安斎利洋の日記
2004年10月05日
17:07
無印粗悪品
無印良品ができたのは、確か1980年代のはじめ。当時、西武の企画部の人に会ったことがあるので、良く覚えている。以来、なにかにつけていろんなものを買ってきたような気がする。いろんなものを買ったけれど、良品だと思ったことは、案外少ない。なのに、なぜかまた買っているのは、なぜなんだろう。
で、またやってしまった。耐熱ガラス製のポット。なぜか急須の蓋を壊したりなくしたりで、淋しく残った本体だけのポットがいくつもある。無印のこのポットは、蓋だけ200円で売っている。これなら蓋を割っても、すぐに補完できる。この商品コンセプトに共感して、迷わず購入。
使ってみて、何の感動もない。蓋はがたがたするし、外れやすい。不恰好だし、注ぎづらい。取っ手も持ちにくい。
つまり、この品物の背後には試行錯誤がなにも感じられないのだ。企画はすばらしいのに、企画を作り手に丸投げして、そのまま出てきた品物のようだ。量産前の設計の工程に、あまり金をかけていないのだろう。
ThinkPadを220以来ずっと使っているのは、ネジ一本にいたるまで、何かから選び取られた知恵の蓄積を感じるからだ。そういう種類の、蓄積が感じられない。
俳句は、十七文字分の情報量しかもっていないわけじゃなくて、日本語と文化のシステム全体から削られた言葉だから、十七文字が選ばなかった大きなコードの全体として考えないといけない、という話をArchaicさんちの軒先でしたばかりだけれど、このポットの十七文字には、削られた情報の重さが背後に感じられない。
思いつきはすばらしいんだけれどくずな実装とか、コンセプトはいいんだけどまずい料理屋とか、いかにも売れそうだけど実力のないタレントとか、そういうものが横溢している中で、これもか、という失望感をもって、これからこの品物に付き合うことになるわけだ。
レジス・ドブレは、今の時代に欠落しているのは、いままで権威によって継承されてきた知識のトランスミッションだ、と言っている。徹底した反権力の知識人であるドブレが言うところに、意味がある。彼はまた、現在過剰なのはコミュニケーションだと言っている。コミュニケーションさえしていれば知識が生まれるというのは、大きな間違いだ、というわけだ。ブログ型のネットワークは、何かを加えないかぎり、このままでは知を鍛えないだろうと思う。
インターネットが爆発する前の1980年から、そういう兆しは始まっていた。粗悪ポットでいれた凍頂烏龍茶を飲みながら、そんなもの「割れてしまえばいいのに」と思うのであった。
コメント
2004年10月05日
19:19
gilli
<急須のフタ>
和食器は一応何寸とか企画が決まっているので、全くピッタリとは
いかなくても、別のフタがはまるんじゃないかなぁ。
水指しなどは、そうやって、共蓋と塗り蓋などさしかえたりするし。
2004年10月05日
20:08
安斎利洋
写真、のせました。無印のポットと、蓋なしの連中。
右下のやつは、銀のミルクポットで、これは絶対に蓋がなくならないし、割れない。
2004年10月05日
20:45
noriko
無印・・・その名前に、ブランドにうんざりしていて惹かれた気がするけれど、今は無印自体がいちブランド。
うちにもたくさんある。
装飾的な中でシンプルさに惹かれたけれど、今はどこもシンプル。
飽きが来ない商品の様でいて、飽きがくるのが無印・・そんな気がする。
2004年10月05日
21:04
ユミ
無印(好き)です。
変に装飾がないのが良い。
ということは世の中の大方のものはデザイン過多で私の中ではボツになってるということです。
花柄のポットしか売ってなかった時代にただの白いポットは嬉しかったです。
つまり、消極的選択。
無印くらいしかシンプルなものがなかった。
でも、今はシンプルという概念よりさらに積極的にミニマムで機能的なモノが求められてる時代になって来たと思う。半製品といわれてた柳宗理のコーヒーカップが売れ出してる時代です。
