安斎利洋の日記全体に公開

2006年07月26日
04:07
 ロッカービデオ効果
あるシステムの制約が、そのシステムによって作られる世界を決定づけることを、ロッカービデオ効果と言う。いや、そう名づけたのは僕なんだけれど。

たとえば、mixiに足跡という設計があるために、足跡がないという悪意の妄想が生まれる。苗字という制度があるために、家系という形が見えはじめる。指が10本あるので10進数が定着する。

映画『MIB』で、ロッカーの中に住んでいる宇宙人が、たまたまそこにあった腕時計を祭壇とし、レンタルビデオの会員証に書かれた規約を教典として、ひとつの宗教を形成する。で、これがロッカービデオ効果、というわけだ。

《可能世界》という仮想の並列世界を考えたとき、世界は無数の棋譜のなかの、ほんのひとつの筋道をたどっているにすぎない。たまたまはじめの駒の配置が定石を選んだだけで、世界のパラダイムには、無数に並走する別のロッカーがあるはずだ。

mixiの機能要望がまるで宗教裁判のようになって、多くの人が「それはSNSではない」という考え方をするのわかった。SNSを演繹的に作ろうとはしないで、いまあるSNSからSNSを定義しようとする。

思い返すと、おなじような抵抗と、おなじようながっかりを何度も体験してきたような気がする。僕は彼らがロッカーの中の宇宙人に見えるけれど、しかしこの世界の中でロッカービデオでないことって、どれだけあるだろう。あるときドアが外側に開いて、僕らを不思議そうに眺める宇宙人のことを、むしろ考えよう。
 

コメント    

2006年07月26日
06:09
H.耕馬
新作ビデオのタイトル「パンドラという名前のロッカー」
2006年07月26日
08:43
ikeg
僕はもちろんmixi が外からも見れることに賛成だし、ハンドルネームも好きじゃないです。だったらmixiやらなきゃいいんだけど、人のもってるルサンチマンだの悪意だのにはうんざりしてるので、適度な緩衝は必要だろう。というわけで完全無防備blogはちょっと。
ロッカービデオは、学問の世界では多いのでは? それは物理じゃない。とかそんなのはアートじゃない。とか、そういうことはよくいわれるし、だからSNSがなんだか知ってるの?みたいなこという人はいつもいますよね。
ネガティブかもしれないけど、世の中には期待しない。面白いと自分が思うことをする。自分以外の人に何かを期待しつつ、面白いことをやろうとするとどうしてもストレスがたまりませんか?
そのあたりがあたまをかすめます。
2006年07月26日
08:53
中村理恵子
まーまー。(なだめてどうする?ともおもうけど。)
しかし、このMixiが、MIBの宇宙人をなぞるというより、「ロッカーの花子さん」でしょ!とまず思いましたね(笑)。花子さんは、職場の正義のお局のような?、しかし極めて日本人的な組織や、集団意識の中で、人気の(正当化される)。
2006年07月26日
08:54
中村理恵子
あ、つづりが違った。
「ロッカーのハナコさん」
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/hanakosan/
2006年07月26日
12:51
安斎利洋
僕も中村さんも、逆説的に他人と何かやるのが不得意で、一人だけの仕事が好きですね。だから侵しあわない連画が面白いと思っているのかもしれない。

科学やアートのように、ひとつの公理系から抜け出すことを使命にしているようなものにかぎって、ロッカービデオが多いのが嫌になります。老成したジャンルに化け物が棲んでいても、まあそれはしかたないと思うけれど、若い分野に限って、またたくまに頭の固い連中が占めてくるのはなんでなんだろう。CGもそうでした。当分は、ルソーのように一人で歩きたい気分。

でも、他人の愚かさを作っているのがロッカービデオなら、そのうちロッカーを替えてやる、とも思うけれど。ハナコのロッカーかなんかに。
2006年07月26日
14:31
中村理恵子
いま、「もし老人で生まれて赤ちゃんで終わるとしら?」
そんな誰でも考えそうな面白い創作物ないか?とぐぐってたら、以下のような言葉に出会いましたよ。

「探求心が出会う時、行き止まりに思えた道は再び延びゆく。」」
http://www.nitto.co.jp/company/culture/ad/science/science_63/index.html


>他人と何かやるのが不得意で、
>侵しあわない連画が面白い
性質をあやしながらの人生でありますすが、探究心が出会えて、あふれて流れてゆく環境を、自分に引寄せてくることも、人生ドライブする以上に大事であると思っているので
だから、まずは、Mixiがあって、それが外に開くという形には、〇なわけです。

常に探究心が出会う場ってのは、足元が危うい独特のバランスが身体的にも知性にも必須だと思います。

2006年07月26日
15:40
安斎利洋
中村さんのコメントを読んでつくづく思うのは、ほんとうに僕らは他人に関心ないね。
興味があるのは、《私》が巻き込まれるシステムや、《私》が偏在すること。
2006年07月26日
22:04
ikeg
うーむ。ぼくは、なんか「私」性より、もっと抽象的ななにかに生きたいな。たとえば、ミンミンゼミの羽のような。
2006年07月26日
22:46
安斎利洋
ミンミンゼミですか。猛然と鳴いている中にいると、静かになりますね。
2006年07月26日
22:54
ikeg
昔から、ミンミンゼミの薄緑に縁取られた透明な羽に、我を忘れたのです。我を忘れた=”「私」性なんかより”
 
2006年07月26日
22:59
安斎利洋
まったく、その通りだなあ。
そういう季節ですね。
2006年07月26日
23:59
ikeg
うん。だからセミ時雨、なんですね。安斉さんも中村さんも無の境地で! 
2006年07月27日
00:38
Yuko Nexus6
ラップトップミュージシャンが使っているソフトによって演奏が規定されるのもロッカーだよなー。
だからHacoさんのStereo bug scopeはクールだ。こういうのメタってゆーの?
2006年07月27日
01:26
安斎利洋
ikegさん、感謝。ふと、我を忘れることを忘れている。

yukoさん、これね。CD買ってみます。
http://www.japanimprov.com/haco/
http://cvnweb.bai.ne.jp/~jesco/
2006年07月27日
07:55
中村理恵子
>ミンミンゼミの羽のような。

うちの近所、初鳴きです昨日。
ミーンミンミンミン。

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