安斎利洋の日記全体に公開

2006年06月24日
14:29
 考えられないことを考える方法はあるか
承前

照明器具から虫が逃げないことに関して、にしのさんいわく

>もしかすると人間の回りの見えない障壁は人間であるかぎり
>超えられないという隠喩かもしれません。

人間にとって照明の外に開いた穴ってなんだろう、と考えても、それは人間にとって「考えることができないこと」だから、存在しないのと同じ。

でも、人間よりも外の知性が、ぼーっと下から見上げながら、なんであの人間たちは外に逃げていかないんだろう、と思っているかもしれない。

その「考えられないこと」を考えることを可能にする技術はあるのだろうか。たとえば、人間はある複雑さ以上に複雑な文章を理解できないけれど、それを理解可能にする翻訳機があれば複雑な文を扱うことができる。

同じように、人間が考えられないことを思考可能にする翻訳関数はあるのか。

それとも、そもそも人間の作る関数で超えることができるのは、照明の中なのか。
 

コメント    

2006年06月24日
14:52
machiko
これは、「人間より利口な人工知能をつくることはできるか?」という命題と相似かもしれない。
2006年06月24日
14:54
安斎利洋
たしかにそうですね。
人間より利口な人工知能ができちゃったとき、人間は人間より利口であることを理解できるか、という命題に置き換えてもいい。
2006年06月24日
14:54
Linco
曲を作っている最中に聴ける曲ってないかな〜、と考える事があります。
2006年06月24日
14:57
安斎利洋
深いなー。
人間よりも賢い音楽は、人間界では売れないだろうな。
2006年06月24日
15:01
ユミ
被験者であるアルジャーノンが実験者の頭脳をはるかに越えた一瞬に通じますね。知の不幸。。。かも?
2006年06月24日
15:16
安斎利洋
人間の中に、人間を超える個体が異端として発生している、ということも考えるべきですね。
2006年06月24日
15:53
miyako/玉簾
>人間の中に、人間を超える個体が異端として発生
どういう物なのか想像できませんが、そんな賢い何かが住んでいたら、知らない間にさらさら血液にするように仕組んでくれたり、失敗したら説教とか教えとか回答とかが頭に何故か浮かぶとかそんな感じなのかなあ。
ありがたいけれど、説教系はいやんなるかもしれないなあ。
その個体は、宿主がどんなに恩知らずでも耐えなきゃなんないのかな。だって宿主がなくなったら困るから。
すみません、コメント馬鹿みたいですね。
2006年06月24日
16:28
H.耕馬
>そんな賢い何かが住んでいたら

SFだったらレンズマンとか。
ミクロメリディアンの値を測って下さい >unxi
2006年06月24日
16:28
godzi2
子供の頃「宇宙には果てがない」と聞いた私は、「果てがないってどういうことだろう?」と考え続け、星空を見上げるたびにとてつもない恐怖に襲われるようになりました。
自分が宇宙に吸い込まれるような感じ。
それは何年も私を苦しめたのだけど、ある日ふと「分かんないことはやっぱり分かんないんだ!」という結論にたどり着き、それから健やかに成長することができました。
ああ、よかった!
2006年06月24日
17:18
Yuko Nexus6
godzi2さんと同じように、私は「死んだらどうなる」が気になって恐怖にかられておりました。いまでも時々かられます。
2006年06月24日
18:15
にしの
計算機のやり方が人間には見えないものを人間に見えるところに持ってきてくれる可能性はあります。四色問題あたりや、人間より強い探索型チェス専用マシンはこの意味に結構近いかな。見えないではなくて、見えづらいだけかもしれません。ともかくやっていることは単純で、それを賢いと呼べるかどうかは分かりません。

超音波の「見える」動物もいますし、
人の見えない抜け道の見える「モノ」が人間より賢いかは何とも言えないとおもいます。環境に適応しただけともいえます。
2006年06月24日
21:03
小林龍生
>>たとえば、人間はある複雑さ以上に複雑な文章を理解できないけれど、それを理解可能にする翻訳機があれば複雑な文を扱うことができる。
ということと、
>>考えられないことを考える方法はあるか
ということは、本質的には別のことだと思う。
2次元の世界で複雑な図形が描けるということと2次元では3次元の図形を十全には表現できないこととの関係に似ている。
ぼくは、後者の問題意識を持つ安斎さんにすごく共感する。
その上で、当面の解決策というか次善の逃げ道としてぼくが常々心がけていることは、自分には(おそらくは原理的に)考えられないことがあるかもしれない、という想像力を働かせることなのだ。
2006年06月24日
22:34
安斎利洋
>ありがたいけれど、説教系はいやんなるかもしれないなあ。

