安斎利洋の日記全体に公開

2006年07月07日
02:27
 連立方程式
原稿を書くというのは、仮想の理想読者を想定することなんだけれど、理想読者が複数になると連立方程式を解くことになる。

MATANGOさんもなにやら原稿を書いているようで、いわく、

>あいかわらず、連立方程式。
>あつい。

連立しない仲間がいるのが、うれしい。

確かに今夜は暑い。ノートPCが、てのひらに暑い。
 

コメント    

2006年07月07日
09:21
MATANGO
書いていたのが台本なので、いきなりなかで複数の人物が連立しているのです。
性格と、考えの違う人物たち...。

それをようやくカッコでくくると、こんどはシーンというのが連立します。
「だから」とか「しかし」と、無理矢理つなげることもできず、「ようするに」とまとめることもできない、ひたすら具体的な出来事たち...。

...なんだか、ひとりでカンブリアンをやっているような気もします...。
2006年07月07日
12:42
安斎利洋
「ドストエフスキーに関する膨大な文献を読んでいると、そこで問題にされているのは長編小説や短編小説を書いた一人の作家=芸術家のことではなく、ラスコーリニコフとかムィシキンとかスタヴローギンとかイワン・カラマーゾフとか大審問官とかいった、何人かの作家=思想家たちによる、一連の哲学論議なのだという印象が生まれてくる。」
(バフチン『ドストエフスキーの詩学』より)
2006年07月07日
12:56
安斎利洋
mixiの日記の良いところは、方程式を書き始めておくと、あとは勝手にコメントスレッドが解いてくれるところです。
2006年07月07日
17:09
中村理恵子
日本の中世世界に行っては帰りと、今とあっちを大きな目でざくざく手縫いのふきんを縫うように、ちょっと荒い時空の旅を続行中であります。
網野史学に引率された本道からちょっとそれて、酒井紀美さん『中世のうわさ』話に寄り道中です。
それによれば、中世の頃の”うわさ”の守備範囲は、現代のマスメディアを総動員して+神や天狗も一役かって、思いがけないスピードと予想外の猛烈に拡がる
生命力をもったメディアであったようようです。
酒井さん自身も囲みで扱う印象的な一文をプレゼント。

「うわさは、各人の参加によってのみ生み出される集団的作品である。
うわさは、伝説そのものとなって、街から街へと伝播する。それは生きた民間伝承である。
『うわさ 最も古いメディア』(ジャン・ノエル・カブフェレ)」

いま、わたしたちを取巻く遊び道具;Mixi、カンブリアンなどなどは、その時々、いろいろな呼ばれ方をして、人のまにまに生きぬいてきた遺伝子を確実に宿していると確信します。
2006年07月08日
01:17
MATANGO
>中世の頃の”うわさ”
...ある日、ミクシをなんとなくたどっていったら、「ナントカじゃそうな」とか、「ナントカでごじゃる」とか、妙なことばをつかってウワサはなしをしているスレッドを発見...。
面白そうなのでコメントをつけてみると、じつはそこは...というようなことが思いうかびました、とさ...。

>ラスコーリニコフとか...
いったことは、ないけれど、ロシアとかポーランドとかの方のブログはどうなっているんでしょうか?
...こ、こわいような気も...。
2006年07月08日
09:48
中村理恵子
>、「ナントカじゃそうな」とか、「ナントカでごじゃる」とか、妙なことばをつかってウワサはなしをしているスレッドを発見...。

中世話、再度。当時、”うわさ”を正直に真摯に報告せねばならない義務があったらしい。
犯人探しの現場を例に、独特な中世の連立法的式について、「中世のうわさ」(酒井紀美)からの一文を↓。

---------------
犯人を目撃したとか、その盗品を隠しているところ見たとか、ともかく実際で犯人であることをたしかにその目で見たという場合は、「実証」である。それに対して、誰が犯人であるかが「うわさ」されて、それを聞き及んでいると「落書」に書いた場合、それは「実証」の六分の一の重みがあるというのである。
-----------------

つまり、実際にその犯行や犯人を目撃したという事実の報告が10通以上あると、その人は犯人。
あるいは、誰が犯人であるかがうわさされて、それが「落書(らくしょ)」;無記名の報告が60通以上あると、それも効力を発揮するのだそうです。

現代のわたしたちは、「火のないところに煙はたたない。」なんて卑近なこと考えますが、中世の人々は、”うわさ”が立つこと自体、そこに人知を超えた神の介在を認めておおいに正当化してたようだから。
戯言に近い現代の”うわさ”というニュアンスと、うんと違う。
大真面目に、不確実な説明のつかない情報を拠りどころに事を進めてゆく。
合理的な考えの中だけにいると、えらく危ない価値観に思えますが。
”うわさ”という情報を精査したり刻んで分析すること以上に、そんな情報が流れる空気の流れや、センスを大事にしたというのかな?

しかし、当時の”うわさ”取り消す必要が生じたときは、大変よ。75日で自然消滅なんてさせない。これも、「神慮」にのっとってただしく廃棄せねばならい。
そんな重みつきの情報であったようです。
2006年07月08日
13:51
安斎利洋
なんで6なんだろう。

現代にそれを適用すると、1/6はめちゃくちゃ大きすぎるね。1/1000万くらいかな。
国民の一割が支持しはじめたら、どんな事実もねじまげられる。
2006年07月08日
13:53
安斎利洋
>ロシアとかポーランドとかの方のブログ

ラスコーリニコフのブログで綴る罪と罰、なんてどうですか。書いてくださいMATANGO先生。
2006年07月08日
23:46
MATANGO
>なんで6
はなし半分にきいたとして、仏の顔も3度まで....ということでしょうか...?

>ブログで綴る罪と罰
「白夜」というのは、手紙だけでできていたような気が...これはまさにメールか...。
「地下室の手記」...これがいまならまさにブログかな...。

そう考えると、ド氏、あるいはわし、をまたずとも、膨大な数のみなさんの「手記」がいまや...。
それを、手間ながらつぎあわせると、「悪霊」だの「カラマーゾフ」になったりするでしょうか?
2006年07月09日
01:01
安斎利洋
「MATANGOさんの日記」も連ドラ化して、明日の予告かなんか書いちゃったりして。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