安斎利洋の日記全体に公開

2007年01月30日
02:03
 若者に伝えたい
若者になにかを伝えたい、なんていう了見は焼きの回った老人の考えることだと思っていたのに、自分も焼きが回ったのか、最近その通りのことを考えはじめた。複雑なことを伝えたいわけじゃなく、ごく平易なこと。しかし一刻も早く気づけば、世界が豊かに見えるであろうこと。

今年で3年目になる金沢大学の単発講義で、アスペクト盲の話をした。

老女にも若い女にも見える多義図形は、どちらかに見えてしまうと、ほかのものには見えなくなる。これがアスペクト盲。なにかをなにかとして心のスクリーンに投影することは、世界に目を開くことであり、同時に世界のほかの見え方から目を閉ざすことでもある。

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先入観のない無垢な学生の目に、まずいくつか写真を見せた。

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たっぷり時間をおいてから、それらが星座作用のなかの「鳥」をテーマにしたひとつの房であること。フラクタル図形はコップに作るヨーグルト模様と、東京の標高データであることを教える。

東京で暮らしていると、東京のアスペクトはフラットな路線図と行政区画の塗りわけ模様でしかない。そこがこのような地学的様相をもっていることなど、思いもよらないし、思わなくても暮らしていける。

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アメリカの防衛技術センターで研修を受けた女性の政治学者は、そこで飛び交う「クリーンな爆弾」「外科的にクリーンな打撃」といった言葉に違和感を感じる。しかし彼女を本当に驚かせたのは、彼女自身が何週間かのうちにその用語を使いはじめ、その用語によってしかものを考えられなくなったことだ、という。

最近話題の「あるある納豆事件」や「不二家事件」、どれもなんで長いあいだダメが露呈しなかったのか、と僕らは思う。しかし一方で、仕事ってこういうものだ、というクリーンな罠にかかった社員たちが、こういうことをしてしまうことも想像できる。

僕らはケータイなしでは暮らせない日常を送っているが、なんでケータイが必要なのかというと、ケータイでしか伝えられないなにかがあったからではない。ケータイというゲームにはまると、伝えたいことが発生する。ケータイで伝えたいことは、ケータイが作っている。

自宅から駅まで10分で行くことができる。しかしそれは驚くべきことだ。星座作用のセッションが始まると、歩道橋は人を道のあちら側に運ぶ建造物でありながら、尺取虫や、決闘する二人の住む家になる。それらに目を奪われると、自宅から駅まで30分でたどり着くのは至難の業だ。

東京のテクスチュアを知る方法は、東京を自転車で走ること。それは、洋服の布地の上に指を這わせてテクスチュアを触る動作と同じだ。テクスチュアは運動を喚起するし、運動がないところにテクスチュアの知覚はない。

世界を多義的にとらえること。意味が分岐する世界を考えること。カンブリアンゲームの基礎にあるのはそのような思想だ。強いアスペクトから、常にいくつか脱出路の確保を訓練すること。それは、世界を遠くから見ることではなく、テクスチュアとしての世界を動き回ることだ。

「見える」ということは、それにしか「見えなくなる」ことだ。逆に、「見えない」ことによって「見える」ことがある。全盲の画家である光島さんの触覚絵画は、指先の運動によって見た世界。見える僕たちに見えないものが、そこに描かれている。僕らのコラボレーション「触覚連画」のムービーを学生に見せた。

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授業の最後、コメントをテキストにして提出させるのがこの授業のルール。思ったより、ちゃんと伝わっている。これもひとつの、植え付けられたアスペクトに過ぎないのかもしれないけれど。
 

コメント    

2007年01月30日
02:36
mi
ど。。。
2007年01月30日
07:02
中村理恵子
れ、、、
2007年01月30日
08:00
小林龍生
み・・・
2007年01月30日
08:04
小林龍生
>若者になにかを伝えたい、なんていう了見は焼きの回った老人の考えることだと思っていたのに、自分も焼きが回ったのか、最近その通りのことを考えはじめた。
ぼくも、焼きが回った。
親父が死に、孫が生まれる、ということは、そういうことだ。自分も、そのうち死ぬ。
2007年01月30日
08:07
かぶとぼとけ
そ???
2007年01月30日
09:38
遼 遠 ☆
ら。


