安斎利洋の日記全体に公開

2007年01月19日
00:03
 江戸沈没
100年後、地球温暖化による海面上昇を12メートルとする計算がある。
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040624304.html

話半分という言葉があるので6m上昇するとして、100年後の東京の地図を描いてみると。
写真
http://cambrian.jp/anzai/tokyotextures/056.jpg
すばらしい! 僕のところから歩いて海岸に出られるじゃないか。

横浜や相模原は、思ったより変化がない。
写真
http://cambrian.jp/anzai/tokyotextures/057.jpg

すごいのはこのあたり。我孫子のあたりは、さぞ美しい景観になるだろう。しかし成田から東京に出るは、たいへんだ。
写真
http://cambrian.jp/anzai/tokyotextures/058.jpg

名古屋は、大垣あたりまで水没。大阪は高槻あたりが海水浴場になる。人口減らしておかないと、大変だ。
 

コメント    

2007年01月19日
00:16
ウォーターフロントのものはほとんど流れてしまうのかしら?
それとも岩盤にちゃんとアンカー打ってあるのかしら?
有楽町フォーラムなんか、アララット山のノアの箱船みたいにプカプカ流れてくるかも。。
2007年01月19日
00:23
大和田龍夫
オランダみたいに、排水ポンプと堤防技術で形は変わっているでしょうが、北極のシロクマの住む場所がなくなって大変だというのを正月のBSデジタルでやっていたのを思い出しました。

人口は充分に減っているとは思いますが、棚田の技術は継承しておかないと米食えなくなりますね。

思えば、縄文時代なんかと同じ感じなんでしょうか?茂呂遺跡とか大森貝塚とか、いわゆる山の手台地の淵が沖積世の海岸だったんだか。
2007年01月19日
00:32
さかい7/15伊勢崎Live
この分だと利根川と手賀沼に挟まれた私の家は、100年後を待たずとも50年後くらいには水没しそうです。
リフォームしようかと思ってたけど、よそうかな(笑)。
2007年01月19日
00:58
Mike
なるほど。これを見ると、江戸も水の都ベニスに限りなく近いですね。それに比べ、我が住む神奈川は意外と高台にあるんですね。
2007年01月19日
01:39
安斎利洋
>棚田
棚田の重要性は、環境考古学の安田喜憲さんが説いていますね。
いまほしい知識は「桃源郷の作り方」、gooしても見つからない。

さかいさんは、Mikeさんちのほうに引っ越すか、もしくは家を船にリフォームするか。
2007年01月19日
01:49
はらこ
>もしくは家を船にリフォームするか。

高度成長時代に入る前は江東デルタ辺りに船で生活している人が結構いたらしいですね。

2007年01月19日
02:58
イトカワ
水没したらダイビングで観光ですねぇ
2007年01月19日
03:01
国会議事堂は水没域ですね。
2007年01月19日
03:02
安斎利洋
>ダイビングで観光ですねぇ

あ、いいねーそれ。水底の銀座を散歩、とかね。
2007年01月19日
03:02
machiko
うちは多分、「海の家」を開業できるロケーションになるので、夏には皆様をご招待いたします。
2007年01月19日
03:06
安斎利洋
山の手線沿いの土手から、江戸前の魚が釣れるかもね。
2007年01月19日
06:18
TODO
我が家は水没だ(;。;)

あ、100年後か。
2007年01月19日
06:22
中村理恵子
ここに繋がる人が、楽天家揃いであることに感動をおぼえます(笑)。
50年後っていうと、わたしの場合ほとんど生存の可能性はないけど、イトカワなんて生きてるじゃん。
2007年01月19日
10:54
しゅわっち
安斎さん、埼玉県をアップで御願い!
2007年01月19日
12:11
メンタルスタッフ
このイメージにも見とれてしまいますね。
将来の姿として考えることも面白いけれど、過去が分かるのも凄いですね。家康が江戸城を築城した時代の風景も、まさにこうだったのでしょうね。浜(遠浅の)と陸を分ける画然とした崖があったのですね。
そのころ、崖の下には、潮が来たり引いたりしていたんでしょうね。

