安斎利洋の日記全体に公開

2007年01月22日
04:01
 マンデルネット86
複素力学系なぞと言う人がまだあまりいなかった1986年に、高精細なマンデルブロ集合をパソコンで計算してみたいと思い立った僕と小林龍生さんとで、『MANDELNET86』というとてつもないプロジェクトを立ち上げた。

当時主流だった8ビットパソコンのユーザー十数名を募り、人海戦術(つまりグリッド)で4096×3072画素のCG2点を作り上げた。パソコンのCGといえば320×200画素16色なんていう時代の話。

情報のやりとりは、CP/Mフォーマットのフロッピーディスク。富士フイルムの協力で調達したディスクをメンバーに郵送し、そこに書かれたバッチをほぼひと夏ぶっつづけで計算してもらい、返送されたデータをミニコン上でテープにまとめた。コラボレーションという発想も、企業にサポートされたプロジェクトという発想も、僕はほとんどここから学んだ。

なんで今そんな話をしているかというと、ここのところはまっている標高データを可視化する操作が、複素空間にとじこめられた軌跡を色テーブルで塗り分けていく操作と、よく似ていたから。

地図遊びもそろそろ次のステップに進展させようと思うんだけれど、数理の中のフラクタルと自然のつくるフラクタルを見比べて、ここには微細なものに神が宿る原理が通い合っているのを感じる。背筋にぞっとくる、あの感じ。そこいらへんに、次のステップがぼんやり見え隠れする。

写真
http://cambrian.jp/anzai/files/MandelNet.png
4096×3072画素 7.7Mバイト (png)

写真
http://cambrian.jp/anzai/tokyotextures/073.jpg
9000×7500画素 11.4Mバイト (jpeg)
 

コメント    

2007年01月22日
04:43
小林龍生
ぼくにとっても、マンデルネット86というのは、人的ネットワークも含めて、現在のぼくを形成した原点みたいなものだ。
安斎さんとやったこのプロジェクトと、つい最近なくなった中野幹隆さんとやったハイパーバイブルプロジェクトを越えるものは、自分でもなかなか出来ないんだなあ、これが。
2007年01月22日
04:44
godzi2
フラクタル使った地形生成ソフトとか面白かったよね。
大好きでした。使うの簡単だったし。

あの頃コンピュータに感じてたワクワク感はどこへ行っちゃったのだろうか。
2007年01月22日
11:30
smi
長距離ランナーのごとき、面白がり持続力!!
地図の標高データという物理空間からの写像と複素空間上の集合との関係を追いかけて行くと。。また、そこから湧き上がってくる成果物が視覚的にどうよという。。想像するだけで、頭くらくらしてきます。
2007年01月22日
12:45
MATANGO
上をじっと見ていると「わーやめてくれー!」と叫びだしたくなるような気が...。
見ていてちょっと思い出したんですが...。

脳話を読んでいたら(「脳は空より広いか」エーデルマン)、脳の配線ができあがる、またはその時その場でつながるとき「退縮」という仕組みが考えられるそうなんです。

ある初期条件で、やたらめったら増殖していくものがあったとして、それを抑制して「落ち着くところに落ち着けていく」仕組みがあるはずだ...。

...それはどうも「ループ回路」がどうとかして...と自然のなりゆきにまかせていてもそうなってゆく...という仕組みのようで...。
...理解してないのでうまく話せませんが...。

...それが上と下との「ちがい」をつくっているのかも、となんとなく思いました...。
2007年01月22日
20:46
安斎利洋
ハイパーバイブルは、早すぎましたね。テッド・ネルソンが早すぎたというのと同じ意味で。たんに聖書を電子テキスト化したという以上の意味を、どれだけの人が気づいたんだろう。デジタルかどうかという問題じゃなくて、まさにテクストのバインドを解いて、テクスチュアにかえしたわけですよね。

中野さんが、武満の死をとても残念がっていたと小林さんが言ってたけれど、中野さんの死も早すぎました。
2007年01月22日
20:54
安斎利洋
>地図の標高データという物理空間からの写像と複素空間上の集合との関係

