安斎利洋の日記全体に公開

2005年05月03日
16:08
 憲法はいらない
日本国憲法とりわけ第九条が好きなのは、それ自身が国家を否定しているからだ。まるで削除機能のついたインストーラーのように、国家の主要機能を削ることを宣言している。日本国憲法には、ゲーデルの不完全性定理に似た深みがある。

企業や資本家は、財産の上げ下げのタイムスパンで物事を考える。大企業のトップが毎年のように頭を下げると、学習しないハエのように見えるのはそのためだ。政治家は、次の選挙までのスパンで物事を判断する。バチカンは百年の計をたててそれを黙々と実行する。しかし、科学者と芸術家は1千年1万年1億年の射程で物事を考えていなければ、ニセモノだ。

そういう意味で、僕は国家と宗教はなくなったほうがいいと考える。もう少し厳密に言うと、民族や信仰は国家や宗教に結びつくべきでないと考える。そういう意味で、僕はアナキストだ。

憲法が、まるで現代美術の作品のように1万年のスパンをもっているのは、実に面白い。いつか「憲法はいらないという憲法」を作る社会システムを、人類は発明できるんじゃないだろうか。
 

コメント    

2005年05月03日
16:23
なさ 飛鳥井
安斎さん、アナーキストなんだ。
私も昔は国家と宗教はいらないと思っていた。
竹島とか見ていると、なぜ国家をベースにしか、考えられないのかと思う。
でも、今はどうでもいいと言うか、国家や宗教が興味の対象ではなくなってます。
2005年05月03日
19:53
安斎利洋
なささんも、きっと自転車に乗りながら四十数億年間の想い出が溢れ出し、1000年後の明日何しようかな、などと考えるタイプの人だと思っていました。
2005年05月04日
01:26
びすけっと
第九条って,国家はいらないということになるのですか.
最新式の憲法は九条みたいなのがあるのが当たり前だと
思って育ってしまいました.
2005年05月04日
03:13
安斎利洋
戦争は近代国家の大きな「お仕事」ですから、第九条は少なくともそういうタイプの国家をやめて、もっと機能の小さい別なタイプの国家を目指していこうという、そういうマニフェストでしょう。

第九条があるおかげで、日本はもうとっくに20世紀型の国家の体をなしていないと思います。国のために死ねる人なんて、ほとんどいませんから。軟弱といえば軟弱ですが、マントヒヒのように大群をなすのをやめて、オランウータンのようにのんびり森をさまうスタイルを選んだのだともいえる。

あくまで直感ですが、ヒトは国家や宗教を捨ててオランウータンのようにならない限り、10000年後には生存していないような気がする。
2005年05月04日
13:29
匿名希望中・おーもり
聖書と憲法は、読み手によってどうとでもとれる、とても抽象的な読み物にしては、影響力 大きすぎますね。
2005年05月04日
22:09
オランウータン、いいですね。
うちの親戚でサカイさんという人が、マレーシアだったかにいったら、オランサカイという部族がいて、感動してました。
それはおいといて、国家とか憲法とかができるのは、人間の発展の各段階での方便みたいなものなんだから、それがなくてもやってけるんだったら、なくてもぜんぜんかまわないと思う。それか、パラオの憲法みたいに、感じのいい憲法があれば、それでもいいな。
だけど、それと今の憲法がなくなって改正されて言いかという話はちょっと別の話になって。いまの世の中の文脈上は、日本国憲法は、個人的には堅持したい。北朝鮮の事件以来、土井たか子さんなどの護憲派の言論は、封じられつつあるけれども、それは北朝鮮の拉致事件を、別の意図で利用している人がいるためだとも勘ぐっています。
いまの東アジアは、妙なナショナリズムが復興中なので、日本国憲法は改正して軍隊をもて、という意見も出てますが、そういう意見に賛成している人すべてが、自分自身も徴兵されるんだってことを明確に意識して賛成してるとは到底思えません。
いまや、「自分の国を守るために命をかけることもできないのか」みたいなことまでいう人もいますが、たとえば自分のともだちや、子供や、兄弟、夫が、あるいは自分自身が徴兵されることを意識しても、みんな同じことをいえるとは思わないですね。そういうことを考えると、いまの憲法でいいんじゃないの? と思いますけど、これって平和ボケってヤツなの??
2005年05月08日
17:45
安斎利洋
うさださんの徴兵の話で思ったんですが、最近流行っているJR西日本の「不適切な行動」っていうのも、非常事態に直面したら人は不適切な行動をしてはいけない、組織の一員として責任を果たさねばならない、所属する組織に対する愛情がないととんでもないことになる、というメッセージをこれ見よがしに放っている人が、裏にいるような気がしてなりません。
2005年05月09日
01:01
たしかにー。
あれを敷衍していくと、夫の会社が不祥事を起こしているのに、妻が友達とのみに行ったりするとはなにごとか、みたいなことになりかねません。そういうことって、すでにみんな忘れてますけど、ちいさなファシズムですよねー。
ちいさなことの積み重ねは、大きなことにつながります。「海と毒薬」とか読むと、戦争でとっても異常な事態に突入したりするのも、そこに至るまでのいきさつは、けっこう日常だったりするんじゃないかと思います。
もうすでに、「戦争、だからナンなの」みたいなことになってたりするのかもしれませんけど。
2005年05月16日
10:40
ユミ
カメレスすいません。

>そこに至るまでのいきさつは、けっこう日常だったりする

うん、これが怖い。
大声で大勢で「正義」を叫びだしたりしたらもういけない。
とくに、マスコミは「文化」という「蔑み」をおぼえたほうがいいよね。(太宰です。すみません。)
みんなの代表(これもトリハダ!)を標榜してるならなおさら。

と、これに関しては、ほぼアレルギー。

前に友達が死んだ時、なんで世界は昨日と一緒なんだろうと理不尽な怒りみたいなものを感じたけど、人が死ぬ度にインデペンデンスディになってたらそれこそたいへん。
非常事態のすぐ隣でクールな日常が進行する自由くらいは自然の摂理だと思うんだけどなーーー

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