安斎利洋の日記全体に公開

2005年08月06日
11:52
 ねこぶくろと遊女
池袋の東急ハンズ最上階に、猫を触って癒される「ねこぶくろ」という店がある。行ったことはないのだけれど、猫を撫でながらぼーっとする時間を買うのもいいかな、と心が動く。

ただ、僕はどうしてもこの商売から遊郭を連想してしまう、という話を友人にしたら、理解してもらえない。別に、ねこぶくろを撲滅しようと息巻いているわけじゃなくて、だったら女を撫でながら過ごす時間を売る商売と、どこが違うかわからないという話がしたかった。

猫はヒトじゃないから、そこにははっきり線を引くべきなんだろう。でも、どこにどういう理由をつけて線を引くかというのは、恣意的だ。100年前なら、黒人と白人の間に明確な線が引かれていたし、今だって他民族を拉致監禁してもOKと考えるヒトは、地上にたくさんいる。監禁して撫でる、撫でて金を払う、という行動様式を一般化すれば、そういう結婚だってたくさんみつかる。

なんてことを言いつづけると、煙たがれるのはわかってるんだけどね。
 

コメント    

2005年08月06日
12:14
中村理恵子
犬のお持ちかえり(お泊まらせ)サービスってのあるらしい。
永久にか、終生という関わりがヤなんかな?
それとも、毛皮とか肌触りをプリミティブに欲する生き物欲求のためのサービス?

こんなで切り返すと、のーたりん呼ばわりされるのわかってるんだけどね。
2005年08月06日
12:40
安斎利洋
ページみっけた
http://www.nekobukuro.com/
2005年08月06日
12:54
今の東京では、そんなものまで買うのですね。
驚きです。
資本主義から社会主義になって、資本主義の劣悪なところだけは根強く残る。
「癒されたい」なんて、買手の思考を停止させるコピーでお金かすめようと狙っているのですね。

そして、この問題、遊郭の女も猫を撫でる事が好きでしょうから、階層の問題ですよ。
2005年08月06日
15:32
なさ 飛鳥井
思ったこと。

・出会いの交渉のプロセスを金で買うかどうか。
・繋がり感が得られるかどうか。

繋がり感を金で買えた経験はないものの、逆に金がないからと言って繋がり感が得られるわけでもない。
2005年08月06日
19:43
ashino
生きたペットと、ペットロボットの間は?
2005年08月06日
20:18
imochang
猫や犬を飼うってのは、それなりに責任を負うことだけど、いっとき触るとか、一晩だけ・・というのは気楽だから、ちょっとやってみようかな・・・と感じる方は、少なくないでしょう。
でも、情がうつって、リピーターになって、ついには飼ってしまうという、お客さんを狙っているのがミエミエなあたり、個人的にはヤな感じ・・・
ま、いわゆる身請け。

でも、遊郭より、ふとデイケアセンターを想像してしまった私って・・・
犬や猫、はたまた幼児なんぞと触れ合うことは、痴呆症の老人の治療において、かなりの効果があるそうで、ちなみに、我が実家の93才のひーばばも、ひまごの誕生でかなり立ち直りましたよ。
ま、遊女に入れあげるのも、ボケにかなり効きそうですが。
2005年08月06日
22:00
安斎利洋
>生きたペットと、ペットロボットの間は?

そうそう、そこがツボですよね。
結局どこにも合理的な線などなくて、文化的コードの中で勝手に線が引かれるんでしょう。エステとフーゾクの間の線だって、そのうち変ってくるだろうし、ロボット妻と暮らしている男の物語が、ポスト電車男かもしれないし。

>遊郭の女も猫を撫でる事が好きでしょうから

これ読んだ瞬間、遊郭に通う男を撫でているセルフィッシュジーンって名前の女巨人の姿が、脳裏をよぎった!