私は千葉の海辺で生まれて、小学校に入るまでそこでは、そこで育ったので、自然の海岸線と遠浅の海が懐かしいですね。(そのころから、千葉は大規模な埋め立てが始まって、いまでは人工の堤防が境界になってしまっているのでしょうが。)

ところで、これも博学のKさんから仕入れた知識ですが、家康は愛宕山を削って、その土で銀座を作ったのだそうです。愛宕山は江戸城に比べて高すぎたので一石二鳥だったというわけです。

もう一つ、東京育ちでも、「山の手」ってどこを指すのかよく分からなかったですが、これを見れば、まったく自明な区別だったということですね。
2007年01月19日
14:31
40年で10メートルという試算もあるようです。
2007年01月19日
14:49
http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/search_year.php?year=2040
未来年表
2007年01月19日
20:46
安斎利洋
>50年後っていうと、わたしの場合ほとんど生存の可能性はないけど

生きてるよ、きっと。
2007年01月19日
20:47
安斎利洋
>埼玉県をアップで御願い!

あとで関東全域の大マップをアップします。保存版。
2007年01月19日
20:53
安斎利洋
>愛宕山を削って、その土で銀座を作った

重機もないのに、すごいことですよね。だから桃源郷は作れるんじゃないか、と思う。

それにしてもメンタルスタッフさんって、もしかして遊牧民?
2007年01月19日
20:54
しゅわっち
遊牧民は僕です.笑
引っ越し経験15回くらい..(海外も含めればもっとか..)
2007年01月19日
20:55
安斎利洋
>あ、100年後か。

>40年で10メートルという試算もあるようです。

良きにせよ悪しきにせよ、大変化を見て死にたいなー。
とりあえず日本沈没を見るか。
2007年01月19日
21:08
安斎利洋
>引っ越し経験15回くらい

遊牧民の知恵とか、ありますか。荷物はもたない、とか。モンゴルのパオに住んでいる、とか。
2007年01月19日
22:30
しゅわっち
>遊牧民の知恵とか、ありますか
よく寝るとか
2007年01月19日
23:31
安斎利洋
>よく寝るとか

快食快便、とか。
2007年01月20日
00:01
安斎利洋
精細ででかい水没地図をアップしました。
国土地理院の20万図を等倍で貼ったので、もしかすると承認が必要かもしれません。だから、一時的にアップということで、興味のある方は早めにダウンロードしてください。
2007年01月20日
00:10
安斎利洋
floating homes
http://www.wired.com/news/technology/gallery/1,70105,4.html

オランダは、海抜-7mなんてところもあるらしい。
2007年01月20日
00:19
さかい7/15伊勢崎Live
大判地図で確認させていただいたところ、周りは駅も含めて全て水没しますが、私の家は僅かに高台にあるため際どく陸地として残ることが判明。
家のリフォームはやはり実行し、ボートを買った方が良さそうです(笑)。
2007年01月20日
00:23
安斎利洋
>ボートを買った方が良さそうです

あと、いろんな動物のオスとメスも買わないと。
2007年01月20日
00:24
さかい7/15伊勢崎Live
家の名前は「アララト山」に変えます(笑)。
2007年01月20日
00:31
TODO
わかりやすいですね。
三田線が志村坂上から志村三丁目にかけて地上に出るわけですが線路の高さを維持するとそうなるという自明の理。

台地を突き抜けて電車が走ってるわけだ。
2007年01月20日
00:32
京都盆地はネオ琵琶湖と呼ばれるのでしょうか?
2007年01月20日
00:33
安斎利洋
>線路の高さを維持するとそうなるという自明の理。

あ、そうか。いま気づいた。

あそこは地上に出るなり急カーブで、トンネルを抜けると世界が斜めだった、という感じです。
2007年01月20日
00:34
しゅわっち
ありがとうございました.僕が過去に住んだことのある箇所はすべてセーフでした.際どかったのが、千葉県松戸、北柏あたり.

