安斎利洋の日記全体に公開

2006年07月01日
20:43
 ソフトウェア作家の適齢
ソフトウェアは歳をとると書けなくなる、という通説はどういうことなんだろう。

少なくとも自分にその実感はないし、たとえば作家にしても画家にしても哲学者にしても、年老いてからより味わい深い作品を残す作者は多い。ソフトウェアはエクリチュールだから、同じように年老いてより深いプログラムを書いても良さそうなものだ。

でもやはりプログラム書きに若さが求められるのは、プログラムが自然言語でないからか。

だとしたら、老成するコードが書けるような人工言語があってもいい。
 

コメント    

2006年07月01日
21:03
おがもんじゃ
年をとると、多くに人は感情のひだが深まり、物事のあわれも分かるようになるもんですよね。そのことを表現する手段は、紙でも電子でもいいし、文章でも写真でも絵画でも、少なくともある感情を人と人のコミュニケーションの風景に埋め込みたくなる。僕たちの感性を人びとの風景の中に表現したくなるのではないでしょうか。

でも、プログラムは言語といっても、そこまで進化していない。

若い頃は好奇心をくすぐってくれるプログラムを書くことに満足を得ていたかもしれません。

京大の正高先生が、ケータイメールでしょっちゅう互いに短い言葉を送りあっている人たちのことをケータイを持った猿たちと揶揄しています。それは感性を持った猿たちの風景かもしれません。

人びとの風景にふさわしい電子の言葉はあるのだろうか?
2006年07月01日
21:10
大富豪家2.0
* 味わいのある変数名を使う
* FORTRAN世代はint i;と書き、新世代人はint x;とか書く
...

難しいですネ
2006年07月01日
21:10
小林龍生
二つの相反する感慨があってね。
もう、昔みたいに四谷大塚のような問題は解けないなあ、というのと、まだまだ若いもんにゃ負けないぞ、だって経験の蓄積が違うもの、というの。
ところで、気持ちの若さを保つ秘訣の一つは、若いもんの発言に虚心に耳を傾けられること。
このような心境に至ったということが、すなわちぼくも老境に近づいたということか。
2006年07月01日
21:23
さかい7/15伊勢崎Live
老成したプログラマによって開発された人口言語「論語」とか開発されたら面白そうですね。
若者にも読めるが、その本質を理解出来るようになるには歳月を要する言語(笑
2006年07月01日
22:50
びすけっと
その人らしさがにじみ出てくるようなもの.
個性が無くなるツールキットなんて使わないで,
何年もかけてその人独自のライブラリが蓄積されてゆく.
たとえば,この状況でコントロールZを押したときに
こんな動きができるのはこの人しかいない,みたいな.
2006年07月01日
23:52
にしの
プログラマという仕事の歴史が伸びるにつれて、プログラマの定年も30歳から延びているように思います。
60歳間際にLaTeXを覚えてバリバリ使い込んでいる知り合いを見て以来、プログラミングや論理思考と、年齢とは無関係だとはっきり実感しました。

というわけで、プログラミングに若さを求めてないと思うのですが。(会社は安い技術者が欲しいかもしれないけれど)
2006年07月02日
00:01
安斎利洋
小林さんとは昔、共著本を出すときにいっしょにコードを書きましたが、関数名と引数の一行を言えば仕様の打ち合わせは必要ありませんでした。つまり、コード=思考だった。

アルゴリズムを考えてそれをコードに落とす、つまり思考→コードの作業は、脳の若さが必要かもしれません。問題をとっておくスタックというか、ネストの深さが若いときのほうがあるような気がする。

>人びとの風景にふさわしい電子の言葉

で思ったんだけれど、ソースコードに風景がありますよね。コーディングの仕事になかなか手のつかないときって、コードに風景が見えてくるまでに時間がかかる。風景のある、風景の見やすい言語を作る、ってテーマはどうでしょう。

>味わいのある変数名を使う
>その人らしさがにじみ出てくるようなもの.
>その人独自のライブラリが蓄積されてゆく.

