安斎利洋の日記全体に公開

2006年11月21日
00:45
 自殺報道
ニュースを聞くときに、僕たちが思い描くモデルは、

 原因→事件→報道

たとえば、自殺報道なら、

 心→自殺→自殺報道

報道は、現実の後にやって来て、現実を見て語るものだ、と考える。

しかし、人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、ということがある。それを考えると、逆行する回路も考えるべきなのだ。すると、

 自殺報道→自殺(の着想)→心

報道は観客ではなくプレイヤーだということを、メディアの作り手も受け手も知るべきだ。

20年前、ウィーンの精神医学界が過熱した自殺報道に自粛を求め、功を奏したという話。
http://news.tbs.co.jp/20061113/headline/tbs_headline3424256.html
 

コメント    

2006年11月21日
00:52
H.耕馬
「そろそろ、ここいら辺で事件が起こるぜ」と言いながら待っているカメラマンとか、「そろそろ、ここいら辺で事件を起こそうぜ」と言ってるプロデューサーって、本当に居そうに感じます。
2006年11月21日
00:59
Linco
その昔、自殺を止めに行ったので、自殺が起きました。
因と果はセットですね。
2006年11月21日
01:05
じゃい
基本的に自殺報道はNGなのですが、

基本的であって、なんか、今、タガが外れているように感じます。

ことが命に関わることなので、模倣犯という言葉は使うこと自体、批判されそうですが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」的イージーさも感じてしまう。

いや、報道自体がイージーなのか。
ともかく、文部科学省があの手紙を公開したのも違和感を感じる。
しかし、自分の出来ることといったら、ここで、コメントを書くことくらいなのか?

いや、職場でも、話はしているが、こんなに報道しておいて、どうか死なないでくださいというのは無責任な発言で、反省と後悔くらいしか出来ない。

挙げ句、日記で毒はいてる自分が情けない。
2006年11月21日
01:07
安斎利洋
>「そろそろ、ここいら辺で事件を起こそうぜ」

「そろそろ、ウソでもいいから面白いことが起きないか」と思っているニュースの作り手は、賢い視聴者からはだんだんプレーヤーとして支持されなくなると思うんだけどね。

いま耕馬さんが問題にしているNHKは、どうして自立したプレーヤーとして、政府の命令を拒否しなかったんだろう。良質な視聴者の支持を、ものすごく失ったと思うんだけど。

>自殺を止めに行ったので、自殺が起きました。

「ので」という接続詞が、重い。
2006年11月21日
01:13
安斎利洋
>文部科学省があの手紙を公開したのも違和感を感じる。

不自然でした。昨日、文科大臣の子どもに向けたメッセージも、鳥肌が立った。
なんだろう、この人たちは。

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伊吹文科相の子供向けメッセージは次の通り。

 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。

 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。

 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。

 いじめられてくるしんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。

 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友だち、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
2006年11月21日
01:25
Linco
> 「ので」
助けに来られたとあっちゃ〜、死なねば面子が立ちません。
セッティングこそ重要です。
2006年11月21日
01:36
godzi2
<賢い視聴者からはだんだんプレーヤーとして支持されなくなると思うんだけどね。

賢い視聴者がいかに少ないかも、私たちは知っているのです。寂しいことに。
2006年11月21日
01:52
じゃい
>昨日、文科大臣の子どもに向けたメッセージも、鳥肌が立った。
> いじめられてくるしんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。

いや、きみはひとりぼっちだから、自分を信じて、自分を大切にしてほしい。

なぜ、いじめられていることを隠す?
話せば、助けてくれるかどうかは、ギャンブルだから、身構えて、何があっても、失望せず、自分を大切に。

君が守らなければ、誰か守ってくれるかは時の運。
だから、逃げてもいいんだ、勇気なんかなんの役にも立たないから。

・・・だいたい、はずかしいからいじめられているのを黙っている訳ではないだろう。

しょせん、元いじめている側の人間としか思えない幼稚な創造力。
もっと子供はシビアに事に接してると思うのだが。
2006年11月21日
01:53
安斎利洋
じゃいさんを大臣に、

