安斎利洋の日記全体に公開

2006年07月16日
12:49
 本の背を切って売るのは?
写真

自分の所有する本を、スキャナで撮るのは自由だし、それをPDFにして読むのも、自由だ。しかしそのPDFを売ったり配布するのは、たぶん著作権法に触れる。

じゃ、スキャナで撮るために、背を断裁した本を売るのは、たんに古本だから問題ないんじゃないか。爆発的にクローンが増えることもない。

廃刊になったbitをみんなでデジタル化してアーカイブを作りたいけれど、それはまずいかな、という話があったけれど、デジタル情報をファイル共有するのはまずいにしても、背を断裁した本を譲り合うのは、法律的倫理的に問題ないんじゃないだろうか。

誰かに譲れるんだったら、いっそ背を切ってPDFにしたい本が、たくさんある。デジタル化してたくさん雑誌を捨てたんだけれど、捨てるときに躊躇した。考えてみれば、それを誰かにあげても良かった。

買った人は、ADFスキャナで読み込んで、また転売することになるんだろう。この行為の違法性は?

これって、古本業界や図書館以上に、出版業界に対するマイナスになる?
法律の問題はさておき、ロングテールの弱小出版社には、打撃になる?

いっしょに考えてください。
 

コメント    

2006年07月16日
13:35
Linco
廃盤になったCDのmp3とジャケットの関係、こちらもほぼ同様ですね。
2006年07月16日
13:38
Linco
人間の顔(本の背)と精神性(PDF)、これは違いますか(笑)。
2006年07月16日
14:41
xeno
法的な問題は別として、
現状は、ページをバラバラにされた本に比べて、完全な状態に近いきれいな本の方が、古本の取引価格としては1対100ぐらいの違いがあります。(例え、ばらしてあった方がずっとADFに取り込みやすいとしても。)

もし、みんなが各自PDF化したあとに転売するという行為がポピュラーになったとしたら、理論的にはページをばらされた本の価格は限りなく0に近づくかもしれません。
(購入価格>転売価格 … だから。)

これはやはりCDの場合と同じ問題ですね。
2006年07月16日
14:51
安斎利洋
なるほど、この問題は、本ってなにか、ということを考えさせられるわけですね。
背を切ったとたんに、本は身体性を失って、価格は無限に0に近づくわけだ。面白いですね。

たとえばこれなんか、そこらで売ってるTCP/IPの解説よりしっかりした本で、しかも無料。

TCP/IP チュートリアルおよび技術解説書
http://www-6.ibm.com/jp/support/redbooks/TCP_IP/GG88400500.pdf

http://www-1.ibm.com/support/docview.wss?rs=929&q=ibm&uid=std31d7e30cbe0b2192349256dc70057cb4a&loc=ja_JP&cs=utf-8&cc=jp&lang=ja

本の命は、背にある。
2006年07月16日
15:00
安斎利洋
身体を失った本の写真を追加しました。
2006年07月16日
17:05
みまぞう
人格権みたいなものを別にすると、本を売って儲けるという行為を邪魔しなければよいのでしょうね。

本来は出版元がPDFして有償配布するというのが素直なのだろうなと思います。(電子版書籍はコピーがどうのというような「けち臭い」ことをしなくても、ある程度稼げると思いますけど...。)

上記の安斎さんの転売モデルだと出版社(者)にうまみがなく、ちょっとかわいそうな感じです。

著作権については、一部のソフトウエアや音楽CDのようにヒットすれば一発で収入何億円なんて濡れ手に粟みたいなものは本当に保護しなければならないのだろうかと思うこともあります。(ま、これは立場によっていろいろご意見もあるでしょうが...。)
2006年07月16日
18:14
安斎利洋
>出版社(者)にうまみがなく、ちょっとかわいそうな感じです。

おっしゃる通りです。もっとも、古い本のうまみは、版元じゃなくて古書店が吸い取っていますけどね。

この問題は、法律を守るのは前提にしても、業界を守りたいということと、文化を守りたいということのトレードオフで戦略的に考えるべきだと思うんですが、最近人文系の本を孫引きで引用して、これはちゃんと原典をみなくてはと思って探しても、ネット上の古書にもない、図書館にもない。遠方の図書館に1冊見つけて借り出し、ページをめくりながら一冊スキャンした、なんてことがありました。オレはこのあたりに1冊しかない本を引用してるのか、と情けない気持になった。
ロングテールなんていうけれど、本当のロングテールなんて、揮発性の油のようにどんどん消失していって、ポインターだけが残る。ターヘルアナトミアを回し読みして筆で写本した、なんていうかつての文化を思い出しても良いのか、と思ったわけです。
2006年07月16日
19:16
みまぞう
情報の保存の力もない弱小情報提供者にはコピー作成
権を、読者にゆだねていただける仕組みがあるとよい
のでしょう。