このあたり、鍵ですね。

芭蕉の最期の句は、「旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る」ですが、ここに現れてくる「旅」も「夢」も「枯れ野」も、日本語というクラスライブラリを直接参照しているようだけれど、でも芭蕉ライブラリという強力なラッパーが挟まっている。

>論語
リンゴじゃなくて、ロンゴですね。
2006年07月02日
00:04
安斎利洋
>プログラミングに若さを求めてないと思うのですが

案外、年齢とともに書けなくなるというのは、誰かの作った神話かもね。
汚いプログラムを力まかせで書く根気はなくなったけれど、それはワザで補えますね。
2006年07月02日
00:40
るーぱぱas不良mixi
買い手次第という気もします。
流行とか標準化されたメジャーな仕様を求められると
疲れますね。作家が好き勝手に作ってそれを好いてくれる
お客さんさえいれば歳をとってもやっていけそうです。
僕の場合は現在収入の9割が外貨の難民です。日本では
自分がソフトウェア作家だと堂々と言えないのが辛いです。



2006年07月02日
00:51
安斎利洋
>流行とか標準化されたメジャーな仕様を求められると

そこなんですよ。自分が好きなように自分勝手に作るのは、楽しくてしかたない作業なんだけれど、それが売れたあとに、いろんな要求や環境に合わせこんだり、OSや時代に追いつく作業をする労力は、ほんとヘコタレますね。

だからやっぱり、これからソフトウェア作家が文学の作家と同じような余裕をもつには、オープンソースしかないのかな。

るーぱぱは、やはりヴァーチャルペインターをオープンソースっていう道は、抵抗あるでしょ。
2006年07月02日
01:29
るーぱぱas不良mixi
作家にとって重要な部分とそうでない部分をコメントできればいいかもしれませんね。でもあまりにわがままだしなー。作家達が出資して作った団体が作業に当たるのならいいかもしれません。
2006年07月02日
01:37
安斎利洋
数万行のコードの中で、そのソフトの肝を握っているのは数百行で、そこに隠されたノウハウでメシを食ってたりするから、そういう場合はなかなか開くのは難しいですよね。
2006年07月02日
03:26
じゃい
プログラミングにおけるソフトウエアがエクリチュールだとすると、パフォーマティブて存在するのだろうか?

いや、さっき、日本流のポストモダンが日本をだめにしたとか言う話の中でデリダの話が出たもんで、なさそうだけど、質問したりしました。

i :integer?
2006年07月02日
03:51
安斎利洋
>パフォーマティブて存在するのだろうか?

バグが出ないようにプレゼンしたりすることですよ。
2006年07月02日
04:04
じゃい
>バグが出ないようにプレゼンしたりすることですよ。

爆;;;
2006年07月02日
07:55
H.耕馬
ぜ〜んぜん、話飛んじゃうカモ知んないケド、
学生が就活で面接とか自身のプレゼンとすると、
「僕はコレが出来ません、アレが不得意です。」って言うのよ。何故かしらぁ?
「僕はコレが出来ます。」って言ってあげるのが、雇う方の対する礼儀だよ、って言っても「ハ〜、そんなもんですか」。。。

老いるって、自信が付くと、同義?
2006年07月02日
09:31
中村理恵子
安斎said
>コードに風景が見えてくるまでに時間がかかる。
るーぱぱsaid
>自分がソフトウェア作家だと堂々と言えないのが辛いです。

そうですか、コードに風景、なんかわくわくしますね。
そしてソフトウェア作家。

ICCがめざした”みえないミュージアム”に架かるべきひとつの柱が、きっと‘コードの風景画‘展なんでしょうね。
(たぶん類した企画展もあったかもしれない。)
新たな領域ってのは、その落としどころ込みで拓いてかなきゃってこと込みこみ。
思えば、1991年にみなで始めた「ディジタル・イメージ」の最初のころ数年にも、ひょっとして‘コードの風景画‘展開催の可能性の兆しをみたように思います。

”みえないミュージアム”っていうのは、そこに架かる旧来の絵の具では描けない風景や、時間や、思考の深さなんかを
見せることで、はじめてみえてくる場なんだと思います。

それらの質量や、圧や、振る舞いがミュージアムの外壁や奥行き、順路を同時に刻んでゆくような。
そんな性質を持った場のひとつを、デジタルなネット上に求めることは案外誰でも。
(ただし、いかに使うかという点ではまだ未成熟かもしれないけど。)

実際のところ番地の制約もきっと邪魔でしょうから、例たえいうなら「ほら、虹の架かるたもとあたりで、開催してるらしいよ。」なんていうことになりますかね。
2006年07月02日
09:45
中村理恵子
>プログラマの定年も30歳から延びているように思います。

社会の要求というか、その需要ということと、ここで語られていることには、ずいぶんな溝があると思いますが。
わたしが遅ればせながらサラリーマンへの道をめざした頃の求人雑誌の中で、企業が求めた適齢がだいたい26歳前後。
平気であと数ヶ月で30歳の私が応募して「電子司書求む!」とうわけのわからない企業;商用パソコン通信企業にめでたく採用されたのが、17年くらい前かな?(笑)。

