安斎利洋の日記全体に公開

2006年12月03日
01:07
 思い出づくり
写真

昔、つきあっていた女の子に「良い思い出を作りましょう」と言われて、それって違うだろ!と思った。後ろ向きな感じがしたから。

しかし、記憶とリンクしない新規な経験などあるのだろうか。経験とはすなわち、思い出すことなんじゃないか。すると、経験と思い出は必ずしも原因と結果の関係ではない。

記憶がなければ、風景は見えない。色彩が記憶に結びついていないと、青は赤と交換可能になる。しかし青は、空と空を写す水面の記憶にしかない。

色彩は記憶の組織だ。ゲーテの色彩論が対象にしているのは、色彩に関する思い出ネットワークだ。良い「思い出」がなければ、色彩という体験もない。

また、イチョウの黄色が燃える季節。(写真は昨年)
 

コメント    

2006年12月03日
01:15
[映像]は物を[見て]をそれを[記憶]することだという
ことを、今期繰り返し、いろいろ言葉をかえつつ
学生に話しています。
[記憶]の形はいろいろなリンクによって自らを変成もするというのを
ちょうど金曜日に話した。
2006年12月03日
01:19
あ っ こ
圧倒的な黄色 


という黄色  を思い出しました・・・・

この瞬間、私は反芻するための複数の胃袋をもつ動物になったような気持ちになります。うししっし
2006年12月03日
01:30
MATANGO
>「良い思い出を作りましょう」
女王さまのご下命でしょうか.....。

女王さまにおかれましては「つくるべき記憶」があらかじめ決まっていて....。

その>「良い思い出」にあてはまらないものは「なかったこと」になる......と、「女性研究家の女性」がおっしゃっていました....。
(わしではありません、念のため...)
2006年12月03日
01:37
しゅわっち
これ駒場?

思い出があるから経験できるんですよね.経験すれば思い出になるのは当然として.
2006年12月03日
01:49
さかい7/15伊勢崎Live
プリクラが流行りだした頃、なぜプリクラを撮って集めるのかという質問に対し女子高生たちが口々に「思い出〜♪」と言っていたのを聞いた時、何かとても違和感を感じたのを思い出します。

「形に残さないと思い出が生まれないかのような錯覚」に対する違和感といいますか、製作者たちも自分たちの作ったものが「思い出ビジネス」のようなものになるとは予想していなかったのではないかというミスマッチングが生み出した社会現象だったのではないかという感じがしたといいますか。
2006年12月03日
02:04
miyako/玉簾
一緒にいる時間をもっと素敵にすごせばいいのにね。
そしたらそれはきっといい思い出になるのに。
2006年12月03日
02:12
安斎利洋
>思い出があるから経験できるんですよね

しゅわっちさん、そのとおり! そのうえ

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mixiからのお知らせです。利洋 さんのページ全体のアクセス数が
66666アクセスを超えました。記念すべき66666アクセス目の訪問者は
しゅわっち さんでした!
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イチョウは、うちの近所です。
2006年12月03日
02:22
安斎利洋
>リンクによって自らを変成もする

記憶は、当然ながら過去の逐次的な配列ではないんですよね。刻一刻と過去は再構成される。

>私は反芻するための複数の胃袋をもつ動物になったような気持ちになります。

色食らう人。一種の色欲です。

>「思い出ビジネス」

いいかも、そのキーワード。

>一緒にいる時間をもっと素敵にすごせばいいのに

そのためには、一緒にいない時間が必要なんですよ、きっと。
2006年12月03日
03:49
miyako/玉簾
>そのためには、一緒にいない時間が必要なんですよ
そう、一緒に居すぎると「特別に大切な時間」に切り替えるなんて難しいね。
すごい好き同士の遠距離なんかはいいでしょうね。
でも恋人が戦地にいるのはいやだなあ。
2006年12月03日
09:55
あおいきく
>青は赤と交換可能になる

青はオレンジにも、と言ったら別の話ですが。
先日、子どもに今まで読んだ絵本の中で、いちばん面白かったのは何?ときいたら、エリック・カールの『こんにちは あかぎつね』を挙げました。ゲーテの色彩の輪をもとにした、見えない色が見える絵本。「ふしぎだから」がその理由です。

