安斎利洋の日記
2005年05月10日
20:40
メタファーの野生
工学系の文脈で話をしているとき、メタファーという言葉に煮え切らない違和感を感じることが多い。今日も、そんな感じで、日がな一日作文をしていた。
メタファーは、人の理解を助けるために構成される世界観のシステムで、机や文具のメタファーとしてデスクトップがあり、ファイルシステムがあり、ゴミ箱があり、インターネットは地球サイズの本で、それはそうなんだけど。
でもメタファーっていうのはやさしい人助けじゃないんだよな、と、いつも思う。メタファーはむしろ、人の理解を混乱させ、狂わせる仕掛けだ。メタファーを飼いならすことはできないし、飼いならされたメタファーは死んでいる。
「噂が立つ」なんていう日常の言葉も、生まれたときはきっと驚くようなメタファーだったに違いない。人の影のようなものが腰をあげて立ち上がる不気味な映像と、噂という目に見えない情報伝播のビジュアライゼーションが出合って、噂という現象の恐ろしさに実体を与える。わかりやすい擬人化、なんていうことじゃないだろう。
人間が記号的な世界を拡張しながら進化してきた過程というのは、そんなふうに混乱するメタファーの発明、発見の蓄積であると僕は信じている。
大昔、コアウォーズというゲームが流行った。ひとつのメモリ空間に複数の並列で走るプログラムがある。プログラムはメモリを書き換えることができるので、移動したり、別のプログラムを機能しないように攻撃したりできる。たとえば「リターン」の命令コードに1を足すと別の命令になる、というような偶然もコアの中では意味をもつ。さながら、意味の関連がない単語同士が、韻を踏み、音韻空間で出会うようなものだ。
異質のコード空間を無理に接続すると、遠いところに近傍ができる。いまの工学は、XMLの進化を見ればわかるとおり、コードの混乱を極端に飼いならしていくような、そういう体質がある。実は、馬鹿げたコードの接続や、理解しづらいインターフェースに、本当の次世代が潜んでいるのかもしれない。人に優しい、理解しやすいメタファーの階段をどこまでつないでも、新しいものは生まれてこないような気がする。
コメント
2005年05月10日
20:52
Yuko Nexus6
英語でしゃべる時、「○○みたいだね」的メタファーをどうしても使ってしまう。
そのものを英語では説明しきれないから。ツボにはまればウケるし伝わるけど、相手が元ネタしらなければ意味がない。
2005年05月10日
22:49
ikeg
だから、数学 に流れるんじゃないかな。
数学もメタファーだが、日常的解釈を遮断してる。
2005年05月10日
22:52
imochang
少なくとも、文章書きは、ひとを裏切り、唖然とさせるメタファーを紡ぎまくるために、心血を注いでいると言って、過言ではありません。
ま、ほんまに心と血を注いだら、死にますけどね。
書きたいイメージは、決して辞書には住んでいませんが、ときに、「五・七・五カンブリアン」の片隅で揺れてたりもします。
でも、この程度の文で、「わかりづらい」って言われる、現代日本の読解力(それも編集者だったりする)に、問いをバケツで浴びせたいです、私は・・・
2005年05月10日
23:46
匿名希望中・おーもり
でも、たくさんのお見立てに違和感を感じる日常で。
かえって新鮮味を感じて戸惑う私は「お惚け」だと、再確認。
2005年05月11日
00:00
安斎利洋
>数学もメタファーだが、日常的解釈を遮断してる。
数学って、メタファーから出発しているのに、だんだん「これってなんのメタファーだかわからない」というようなところまで行きますよね。だから、数学は人類を次のステージにつれていってくれるんでしょうね。ソフトウェアの世界で、そういう発明ができたらいいな。売れないかもしれないけれど。
2005年05月11日
01:36
ikeg
>ソフトウェアの世界で、そういう発明が。。
それが、ALIFEの目指してるものだと思うんです。生命のメタファーを実験数学に求める。
2005年05月11日
02:17
せりん
便利なメタファーに頼りたい人もいるようです。
教科書に書いてあると安心するような…。
死んだメタファーの危険より、生きたメタファーの混乱が好きです。
2005年05月11日
02:43
安斎利洋
プラクティカルな成果を期待されている分野の工学者は、ALIFEのような自律的で制御しづらい研究を相手にすると信用をなくすらしいですね。
数学は、数学自身のメタファーということがあるけれど、工学のための工学のような領域は、雪の降った朝みたいに足跡が少ないのかもしれません。動かしてみないと目的がわからないグリッドとか、いつか役にたつウィルスとか。。。
2005年05月11日
10:06
ikeg
工学者って、昔から自律的で制御しづらいものが好きですよ。サイバネティクスからはじまって、そういう歴史が作られてる。
2005年05月11日
11:05
eiko
ヒトは多くの知識を体験から獲得しているので、めたは〜を多用するのは自然な流れではないかな。だからこそ、そうでないものに対しては驚きや憧れがある。