安斎さんの講義、一度受けてみたいです。
いま積んでいた脳関係の本を読んでいるのですが視覚は本当にウソをつくみたいですね。

>「見える」ということは、それにしか「見えなくなる」こと
というのは、なるほど、と思いました。
2007年01月30日
10:53
さかい7/15伊勢崎Live
死・・・ <これもアスペクト
2007年01月30日
13:00
smi
>「鳥」をテーマにしたひとつの房であること。
と、教えられる以前の、そこから鳥のイメージなどまったく見ない状態の脳にもどすことに興味があります。しばらくは、もう鳥のイメージにしかみれないですよね。
たぶん「忘れる」ということなのだろうけども。
または、絵を見てもそこから意味をくみとらないようにする訓練とか、ちょっとばかばかしいですが。女でもなく老婆でもなくただの白黒だと。
2007年01月30日
13:25
あおいきく
女性が機械に見えている某大臣にも読んでいただきたい。

>世界を多義的にとらえること。意味が分岐する世界を考えること。
うちの7歳児にもしっかり伝えていきたいメッセージです。ありがとうございました。
2007年01月30日
15:07
ど。
人を「情報の箱」だと言った人に強い反発を抱いたことを思い出しました。

時々、何の意味ともつながらずに心の底に沈んでいた風景が、
何かのニオイやキーワードで引き出される時の興奮もおもいおこされます。
2007年01月31日
01:55
ありま
安斎さんの書かれるものを読んでいると、自由に飛び回る鳥を連想してしまいます。型にはまった世界にいると窮屈で窮屈で・・・
2007年01月31日
03:27
安斎利洋
しフラット。

若者のほうが無垢で自由か、というと必ずしもそういうことではなくて、自分もそうだったけれど、若いときは世の中のいろいろな仕組みに聞き耳をたてて、アスペクトに一度嵌ってみようとしている時期だから、かえって不自由です。なんにでも懐疑的に閉ざすより、なんにでも多義的にかかわるほうがいいんでしょうね。

いったん知ったものを忘れられるか、っていうのは面白いですね。もう一回「異性を知りません」なんて状態に戻るわけでしょ。フォーマットをかけてブランクディスクにできたら、それはそれで面白い人間のありようかも。しかし、人間という磁気媒体は、上書きしかできない。

まだ金沢にいて、これから「大乗寺」っていう寺で早朝の座禅に参加。寒そう。
2007年01月31日
10:54
smi
ソニーの携帯ゲーム機PSPにはGPSと地図とゲームを載せる機能がついているので。
自宅までの道をゲーム空間にしてしまうことも可能かもしれません。
ドラゴンをたおさなければ、家に帰れないドラえもん的悪夢が展開されることも…。
また、任天堂DSのWiFi通信をするために、小学生が漏れ電波のあるスポットに、蜜にあつまる虫のように集まっている光景が観測されたという噂も。
おとなの目には見えない地図もあるようです。
2007年02月02日
02:08
安斎利洋
前にどこかで書いたことがあるけれど、25年ほど前、NTTの117や177に電話をして大声で話すと、別なところからかけている人と無料で話ができることを塾で教えていた子どもたちが発見。それを使って、別な学校の生徒同士が知り合いになったりしているのを目撃しました。

子どもは、世界の裏面のアスペクトを見つけるのがうまいよね。

おいしそうな電波の匂いに子どもが集まる、っていうのは、使える話です。そこからはじまる小説があってもいいね。タイトルは『誘児灯』。

smiさんなら、そのしくみそのものをメディア作品にしちゃうんでしょう。
2007年02月02日
02:16
安斎利洋
>女性が機械に見えている某大臣にも読んでいただきたい。

この話、ほんとにアスペクト盲ですね。ひごろから、なんの不自然さもなくああいう言い方をしているコミュニティの中にいるから、自然に口から出てくる。失言っていうのは、たいていそういう集団の無知のあらわれです。

大企業の社員と飲むと、女房を調教する、なんて話を平気でやってる連中がいます。馬鹿に見える。

>ぼくも、焼きが回った。

焼きなましてやる。

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