しかし、コピー作成権を積極的に放棄する理由は情報
提供者側にはなかろうし、権利放棄のタイミングだっ
て見はかりにくい。ひょっとしたら、知的所有物で積
極的に稼ぎたい人には特許権のようにコストがかかっ
てしまう、というモデルが有効なのかもしれませんね。

権利登録料収入で、そのほかのデータの配布を廉価な
コストで行うような、(しかも、欲をいえば収入もあ
る程度保証できるような?)サポートできれば、美し
いのかもしれません。(ま、たんなる思いつき。)
2006年07月16日
20:51
安斎利洋
著作権がスポインテニアスな権利であるメリットとデメリットはあると思いますが、権利放棄の規定をしていくやりかたは、クリエイティブ・コモンズがモデルになっていくんじゃないかと思う。でも、お金がないと権利の登録ができない制度は、著作権にはそぐわない気がします。

基本的に、本はソフトウェアがモノを偽装しているわけで、そこからくる矛盾を、いつかは解消していかないとならないんでしょう。
2006年07月16日
21:12
ringo
仕事場で古い本をどうしようかという話をしていたんですが、
検索対象にするために自動スキャナ scansnap s500(4万円)を試すことにしました。
オフィス内でPDFを共有するのは合法なのかな?
2006年07月16日
21:39
安斎利洋
>オフィス内でPDFを共有するのは合法なのかな?

そういう問題がありますね。普通にどこでも、はじめていますが。

scansnatは、本当に便利です。本は、捌くのにコツがいります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=69729352&owner_id=63253
2006年07月16日
23:49
チクリン
そういえばこのあいだこんな記事を読みました。
本の裁断サービスです。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0714/config114.htm
こっちは金になるんですね。
2006年07月17日
00:03
安斎利洋
これは有益な情報、どうもありがとう。手で断裁するのが面倒な分厚い本は、これなら安いですね。丸背のハードカヴァーは、僕のやり方で手でやったほうが、たぶんうまくいくと思います。写真のフーコーの本は、5mmくらいに小分けにして、それぞれを切っているので、幅は一定になります。
大きな本格的な断裁機が数万円で手に入るのですが、本棚をかたづけたくてやっているのに、この鉄の塊がめちゃくちゃでかいので、あきらめた。
2006年07月17日
07:26
中村理恵子
チクリンさん情報;山田祥平さんの実験レポートの最後の雑感↓ほんとにね。
 「おそらくはDTPで制作されているであろう書籍をスキャンしながら、なんだか、ずいぶん虚しい作業をしているなと自分で思った。」

そもそも書籍自体がとても便利な究極のケータイ物なんだもんね。しかし任を終えてストックするための場所の占有、あるいは記憶を辿るときに即座に取り出すこと考えると電子化に可能性があるという話だと思う。

しかし、まだ持ち歩くという利便性についちゃ、電子的な必然って弱い感じがする。しかし、安斎さんと同じ用に考えて断裁して→スキャンスナップ。
ぶいぶいに知性の塊を質的に組み替えることに血道あげる人いるんだなー。
2006年07月17日
11:21
チクリン
> 「おそらくはDTPで制作されているであろう書籍をスキャンしな
>がら、なんだか、ずいぶん虚しい作業をしているなと自分で思っ
>た。」

私の友人のたんぎーさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2734513
も「本切り魔」なんですが、
民話収集家でもあるフィールドワーカーの彼はなんだかんだいって
研究所とかの貴重書は切らず、ふつうの文庫本や新書を
切っているようです。
貴重な本だと切る訳に行かないけれども切る意味は大きく、
一般的な本は切りやすいけれど、同じように切っている
人がいる可能性は高い。
徒労感はそういうところにもあるように思います。
2006年07月17日
14:23
安斎利洋
>「本切り魔」

たしかに、憑かれる感覚です。

僕も、はじめの動機はいらない本を捨てるためにはじめたんですが、常時持って歩きたい本こそ、PDFにしたい。でも、そういう本こそ、切るのに勇気がいる。

文庫はPDFにすると、ノートPCでも見開きで拡大して見ることになって、気持ちよいです。自分が持っている本でも、Bookoffで安く売っていると、買ってきて切ります。
2006年07月17日
14:44
たんぎー
こんにちは。はじめまして。チクリンさんに言及されたたんぎーです。私のやり方はこんなふうです。

(1)新書・文庫・雑本は裁断してスキャン、本体は破棄。こちらは空間節約のため。
(2)貴重書(絶版・あるいは高価)はフラットベッドスキャナでスキャン。こちらはフィールドにPCで持ち込むなど利便性のため。
(3)外国の僻地で遭遇した貴重書はデジカメにて撮影。こちらはほかに手段がないため。

私は言語学的な研究にもかかわっているので、(2)(3)はOCRで画像データをテキスト化することもあります。それ以外は画像のままです。

ringoさんの
>オフィス内でPDFを共有するのは合法なのかな?