この関係でまず思うのは、5mメッシュというリミットです。だから、もし国土地理院が5ミクロンメッシュの標高データを出したら、僕の手の皮膚にある稜線や谷も見えるんだよな、みたいな妄想を膨らませてしまう。5ミリメッシュだと、胸の谷間くらいか。

>ある初期条件で、やたらめったら増殖していくものがあったとして、
>それを抑制して「落ち着くところに落ち着けていく」仕組みがあるはずだ

もうひとつ数理的なフラクタルと地形のフラクタルの違いは、地形は無数の可能な地形のひとつの可能性であるということ。それに対してマンデルブロ集合は、無数の可能性を網羅的に描いているということ。
ここからふくらませる妄想は、可能な地形を網羅した地形って、どんな次元になり、そこに住むことができるか、ということ。

>あの頃コンピュータに感じてたワクワク感はどこへ行っちゃったのだろうか

ずっと子どもでいられないのとおなじで、もう無理だよね。
次に子どもに戻れるものを、みつけるしかない。
2007年01月22日
23:40
MATANGO
>無数の可能性を網羅的に描いている
ということはつまり...これはこの図一発で「無限の可能性」をあらわしている...ということなんでしょうか?
(あのヘリがどこまでいっても、おんなじようなカタチをそなえているというのはサイトで見ました)

それとも、なにか初期条件みたいなものを変えると、これはウニヨウニヨ変わっていくというようなものなんでしょうか...?

...まったくシロウトで....もしおヒマあればどなたかご教授ねがえればと....。
2007年01月23日
01:16
安斎利洋
>ということはつまり...これはこの図一発で「無限の可能性」をあらわしている...
>ということなんでしょうか?

世界のあらゆることをあらわしている、という意味だと思われたら言葉が違っているかもしれません。カオスを生み出すある関数の、あらゆる軌道をあらわしている、という意味です。

それに対して、いま住んでいる地面は、たとえば石神井川はもうちょい南だったかもしれないし、神田川に流れ込んでいたかもしれない。そういう可能性の分岐をすべて別の平面に描くと、立体のようなものになりますよね。その立体は東京の川のすべての可能性を網羅したことになる。しかしいま住んでいる地面は、カオスのなかのひとつの選択された可能性です。

マンデルブロ集合の図ですが、あの平面のなかのひとつの点は、その次にジャンプする点が決まっています。次の点の次の点も決まっている。そうやって次々にジャンプさせていくと、ある点に落ちていってしまうものや、おなじところをぐるぐる回るもの、ちょっとづつずれながら無限のかなたに発散してしまうものなどがある。落ちてしまう点の集合がマンデルブロ集合。外れてしまうものをその速度で色分けしている。そのジャンプさせる関数によって起きるすべてのことは、あそこに網羅されているわけです。
2007年01月23日
02:16
メンタルスタッフ
> もうひとつ数理的なフラクタルと地形のフラクタルの違いは、地形は無数の可能な地形のひとつの可能性であるということ。

東京という土地に多様な地形が隠れていたというのは本当に驚きでしたね。
多様な中にもフラクタルという統一性を持っていて、詳細は分からないけれど、自然の原理を感じられるのが面白いところかもしれません。

グランドキャニオンの航空写真もなかなか奇妙ですよ。私の日記にリンクを張っておきました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=325509694&owner_id=177522
2007年01月23日
02:34
machiko
マンデルネット!

今から思えば、グリッドコンピューティングの嚆矢ではないでしょうか。
あれを見せてもらったときの驚愕を思い出しました。

秋葉原でグラフィックボードを買って、やっと16色表示ができたり、256Kのボード(256Mではない)をさんざん迷った挙げ句にやっと買ったような時代に、あの画像は驚異でした。

>グランドキャニオンの航空写真もなかなか奇妙ですよ。
まさに竜の背のようですね。
2007年01月23日
02:41
メンタルスタッフ
> 数理の中のフラクタルと自然のつくるフラクタルを見比べて、ここには微細なものに神が宿る原理が通い合っているのを感じる。

フラクタルな対象を認知する以上、認知が多少ともフラクタルな構造を持っても不思議はないのですが、それ以上に、世界の一部としての認知にもフラクタルな神様が宿っているのではないかと妄想してしまいます。それが何かは見えないけれど。
2007年01月23日
04:31
安斎利洋
>グランドキャニオン