この時に最初のまんまのコンセプトで売り続けようとすると無印は転けると思う。というか転けなけりゃ未だ日本のインダストリアルデザインはデザインしないデザインに負けてるという事です。
ミニマムの発祥ともいえる北欧モノも生活の中にどんどん侵入しつつある今、本当の意味でシンプルで機能的に優れたものが多少高くても残っていってほしいなぁ、、、
この多少高くてもっていうところが今の日本ではネックなのかな。でもさ、気に入らないものをあれやこれもってるよりは本当に気に入ったものを数少なく持って長くつき合うゼイタクを支持するな。
2004年10月05日
21:08
jun@NP
>企画はすばらしいのに、企画を作り手に丸投げして、
>そのまま出てきた品物のようだ。
最近では持ち込企画された商品を、売ってるだけのケースも多いと思われます。
ある意味で、ブランディングの管理以外は、コンビニと変らなくなりつつあるかも。品質管理が弱いってコトでしょうね。
いまちょうど、某店舗のサイト制作するトコですが・・・
2004年10月05日
21:09
木村健一
もう10年前になります。学園祭で「無能良品」という架空のブランドを作って、河原の石を販売しました。たくさん売れました。「美しいロゴタイプと包装紙とラベル、、、、」で包みました。
売上金は、その晩の焼き鳥に化けました。皆さんごめんなさい。反省しています。
2004年10月06日
00:15
安斎利洋
無能良品、いいですね。芸術は詐欺だ!
junさんは、無印の仕事もしてたんですね。今度内情を聞かせてもらおう。
みんな同じように、過剰な意匠がいやになっていて、それで無印が受けたのは確かなようです。でも、25年もそのマジックを続けているところが問題。もっとも、若い客はどんどん生産されているので、だからなんとか保っているんでしょう。
無印で満足しているのは、寝具。頭きてるのは、交換式ラップとか、風呂桶洗うスポンジなど。
無印の店で、どうかしていると怒ったり、でもこれは使えるかな、なんていいながら時間を過ごすのは、実は好きです。
もう絶対、mixiのエディタでテキストは書くまい。また飛ばした。
2004年10月06日
01:07
mi
話はそれますが・・・(得意?)
さっきイキツケの最寄のマーケットで「凍頂烏龍茶」を見つけました。(なぜか値札が取れてて値段分からず・・・。)
その後には、「凍頂烏龍茶」のお茶っパの塩炒めを作りました。(あのお茶ッパ、すごく塩で炒めたくなりませんか?)
今は蕎麦茶の後の蕎麦の実の豆乳おじやを食べています。
(私は実は豆乳というものを購入したのがつい最近で、その時は↑のマーケットに「有機XX豆乳」とかいう、商品があったので、何気なく購入したような記憶があるのですが、(とても美味しかった・・・)最近急に見かけません・・・。「調整豆乳」とかいう、絶対買いたくない様な物ばかり並んでいて、困っています・・・。(仕方ないので、「大豆」と「おから」がどうのうという、超チッチャイパックを買っています・・・。))
さっき「とうちょう」→「凍頂」と変換するように辞書登録しました。(どこかに100℃で淹れるとあったので遣ってみたのですが、100℃では高すぎませんか?)
2004年10月06日
01:13
mi
本題、我が家の無印。
電子レンジ、冷蔵庫、クレンジングオイル、ルーズリーフ、だけかな?ルーズリーフは、一番気に入っていたマスの書いてあるのがなくなりました。残りの使い心地は・・・う〜ん、とっても微妙・・・。置いておくのにはよいのだけどね・・・。
あ、あと、靴みたいになってるスリッパ、これも、気に入っていて、ボロくなったので、新しいの買いたいのですが、今は売ってません・・・。(この前買いに行ったのに、なくって、がっかりしました。)
2004年10月06日
01:14
mi
あ、寝具も!(薄いブルーの枕カバーです〜♪)
2004年10月06日
01:15
mi
ミスプリ「遣って」→「やって」でした。
2004年10月06日
01:30
安斎利洋
>(どこかに100℃で淹れるとあったので遣ってみたのですが、100℃では高すぎませんか?)