それにしても春日部から久喜あたりまで冠水とは驚きました.
三郷、春日部あたりは低いだろうなとは思ってたけど..(16号をずっと千葉から埼玉に向けて走っていると、江戸川を渡ってから急に雰囲気がじめっとしますから).
2007年01月20日
00:40
安斎利洋
小山あたりまで行かないと、東京の山の手の標高にならないんですね。埼玉は、本当にだだっ広い。
2007年01月20日
00:43
ササキナルアキ
千葉半島に埼玉湾、いや多摩湾かなぁ。東京海ってのがロマンですね。世田谷が沈没していないので言える客観性(笑)
 
 
2007年01月20日
00:53
安斎利洋
千葉は、もうちょっとで島ですね。いやほんと、わくわくしますね。
2007年01月20日
00:54
安斎利洋
>京都盆地はネオ琵琶湖と呼ばれるのでしょうか?

京都は標高40mもありますね。釣りはあきらめてください。
2007年01月20日
01:42
jun@NP
毎日このシリーズ見るのが楽しみ。
今日のは一段と凄いですねぇ。
自宅(杉並)周辺には松の木遺跡等で貝塚がたくさん出るんだけど、干潟のすぐそばだったのをリアルに実感。

裏原の通りも新宿御苑の池が水源の暗渠だったはず。
2007年01月20日
02:12
安斎利洋
>裏原の通りも新宿御苑の池が水源の暗渠だったはず

裏原宿は、渋谷あたりでは露出している渋谷川の上流ですよね。水源は新宿御苑だったんですね。確かに谷が国立競技場のわきを通って、つながりますね。
2007年01月20日
02:22
安斎利洋
暗渠の日記に、情報追加しました。
渋谷川上流の暗渠は、裏原宿。源流は新宿御苑。
http://cambrian.jp/anzai/tokyotextures/069.jpg
2007年01月20日
04:09
jun@NP
これ見ると新宿御苑裏から外苑西通りを通って、
ビクタースタジオのあたりから裏原方向に抜けてますな。
確かに千駄ケ谷トンネルのあたりかなり低地なので、
明治公園あたりは沼地だったんでしょうね。
2007年01月20日
06:07
中村理恵子

>精細ででかい水没地図をアップしました。

皇居内に汐見坂ってのがあるけど、
「本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。坂の上には、汐見坂門が設けられていまし。」

この風景を今後再びみられるかも知れないね。
前面に海が見えるというか過去の事実と水没という未来予想が錯綜しますが。
さて、事実はどうでしょ?予測を超えるのが、未来だからねー。
荒川と江戸川の青い美しい水域をんみていると、この水没地区は、東京湾にむかって寝そべる万歳した男にみえる;ディズニーランドを頭として、荒川が動脈。
思わずここを切り出して連画してしまいそうになりましたよ(笑)。




2007年01月20日
13:38
安斎利洋
>ビクタースタジオのあたりから裏原方向に抜けてますな。

このあたりで、南新宿からの川が合流しているみたいですね。

>皇居内に汐見坂ってのがあるけど

皇居って、地図上では丸い平板のように感じるけれど、でこぼこなのね。
2007年01月20日
17:14
メンタルスタッフ
> それにしてもメンタルスタッフさんって、もしかして遊牧民?

意識としては定住民。でも「地図」を見ていて、結構いろんな「土地」に住んでいた自分を発見しています。

自分の住んでいた土地が、崖の上の土地か崖の下の土地かなんて区別して考えたこともなかったけれど、6歳まで住んでいた千葉中央駅の近くは、崖の下の水没地区。近くの千葉城跡の辺りの公園は、坂があったりして雰囲気が全然違ってたのですが、そこは、崖の上の世界だったのですね。今になって、自分の経験(思い出)が、地形をきっかけに再構成され、世界が分かってくるのが面白いですね。
2007年01月20日
17:27
SYNDI
関東のやつ・・・あたしのおうちが見事にブルーに埋もれている・・・・。母のうちがぎりぎりか?
あー。住む所を考えんとな。
2007年01月20日
17:42
安斎利洋
>あー。住む所を考えんとな。