今は、普通に45歳から55歳くらいか、あるいは年齢を記載しない(しかし現実は若年の安価な労働力ゲットが目的)求人がありますね。ずいぶん変わったと思います。
しかし、この傾向が、真に女性の職域拡大や、長い寿命の過程を活かす領域創造という動きの表れであってほしいと思っています、が。
ここにも、まだまだ理想と現実の溝は深いんでしょうね。

2006年07月02日
09:58
H.耕馬
>真に女性の職域拡大や

女性の側にも、未だに軽事務作業だけを望むヌルイ層が存在してる事が、理想と現実の溝を深くしてるのカモよ。
2006年07月02日
10:53
びすけっと
メモリがものすごく少なかった頃は,1ビットの節約とか,
1つの数字を何通りにも解釈できるようなトリックとか,
関心するようなことが沢山ありましたね.
今は,中途半端にメモリが増えたので,そういう制約の
面白さは消えちゃった.無駄遣いをするほどの勇気はまだ
ない.

日本語で言うと,
作家が言いたいことを5-7-5に埋め込むのは面白い.
作家が言いたいことを10行で表現するのは面白くない.
作家が言いたいことを200ページで表現するとまた面白くなる.
2006年07月02日
11:56
安斎利洋
>「僕はコレが出来ません、アレが不得意です。」

話はずれるけれど、これってけっこう重要な問題で僕も、物申したい若者に会ったことがある。

人間は誰しもプロになる前は非プロだったわけだから、なりはじめのときは「ハッタリ」なんだよね。そこで失敗して、有罪になる医者もいたけれど、僕なんかもかなりハッタリかましてきました。仕事が来てから勉強したり。

自分の出来ないことを言うのは、ストレスのある仕事が来ないように予防線を張ってるんだけれど、出来もしないことを出来るというときは、自分をバージョンアップしようとしているとき。後者が大事。

と、学生に言ってやってください。
2006年07月02日
11:58
安斎利洋
>コードの風景画

コードスケープ、と名づけよう。

プログラムを使ったアートはあるけれど、コードそのものを読んでため息を漏らす展覧会は、まだない。そういうことのできる言語がほしい。
2006年07月02日
12:03
安斎利洋
>作家が言いたいことを5-7-5に埋め込むのは面白い.
>作家が言いたいことを10行で表現するのは面白くない.
>作家が言いたいことを200ページで表現するとまた面白くなる.

そうか、昔プログラマは詩人だったけれど、これから小説家になろうとしていて、いま過渡期なんだ。

確かに詩人は、ランボーや中原中也みたいに若くして才能を発揮してとっとと死ぬというのが、まあかっこいいな。
2006年07月02日
13:08
H.耕馬
>自分をバージョンアップしようとしているとき

カッチョ良いね。ざぶとん1枚ヽ(^.^)丿

>ストレスのある仕事が来ないように予防線を張ってる

ある部分、仕事の対価って、ストレスに対する対価だと思います。たまに、「好きな事やってお金いただいてるなんて申し訳ない」って言う方もいますが、それは仕事からストレスが無くなった訳では無く、「ストレスを楽しく感じてしまう能力」を身に付けたんだと思います。

で、元の話題、「ソフトウェア作家の寿命」に戻ると、ソフトウエアを組んでる時のストレスにイヤけが来た時が寿命じゃなかろうか?

またまた話ズレルんですが、ソフトウエア脳って絶対有ると思う。耕馬も35歳位までは仕事+趣味でソフト組んでたんですが、現在ソースを見てもお客さんモードになってる訳です。全然、作り手側としてソースコードが見えない。

映像制作もそうで、映画をお客さんモードで見ている間は、なかなか映像制作を仕事には出来ない。
どこでスイッチが切り変わるんだらうか?
2006年07月02日
13:48
安斎利洋
>ソフトウエアを組んでる時のストレスにイヤけが来た時が寿命じゃなかろうか?

これは言えるね。あるいはストレスを超えたときの快感を、忘れたとき。

バグがとれないときとか、締め切り間際で汚いコードを書いたときとか、そういう悪い思い出を溜め込んでもダメですね。プログラムを書いて、良い思いをした思い出をたくさんもっていれば、ずっと書き続けられる。

そういえばどんな創作もそうですね。絵を描く快感を知ってしまえば、一生絵を描くだろうし。
2006年07月02日
14:34
おがもんじゃ
>>コードの風景画
>コードスケープ、と名づけよう。

賛成!
2006年07月02日
17:42
安斎利洋
>賛成!

決まり! 100年残る言葉だったりして。

コードスケープの要件

・戯曲や楽譜のように、コードそのものが人に対して認知的に訴えかけてくること。
・風景を想起させること。
・コードの読み書きそのものに、特殊な技量や若さを必要としないこと。

「ビスケット」は、そういう意味でいい線いってるんだよなー。

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