安斎利洋の日記
2006年08月14日
11:19
幻灯
古代人の知的活動は石に刻まれ、ここ千年の知的活動は紙に書かれたなら、僕らの知的活動は電気が止まると消えてしまう幻灯。千年後には何も残らないだろうな。
コメント
2006年08月14日
11:22
まだ、磁気テープは磁気を好むバクテリアのようなものの行動に影響するかもしれないけど、
光のディスクに刻まれた信号は。。
ウェルズのタイムマシンを思い出します。
映画は古いのも新しいのもそれぞれに面白いです。
2006年08月14日
11:25
かーるすてん2こと
いつの時代も パピルス が必要です。
2006年08月14日
11:38
さかい7/15伊勢崎Live
脳に刻んで口から口へ、が、意外と確実な伝達手段だったのかもしれませんね。
2006年08月14日
11:41
じゃい
一部のヴィデオCDは現在のOSでは見ることができない。
すでに消え行く感じ。
Rober wyattのship buildingのクリップが観ることができなくなってしまっていた、残念。
2006年08月14日
11:48
TODO
データベース化したデータが機器の製造中止で読めなくなっています。光ディスクなんだけど独自仕様のためデータ変換に数千万かかると言われて中止。
でも、変換自体ができなくなる日がまもなく来そう。予算が付いたときは手遅れか。
2006年08月14日
12:18
大和田龍夫
自己増殖可能なものに情報を書き込む必要があるんでしょうね。もっとも紫外線とか加齢で情報の複製にはミスがつきもののようで、同じ状態を複製し続けるのは難しいですね。
口承だと修復機能もあるけど改変機能もおまけでついてきちゃうし・・・。
2006年08月14日
12:27
H.耕馬
>脳に刻んで口から口へ
Xファイルにも出てきた、物語にして口承伝承する種族。本当に居るんですか?
2006年08月14日
12:36
>物語にして口承伝承
アイヌのユーカラの翻訳の予算を文化庁が打ち切りという話が
昨日の新聞に。。
アイヌや、イヌイット、ネイティブアメリカンはずっとその方法をとって来たんですよね。部族毎にそれぞれの歴史を口伝する人がいて。
2006年08月14日
13:01
安斎利洋
>自己増殖可能なものに
人がどうしても残したくなるような情報そのものが、自己増殖するものなんでしょうけれど、でも10年前のソフトやゲームは、どんなに深く記憶に刻まれたものでも走らないものがたくさんある。そういえば僕は、super tableauが走っているのをここ何年も見たことありません。
2006年08月14日
13:25
中村理恵子
>super tableauが走っているのをここ何年も見たことありません。
あ、うち98まだ動きます。STも生きてます(笑)。
○○館、館長代理補佐
2006年08月14日
13:27
安斎利洋
>○○館、館長代理補佐
温泉地にある秘宝館を思い浮かべてしまった。
2006年08月14日
15:31
大和田龍夫
幻燈術
これがあったから映画産業はあっという間に花開いたというのを放送大学でやっていたのを思い出しました。
そりゃ、ゼロから映画産業の人材があったわけではなかったらしくて、スライドに調色する人、幻灯機を操作する人、チケット売る人、講談師、などなどそこには一大産業があったらしいんですね。
それがあっという間に消えて新しいものに生まれ変わったそうな。
もっとも、あっという間というのは10年とか20年とかそういう月日がかかるそうですが。
秘宝館
時代が変わるとレンタルビデオ屋になったのか、ラブホテルになったのか。昨日久しぶりに渋谷円山町あたりをうろついたのですが、妻はそのエリアを妙に詳しくアタフタしました。
2006年08月14日
15:33
ウチのiMacG5は自らのOSインストールディスクすら受け付けず、
たった今修理のおにいさんに回収してもらったところです。
2006年08月14日
16:04
安斎利洋
http://
mixi.j
p/view
_diary
.pl?id
=19736
7641&o
wner_i
d=3077
1
によると、
「1897年(明治30年)にはルミエールのシネマトグラフが吉沢商店によって日本に輸入され、横浜住吉町の湊座で公開された。当時の電力事情や発電機の騒音から、光源としてやむなくライムライトが用いられた。このライムライトは、水素と酸素の混合ガスを燃やし、炎を生石灰(ライム)に吹き付けると白色に発光するもので、水素の代わりにアセチレンなども使える。」
幻灯、映画、ビデオ、そして燃料電池のPCが再び水素を燃やす。
2006年08月14日
21:08
びすけっと
> 古代人の知的活動は石に刻まれ
いや,他のものにも記録していたけど,それらは全部消えちゃっただけなんじゃないでしょうか.今でも,何千年残したいと思ったら石でしょう.
というわけで,USBの石削り機があればいい.