東京水没の図は、山の手の地価を上げたい人のキャンペーンに使われる可能性がありますね。気をつけないと。

>地形をきっかけに再構成され、世界が分かってくるのが面白いですね。

場所をインデックスにする記憶術がありますね。土地と風景の記憶を写真のように蓄積するサヴァンとか。
土地の問題は、記憶の問題として考えたほうがいいんじゃないかと思い始めました。
2007年01月20日
22:42
国会議事堂が海底遺跡になるのですね。
海底遺跡ツアーで生計を立てている安斎さんが目に浮かびます。
2007年01月20日
22:45
安斎利洋
国会議員はもう沈んでますけどね。

永田町はどうでもいいんですが、神保町はなんとか救わねば。
2007年01月20日
23:34
machiko
川の話に戻ってしまいますが、この前、ソウルに初めて行ったら、市内に回復した川のほとりが、誇張でなく市民の憩いの場になってました。

小さい頃、新宿から京王線に乗ると、線路脇に小川が流れてましたね。藻が多くて深緑色で、クレソンが茂ってるところもありました。
一度、代田橋あたりで、なぜか真っ赤な金魚が泳いでいて(電車から見えた)、あの色のコントラストの鮮やかさは今も憶えてます。

高井戸の駅は田んぼの中にあって、駅の横が川で、オハグロトンボが水面を群舞していました。強烈な印象だったですね。
川は、このあたりだと、水がきれいでした。

その頃はたしか、千川上水も、まだあったのでは?
うちの近くでは谷田川がまだわずかに残っていたけど、今はもちろん道路。
水源の少なくとも一部は六義園で、駒込駅の線路沿いから溜め池(駅の横にあったそうだ)を経て谷中方面へ流れる。
台風で六義園の池が増水して、コイが駅の横を泳いでいたこともあるそうです。


ああいう川が今もあったら、どんなに楽しいことか。
2007年01月20日
23:49
小林千早都
保存版、頂戴いたしました。
安斎さんちやうちのあたりはかろうじてセーフなようで^^;
2007年01月21日
02:07
安斎利洋
子どものころ、石神井川が決壊して床上浸水したという話をきいた覚えがあります。近くの田んぼで蛙をつかまえていたし。それがいつのまにか川=臭い下水になってしまった。おそらく東京オリンピックのあたりが、変わり目なんじゃないかな。

水が土を侵食したり染みこんだりしていないから、生き物はいなくなるし、ヒートアイランドにもなりますよね。治水とは別に、もうちょっとじめじめした都市の作り方があるんじゃないかな。暗渠の上に、もうひとつ川を作って、氾濫しそうになったら下にバイパスする、みたいなやりかたがあるんじゃないかな。
2007年01月21日
02:25
jun@NP
家は善福寺川まで50mの高台なんですが、
子供の頃は大雨の度に川沿いの住宅は床下・床上浸水してました。
警報出る度に親父が土のうを積みに呼び出されてたっけ。
でも下水整備が進んでいない時代なので、
その頃の方がはるかにドブ川状態で臭くて汚かったです。

高井戸は、駅横のゴミ焼却場の場所が以前は沼になっていて
藻エビやヤゴが取り放題。子供たちのたまり場でした。
2007年01月21日
03:48
安斎利洋
そういえば何年か前、善福寺川が氾濫しましたね。被害にあったひとには悪いけれど、川はまだちゃんと氾濫するんだ、と思った。
治水は、基本的に自然破壊なんだろうな。氾濫が自然なんだから。
2007年01月21日
10:39
Mike
中村理恵子さん、
>ここに繋がる人が、楽天家揃いであることに感動をおぼえます(笑)。
この世の中、楽天的でなきゃいきていけないですよ。