>・出会いの交渉のプロセスを金で買うかどうか。
>・繋がり感が得られるかどうか。

歌舞伎や浄瑠璃の世話物って、ほとんどが金で縛られた世界のなかで、真のつながりを求めるって話で、結局最後は心中してしまうわけですね。

>遊郭より、ふとデイケアセンターを想像してしまった私って・・・

ケアとセックスの問題について書かれた本がありましたね。

僕はこのテーマにでくわすたびに思い出すシーンがあります。

何年か前、夕刻の吉祥寺で飲み屋を求めて裏道をさまよっていたとき、帽子をかぶった身なりの良い老人が、ソープランドの入り口にすっと吸い込まれていきました。一瞬、店の看板を見てから、躊躇なく入っていった。いろいろ、考えちゃいましたね、ひとことで言いきれないことをいろいろと。
2005年08月06日
22:06
犬も猫も、出会ったらビビッときてつれて帰って一生暮らすものだと思っていたのに。
このように一時だけのこととわかっているんだったら、であったときから情が移らないように努力をしないといけないし。あらかじめ、一緒の将来がないようなお相手とすごす時間っていうのは、どんなもんなんでしょうね。
それぞれの好みだと思うけど、、、やっぱりそこらへんは、相手が人間だろうと犬猫だろうと一緒なのかな。
リピーターになるかどうかも、人間も犬猫も一緒ですね。入れあげてしまうと、ホストクラブとかキャバクラとかに通うように、「いぬたま」「ねこたま」「ねこぶくろ」に通うんだね、きっと。
2005年08月07日
11:46
安斎利洋
ペットを捨てる人がいますが、飼い主を捨てるペットって、いないのかな?
2005年08月07日
14:25
なさ 飛鳥井
「捨てる」って所有権を放棄することでしょうか。
となると、その前に所有と非所有の関係がなければならない。

対称で対等の関係では捨てることはできない?
2005年08月07日
14:41
安斎利洋
女房を所有していると思い込んでいる男に限って、突然妻に捨てられたりするじゃない。所有というのは、思い込みの問題なんじゃないでしょうかね。

飼われていると思っている猫が、いるだろうか?
2005年08月07日
14:53
なさ 飛鳥井
確かに、人と人の関係における所有は、少なくとも現代ではほとんど、客観的な事実ではなく、主観的な思い込みですね。

「飼われていると思っている猫」、そう、だから、最初の問題に戻りますが、触られる側が人と猫では違うなあと感じたんですよ。
人は対価を貰って触られていることを知っている、これ、なんか大きな違いのように思えます。
2005年08月07日
15:06
安斎利洋
なるほど、確かにそこには恣意的でない線がありますね。

でも、遊女屋とブリーダーの間には線がないですね。
2005年08月07日
16:21
なさ 飛鳥井
ブリーダーって「ねこぶくろ」ですよね。
一緒だと思います。
2005年08月13日
09:13
小林千早都
撫でるだけではきっとすまない。そう思うから、
いくらせがまれても子供を「ねこぶくろ」には連れて行かない。
まんまと「お買い上げ戦略」にはまってたまるか!と思う。

でも・・・お金を介することによる「割り切り」ってものが、
人間の世界にはあるのかな。もちろん猫側にはないだろうけど。
2005年08月13日
20:17
なさ 飛鳥井
お金による「割り切り」は確かにありますね。
心理学に内的動機付けと報酬の実験があって、すごくつまらない作業をさせて、報酬として安いお金を与えるグループと、高いお金を与えるグループに分けたときに、どちらがその作業を面白く感じたかを調べたものがあります。
結果は、安いお金を与えた方が作業を面白く感じます。
と言うのは、高いお金を与えられた方は、お金により外的動機付けが得られるものの、安いお金を与えられた方は動機付けが得られないので、それを面白かったという内的動機付けで補おうとします。

割り切りの場合には、お金を外的動機付けと考えることにより、感情的に深入りするなどの内的動機付けをしないで済むんだと思います。

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