ちなみにもう一冊は荒井良二の絵の『すっぽんぽんのすけ』。
2006年12月03日
10:11
あおいきく
上のあかぎつねの本は(ご存じだと思いますが)、何もない白いページを青い魚がゆらゆら泳ぎ出すなど、おとなでもちょっと興奮します。
2006年12月03日
11:19
MERC
>記憶とリンクしない新規な経験などあるのだろうか。経験とはすなわち、思い出すことなんじゃないか。すると、経験と思い出は必ずしも原因と結果の関係ではない。

宇宙で漂流するとき、暗い夜の海で溺れたときの事を思い出すのだろうか、それとも夢の中で恐怖から逃れるために必死で走るのだけど、少しも進まないもどかしさを思い出すのだろうか。無関係に風に舞い散る銀杏の葉の輝くばかりの黄色と食い込みのあるその特徴的な葉の形を思い出すのだろうか。

いずれにせよ、つきあっている女性から「良い思い出を作りたい。」と言われるとちょっと興奮します。それが銀杏舞い散るこの季節ならば、いっそう・・・
2006年12月03日
11:54
しゅわっち
おお〜〜66666を踏んじゃうなんてすごい!
そこまで他人に踏まれた安斎さんもすごい!

僕はこれまで特に6って数字に縁はなかった気がするんだけど..
2006年12月03日
21:54
小林千早都
思い出とは振り返って思うもの。過去の形なんですよね、本当は。

思い出ビジネス、って私もマーケティングやっているときに
使った言葉ですが、やはりみな、振り返ってしみじみパターンをイメージして使っていましたよ。

ところで、これは、城北中央公園あたりのイチョウ?
2006年12月03日
22:36
ピッピ.
日記への書き込みは、初めまして です。
犬の散歩をしながら、工事で変わってしまった景色を見て、頭の中の映像には、こんなにはっきり以前の景色があるのに、なぜこれが現実には、ないんだろうと、不思議に思いました。 
2006年12月04日
00:05
安斎利洋
>『こんにちは あかぎつね』
>何もない白いページを青い魚がゆらゆら泳ぎ出す

その本、知りませんでした。あおむしの本は知ってます。錯視を使ってるんですね。買ってみよう。

昔、小学館の学年誌でCGの立体視をやろうという話がもちあがったときに、人工的な立体視をするにはある年齢に達する必要があるんだ、というような話を聞きました。絵本と錯視というのは、それ自体がひとつの心理的な実験ですね。

>青はオレンジにも

空の色である青が、人の肌の色の補色であるのは、偶然なのか必然なのか。
2006年12月04日
00:08
安斎利洋
>宇宙で漂流するとき、

暗い夜の海で溺れるときに、宇宙で漂流するときのことを思い出すかもしれません。案外、未体験のことを体験しているときに思い出すことも、未体験のことだったり。
回想というのは、創造なのかもしれない。だから、死ぬときに思い出すのは、まだ体験していない来世のことかもしれない。
2006年12月04日
00:10
安斎利洋
>そこまで他人に踏まれた安斎さんもすごい

>女王さまのご下命でしょうか.....。

そうまで言われるなら白状しますが、僕はきっとM傾向です。
2006年12月04日
00:11
安斎利洋
>ところで、これは、城北中央公園あたりのイチョウ?

大当たり!
なにか、思い出があったり?
2006年12月04日
00:14
安斎利洋
>工事で変わってしまった景色を見て、頭の中の映像には、
>こんなにはっきり以前の景色があるのに、

このまえ実家の近所を散歩して、道に迷った。なんだか不思議な体験でしたよ。
ところでぴっぴさん、「はじめまして」も35年ぶり。
2006年12月04日
00:19
小林千早都
>なにか、思い出があったり?
いえ、11/27の私の日記に載せたのも
あそこのイチョウだったもので・・・^^;

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=278206027&owner_id=82858
2006年12月04日
00:37
安斎利洋
一週間前の思い出ですね。城北中央公園のイチョウは、やはり見事ですよね。
桜の時期よりも、この一瞬の色彩のドラマを見逃すと、なんか一年が滑ってしまう感じがする。
2006年12月04日
00:50
小林千早都
ええ、桜はなんだかんだ言いながらもそこそこながらえますが、
イチョウはあっというまですから。
2006年12月04日
02:37
miyako/玉簾
>イチョウはあっというま
そうだったんですか。そんなこと知らないまま、銀杏の黄色ともあまり接する事ができないままここにいるのが寂しい気分になります。紅葉ももう10年以上見てないしシイの実も拾ってないしなあ。。
2006年12月04日
04:55
安斎利洋
しかし、ガジュマルの木と戦える。

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