安斎利洋の日記全体に公開

2006年10月07日
02:13
 相対性絵画
兼業画学生びすけっとさんが、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=236371102&owner_id=79891
色を消して絵を描く、言い換えると色空間を一次元に拘束して絵を描くといいんじゃないという話をしているんだけれど、僕は、この話はひとつだけ「ひねり」が足りないと思う。言い換えると、ひとつ「ひねり」を加えれば、美術の根幹に触れるんじゃないかと思う。「ひねり」というのは、数学的な意味で。

色彩を消しても絵になる、という考え方には、世界は白黒の陰影画像に着彩されたものである、という世界感が横たわっている。古典絵画の世界感は、まず形があり、その中に陰影があり、そのうえに色彩がある、という属性の階層構造をしている。これを形、陰影、色彩の3次元と考える。

それに異を唱えたのが印象派で、ここで古典的な絵を古典力学にたとえるなら、印象派の絵というのは相対性理論のようなもの。形、陰影、色彩をローレンツ変換すれば、明度が回転して色彩になったり、色彩が回転して形になったりする。

するとキュビズムなどは空間と時間の変換の問題としてあらわれてくるし、まだ誰もやっていない変換がいくらでもありうる。僕は発想を広げようとするときにそういう考え方をよくしていて、カンブリアンは影響のネットワークを空間に変換した絵画だ、という考えから出発する。

びすけっとさんは、理詰めで絵を描いていってもいつか感覚の限界がある、と考えているようだけれど、そんな限界は幻想に過ぎなくて、まだまだびすけっと流絵画道には「ひねり」の未踏領域があるように思う。

いったいこの画家は、どうなってしまうのか。
 

コメント    

2006年10月07日
04:24
木村健一
誰もやっていない「変換!」が一番面白いところ。
つよく共感します。
2006年10月07日
07:36
Archaic
>カンブリアンは影響のネットワークを空間に変換した絵画だ、という考えから出発する。

そういうことだったのですか、と今頃この言葉で少しだけ近づけた気分になる私です。
2006年10月07日
08:31
びすけっと
やっぱり,バレていたんですね.
いくつか思いついたんですけど,先人のことを知らないのと,
自分の技術が追いつかないのとで,秘密にしてます.

印象派とキュビズムの説明,ありがとうございました.
クリアになりました.
2006年10月07日
09:58
みまぞう
変換する、というのは視点を変えるということばで述べられることもおおいのではないかと思います。それはともかく、

N次元空間が前にあって、2次元空間の射影を作るのことは簡単なのだけど、クリエーターがやろうとしているのは、2次元に落とされた射影だけをみて2+α次元の空間をつくること。

こういうことをすると、α次元の部分は、なんとなくあるいは否応なく、作者の生活がにじみ出てくるようなきがするのが面白いのかなと思います。

印象派はビジネス上で対立する写真屋の技術がが色を出すことに劣っていたから、色を追求することで対抗していたなんて面があるのかなあ?なんて考えたりもして...。
2006年10月07日
10:35
びすけっと
とすると,CGに対抗するにはどこを狙うんでしょうね.
やっぱりアナログ感かなぁ.
2006年10月07日
11:08
中村理恵子
>理詰めで絵を描いていってもいつか感覚の限界がある、

その先、感覚の論理ってところまでいきましょうよ。
それを「もうひとひねり」と解してもいいけど、
ふふふ、もうちょっと思い切っちゃってさ。
飛ぶ?(笑)
2006年10月07日
13:45
安斎利洋
視点を変えるというのは、同じ次元のなかでの異なるひねりだと思うんだけど、新しい次元を見つけるのが実は大変。あたらしい次元が見つかると、たくさんの追従者がしらみつぶしに可能な変換をかけはじめて、それが新思潮として確立する。誰も気づかなかった次元を拡張する始めてのきっかけを見つけることこそ、偉大なんだと思います。

これはもしかすると、感性の問題かもしれません。いままで絵の感性っていうと、野生的なカンのような意味合いで使われているけれど、本当はこの新しい次元を見つける天下り的な直感のことだと思うんですよ。だからホンモノの絵の才能と、ホンモノの科学の才能の正体は同じです。

CGは、基本的に古典絵画の世界感でライブラリが出来上がっているから、CG自身が自分の文法で現代絵画の系統発生を繰り返す、という筋書きはまだ未踏。ここには可能性があります。
2006年10月07日
18:25
木村健一
凄みあり。
2006年10月08日
07:34
みまぞう
次元の違う世界というなら、「意識」を意識するということか?鋭利でデンジャラスな香りが馥郁と漂うな...。
2006年10月08日
09:41
木村健一
系統発生かア。実におもしろいなあ。これは。
2006年10月08日
09:51
nao
Hiroさん、安斎さんの「縛られると燃える」日記から
びすけっとさんの「点描」の日記へおじゃまして、
そこから「色相環」に飛び込んで。
そしてこの日記に還ってきました^^!

おもしろいお話が続いていますね。
 鳥肌たちます。(←感激の)

>いままで絵の感性っていうと、野生的なカンのような意味合
>いで使われているけれど、本当はこの新しい次元を見つける
>天下り的な直感のことだと思うんですよ。だからホンモノの
>絵の才能と、ホンモノの科学の才能の正体は同じです。

わたしは、このことをまだ自分の言葉でうまく言えないんです
けど...  この言葉にすごく共感です!

わたしは、絵も描かないし、科学者でもないけど...。

世の中にある、ホンモノのすばらしいものは、この「天下り的
な直感」から生まれているような気がしているのですが...。
2006年10月08日
15:33
安斎利洋
>「意識」を意識するということか

芸術の本質はメタ意識なんでしょうね。

さっきニュースで「41の世界記録を保持している世界記録の保持数が世界一の男」というメタな話をやっていました。その記録というのが、水をはったバケツから浮いたリンゴを口で外に出す記録とか、一定時間で何匹のキングコブラにキスをするか、とかで、要するに自分でいくらでも次元を作リ出して、次元の数が次元になっている。
2006年10月08日
15:38
安斎利洋
>この「天下り的
>な直感」から生まれているような気がしているのですが...。

もうちょっと考えを精密に言うと、帰納と演繹をどう行き来するか、天下りと天上がりをどう繰り返すか、という技法が「天才」の正体ではないか、と予測しています。

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