に3000点。
2006年11月21日
01:55
じゃい
>3000点。

はらたいらさんなくなりましたね、合掌。
2006年11月21日
01:56
安斎利洋
>死なねば面子が立ちません。

昔は、出家という自殺のオプションがあったんだけどなー。
2006年11月21日
01:57
安斎利洋
>賢い視聴者がいかに少ないか

賢い視聴者はたくさんいますよ。賢くないのが膨大にいるから、かき消されてるだけで。
2006年11月21日
02:06
じゃい
>賢い視聴者はたくさんいますよ。賢くないのが膨大にいるから、かき消されてるだけで。

「みんな持っているから」「皆、言ってる」「みんな同じ」・・・
そういった日本の「みんな」という接頭語に少しは抵抗していたい気がする。

そっち向いていたら、何かがなくなってしまいそうだから。
2006年11月21日
02:09
godzi2
>賢い視聴者はたくさんいますよ。賢くないのが膨大にいるから、かき消されてるだけで。

先生、おんなじこと言ってます。私と。
2006年11月21日
02:27
安斎利洋
世の中が、もし賢いのと賢くないのが水と油のようにわかれるなら話は簡単なんだけど、問題は賢いのが集まって「みんな」になると、バカになるという不思議な現象だ。
2006年11月21日
03:06
klon
日本の胎内化、母性化が進んだからでしょう。
それに伴って死産の確率が高くなっただけだと思います。
2006年11月21日
03:36
安斎利洋
自然な母胎の判断する堕胎は、自然の知性だと思うけれど、もっと浅はかな感じがするな、知性とは呼べないような。
2006年11月21日
03:51
自殺報道だけでなく、最近のマスコミ報道は、自分たちが法の番人もしくは裁判官であるかの如く振る舞う姿が印象的です。
マスコミは自分たちが情報を右から左に動かしているだけであり、時に国民の感情を左右することはあっても、決して新しい概念を生み出しているのではないことを、もっと真摯に受け止めた方が良いように思います。
2006年11月21日
03:57
klon
僕はどちらも確率的な現象という側面が強いと思います。
で、報道で連鎖自殺するのはある種の淘汰のような気がするのでさせておけばいいのですが、同時に報道の方法が稚拙なのも確かでしょう。
2006年11月21日
04:37
安斎利洋
淘汰圧にさらされるべきなのは、メディアでしょう。逆にメディアが新しい概念を作ったら、もっと評価されていいですよ。ともかく報道は報道対象から超然とした別階層にある、っていうのが間違いで、報道も報道対象も同じ階層にあって、返り血を浴びるのがホントだと思う。
2006年11月21日
05:40
klon
それは正論だと思いますが、実際にメディアが劇的によくなるということは想像しにくいので返り血を浴びても浴びなくても衰退していくでしょう。
新聞など現在はタダで契約できるほどです。
ただ、同時に自殺報道を見て自殺するような子供や若者を犠牲者だから何とかしてやれという論理は過保護というものです。
淘汰に関しても同階層にあるというのも現実、というかある過程と言えるのではないでしょうか。
2006年11月21日
11:57
安斎利洋
新聞雑誌はもうとっくに弱っているんですが、僕はともかくテレビが世界の茶番のシナリオを書いているのが気にいらない。茶番に巻き込まれて死んでしまう人を、どうこしようって話じゃなくてね。
むしろ、自殺連鎖は確率的な過程じゃないの、みたいなことが言えないテレビの空気に、稚拙さを感じる。いやむしろ、自殺は淘汰だよ、みたいなことをテレビで言えるようになると、自殺者は減るね。
2006年11月22日
00:06
うさだ♪うさこ
>問題は賢いのが集まって「みんな」になると、バカになる

この問題は、人間の社会の大きな問題だと思います。
会社でも、役所でも、組織はどこでも、そうなります。
なんで、こんなに頭いい人が集まって、いちばんばかげたことをやってるんだろうっていつも思います。
だけど、ほんとに笑ってられない問題かもしれないですよね、これは。人間が集まっている以上、だれでも、いつでもとんでもないことを始めかねない、ということだから。
2006年11月22日
01:09
godzi2
馬鹿がいっぱいいる世界と賢い奴だけ生き延びられる世界とがあったら、どっちが楽しそうだろう?
2006年11月22日
01:13
じゃい
>組織はどこでも、そうなります。

組織には賞味期限があるのかもしれません、社会も。。。


最初からなくなることが前提の組織や社会が健全なのかもしれない。
2006年11月22日
02:02
安斎利洋
ニコラス・ハンフリーによると、バカになることと社会的であることは、非常に関係が深いんですよ。という話は、新しい日記に書こう。

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