2006年08月14日
22:41
安斎利洋
>USBの石削り機
墓石にプログラムコードを書いておこう。
2006年08月15日
00:08
eiko
> 墓石にプログラムコード
地球暦3000年、考古学者はデータ貝塚で見つけたみかげ石を前に、思案にくれている。いったい誰が何を書いたのだろうか。なぜnに1を足してもnなのか...。
2006年08月15日
01:53
安斎利洋
等号を縦に走る石の亀裂で、時空がゆがんでいるためだという説が有力である。
2006年08月15日
02:15
たんぎー
「ロゼッタ・プロジェクト」は言語サンプルを後世に伝えるために、石ではなく金属に刻むらしい。石の方が頼もしいように思えますが。
2006年08月15日
03:40
安斎利洋
ロゼッタ・プロジェクト
http://
www.be
netton
talk.c
om/ope
ncms/o
pencms
/benet
tontal
k/ja/m
in_000
1/con_
0007/a
rt_000
5.html
知りませんでした。どんな金属を使うんだろう。鉄や銅は、核酸よりちょっとだけ安定しているけれど、長い時間で見ると砂糖みたいなもんですからね。
でも言語を保存するというのは、どういうことでしょう。辞書や文法ではラングは記述できないんじゃないか。無数のコーパスが必要じゃないでしょうか。
2006年08月15日
03:45
安斎利洋
http://
www.da
p.ndl.
go.jp/
ca/mod
ules/c
ae/ite
m.php?
itemid
=38
「同ディスクの情報は,デジタル形式で記録されるのではなく,米ロスアラモス国立研究所とノーサム・テクノロジーズ社が開発したマイクロエッチング処理技術を使って,約2,000年の耐久性をもつ3インチのニッケル製ディスクに普通の文字で記録される。ディスクに収められた各言語の語彙,文法などの内容は,倍率1,000倍の顕微鏡で直接読むことができる。同ディスクは大量に製作され,世界中で頒布される見込みである。」
2006年08月15日
06:23
中村理恵子
>いや,他のものにも記録していたけど,それらは全部消えちゃっただけなんじゃないでしょうか.今でも,何千年残したいと思ったら石でしょう.
うん。これが真実でしょう。石や紙や一部の金属なんか、奇跡的に大気や自然、人災を免れて残ったということだと思います。
しかし、思いや考えといった事を記憶したり、残したりというメディアとして、石とか金属というのは、そう相性がよくなんだろうね。膨大な思いや考えの、キーワードくらいは、石に残せても、核心的な思いの質や、考えの総和を網羅できないんだと思います。
思いや、考えというものいかに捉えるか?
無形を、いかに有形にするのか?
あるいは、画期的な無形を無形のまま時に耐える方法(いまは、人そのものがメディア?口伝とかさ?)
しかし、このへん、大躍進的な、大発明な意識なり、方法なり、物なりを思い描いてみたい。という欲求は、いつの時代もみんながもってるか,,,,うむうむ。
2006年08月15日
07:17
びすけっと
せっかく残っても,無視されるかもしれないので.
未来の考古学者のことを考えてあげなければ.
1)考古学者が興味を持つ.
やはりエロか.それともマイナーなネタか.
2)考古学が予算をとりやすい.
スポンサーは誰か.
3)考古学者はどれくらい頭がいい?
どれくらい難しいパズルにする?
4)研究のルールはどうなっている?
論理を積み上げた論文を中心とするのか,
多数決のような大衆の意見を重視するのか.
墓石に刻むプログラムは別の意味で面白そう.
自分の葬式で流すDVDとか.ノートPCでこのデモを
やってくれとか.
2006年08月16日
01:32
たんぎー
人の記憶、人が生きた証。せめてその人々の存在した証を残したい、というときどうするか。墓碑や慰霊碑には名前が刻まれます。
日本では「家系図」を残します。先祖の名前を何世代分も記憶する文化は多い。例えば男性なら男子直系、女性なら女子直系の名前を暗記するとか。現代文明なら、死者の名前を全て石に刻むことも可能でしょう。でも、それに意味があるとは限らない。何百億という人名が残されたとしても、それを読む人はいない。
固有名がその一族の「名前のプール」から供給される文化もあります。彼らは「名前が残る」と考えるらしい。記録として残さなくても、使い続けられることで残る。あるいはもっと強烈に、先祖の魂が現世に現れて新生児に入る。その先祖の生前の名前が新生児の名前となる、と考える文化もあります。
これらの文化では記憶は魂に刻まれているので、外部記憶装置に残す必要はないわけですね。
2006年08月17日
11:47
安斎利洋
>固有名がその一族の「名前のプール」から供給される文化もあります。
名前のシステムは、その文化が個人と全体をどう考えているか、ということを示しているわけですね。これは面白いテーマです。
個人が特別で個別なものであり、同時に類似的で全体の一部にすぎない、という矛盾を人々がどうイメージしてきたか、ということ。
靖国神社にまつられているのは、遺骨じゃなくて名前だというのは象徴的です。もう僕らの魂の「プール」は、国家なんていう単位では考えられないなあ。
2006年08月17日
11:57
大和田龍夫
なんとも不思議なものがあって、
ヒロシマの慰霊碑には、
犠牲者ちょっと離れたところに韓国・朝鮮人の慰霊碑が別にあった記憶があります。
オキナワの慰霊碑には、
確か、米軍兵も一緒にというようになっていたようなことを九州沖縄サミットの時に聞いたような記憶があります。
靖国神社は、
明治以来の日本国の為に亡くなった人を祀るというものだったような記憶があります。
で、別に神道という宗教はその信者をどのように規定するのか、宗門改帳とか作ったわけでもないし。日本に住んでいれば信者ということ?初詣は行くのですが、最近はもっぱら「吉祥天の美人絵」を拝むことを初詣とするようになってしまったし・・・。
神社とお墓は別だから、遺骨ではないのはある意味当然なんですよね。(私も、桃山御陵に行ってなるほどと理解できた次第なんですが)。
そういえば、昭和戦前には、八王子の大正天皇陵に詣でするのが随分流行ったらしいです。京王電鉄ってそれで八王子まで電車が伸びたみたいで、、、。高尾山行く電車は昔、その大正天皇陵の方に伸びていたらしいです。
って話それまくりました。
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