スペースシャトルから計測した1秒(約30m)メッシュの標高データがあるようです。アメリカは全土を覆っているようです。カシミールでも、レンダリングできる。
カシミールのページ。 http://www.kashmir3d.com/srtm/

大陸の地形工学は、日本のようにだいたいどこも同じ山岳地帯とは違う多様性があるでしょうね。データが膨大なんで、今日はやめときます。
2007年01月23日
04:37
安斎利洋
>今から思えば、グリッドコンピューティングの嚆矢ではないでしょうか。

あの当時は「本来は1台のスーパーコンピュータでやれることを、仕方なくみんなでやっている」というように、世間的には見えてしまったかもしれません。

本当は、分散すること自体に意味があったし、人が仕事をシェアして集まること自体にも意味があった。そういうことに気づいてくれた人は、少なかったかもしれません。
2007年01月23日
04:40
安斎利洋
>世界の一部としての認知にもフラクタルな神様が宿っているのではないかと妄想してしまいます。

認知の回路に自己参照的なプロセスがあって、自己参照的な入れ子パターンを受け取ることによって作動をはじめるんじゃないか、ということを、なんの裏づけもありませんが直感的に考えますよね。脳の形そのものも、地形のようですし。
2007年01月23日
09:49
メンタルスタッフ
> まさにテクストのバインドを解いて、テクスチュアにかえしたわけですよね。
なるほどね。小林さんがハイパーバイブルやっていたのは知っていたけれど、分かっていませんでしたね。
バイブルには縁がない人間なんだけれど、俄然興味がでてきましたね。
今でも、「閲覧」可能なんだろうか。
2007年01月23日
15:22
小林龍生
> バイブルには縁がない人間なんだけれど、俄然興味がでてきましたね。
今でも、「閲覧」可能なんだろうか。
5インチ両面倍密のフロッピーディスクにMS-DOSの世界でした。
何度か、HTMLで書き直そうかな、などと思ったことはあるのですが、面倒でそのままになっています。
しかし、ザナドゥやハイパーバイブルの夢想はいまや現実となっていて、あまりに当たり前な環境になってしまった故に見えなくなってしまった本質みたいなものはあるかもしれませんね。
佐藤研氏が、最近「福音書共観表」(岩波書店)という本を出しました。その元になったギリシャ語テキストがウェッブで閲覧できます。
http://www.rikkyo.ne.jp/~msato/sub3jp.html
ぢつは、このように福音書の対応個所を並べて見せる、という努力はグーテンベルク以前からあります。
本質的な議論は、この共観表を眺めるだけでも、十分に可能だと思いますよ。
2007年01月23日
20:43
メンタルスタッフ
> ...ギリシャ語テキストがウェッブで閲覧できます。
ギリシャ語と教養の無さの壁は大きい...

バイブルって、歴史的いろいろな流れが重なったりしていそうなので、それが地形のようにフラクタル構造として見えないかという素人の夢想...見えません。

>しかし、ザナドゥやハイパーバイブルの夢想はいまや現実となっていて、あまりに当たり前な環境になってしまった故に見えなくなってしまった本質みたいなものはあるかもしれませんね。

地形のフラクタルなイメージはハイパーテキストの本質の実現という「夢」を想い出させてくれるような気がします。まるで見えなかったものがハイパーテキストであるが故に見えたというような。

2007年01月24日
01:03
MATANGO
>>ありがとうございました...。
自然の生みだすフラクタルは、フラクタルではあるけれど、マンデルブロ集合の生みだすものほどじゃない。
フラクタル次元であらわすと、マンデルブロ集合は2次元...ほとんど平面...限りなくフクザツ...。
...やっとこんなことがわかってきましたが、それがいったいどういう意味を持つのかが、かえってわからなくなってきて...。

>認知
脳のシナプスの連絡を、フラクタルにして見ると、ほとんど3次元に近いんじゃないかくらいフクザツみたいなんですが、これが「認知」というのをするとき、どういう振る舞いをするか、というのが半可通ながら面白いと思いました。