ところで、オランダって既に,国土のかなりの部分が水面下ですよね。トイレとか下水の排水とか、川とかがどうなっているのか、気にはなりますね。下水場なんかは海面より高いところに作るのでしょうか? また、川はすべて堰があって、ポンプで排水しているんでしょうか?
2007年01月21日
11:34
メンタルスタッフ
都市自体が「自然」破壊なのだから、残念ながら、よほど知恵がない限り、都市の中の自然のままの川を生かし続けることは難しいということなのでしょうね。でも、川を暗渠として、臭いものに蓋のように虐げるのでなしに、それを生かすよい知恵も考えればありそうな気もしますね。公園や自転車道として使っているところもあるでしょうが、もっと、水そのものが見える解はないのかな。
2007年01月21日
15:17
メンタルスタッフ
> そういえば何年か前、善福寺川が氾濫しましたね。

子供の頃、高田の馬場辺りで神田川が氾濫するのはちっとも珍しい話ではなかったですね。(と言っても、何回氾濫したのか、詳しいことは憶えていませんが。)
「地図」を見て神田川の流域の広さを見れば、氾濫するのも納得してしまいますが。
都市化で雨水があっというまに、下水や川に流れ込むという話もあるので、今でも氾濫する可能性って結構あるんじゃないでしょうか。

数年前に名古屋の大雨が降ったのですが、(100年に一度の大雨だそうですが、どうやって計算するのでしょうね。)何もかもが想定外で、凄まじかったですよ。ちょっとした傾斜のある道路が本当に川になるんですね。どこからこんな水がでてくるんだろうって、本当に異世界に迷い込んだようで信じられなかったですね。今考えれば、古くからある道って結構谷筋に作られている場合が多いんですね。さらに縁石があるので、道路が川になってしまう。
稀有な体験だったなぁ。
2007年01月21日
16:47
安斎利洋
ありましたね。東海豪雨ですね。100年に一度の災害は、10000年に100回起きるわけで、100回の土砂崩れは、なるほど地形を変えるだろうと納得できます。
標高データを見ると、どこの路地が川になるのか、という微視的な防災シミュレーションもできますね。5mメッシュのセルオートマトンで書けそう。これは、プログラムの課題としても面白そうです。
2007年01月21日
18:15
中村理恵子
>数年前に名古屋の大雨が降ったのですが、(100年に一度の大雨だそうですが、どうやって計算するのでしょうね。)何もかもが想定外で、凄まじかったですよ。

メンタルスタッフ さん、このとき名古屋にiいたかも?。
ほら、ちょうどそちらに特別講義でお邪魔してたときだったと思います。
講義終えて駅前のホテルで、すごい空の色をみていた記憶があります。
怖いってのとずっとみていたいってのと両方の気持ち。
高層のホテルの窓がこわれるくらいなら、日本沈没だろうなと思い、腹くくって見物してました(笑)。
2007年01月21日
20:29
安斎利洋
>このとき名古屋にiいたかも

いや、それは違う台風だと思うよ。僕らが行ったのは夏。
東海豪雨は、2000年9月11-12日。
2007年01月21日
20:44
メンタルスタッフ
> 高層のホテルの窓がこわれるくらいなら、日本沈没だろうなと思い、腹くくって見物してました(笑)。

そうだったんですか。
天からの見物でなしに、地上の様子を見てみるとよかったですよ。交差点に水が溜まっていて、車が突っ込みエンストしているという有様がそこらじゅうにありました。普通の雨なら下水の排水量で十分なのでしょうけれど。いろんな経験をしてなんとか家に帰りついたのですが、家のすぐ近くまで、浸水していたなんて、次の日まで知りませんでした。
近くの天白川というのが氾濫していたのですが、たいして流域もないのに、雨もあがってしばらくしても、河川敷の上まで水があって、本当に大河になってしまっていたのも、不思議な光景でした。
2007年01月21日
21:00
メンタルスタッフ
> 東海豪雨は、2000年9月11-12日。
そうだったのですか。もう結構昔なんですね。

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