安斎利洋の日記全体に公開

2006年09月06日
22:40
 色盲の民族
一人残らず色盲の民族があったとしたらそこに色盲はないし、一人残らず盲人の民族には盲人はいない。ゲーテの色彩論に刺激を受けた最晩年のウィトゲンシュタインは、色彩に関する考察を重ねていて、「色彩について」という本にまとめられているが、色盲の民族という思考実験もそこで繰り広げられている。

色盲は障害だといわれているけれど、決して内発的に生じた困難ではなく、他人との比較の中で生まれる障害であることが明らかになる。色盲には、生理的な根拠はなく、言語ゲームの中で生まれる。これは、僕らの常識的な感覚に楔を打ち込んでくる。

だから、紫外線が見える「仮想健康」を想定すれば、僕らはすべて紫外線の見えない色盲であると言うこともできる。

色盲は痛くも辛くもないから、「病」の範疇じゃないのかもしれない。しかし、痛かったり辛かったりする病だって、まったく同じことだ。生物はすべて、死ぬという障害を、「仮想不死身」ゲームの中で負わされるのだと考えることができる。

僕の祖母は、父方も母方も老衰で自然に死んでいったが、もうちょっと延命できる可能性を想定すれば、病死だった。

クリプキのパラドックスをここにあてはめると、僕らは別の仮想健康を発明すれば、どんな病になることもできる。逆に健康を想定しなければ、僕らは誰もが病から解放されることになる。
 

コメント    

2006年09月06日
22:53
安斎利洋
以上、友人の師が死んでいく過程を考えながら。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=212969231&owner_id=64544

それから、nazoさんのブログも。
http://blog.goo.ne.jp/hemingway5/e/753858705b9a660c3db8cf3aa9ee0d12
2006年09月07日
02:23
病とはQuality Controlが機能不全になっていることを示すでしょうから、何に対するQualityなのかが最も問題となりましょう。
ある基準では病に分類すべきとされても、他の基準では病とは言えない。
足が3本、指が6本あったほうが便利かも知れない。
おまけに空を飛べれば、なお良い。

それを進化と位置づけるかどうか。
進化と断言する勇気を持てるかどうかとも言えましょう。
2006年09月07日
03:09
安斎利洋
yfujiさんのようにメタな思考ができる医師や医学者は、そんなに多くないんじゃないか、と想像します。医学そのものが言語ゲームだから、病という敵の姿は自明なんじゃないか。人が苦しんでいて、改善の方法が見つかるものは病である、というような。
2006年09月07日
03:09
tekusuke
病を病たらしめている要因は身体の外部にこそある、ということかもしれませんね。

開業医を営んでいる兄に以前「でも医学は結局統計学に依存しているよね」と言ったら、「医学とはそういうものだ、がそれを否定するのは相当の勇気がいるぞ」と反論されたのを思い出しました。
2006年09月07日
03:17
安斎利洋
全員が遺伝的に貧血、という民族はあるそうですね。貧血でないと、マラリアに感染して死んでしまう。

>がそれを否定するのは相当の勇気がいるぞ

全員が医学という名の貧血なのかもしれません。
2006年09月07日
12:58
はらこ
>全員が遺伝的に貧血

鎌形赤血球のことですね。

温暖化の影響で日本でも将来マラリアが流行る可能性が危惧されていますが、そのうち鎌形赤血球の日本人とかも登場するのだろうか?
2006年09月08日
14:30
安斎利洋
このまえ九州に滞在したんですが、雨の降り方がフロリダでした。
環境が激変すると、遺伝的な優劣の地図がまったく変わるわけだから、温暖化は困るけれど、たまに攪拌があったほうが複雑系としてはいいのかもしれない。
2006年09月08日
17:27
はらこ
> たまに攪拌があったほうが複雑系としてはいいのかもしれない。

大局的にはそのとおりなんでしょうが、自分がそのための捨石になるのはちょっと…
2006年09月08日
17:50
安斎利洋
利己的な遺伝子から見ると、個体はすべて捨石ですから。期限切れになると捨てられます。
2006年09月11日
09:07
大富豪家2.0
私んちは4人中3人が色盲だという「色盲家族」だったので、健常と障害の立場が逆でした。ちなみに色盲は直らないし害も無いので病気じゃないっす。「バカ」が病気じゃないのと同じようなもので。
私は「赤のクオリア」なんて感じられないわけですが、多分意識は持ってると思います。
2006年09月11日
13:56
安斎利洋
近頃は肥満も病気に数えていますから、健康の範囲を狭めればどんどん病気が生産される、ということなんでしょう。そのうちバカは遺伝病だ、なんて言うバカな話になってくるかもしれない。

赤のクオリアとは別に、色のシステムの中で出てくる論理的な赤がある、ということが「色彩について」の大きなテーマだと思います。これは、面白いですね。網膜のない画家は、なぜ可能なのか、ということにもつながる。

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