安斎利洋の日記全体に公開

2005年06月30日
12:23
 釈迦と十人の高弟
写真
左半分


写真
右半分


写真
全体像

池袋ジュンク堂の裏手にある。
 

コメント    

2005年06月30日
12:42
これはなかなか貴重で希有な十哲ですね。
2005年06月30日
12:45
海人
すばらしい。
2005年06月30日
13:01
ユミ
右半分は東方三博士の礼拝にもみえまする。
2005年06月30日
15:34
miyako/玉簾
すごい発見ですね。
きれいです。
安斎さんが描く絵のタッチに共通するテイストがありますね。
2005年06月30日
15:41
gilli
ゴルゴダの丘に向かうイエスと、ついてゆく使徒やマリアという感じも。
2005年06月30日
19:54
noriko
見る目の豊かさに・・・(*^_^*)
2005年06月30日
19:56
安斎利洋
できることなら、みなさんのメッセージを作者に伝えたいところですが、作者はコンクリートと雨水?

作者っていったいなんだろう。
2005年07月01日
01:55
あきら
すごい。目を留めるところがすごい。
切り出されなければ見落とすものです。
切り出された画像はイラク国民に見えました
2005年07月01日
14:17
う〜む。十一哲か十二哲にも見える。
2005年07月01日
14:18
安斎利洋
何人かは、スタッフってことで。
2005年07月02日
12:16
nazo
氷河期に遭って氷漬けになった裸婦(ヴィーナス)たちのように見えました。
2005年07月02日
14:33
ユミ
>作者っていったいなんだろう。

昨日読んでいた白洲正子と赤瀬川原平の対談の中で路上観察について赤瀬川さんがいっていた言葉が印象的。

「美術学校の生徒に立ちに課題出して報告させたんです。自分で作れるものじゃないからどれも同じだと思ってたんですが、いいもの、名品だけ見つけてくる人がいて。一方では、理屈は確かにトマソンだけど、なんかつまんないものばかり見つけてくる。発見にも才能があるんだなと思ってあれはショックだったな。。。。で、いいものはずっと見ていても飽きないんですよ。」

ま、ここから相手は白洲さんなので当然、骨董の方に話は流れるんですが、才能の伝統で言えば日本人は、もしくは全世界共通こどもは案外、日常的にこういった『眼の作者』やってるんじゃないでしょうか。。。
2005年07月02日
19:37
安斎利洋
大事なところなので押さえておきますが、星座作用はトマソンではありません。
2005年07月03日
01:49
ユミ
トマソンと星座作用が違うと言うのは解ってます。
でも、発見の才能というところでリンクするのではないかと思ったのです。
これもハズレですか?
2005年07月03日
02:39
安斎利洋
ハズレです。星座作用をトマソンと結びつけるのは非常に悪い誤解のもとになるので、たとえどこか共通点があっても、「ぜんぜん違う」と言い続けることに、僕は決めたのでした。

星座作用の妙味は、すごいものを見つけることじゃなくて、たとえすごくないものでも、それをぼーっと眺めながら、なにか脳の中にすごいフォーカスがないかサーチする作業の面白さです。

これは、路上観察とはまったく違う。つまらない喩えかもしれないけれど、トマソンは社会学的観察で、星座作用は認知科学的な観察です。

路上観察の対象は社会的な表象で、なにか矛盾が噴出した空間があるという脳内地図をたよりに街をさまよいます。これは骨董を探すのと似ています。

星座作用散歩は、むしろ頭の中の形態データベースと、いま成長している木のコンテキストを地図にします。骨董を探すというより、いかさまの贋作作りに近い。

トマソンはいつか飽きるけれど、星座作用は連句のように息の長い創作スタイルを作ると思う。星座作用は、見ることじゃなくて描くことに近いし、絵そのものの訓練にもなります。

2005年07月03日
02:44
安斎利洋
>氷河期に遭って氷漬けになった裸婦

いいですね、そのイメージ。

星座作用の次期セッションは、タイトルをほかの人がつけかえる面白さを狙ってみようかな。人によって、見えるものが違うというのは、星座作用の本質に関係しています。
2005年07月03日
03:25
素人意見、ご免。
トマソンは色々な形からわき起こる整合性やその理由を生物進化学的に理解した。
この星座作用は、むしろそれとは逆で色々な形からわき起こるイメージを言葉でさらに進化創造した。
やっぱり、ゴーギャンとゴッホの融合だ。絶対。
2005年07月03日
03:26
miyako/玉簾
>タイトルをほかの人がつけかえる面白さ

俳句の場合、もともと自句自解は無粋とされ、勉強会などを除いては、自分の句の意味を説明しません。
そもそも17文字なので、何かを具体的に説明するには無理がありますし、はっきりした事は作者以外には解らない。
解釈は人に委ねますので一句からいろいろな解釈が生まれます。鑑賞というもののメインは、句をきっかけに鑑賞する側の着眼点とイマジネーションを楽しむ事なのでしょう。

人が書いた私の句の鑑賞文を読むと、人がどのように自分の作品を解釈しているかを知る面白さがあります。
全く違う意味に捕らえている人もいますが、自分が気付かなかった表現の癖や潜在意識で眠っていたものが引き出される事があって、それはとてもスリリングで楽しい。

そういう例に照らし合わせて考えると、星座作用で人の作品にタイトルをつけてみるのは面白いかもしれない。タイトルをつける側も、つけられる側も、いつも使わない感覚を使って考える楽しさがあるのではないかと思います。
2005年07月03日
04:06
>星座作用で人の作品にタイトルをつけてみるのは面白いかもしれない。
これ賛成!

この42番でhachicoojunさまの絵にタイトルを付けるのはとても楽しかったですから。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&id=1223771
2005年07月03日
08:38
ユミ
眺めてるだけの星座作用じゃまだまだ、理解不十分というとこですね。参加したかった。。。
2005年07月03日
10:58
安斎利洋
・基本的に、自分でタイトルをつける。

・それに替わるタイトルを、他のメンバーが投稿できるようにする。

・はじめから代替タイトルを期待して「無題」で投稿することができる。

という仕組みでどうでしょう。
2005年07月03日
11:11
投稿した人の名前は書きますか?
それとも伏せておきますか?
2005年07月03日
11:37
安斎利洋
僕は記名だと思います。写真は撮ってこないけれど、言葉でイメージを拡大する題名作家、とか出てくるわけですよ。
2005年07月03日
12:39
今のカンブリアン・システムに取り入れたいですね。
でも、それをするには既にデーター量が多すぎますかね。
2005年07月03日
17:14
gilli
玉簾さんとのトマソンとの違いのやりとりのあたりから、
あまりにもいろいろとGakkanで悩んだこととか、ぐるぐると思いがめぐり、しびれたようにフリーズしておりました。

あるアートの新しいコンセプトを考えた時に似て非なるものとの差異を説明し切ることは不可欠なことなのですが、
なかなかそれは難しいことなので、私は苦慮するばかりでしたが、
安斎さんの説明はわかりやすかったです。
私は原平さんを尊敬してますが、トマソンはトマソンで好きではありますが、トマソンは結局みんなで参加したとしても、原平さんのものであり、原平さんの文章が説明してくれないと成立しないようなところがありますよね。一方星座作用はちゃんとそれぞれの人に帰属するものという感じがする。

それでは後半の人のものに別の題名をつける場合はと言うと、
星座作用 デュシャン『泉』の段という感じだろうか。


2005年07月04日
12:30
中村理恵子
[・・]

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