安斎利洋の日記
2006年06月28日
14:08
今日拾った言葉
「子どもは大人の父である」
ワーズワース
コメント
2006年06月28日
14:26
思考の世界ではタイムトラベルはいくらでもできるということですね。
2006年06月28日
18:06
安斎利洋
いろんな読み方ができるけれど、その読みはちょっとがっかり感があるな。
「子どもは大人の父なのだ」バカボンのパパ
というふうに、コンテクストを変えて読んでも、味わい深い。
2006年06月28日
18:18
安斎利洋
僕は最初、自分自身が、自分の子ども時代の記憶に育まれている、というふうに読めた。
すると、「子どもというもの」は、「大人というもの」を育んでいる、というふうにもっと大きく一般化しても読める。
さらに、自分の子どもが自分の親にそっくりなので、まるで親を育てているように錯覚する、というよくある話もかさなってくる。
ワーズワースの仕掛けた罠の深さは、すごいなと思うんだけれど、人によっていろいろ可能な読み方のどこに落ちるかは、まちまちでしょうね。
2006年06月28日
22:30
KJ
インディアンの言葉で、『自然は子供からのあずかり物だ。』という言葉があるそうです。
代々受け継がれてゆくという発想ではなく、次の世代の物である…という考え。
あずかり物をお返しする時には、傷を付けずに預かったままの状態でお返しする…という意味でしょうか。
2006年06月28日
23:00
安斎利洋
これもまた、すばらしい逆転表現です。
KJさんが言うような意味もあるし、それに加えて、子どもは人間になる前の自然に属する理性がまだ残っていて、子どもの理性にしたがっていれば安心である、というような意味も感じる。
2006年06月29日
01:05
がっかりとまで言われると悲しいものがありますが、
フレンチクルーラーやサイクロンのようなトーラスに、物理的な時間の流れと、知識、思考、などの個々の人の中で積み重なっている時間層をスライスする概念が、クルクルといろいろな流れの輪を描いているようなイメージを思っておりました。
2006年06月29日
01:48
安斎利洋
>トーラス
そういう無限の循環を誘う罠がありますよね。あるいはクラインの壺のような。
2006年06月29日
02:11
MATANGO
昨日、炎天下(ようやく)の道をあるいていたら、乳母車を押してる母親とすれちがいました。
母親は、えらく不機嫌なようすで、「こんな母親に育てられたらロクなもんにならないよなあ」という思いと、「育児っておそろしく大変なんだろうなあ」という思いが瞬時に交錯...。
すれちがいさま、乳母車の赤ん坊を見ると、彼は前の「つかまりバー」に両足をのっけて、のうのうとあたりを見まわしていました...。
「睥睨」という表現がふさわしいんでしょうか?
すでに「父親」、という貫禄がありました...。
2006年06月29日
02:21
安斎利洋
たいていの大人は、子どもから学ぶべきものをすべて学べないまま死ぬんですが、まったく学べない大人が親をやっているという例は、多々あります。午後2時くらいのファミレスに行くと、サンプルにことかきません。
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