たとえばあるモノを見たとき、網膜に像が映ってそれがなんたら細胞を興奮させてかんたら神経を通って大脳のたんたら領に達して...というように「単線的」に追って理解しがちなんですが、「見えた」というくらいはそれでも十分かもしれないけれど、「認知」はじつはちがう...。

脳のいろんなところに達したニューロンの発火が、いちどきに起こる。
しかも、再入力結合というそうですが...つまりたがいに連絡したりグルグルまわることろがあって、そのあげく、いろんなところのニューロンの発火がそろった振る舞いをしはじめる...。

そこで面白いのは、これは何分の1秒という短い間におこっていて、すぐ次の瞬間には違うニューロンが発火してちがう状態になる...。
ところが、ちがう状態なのにもかかわらず、おなじ出力を生む...ということが起こっているそうなんです。

...つまり、そのニューロンの連絡をフラクタルでとらえてみると、その複雑さはちっとも変わっていないながら、結果は「○だ」とひとまとまりの「認知」をしている...。

複雑なものが複雑なままで........複雑系、といえば一発なのかも知れませんが、「再入力結合」というのが、なにかクサイと思うんです。

そういうことが起こった瞬間に、無限に発散してく可能性が、どこかに収斂してゆく...。
それは、自然界ではいつも起こっていて、それがあの図の違いを生む...?
....なんだかよくわからなくなってきたので、これでやめます...。
2007年01月24日
20:03
安斎利洋
>つまりたがいに連絡したりグルグルまわることろがあって、

脳が驚異的なのは、誰もプロセスを起動していないのに止まらないことです。脳は、いわばスピーカーとマイクが近いときにおきるハウリングが起きるか起きないかというぎりぎりの状態を維持していて、たまにハウリングまで行ってしまうと「電波系」になるし、まったく起きないレベルに落ちると欝になる。でも、平常はきわどいところで複雑な自励発振を維持しています。

そういう自己参照的なループのなかで、たとえば私と他者の関係が自己相似的な入れ子を形成したり、自己相似的な世界把握をしていくのは、ありうることですね。
2007年01月28日
00:15
遼 遠 ☆
一枚目の画像も、二枚目の画像も、びっくりするほど美しいですね。
惹きこまれるような魅力が…。

フラクタルについて少し学んでみたいのですが、お薦めの書籍なんかがありましたら、教えて頂けると幸いです。
2007年01月28日
00:51
安斎利洋
古典ということなら、『フラクタル幾何学』ベノワ・マンデルブロ ですね。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6-%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD/dp/4532062543

もうちょっと手軽な入門書も、きっとたくさんあると思います。カオスや複雑系といった非線形の理論は、これから工学に進むひとたちには必須ですね。

上のマンデルブロ集合のCGについては、20年前にこんな文章を書きました。出だしの人物は、遼遠☆さんの知り合いかも。
http://www.renga.com/anzai/AIJ/page_03.htm
2007年01月28日
01:06
遼 遠 ☆
>フラクタル幾何学
 ありがとうございます。大学の図書館にあるみたいなので、読んでみたいと思います。

 ああ、知り合いの彼は以前、揺籃期フラクタルの描かれたサイコロを転がして遊んでいた、と教えてくれました(笑)

 どうもわざわざ有難うございます。
2007年01月28日
01:31
安斎利洋
>フラクタルの描かれたサイコロ

正12面体の作品でした。

フラクタルじゃないけれど、もしまだ読んでなかったら、この本もおすすめ。自己言及についてのイメージを膨らませてくれます。

『ゲーデル、エッシャー、バッハ』
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AF%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E7%92%B0-20%E5%91%A8%E5%B9%
2007年01月28日
01:48
遼 遠 ☆
>『ゲーデル、エッシャー、バッハ』
 名前だけは知っていたのですが、先ほどhttp://www.renga.com/anzai/AIJ/page009.jpgを読ませて頂いていた際に、僕が生まれて間もない頃からあったのか…と驚いた矢先でした。
この機に是非読んでみたいと思います(アマゾン見た所、読破は大変そうですが(笑))


2007年01月28日
03:21
安斎利洋
遼 遠 ☆さんの日記、「遺伝子は美を感じるか」、実に面白いです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=329981330&owner_id=517446

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