安斎利洋の日記全体に公開

2006年11月18日
15:55
 反景観デザイン
大和田さんいわく
「再開発された街というのはどうしても好きになれません」

まったく同感。ここ十数年、街が小奇麗に整頓されるたびに僕もがっかりする。それは、たとえばエッフェル塔が建てられるときに反対運動が起こった、というような反動的な気分とはちょっと違う。

そこそこセンスの良いやつに仕事をまかせて、そこそこ良いものが出来たんだけど、なにか決定的に足りない、という感覚に近い。

いいんだけどさ、でもなんでこの線を引くときに定規を使っちゃったの?みたいな感覚に近い。

ここ十数年、というのは、美しい街づくりが景観デザインや環境美学として語り始められた過程に符合する。「美しい」を定式化すること=つまり美学は、そこそこ美しいものを作るときには役立つが、それ以上美しいものを作り出す助けにはならない。つまり、それは定規でしかない。

自然や調和は、「方法」で手に入れることができる。しかし、それ以上深いところに行くためには「方法」以上のなにかが必要になる。

水道塔を壊したら、いっきに近隣の空間が退屈になってしまう。逆に、空の色に調和する換気塔が環状八号線沿いにいくつか建ったが、空に退屈が突き出しているだけ。その理由を説明するのは、簡単じゃない。

原広司の京都駅ビルはすごいと、駅ビルのホテルに連泊したときに気づいた。中に取り込まれてみないと、これはわからない。以来、駅ビルと同じ階段空間の夢を何度か見た。京都駅は胎内に構造をもっていて、膜の内部に閉じた景観を作っている。古都でありながら、借景がないという逆説がいい。
http://www.mediawars.ne.jp/~m921320/a_map/map_of_kyoto_04.htm

景観の美しさは、調和なんかじゃ計れない。無意識の領域にどれだけ突き刺さるか。「夢に出てくる力」があるかどうか、だ。
 

コメント    

2006年11月18日
16:48
miyako/玉簾
6月に、あの階段のてっぺんに座って、高校生の吹奏楽を聴いていましたよ。遥か下の通路のステージから音が登って来て届くのが見える様でした。
階段はちょうどいいぐらのスペースで、人で埋まっていました。偶然扉を出たらいい感じの演奏会をやっていて、階段があるのですから座りますよね。
確かにあそこは良い感じでした。

リンクを興味深く拝見。「谷の建築」っていうのを見て納得。
そういえばこんなの写しました。
http://mixi.jp/view_album_photo.pl?album_id=531422&number=3602656158&page=3
2006年11月18日
16:53
安斎利洋
>昔の京都駅は宮造り。火事で焼けた残りがあったのを薄く覚えているような

京都駅は、調和という観点からはまったくの駄作だと僕は思うんですが、でも調和を求めたものって、ろくなものにならない。逆説的に、好きです。
2006年11月18日
17:37
/phy
つまりポンピドゥー広場のような?
2006年11月18日
18:24
安斎利洋
ポンピドーの夢はみたことがありませんが、昔ポンピドーセンターでやっていた「la ville」という展覧会は、まさにイメージに食い込んできた都市の歴史というテーマで、すばらしかった。
2006年11月18日
21:01
大和田龍夫
安藤忠雄さんの建築が興味深い現象を示しているような気がしています。

司馬遼太郎記念館
http://www.shibazaidan.or.jp/03kentiku/index.html
大山崎山荘美術館新館
http://www.asahibeer-oyamazaki.com/history/structure02.html
恥を知るということのようなんですが、どうやら再開発されたビルにはその「恥」なるものがないような気がします。なんで新京都駅を私が好きなのかというのは、あの空間には「恥」が随所にあるからなんだなぁと思いました。

はい、安藤忠雄さんの兵庫県立美術館には恥が見られなくあまり好きになれません。でも、今思うに、随所にその「恥」があることを思いだました。
2006年11月18日
22:17
miyako/玉簾
>「恥」

大和田さん、祖母も母も繰り返し、
「昔の京都駅、どんなよかった。立派な宮造りで見事やったえー。」

と言っていて、火事以降改築された駅を恥じていました。
京都は「丁寧な木造建築が高級の基本」の街ですからねえ。古い文化に太刀打ちできるものってそうそうないしなあ。そういう意識って「諸刃の剣」なんですけどね。
そうそう、大山崎もなじみ深い所です。
あそこは何故か洋館がありましたねえ、あそこの駅だけ雪が振るのですよ。
JRに乗っていると、竹薮の中に突然出現する「昔のサントリーの工場のロゴ」も美しかったです。

