安斎利洋の日記
2004年10月04日
23:44
ひとのつながり方
ラベル作曲ピアノ協奏曲ト長調の緩徐楽章は、この世で最も平安な音楽ベストテンに、必ず入れたい音楽だ。
ピアニストのゆいこさんが友人から聞いた話として、「パリの地下鉄の駅でこの曲の冒頭を口ずさんだら、反対側のホームから、続きのフレーズが口笛で帰ってきた」と書いている。
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(の32番)
人と人がそのような記憶で繋がることができるのは、すばらしいことだと思う。
コメント
2004年10月05日
04:45
ミッフィ
話ずれちゃって申し訳ないのですが、今の職場の廊下で、朝
(それもはやく)口笛吹きながらいききする人たちがいます。
毎日なので「あ、あのメロデイの口笛の人きた」っと部屋のなかにいてもわかるのですね。外で顔があうと「hi?」と手を振ります。
言葉は通じないのですが(とほほ)そんなのもひとのつながりかたですかね。
2004年10月05日
05:59
は〜
記憶でつながるやりとり・・・まさに、会話ですね。共有部分の認識は、平安につながります。
2004年10月05日
06:08
さとっち
読ませていただきました。
とても、心がおちつくシュチュエーションだと思います。
もし、こう言った状況が50%以上になったら、もはやその情景は、コスモポリタンであり、neo geoですね(^^)。
2004年10月05日
12:29
安斎利洋
天敵なかむらにこの話をしたら、
「月が出た出た 月が出た」「ヨイヨイ」だな。
と、言い放たれた。
2004年10月05日
17:36
yujim
かっこよく言うと、コレクティブ・メモリーってところでしょうかね
2004年10月05日
20:04
ゆいこ
こんばんわ!私の話引用してくださって嬉しいです♪
これって結構古い話なんです。1970年くらい。
今のパリも、こんな雰囲気、ひととのつながり、あるのかな・・わかりません
2004年10月05日
22:00
安斎利洋
yujimさん、それです。平安の collective memory が、人類にとっていかに大事か。
2004年10月05日
23:19
yujim
collective memoryというと時系列的にsyncronizeしているモノを想像しそうですけれど、一種、ミームとして時間を超越したものもあるのですねぇ。
それって、文化? 社会的に共有化された認知(Socially Shared Cognition)というのを認知文化人類の連中が行っていますが、それかも!
2004年10月06日
00:29
安斎利洋
>一種、ミームとして時間を超越したものもあるのですねぇ
たぶん、あるんですね。ミームなのか、もっと深くジーンなのかもしれない。
自分のふるさとでないロシアの歌や、エンヤのケルト音楽が、根拠のない懐かしさをもっているのは、どうしてだろう、というようなこと。子供の頃に知らないあいだにミームとしてインプリントされているのか、あるいは生まれたときにすでにもっている思い出なのか。
シャーマンは、たぶんそういうコレクティブ・メモリーを、データベースから引き出す技術者なのかもしれない。
「社会的に共有化された認知」って、面白そうですね。
2006年05月02日
17:20
miyako/玉簾
>反対側のホームから、続きのフレーズが口笛で帰ってきた
いいですねえ。
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