は面白い問題提起ですね。個人的に貴重書を電子化したデータはかなりありますが、大学などの研究現場での扱いは揺れています。私たちは試験的にいろいろやっていますが、すごく便利なので後戻りは不可能ですね。「貴重書」は市場としてはあまりにニッチで電子化は採算があわず、出版社(版元ほとんど倒産ずみ!)も後回しにするでしょう。

文庫・新書のスキャンデータは、今のところ不便(リーダがない)なので、他人に複製を渡しても現実的には問題が生じないだろうと考えています。ゼロックスコピーみたいなものです。出版社はいずれ資産をテキストデータ化するでしょうが、価格は大幅に下がるでしょう。その時には改めて買いなおすつもり。そっちのほうが便利でしょうから。
2006年07月17日
15:03
安斎利洋
たんぎーさん、「〜魔」仲間ですね。ぜひ、情報交換させてください。

テキストベースのPDFに比べて、画像だけのPDFはたしかに不便ですが、でも僕はこれで一冊本を読んでみて、けっこう読めるもんだと思いました。

やはり本の価格は本来、ソフトウェアの権利代+製本代、であるべきところが、モノとしての値段になっているところに、諸々の問題が発生するように思います。
2006年07月17日
16:32
ringo
企業内の情報共有については、法律に触れる場合は、たとえば、訴えられたときに、いくら払えば和解できるはずなのかの予測値(デジタル化した本の価格×社員数?)があれば実践できます。
うちだと約1000冊×40人であれば、1冊1000円としたら4000万円。しかし全員が読むことはないので500〜1000万円払えばよいとか?そうなってくると、費用より効用のほうが大きくなる。
実例ないかな〜〜
2006年07月17日
17:02
安斎利洋
会社の書庫にある本なら、何人が読んでも本以上のお金はかからない、というのは、本はトングルなんですね。

共有ファイルが外に出ない、複製されない、という規約なり技術を作ったほうが安上がりじゃないでしょうか。

学校の図書館なども、電子化すると同じような問題が出てきそうです。
2006年07月18日
19:02
小林龍生
山田祥平さんが、PCWatchに本のスキャニングのことを書いている。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0714/config114.htm
ポイントは、キンコースが背の裁断をやってくれる、ってところ。無線とじの文庫本などだと一冊100円程度らしい。
で、背がまるくなった上製本は、断裁に手間がかかるので、高くつくらしい。いずれにしても、製本された本をバラす工程が一番やっかいなので、そこを有償でも引き受けてもらえると、ずいぶんと助かるかも。
ぼく的には、ベストセラー系のペーパーバックスを1000円程度で買ってきて、スキャンと同時にOCRデータも貼り付けておいて、DDWinで辞書引きながら読むのが快適みたい。日本語訳のハードカバーだと上下2巻で3000円とかするしね。
こんなコスト意識だと、裁断の100円は許せる。
どうせなら、スキャニングのサービスもやってくれればいいのに。
アマゾンとかで本を買って、オプションで裁断、PDF化とかをチェックしておくと、PDFデータだけをメールで送ってきたりしてね。もう、従来の著作権(というか複製既得権)の議論から考えると冗談みたいな話だけれど。
2006年07月18日
20:50
安斎利洋
オプションとして、本そのものは不要、ってボタンがつくと、世の中変わってきますね。

たとえば、上のフーコーの本を送るときに、ついでにPDFも送ります、本は返してね、いっそ本は送ったつもりで送りません、ということにもなるから、本の物質性は無になる。10年以上前の机上の議論が、生々しくなってきたってことですね。

EBにしても、身体性の擬態をキャディに託して始まったわけで、そういうのが一枚づつはがされて、ついに透明になろうとしている。
2006年07月19日
04:39
小林龍生
こういう思考実験をやってみると、グーテンベルク以来の書物の時代っていったい何だったのだろう、と思う。製本されたモノを買うのに対価を払い、それを解体する作業にまた対価を払う。
ぼくは、既得複製権としての著作権には常々疑問を持っているけれど(著作者人格権とか同一性保持権とかについては別の議論がある)、近ごろの著作権の議論には、何だか、人力車の業界が地下鉄の開発に反対しているような印象を受ける。この議論が、かつての動力革命のころのラッダイト運動と本質的にどこが違うかを明確に言い立てることは困難だろうに。
2006年07月19日
11:03
たんぎー
 出版社にとっては書籍は紙の塊。これが「単なるネット上のファイル」になれば製紙・印刷・在庫管理といった部分がなくなってしまうのですから大変なインパクトでしょう。でもそれらは業界内部の利害に過ぎません。