そういえば、私の夢の中では「黄泉行きの路線」は大山崎なんですよ。あそこって、しんと恐くてきれいでミステリアスな場所です。
2006年11月19日
00:15
大和田龍夫
どんなものも目の前にないものは最高ですよね。
「春の雪」の聡子も、竹内結子でいいのか!?みたいな不満がくすぶってしまうわけで、、、。おっと、恥に似た字の子なんですねぇ。なんか縁を感じます。(笑)

京都は常に時代の最先端を心の中で蔑みを持ちつつ取り入れるということを繰り返した街だったのでしょうか?ともあれ、たかだか100年程度のことでじたばたしてはいけない街なんだと思いますので、新京都駅とか京都タワー程度でジタバタしないで欲しいと心の中で思ったりしています。(笑)

大山崎山荘美術館は今、アサヒビールが管理しているんですね。「酒は文化」なるものをちょっと感じた瞬間でした(2000年くらいに初めて詣でました)。
もう20年くらい前の話ですが、東北は熊襲の国だから文化水準が低いみたいなことを言っていた酒造会社がありましたが、以来どうしてもあの会社は好きになれません。

伝統を守るには「形」は大事なんですが、「心」を守るのはもっと大事で、それはやっぱり形と不可分なものなのでしょうか?
2006年11月19日
00:43
安斎利洋
>どうやら再開発されたビルにはその「恥」なるものがないような気がします。

「恥」というキーワードは、巧みですね。

二流のポルノ女優の裸みたいに、何一つ身につけてないのにどこもかしこも「パブリック」で、そそられない、というような。

そういえば、パブリックアートがたいていつまらないのも、「恥」がないからだ。

もうひとつ、プレステのゲームにも「恥」がない。やはり、電気メーカーが文化的コンテンツを作るのは、パブリックな皮膚を脱げないから無理なんだ。

そういえば、メディアアートにも「恥」がない。
2006年11月19日
03:29
イトカワ
そういえば、理工系の人間がつくる文化にはまるで美学がないって藤原新也が言ってました。。芝浦のほかほか亭が全国一の売り上げっていうのが笑えます。
2006年11月20日
02:56
安斎利洋
>芝浦のほかほか亭

これ、どういう関係があるか、何度読んでもわかんない。おしえてくれ!
2006年11月20日
03:49
イトカワ
あ、最近読んだ藤原新也の本に、芝浦ってとこは人工的な街で文化もない、芝浦のほかほか亭の売り上げが全国一てのがそれを物語ってますねって感じで書いてあって。この人、かなり極端な考えの人って思うけどほかほか亭の話がツボにはまってて。まったくのひとりごとですいません(・∀・;)
2006年11月20日
04:23
安斎利洋
なーーーるほど、そういう話か。
昔は、世界旅行をしながら各都市でマクドナルドを食ってる、とアメリカ人をバカにしましたが、食い物のフランチャイズ化は日本も負けないね。
文化のない街にチェーン店が入り込むのか、チェーン店が文化をつぶしてるのか、因果関係はわからないけれど。
チェーン店にお金を落とすのは、さびしいな。囚われているような気分。
2006年11月20日
23:39
大和田龍夫
チェーン店が微妙にミスコピーをしていくと文化の交流が図れておもしろいとことが生まれるのだと思います。
(百一匹目のサルは実は海を渡っていたという事実からすると)

コンビニって微妙にそんな感じで、
よろずやに回帰していた面白いと思っています。
(関西に3年住んで、戻ってきたらセブンイレブンの汚れていること汚れていること・・・・更に、案外お店が消えていたりして。ちなみに、奈良県のセブンイレブン一号店は2002年にできたと記憶しています)
2006年11月21日
00:13
安斎利洋
フランチャイズ店は、資金はあるけれどソフトウェアはない、という経営者が多いから、ミスコピーはたんにミスになってしまうわけだけれど、フランチャイズのメリットをちゃっかり利用するしたたかな経営者は、面白い店を作ったりしますね。
都内のBOOKOFFに僕が知る限りでは5店舗、ちゃんとした古書店ができる本屋が、BOOKOFFシステムを利用していい店にしています。

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