酔っぱらいの帰宅ルートなのでよくありますよ。
まず電気という電気をつけて、ケンカ会場を明るく照らします。遠い窓から「じーーっと見る」だけで適当なケンカはおさまるみたい。
次、「もう警察来るよ」って言うとみんな冷めるの早い様です。
次、「軍手」してケンカの仲裁するといいらしいです。直に相手に触らずにすむので迷わず両者を引き離しやすいみたい。現場気分で「はいはいそこそこ、やめーーーい。」ってドライに。軍手で仲裁された方も「あ、お仕事中の人だ、ごくろうさまだ」って思うらしく、なんかすまない気分になるみたい。石垣は公共工事従事者が多いからね。
2007年02月02日
14:36
安斎利洋
>あっ、きついこと言っている。
もっときついことを、自分のなかのもうひとりが言ってます。ほんと、焼きがまわったのかも。
>軍手
面白いねー。こういう微妙な意味を読み取っているってことは、喧嘩って実は言語的な活動なんだろうね。
2007年02月02日
14:59
nazo
二人にとって、自転車に乗って突然現れた安斎さんはどう映ったのだろうか。見ず知らずの二人に「家帰ろう」と博愛的な呼びかけをする。
この人だれ?→なぜ俺たちに声をかける?→なぜ通り過ぎない?→家だって?→家かあ→飯くいたい、風呂入りたい、ごろんとしたい、ビール飲みたい→あーあ、興ざめだよ
コミュニケーションが三者で成り立ち、照れ笑いと気の抜けた捨てぜりふ、安堵感が漂う風景となる。
2007年02月02日
17:24
安斎利洋
だいたい、nazoさんの想像通りの表情をしてました。人間の生態観察の方法として、対象に働きかけるのもひとつの方法だということでしょう。
2007年02月02日
18:01
>人でなしなのにねぇ(笑)
誰も仲裁しようとしない。。
安斎利洋mixi日記 一覧へ