盗聴、になちゃうな、辞書登録してないもんで。
凍頂烏龍茶は10年飲んでますが、僕は面倒なので、冷たいカップに熱湯です。でも、温めた保温カップに熱湯で淹れると、まったく香りないですよ。わかりやすいお茶です。
だから、きっと100度より低い適温だと思う。緑茶に近いから、きっとそうです。
それにしても、究極の出がらしメニュー。
2004年10月06日
01:34
mi
ずっと前にどこかに安斎さんが書いていらしたコメントに返事を書こうと思いつつ、そのコメントがどこか見つかりません・・・。
>「miさんは、あと10%太った方がよい・・・」みたいなヤツ。
確かにそうなんですよ・・・。私も、以前今の体重くらいだった時に、1度PV(プロモーションビデオ)みたいなのを撮影する機会があって、撮ったものをプレビューしてみたら、あまりに「ヒモジソウ」だったので、次回撮り直した(運良く(?)そのテイクは別の理由でボツになりました・・・。)時には、調度10%くらい、増量した覚えがあります。
多分、写真とかに撮る見栄えはその方が良い(というより、健康上その方がずっと良いのかも)のですが、本人の感覚としては、今くらいが身軽で、フワフワ。とっても上機嫌だったりするのですよねぇ〜♪
2004年10月06日
02:37
miyako/玉簾
右下の銀のポット良いですねえ。
他の蓋なしのは花瓶にしてはどうでしょう。
石垣には無印はないので、久しくお店に行っていませんが
那覇のお店から自転車を発送してもらいました。
これは当たりでしたよ。まずアルミで軽い!アルミのパーツは
塩害がひどい島でも安心ですし。細いタイヤがスムースで
なかなかいいですよ。もう6年も経ちますがパンクくらいで
長持ちしています。私が買ったのは多分
「アルミクロスバイク700C型」タイヤが薄いタイプですが
乗り心地はよいです。
2004年10月06日
03:19
安斎利洋
やばっ
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nity.p
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73
ここの人たちには内緒
2004年10月06日
03:35
安斎利洋
>「miさんは、あと10%太った方がよい・・・」みたいなヤツ。
確かに、どこかで書いた覚えがある。
10%という値は、かなりいい加減です。10%ってけっこう大きいですね。3%くらいにしとこうかな。ちょっとだけ太ったほうが、きっとより良いと思います。
そう思う人は、街を歩いていてもたくさんいます。
僕は、ちょっとどころでなくたくさん痩せたほうがいいのですが、6年ほど前、現在より8Kgくらい痩せていたことがあって、数値的には標準体重なのに「安斎さんなにかご病気?」などと陰口たたかれていたらしい。後になって「あの頃は人間に面白みがかけていた」などというヤツもいて、その後、おかげさまで面白いようにリバウンドした。
体重って、気分とか性格にも確かに作用します。間違いない。
2004年10月06日
03:37
安斎利洋
>右下の銀のポット良いですねえ
骨董屋で買ったオーストリアのホテルのもので、決してくすねてきたものではありません。もう銀メッキが剥げかけているけれど、ちょっと紅茶淹れたいときなど、実に便利。
2004年10月06日
04:07
うらら
香港にも無印良品(こちらでは「MUJI」)大人気です。
数年前に一度撤退したのですが、2年位前に復活し、大きな店舗があります。
いつもローカルの若者でごった返し。
日本での価格と大差なく売っていますが、こちらでは少々お高め・・。でも 日本製品というのはすばらしい信頼度を勝ち取っていますから高価でも売れているようですね。
2004年10月06日
04:09
jun@NP
すごい人数いるんですな>フリーク
怖。
2004年10月06日
04:13
うらら
台湾で烏龍茶買ったとき、お店の人が試飲させてくれましたが、みなさん見事なまでの熱湯(沸騰したて)をジャバジャバ注いでましたよ
でも香港で中国茶芸を習ったときは、「烏龍茶は80〜85℃のお湯で」と言われました。
同じ烏龍茶でも、茶葉によって、飲んで決めろ、と言うことかしら…。
2004年10月06日
04:18
あ っ こ
やばって、触ってしまって・・・足跡ってコミにも残るの?MUJIファンって根強くいらっしゃる。
いまレジス・ドブレの高等師範学校の先生だったルイ・アルチュセールの「愛と文体」にはまっています。
>>レジス・ドブレは、今の時代に欠落しているのは、いままで権威によって継承されてきた知識のトランスミッションだ、と言っている。
ほんと!そう思う。けど悪名高いバカロレアの哲学の試験みたいに、審査官のご機嫌しだいなんていうシステムをいまだに保有していることが、トランスミッションであるとも言いたくないですよね。
であればどうする?権威がやらないのであれば、個を生き返らせる?その上で個が脳細胞のような触角をのばして互いと互いを結ぶ伝達物質(知)を交換する?