コアウォー、懐かしいな。数学的素養があまりないので、理解ができないものも多かったんですが、デュードニーの「コンピューターレクリエーション」やガードナーの「数学ゲーム」という本は楽しかった。
2005年05月11日
11:10
安斎利洋
>昔から自律的で制御しづらいものが好きですよ
ですよね。それが工学者の野生ですよ。最近は、標準化のことしか考えてないようなタイプが多すぎ。
2005年05月11日
11:14
安斎利洋
>コアウォー、懐かしいな
eikoさんのところ(ASCII本誌)が、日本ではがんばってましたよね。
「コンピューターレクリエーション」みたいな連載、企画してくださいよ。書き手は、このあたりにたくさんいるんだから。
2005年05月11日
12:10
eiko
> 「コンピューターレクリエーション」みたいな連載
こういうの、やってみたいですね。ぜひ。
精進します。
2005年05月12日
12:11
kenn
鳥肌が立ちました。
うーん、mixiの外にあってほしい文章だと思うのは俺だけだろうか。。。
ずいぶん前に書いた、
http://
blog.j
apan.c
net.co
m/kenn
/archi
ves/00
0845.h
tml
を思い出しました。(今見ると生硬な文章で読むに堪えない部分が多いですけど)
セマンティックWebで存在論とかうっかり言っちゃってるやつに限って、ハイデガーやエーコはおろか、ミンスキーやドレイファスさえも読んでなかったりするんですよね。
2005年05月12日
21:35
安斎利洋
kennさんのC−NETブログ、いつも共振周波数がたくさんありますが、
>セマンティクスの標準化というものは「表現の墓場」である。
これはもう、まったく共振。
なんで本屋に行くかというと、目的の本が買いたいからじゃなくてノイズを拾いに行くのだし、なぜ友人とながなが話すのかというと、正しく理解しあいたいからじゃなくてdiscommunicationを楽しみたいから。Webの本質もそういうところにあるはずで、そこがわかっている情報技術者は、少ないですね。
でも、メタデータを使って、混乱やディスコミュニケーションや異種交配を支援する環境っていうのも、あるかもね。
2005年05月13日
02:24
中村理恵子
安斎さん
>自律的で制御しづらいもの
と思われるもの。
そんなものどうしがリンクしあって
生まれてくる状況。
なんていいましたっけ?
やみくもに理解しあえることに、意味のない。
>discommunicationを楽しみたい
みたいな狭間にある、関係性の真実。
フ、不、ふ,,,???
なんていってましたっけ?
2005年05月13日
11:26
安斎利洋
>フ、不、ふ,,,???
フでなくて、この前話した「疎結合」のことでしょ。
疎結合は、柔軟なシステムを作る設計指針のようなものですが、本質は「意味」のやりとりで結びつくこと。だから、人と人のコミュニケーションも疎結合だし、ディスコミュニケーションや異種交配のチャンスにもなるだろうと、僕は思ってます。
2005年05月13日
12:48
中村理恵子
>「疎結合」
でもさ、そんだけ大事な事柄なんだろーけど、中国語てきに解釈したら、セックスレス夫婦だったりして?(笑)。
すまん、もうお邪魔しません。
2005年05月13日
13:14
安斎利洋
それはちょっと「メタファー」が違うな。
結婚形態ってことでいうと、妻問い婚は疎結合。武家社会になってそれが崩れて以来、ずっと密結合婚が続いている、ってことかな。
2005年05月14日
00:13
匿名希望中・おーもり
えと。
話、逸れてばかりですね。
言葉は、何の為にあるのでしょうね。
会話の目的は、なんでしょうね。
人の形は、決まりがやっぱりあるのでしょうか。
コミュニケーションが多数が絶対!反して複雑が楽しい!の為の努力が、新名称にも、いつも必要かしら。
新しいことを生み出せる人は、孤高で「限られている」からかしら。
その人らこそ、新しい言語が必要ですね。
時は、ゆっくり流れていますね、ゆっくり過ぎて早過ぎる。
つまらない。
独りや、家族や。
単位で考えると。
結局、2人以上の集団かぁ。
新しい論点は、意外にびっくりつまんない。
どんな比喩も、「変わってるね、わかんない」から始まったり終わったりする。
どんなことにも認識や、共通ルールが必要かしら。
2005年05月14日
01:04
ikeg
言葉はすべてメタファーですから。
「愛」が愛をさししめすと思う不思議について。
2005年05月14日
01:35
安斎利洋
>「愛」が愛をさししめすと思う不思議について。
これは、本当に不思議です。「愛」が愛をさししめすと思う以前の人間と、「愛」が愛をさししめすと思いはじめた人間との関係を、そのまま起点を現代までシフトして考えると、われわれは未来の人間にとって、「*」が*をさししめすと思う以前の人間、なわけですよね。*って、どんなものだろう、てなことをよく考えます。
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