 むしろ問題となるのは、これらハードウェア的制約によって保証されている、保存性や規格、編集・校正作業、バージョン管理などの質の維持ですよね。もちろん粗製乱造によってもこれらの質は低下します。例えばすでに文庫や新書の編集・校正の質はかなり下がっています(「無駄な本を出版しない」というのも編集の品質の問題です)。

 でも電子配信に切り替わるときにはもっとひどいことになりかねない。過渡期のファイルは将来利用しづらくなる可能性が高いし、それでも読者は代金を支払わされるでしょう。通常のソフトウェアと異なり「書籍」はかなり長期的に利用されるものですから、この混乱は問題です。

 自分のささやかな蔵書を「手放す」気がないなら、汎用性の高い規格で画像ファイル化するのが経済的に安全です。何もしなければ通常の「蔵書」は全て同時に消滅するのではないかと思います。
2006年07月19日
11:41
チクリン
本のクオリティーに関してですが、私がこのあいだネットで
購入したPDF本の場合、β版(完成品ではない)の段階から
ダウンロードできて、完成するとまたブラッシュアップされたのが
ダウンロードできるのです。

こういう出版形態が一般的になると、「正規リリース」で完璧な
ものを作り上げようというモチベーションは減るのである意味
クオリティーは下がるかもしれないけれど、作る側も買う側も
へんなプレッシャーから解放されていろいろなメリットが
あると思いました。

PDF本の閲覧権限など、電子出版でこれからどんなルールが作られて
いくか楽しみです。
2006年07月19日
11:48
安斎利洋
なるほど、オープンソースで校閲するという手もありますね。誤植やらを著者に直接フィードバックすれば、編集コストは下がる。安定したらver.1とする。

最近ちくま学芸文庫や平凡社ライビラリーが本棚に増えてますが、ああいうシリーズが電子出版に切り替えたらいいだろうな。
2006年07月19日
12:24
たんぎー
 確かに単純な校正作業なら、読者からのフィードバックが有効でしょうね。βテストに参加すると割引、とかの愛読者サービスがあってもいいかも。そうすれば極端な話、画像ファイルをOCRソフトでテキスト化しただけのものでも可能です。

 さらに進んで、読者が自分でスキャンした画像をアップして、みんなで読み取りミスを潰して割引購入する。出版社は著作権徴収の代行業者となる。そんなのができるといいなあ。
2006年07月19日
14:59
安斎利洋
オープンソースで本を作るしくみを支援するソフトを、オープンソースで作る、ってのはどうだろう。
2006年07月22日
13:09
まえG
遅ればせながら...

法律的な話ですが、安斎さんがお書きの通り、本自体を人にあげるor売るのは自由ですから、背表紙を切ったものでも同様だろうと思います。自分が所有する本をスキャンするのは自由だというのもその通りだと思います。

ひょっとしたら、背表紙を切るという行為について、著作者人格権の一つである同一性保持権に触れると考える著作権者もいるかもしれません。その場合の訴えを起こす権利のある人は出版社(著作財産権を持っている)ではないでしょうね。装丁をした人? まあでもこれはちょっと無理がありそうです。そんなこと言ったら捨てるだけで訴えられてしまう。

あとは出版社にとって損なのかどうかですが、難しいですねえ。著作権については「法と経済学」(Law Economics)の人たちが盛んに議論しているようです。
http://www.jlea.jp/3-1-2ronbun.pdf の7章が私には凄く面白かった。

『これは権利者側が往々にして主張する「著作権を強化すれば文化の発展を促す」という
俗説を排し、「権利保護は強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない」ことを示している。
しかし残念ながら「どの程度の権利付与が妥当か」についての答えはない。』
2006年07月22日
14:08
安斎利洋
まえGさんの登場を、心待ちしておりました。

「どの程度」の話は、本当に腑に落ちます。特許の議論にも拡張していけばいいんですが。

これは、本来自律系であるべきものを、制御系で考えると頻繁に起きる問題として、一般化できるんじゃないかな。たとえば、健康というのも本来トレードオフで最適値が決まる問題なのに、どうしても「良い」「悪い」で考えるほうが簡単だから、コレステロールはとらないほうが良い、みたいなことになる。

著作権は、著作者が最適値のイメージをクリエイティブコモンズのように明示していくのが、やはりいちばん良いように思います。法律はむしろ、ここまで権利を主張することはできない、というような外堀の枠になればいい。

それはさておき背切りの話、またなにか疑問が生じたら「まえGだのみ」のメッセージを送るかもしれませんので、よろしくお願いします。

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