安斎利洋の日記全体に公開

2006年12月17日
00:31
 ブリコラージュ
カンブリアンシステムの商品化に向けたパッケージを年内に配布しはじめたい、というゴールを自分に課したにもかかわらず、ゴールのまわりにどんどん迷路を作ってしまって、あれ、どこがゴールだっけ。どう考えても、年内に何かがまとまりそうにない。

ゴールをめざして必要なものを集め組み立てる、というごくあたりまえのことをする能力がないんじゃないか。カンブリアンのもとになったプログラムは、KaoViewという名前だった。顔じゃなく、花王から受注した仕事をいじっているうちに、不意に原型が出来上がった。そもそもゴールという概念が、自分の中にない。あえて言うなら、違うゴールにたどりつくことがゴールだ。

自己正当化にすぎないけれど、ゴールを目指して必要なパーツをそろえ、こつこつと仕上げていくというデザインの手法で、どれほどのものができるだろう。神が降りてくるのはゴールの上でなく、パーツの上。それもガラクタのような概念装置やアルゴリズムをいじっているうちに、神は勝手に降りてくる。プログラムだけじゃなくて、文章も絵も、そんなふうに出来上がる。いわば、ブリコラージュ。

ブリコラージュの景色は、こんな感じ。

写真
 

コメント    

2006年12月17日
00:56
安斎利洋
ブリコラージュ 進化 でgoogleしたら、machikoさんの論文が出てきた!
http://www.f.waseda.jp/kusahara/Alife_Automata.html
2006年12月17日
01:17
ikeg
僕も ブリコラージュ 進化 ゲーム 関係で論文書いたことがある。ブリコラージュでも出来るってことなのかもしれない。
2006年12月17日
02:08
安斎利洋
ikegさんにとってプリコラージュは研究対象ですね。でも実はikegさんの話や文章も、プリコラージュ的です。っていうと、なんだか悪い意味のようだけれど、そうじゃなくて、部分そのものに運動があるという意味で。
2006年12月17日
08:06
中村理恵子
君たち、やめてくれよ、正当化↑(笑)。しかし、わたしもいま「武道を語る」(甲野善紀)のなかから↓のような一文をつい抜粋しちゃたりして、三つ目君の道まっしぐら?(ああ・笑)

「一人稽古は、徹底的に自分のやりたいことから始める。稽古していて少しでも飽きたらすぐやめることが特に大切で、(中略)そのとき興味のあるものを興味のある間に行うのである。

ノルマ、および単なる惰性的習慣稽古の積み重ねの延長に、動きの質的転換は決して存在しない。動きの質を転換させるためには、常に、そこに意欲と創造性が生き生きと息づいていなかればならないからである。」

うん、
さて、今日はどこからやるか,,,,
2006年12月17日
08:24
中村理恵子
「カンブリアン・ゲーム」は、まさに”意欲と創造性が生き生きと息づいて”いる充実した一人稽古ホルモンを脳内に創出できれば○だよね。
しかし、それも個々人次第。
どれだけ熱く気づきを逃さず対するか?ってのが、肝。
(なんかいつも同じこといってるなぁ,,,,)

2006年12月17日
08:51
H.耕馬
まるで「生きているような刺身」だって生きちゃいない、って事でしょ?
何かを殺さないと商品にはたどり着かないって事だよ。
「GOAL=商品」であるかどうかは、そのとき次第。
2006年12月17日
10:47
ikeg
カンブリアンのプログラムって、携帯の写真を送るようなのではなくて、ですか? このあいだ多摩美の久保田さんがlive codingの話をしてたけど。 本当にコーヒーをかけて動かすコンピュータってどうですか?いろんな仕方でアクセスできる。そういうハードとソフトを開発してほしい。ろくろを回すプログラミングとか。身体性がインターフェイスの人の脳はそうですよね。
2006年12月17日
12:09
三ツ目くんは理想の男の子の一人です。
2006年12月17日
16:07
安斎利洋
>自分のやりたいことから始める

キミが三つ目族だから、「完成」というゴールがますます見えなくなるわけで、だから

>何かを殺さないと商品にはたどり着かないって事だよ。

こういうことを言う民族が必要になるわけだ。
2006年12月17日
16:13
安斎利洋
久保田さんのlive coding、気になるなー、このまえムサビに行けばよかった。
コーヒーをろくろにかける、みたいな演算ができたら、ブリコラージュはますますすごいことになりますね。そこまで行き着きたいですね。でも僕がいまやっているのは、携帯でプログラムをもったエージェントを場に投稿する、みたいなところです。
それすら「何かを殺さないと商品にはたどり着かない」の「何か」になりそう。
2006年12月17日
23:57
ikeg
中村さんに正当化っていわれちゃあなぁ。ブリコラージュ型の本になりそう。今書いてるんだけど。いつもどれも捨てれなくて。明日の芸大の話もブリコラージュ型になりそう。マーギュリスの共生進化仮説だと、ブリコラージュすることで、質的転移があると言えるんだけど。
2006年12月18日
00:09
たんぎー
考えてみれば「蔵書」なんてブリコラージュそのものなのかも。
2006年12月18日
00:10
安斎利洋
精子の尻尾は梅毒の細菌を取り込んで作った、みたいな話ですね。ろくでもないジャンクパーツを、どう使うか。
個人が頭の中でなにかを作っているときは、たいていブリコラージュだと思うんだけれど、企業の開発なんてことになると、ゴールから外れたジャンクはまず捨ててしまう。
2006年12月18日
00:13
安斎利洋
>「蔵書」なんてブリコラージュそのものなのかも。

ジャンク堂書店
2006年12月18日
00:36
メンタルスタッフ
>...それもガラクタのような概念装置やアルゴリズムをいじっているうちに、神は勝手に降りてくる。

これが、新しいことを考えたり作ったりする時の現実ですよね。もともとシステマティックにものごとを進めることができないところが肝心なところなのでしょう。

誰にでも、いつでも「神様が降りてくる」わけではないのが、やっかいなところですね。できるだけ神様が降りてきやすいようにするには、神様の首に紐をつけて引き摺り下ろすようなことを考えてはいけなくて、普段から、土地を耕すみたいな「真面目な生活」が大事なのかもしれません。
2006年12月18日
03:11
安斎利洋
現場の現実は、どこでもそうだと思います。でも企業にとって、ブリコラージュを技術開発の手法にするのは難しいでしょうね。投資をなるべく安定して回収したいわけだから。でも結果的に成功したプロダクトは、天下り(役所からではなく)をキャッチしたものが多いんじゃないでしょうか。

メンタルスタッフさん、ブリコラージュによる研究開発手法(作法かな)のようなものを企業向けにぜひ作ってください。それで幸せになれる人が、僕の友人に少なくとも10人はいるな。
2006年12月19日
16:55
びすけっと
昨日,このお話をしたかったのですが,忙しすぎましたね.
2006年12月19日
18:14
安斎利洋
昨日の「ライブ忘年会」は、まさにブリコラージュでした。

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