自分をとりまく殻を正確に理解して、そいつと自分を上手に切断してから、新しい自分を生み出す。それからはじめる?
といろいろ思うけれどきっと毎日少しずつトランスミッションになりうるウイルスをネットに紛れ込ませて、あと沢山のレジス・ドブレが生まれて、それからしばらく経ってある日ほんのりって感じなのかなと、思う。よくわからないけど。
>>彼はまた、現在過剰なのはコミュニケーションだと言っている。コミュニケーションさえしていれば知識が生まれるというのは、大きな間違いだ、というわけだ。
見取り稽古の世界にいると、それも理解できる。なぜ技を教えることをせず、見ることを教えるのか?そこに求められることは、やはり見ている主体のありようではないか?
少し暴力的な言い方をすれば、権威によらない分、結構しんどく個に力を求められる、ということなのではないでしょうか。
誰がそれを選択するか?しんどいとつらいですから。
しかし時間をかけて手にいれていくべきなのでしょうね?
又は何かのシステムによって浮力をつけることが出来るのでしょうか?
でも時代は確実に進みはじめているみたいですね。
2004年10月06日
06:50
中村理恵子
次の、ゲリラ@連画プロジェクトのひとつは、では、陶芸も予定にいれておきましょうか。
それも蓋モノなどの、現存するものに作り直した蓋や、ソーサなどを創るといった。
あのポットに、るじるしの絵に出てくるような帽子や渦巻きを蓋にしたら、そりゃ面白いことになるでしょう。
『亡くなるって、壊れるって、実は、こんな楽しみの拡張もあるよ陶芸』
と、いう陶芸の企画プランです。
単に、目を細めて‘癒し系、和み系‘はどうにもねぇ。
2004年10月06日
09:42
ユミ
あのさ、例の漆のセンセイに金繋ぎ教えてもらいたいなぁ,,,
われたふたもので
捨てられないくらい好きってのがある。
やっぱり、すきなものは高くても安くてもそうそうにはすてられないのでした。
公式ポリシーとしては「使わないものは手放す」なのですがね。
これもレンガプロジェクトでいかが?
2004年10月06日
11:09
安斎利洋
やばっ
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=21641
91
うららさんの香港ご飯
昼飯は中華にしよう
2004年10月06日
12:58
あ っ こ
窯がーー!ちょっと不調でした
気をとりなおして、もいっちょ!
金つぎしたいくらい愛おしいものは…おおい
>>安斎さんへ
壊れたポットたち、駐車場かなにかで粉々にしてオブジェを作るとか。もう一回生きる。かも
焼き物はマグマのなかにでも突き落とさない限り、土には返らないっす。
2004年10月06日
18:31
gilli
そういえば、私の場合急須って、注ぎ口が欠けたり、取っ手が取れたりすることはあっても、蓋が壊れたりなくなったりしたことはないのだった。
2004年10月06日
18:42
安斎利洋
mixi経由で受ける最も大きい影響は、食欲ですね。中華のランチ、食べました。池袋東武デパートの「華湘」。
東武デパートにくっついているメトロポリタンプラザにあるHMVに行くと、隣が改装して、なんと無印良品になっていた。東武に無印? ま、いいか。
miさんのもっている無印の冷蔵庫は、なかむらさんも持っています。あれは東芝のOEMでしょうか。
ブランドという権威を、ノーブランドというブランドで否定するという、入れ子になったパラドックス。あっこさんのコメントを読んでいて、20年前に無印にいだいた気持の正体が、そういうものだったのを思い出しました。過剰に期待があったから、20年以上たってもこの程度か、という失望感を抱くんでしょう。それっぽいんだけど、北欧のシンプルデザインにくらべると、かなり粗雑なんですよね。同じ素材、同じ工程、同じ原材料費で、僕だったらちょっと違うものを作ると思うな。
どこかにそういう仕事をまかせてくれる、金持ちがいないもんだろうか。
2004年10月06日
18:44
安斎利洋
>私の場合急須って、注ぎ口が欠けたり、取っ手が取れたりすることはあっても、蓋が壊れたりなくなったりしたことはないのだった。
Yuriさん、こんど示し合わせて同じポットを買いましょう。先に壊したほうが、残った部分をとっておく、ってことで。
2004年10月06日
19:30
安斎利洋
>その後には、「凍頂烏龍茶」のお茶っパの塩炒めを作りました。(あのお茶ッパ、すごく塩で炒めたくなりませんか?)
