安斎利洋の日記
2006年11月23日
13:29
空気の正体
(承前)
machikoさんいわく
>私が最近、とても気になっているのは(イヤなのは)「空気を読む」という言い方。
>これが至上命令としてまかり通っていること。
空気の正体について考えてみた。
たとえば日記に、ある歌手の写真を貼り付けて、ひとこと「やれやれ」と書く。すると「顔が老けてたね」など、ネガティブなコメントがつきはじめる。
しかし、はじめのひとことが「いいねぇ」だとする。すると「味が出てきたね」など、ポジティブに流れる。
コメントをつける人の集合は、さして変わらない。空気とは、こういう現象だ。
右にも左にも安定した落ちどころがあるが、自分は真ん中で立っている。ふとしたきっかけがあれば、右に倒れてもいいし左に倒れてもいい。こういうのを付和雷同という。
空気の生成は、より強い付和雷同によって起きる。鳥が群れて飛ぶのと同じように、個々は自分をどちらにドライブするかという判断をあえて停止し、周囲の空気に任せる状態を作る。すると、その集団は協調的に動き始める。
強いリーダーが引っ張る場合もある。しかし、こういう初期値鋭敏なシステムは弱いきっかけで作動しはじめても、強くリードされても、ドミノ倒しの起こり方に変わりがない。だから、空気には核がない場合もある。
空気は、協調すること自体に目的があるから、どちらに流れるかはあまり重要でない。だから、すべての構成メンバーが空気の読み手になり、どこにも書き手がいない場合があるわけだ。空気の規則は、空気の流れる方向には関心がなく、空気を読めないメンバーにだけ関心がある。
いじめは空気による炎上だ。空気だけでは燃焼がおきないので、空気を読めない燃料が必要になる。ときに、空気は燃料を作ろうとする。
空気は、時間がたつと消える場合がある。個々が、自分の飛んでいる方向の居心地の悪さに気づくからだ。飛び始めてみないと、それがわからない。だから、空気が消えるには時間がかかる。アメリカ国民が、イラク戦争が空気であることに気づくまでに3年かかった。
空気を組織的な生成システムにしたのが、ABC回路だ。ABC回路もまた、個々が強い欲求をもたないことを前提にする。ABC回路の驚くべき戦略は、時間がたっても空気が消えないように、空気を閉じ込め、再生産すること。
空気のもうひとつの恐るべき特性は、自分が空気を吸っていることも、吐いていることも、意識しづらいこと。ね、みなさんそう思うでしょ?(というふうに)
コメント
2006年11月23日
13:59
なるほど、空気を吸わない人は宇宙人となるというわけだ。
2006年11月23日
14:10
Linco
やれやれ
2006年11月23日
14:16
は〜
安斉さん♪
山本七平さんの「空気の研究」に拠ると、次の通りです。
(1)日本人は空気に支配されやすい。
(2)大東亜戦争も、軍部が起こしたと言うかわりに、空気が起こしたと言えるかもしれない。
(3)空気支配に抗する手段は「水をかける」である。
私も、「くうきよめよ」という流行言葉は最低だなと
いつも想っています。
miyoriさん♪
は〜は、子供の頃から宇宙人と言われていましたが、
たしかに、場のくうき無関係人間でした。
(今も)
2006年11月23日
14:21
宇宙人万歳
2006年11月23日
14:23
安斎利洋
『「空気」の研究 』山本 七平
¥460 文庫: 237ページ
文芸春秋 (1983/01)
http://
www.am
azon.c
o.jp/e
xec/ob
idos/A
SIN/41
673060
34
こんな本があったんですね。探してこよう。
2006年11月23日
14:52
安斎利洋
山本七平って、イザヤ・ベンダサンですね。なるほど。
空気って、日本独特なのかな。そうじゃないと思うんだけど。
2006年11月23日
18:52
miyako/玉簾
例えばなんらかの方法で「飛べ」という指令を送られるとみんな飛んじゃうようなブレインウォッシュが仕掛けられていると想定すると頭痛くなります。
子供が減っているのは、少しだけ残った道徳感の抵抗かもしれない。あ〜
2006年11月23日
20:05
安斎利洋
鳥がいっせいに飛び立つのは、避難の判断を群れに任すことによって、食べることに熱中するためなんじゃないでしょうかね。判断に必要な熱量をおさえて、そのぶんほかのことに頭を使う。だから、空気ができるのは避けがたいことではある。
でも、カンブリアン派としては、空気を読んだうえで、空気を読み替える方法を考えたい。
2006年11月23日
20:21
安斎利洋
こんな本もあった。
http://
www.am
azon.c
o.jp/e
xec/ob
idos/A
SIN/40
614984
44
『「関係の空気」「場の空気」』 冷泉 彰彦
日本社会を取り巻く空気と言葉の関係に迫る友人、上司と部下など一対一で生まれる「関係の空気」三人以上の集団で生まれる「場の空気」関係の空気の混乱と場の空気の圧力が日本語、日本社会を息苦しくする
だそうです。買ってみるか。
2006年11月23日
22:15
machiko
>空気って、日本独特なのかな。そうじゃないと思うんだけど。
英語ならatmosphereですね。もしかして「空気」は、これの訳語だったりして??
>空気は、協調すること自体に目的があるから、
>どちらに流れるかはあまり重要でない
違いはこのあたりではないかと思います。
2006年11月23日
23:29
ikeg
空気は、joint attention じゃないでしょうか。相手の意図を読み取ること。declarative なものは難しいですが、外国にもありますよ。日本ではわざと joint attentionはずしするから。
2006年11月23日
23:51
MATANGO
>どこにも書き手がいない
「誰もがそう思うだろうと誰もが思っている...しかし本人を含めて、誰もそう思ってなどいない...」
たとえば、A氏が首相にふさわしいと、誰が思っていたのか?
たぶん本人すら...。
>空気って、日本独特なのか...
日本のサル学者は、サルの顔を見分けるのがひじょうにうまい...と聞いたことがあります。
だから名前をつけて観察できる。
欧米の学者は、なにか印をつけるより手がないのだとか...。
「顔色悪いね」といきなり指摘されて面食らうことがあるんですが、そんなことも思い出され...。
2006年11月23日
23:53
俳胚
>空気の正体について考えてみた。
*下手な考え休みに似たり
*幼子の次第しだい知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき
2006年11月24日
00:05
空気を自在に作れるは神か悪魔かという感じですが、
大抵は、悪魔的な力を使いたい人が空気を操ることに力を注ぐので、
困りますよね。気づいた時には。。
2006年11月24日
03:27
安斎利洋
>joint attention
言外の意味や、ノンバーバルなメッセージで相互作用するのは基本的なことだから、そういう意味で空気のようなものなんでしょうけど、こういうインフラのような空気と、群れて人を殺してしまう空気と、空気が作られる原理はいっしょなんだろうか。
このまえ秋葉原で、みんなで話しながら飲み屋に向かっていたら、みんなで道を間違えました。これがもし「このまえ、みんなで話しながら戦争に向かっていたら、みんなで道を間違えました」と同じ原理だとしたら、有益な研究対象かもしれない。
2006年11月24日
03:31
安斎利洋
>仏に遠くなるぞ悲しき
仏陀ならきっと、空気でなくて、空について考えなさいと言うでしょうね。
2006年11月24日
09:46
ikeg
安斉さん> 同じじゃないという可能性はあるのかな。
2006年11月24日
13:24
安斎利洋
違う原理だと考えるのは、難しいですね。倫理は、あとから被ってきた価値観だから。
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