安斎利洋の日記
2006年10月06日
02:24
メディア芸術は番外から
おめでとうカンブリアンゲーム!
のトピックを連画コミュニティに書きました。
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6
外部に権威を作るモデルから、権威が自己組織化するモデルへ。選ばれ方が、いかにもカンブリアンらしいね。
コメント
2006年10月06日
05:13
N_apostrophe
自己評価を内部から立ち上げて権威化すること
面白いですね
近代的視点(外部権威評価)から観れば「お手盛り」とか「セクト的」(懐かしい語彙でした)とか言われるでしょうが、
自己評価こそ最も厳しい、価値ある評価です。
おめでとう
(今日の授業で、カンブリアンゲームの手法を映像を使ったコミュニケーションのウオームアップに使わせてもらいました。学生たちは盛り上がってたけど、ウオームアップで体力使い切っていた。やれやれ)
2006年10月06日
08:15
中村理恵子
>おめでとうカンブリアンゲーム!
という安斎さんの姿をみて、
自分も愉快愉快と手を打ち合わせながら、
どんどんますますカンブリアンが解らなくなってきた(笑)。
いい兆候だと思ってますよ。
2006年10月06日
12:16
さかい7/15伊勢崎Live
既存の権威との対峙のあり方が、とても愉快ですね。
「軍隊には群体で立ち向かえ!」といった感じでしょうか(笑)。
おめでとうございます!
2006年10月06日
22:11
安斎利洋
「外部権威評価」が、いかに根拠のないシステムかというのは、案外簡単に暴くことができます。でも、内側から作られたシステムも同じことで、無根拠な自己言及だということを自覚しないといけませんね。
カンブリアンもsectとして閉じてはいけませんね。
ますますなんだかわからなくならないとね。
2006年10月07日
06:12
N_apostrophe
閉じることについては近代化の弊害を考える時に時として必要だと考えるようになりました。
近代化された企業がその利益追求(「国際競争力」と自称していますが)のために近代化とは異なったシステムで動いている地域に出掛けて労働を搾取すること、それによってその社会のシステムを破壊すること、そして再び外部移転することで流民を作り出すことへの批判からです。
「鎖国せよ」と言う人さえ出ていますが、これは「国」という単位で行うものではないと考えています。「国」とはすでにグローバル化だからです。ナショナルもインターナショナルも同根と酒井が書いていました。
カンブリアンはローカルの組み替えなのではないでしょうか?
この主題について日記でも考えてみます。
2006年10月07日
17:14
>今日の授業で、カンブリアンゲームの手法を映像を使ったコミュニケーションのウオームアップ
そっかー。
今私の授業でも、概念のしりとりとして、カンブリアンのサイトを見せて、このようにイメージをリレーしてゆくのだというのをやってるのですけど、うまく伝わらないのです。
『コミニュケーション』のほうに、ウェイトを入れて説明すれば良かったかなー。
2006年10月07日
23:04
Taro
おめでとうございます。
音の樹の端っこに参加させてもらってる俺も、なんだか嬉しいです。
そして、この楽しいカンブリアンの場に、ありがとうございます。
2006年10月08日
01:28
安斎利洋
局所的であるということは、相互作用するものが常に見渡せる範囲にあり、メッセージを発するものにメッセージを送ることができる、ということだと考えます。だから、カンブリアンで大事なのは、マップなんでしょう。
そういう意味で、国家はなんらローカルではないし、逆にローカルは空間や国境とは関係なく、立ち現れると思う。
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