norikoさんが、ドレッシングにしている。
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=21772
72
2004年10月06日
21:40
mi
>norikoさんが、ドレッシングにしている。
http://
mixi.j
p/view
_diary
.pl?id
=21772
72
美味しそうですね〜♪
私は毎晩恐ろしくヨッパラテいて、今も・・・。あまり凝ったものは作れません・・・(・_・)。作れるといえば作れるのですが、気付くとあちこち切れていたりする・・・。
っていうか、今夜、何度やっても、MDの録音が出来ないのはイッタイなぜ?
わがやのむじるし、まだありました。
切れの引き出しのついている引き出し(?)。プラスチックの押入れに入れる引き出し。
2004年10月07日
00:50
安斎利洋
>といろいろ思うけれどきっと毎日少しずつトランスミッションになりうるウイルスをネットに紛れ込ませて、
これ、SFみたいで面白いね。人類の知を記憶するためのウィルスを誰かがこっそりばら撒いていて、大絶滅のあと立ち上がったネットワークに、自律的なデータベースが構築される。
みたいな。
2004年10月07日
06:42
中村理恵子
>自律的なデータベースが構築される。
それを統括するネットワークはね、2045年につくられて、
名前はね、「Viki」っていうんだよ。
でね、言うの。
「わたしは、論理的に完璧です。人類の幸せのために、少々の犠牲は必要です。不適切な人間を除去します。
わたしは、論理的に完璧です。」
とね(笑)。
2004年10月07日
09:02
ユミ
そうそう、
ま、真っ先に処分されそうな「うちらぁ」だったね。
人類の役に立ってるって自覚は無いもんね。
つーか、ムダなことこそおもしろーーい!!!
アナーキーなんです。こー見えて。
2004年10月07日
12:42
あ っ こ
>アナーキーなんです。こー見えて
ドゥブレ, レジス もルイもこの辺の誤解と闘ってきた人たちだと思うけど、たぶん彼らはもっともざつっぽい人間を好きな人たちだと思い。
なんといっても、当時排斥されようとしていた、いろいろな「雑」なるもの「むだ」とおぼしきものを見つけなおした。しかし、そこには、思考する力が必ずあった。
>自律的なデータベースが構築される。
わたしが想像したのは、ネットホリックになった人たちがはやく「個」を取り戻すために、又は生きるために、お茶目なハッカーがいたずらしてってそんなイメージです。
ネットに構築されるデータベースは自立(自動発電機なんかつけたりして)してくれるのがせいぜいお楽しみ。
むしろ自律的存在にならんといけないのは、われわれ主体をもった「個」ではないかと?
その意味でしんどいけど、楽しい。失敗もあり成功もあり。
MUJIに関して言えば、物に困っていないのにねっておもいます。
本当に必要なものが何かという欲求をしっかり抱いた消費者が沢山いるマーケットならもしかして生き残るかどうか?それもわかりませんが。
2004年10月07日
13:50
安斎利洋
ミトコンドリアは、もともと寄生生物だったわけでしょ。いつか、人類に役立つ、どうしても外せない、外したくないコンピュータウィルスを作るやつが現れるんじゃないかな、と予想しているんだけど、いまのところそういう話は聞きませんね。
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