人間を超える人間は、おそらく弱々しい引きこもりとして、真価を知られぬまま死んでしまうのでしょう(涙)。

>ミクロメリディアンの値を測って下さい >unxi

それなんだっけ。

>「果てがないってどういうことだろう?」と考え続け、
>星空を見上げるたびにとてつもない恐怖に襲われるようになりました。

それですよ。宇宙空間の果てのその向こうについて考えるときの、その茫漠とした気持。
宇宙空間を、知識空間と読みかえればいいわけだ。

>「死んだらどうなる」が気になって恐怖

死への恐れの根本にあるのも、自分に関する経験であるのに、自分が経験できないという恐怖ですね。
2006年06月24日
22:44
MATANGO
ずっと前、職もなくぶらぶらしていた時のこと...。
カルロス・カスタネダの本を読んでえらく気に入って...というか呪術師ドン・ファンじいさんに心酔しまして、こんな「本当の世界」があるのなら、これから職を探して「まともな生活」をするのは意味ないかも...と思ったりしました。

でも、だからどうするということもなく、まもなく職も見つかったので、「本当の世界」のことは、なかばなかったことにしてきました。

しかし人間はふつう、ちょうど照明器具のなかの虫のようなところにいて、うまくやってるような気がしてるのだけれど、修行なりなんなりすれば、その枠をこわすことができる...。

ただそれは、すごく危険なことなので、やるのはすごく難しいのだ。
ちなみに自分は勇気がないので、枠の中で、まあそこそこよろしくやっている...。
ということを、ときどき思うのです....。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0420.html
2006年06月24日
22:57
安斎利洋
にしのさんが言う
>見えないではなくて、見えづらいだけかもしれません。

は、同感。たとえばマンデルブロ集合は人間の脳だけで可視化することはできなかっただろうけれど、それはピタゴラスが図を描いて幾何学を考えたことと本質的に違わないのではないか。すると、マンデルブロ集合は人間の知りうることの範疇だ、となる。

すると小林さんが言うように、これは本質的に「考えられないことを考える方法はあるか」とは別の問題として絶縁していい、ということになる。それでいいのかどうかが、まだはっきりしない。

人間が考えられないことを、人工のシステムが、遠い未来に考えるようになる、ということがあるのかどうか、と言う問題。

そのとき、人間の脳の外で何かが「考えている」ことと、人間の思考が相互作用することはないのか。

もうひとつ現代的な問いかけとして、人間が自分の脳を改造して、「考えられること」を拡張することは、原理的に可能だろうか。
2006年06月24日
23:33
安斎利洋
MATANGOさんの話も、化学的な脳の改造、と考えれば同じ問題に行き着きます。
2006年06月25日
00:22
びすけっと
虫に,照明の穴を教える技術はあるのでしょうか?棒かなにかで,穴に誘導してあげることはできるけれど,それじゃあ虫にとって穴を理解したことにならないので,次回も同じワナにはまります.

虫用のHMDができたとして,普通の明かりよりも穴の方が明るく見えるようにしたとすれば,いつでも穴を見つけることはできるかもしれません.でも,今度は普通の明かりを見つけることはできないので,虫は,自らの意思でHMDのON/OFFを切り替えられなければなりません.

で,もしそういうHMDを発明できた虫がいたとして,そのON/OFFを自分で制御できたとしても,それを他の虫に教えることができるでしょうか.自分たちより下等なプランクトンがワナにはまる例をつかって,他の虫に説明するんでしょうかね.
2006年06月25日
00:42
安斎利洋
実にたくみな比喩ですね。

もし、「人間が知覚できないことを知覚する技術」を作ることができても、虫がHMDをオンオフできないように、それは人間には使えない技術だろう。

使いこなせる技術から体験できることは、そもそも人間の経験可能な範囲内だ。

つまり、技術というのは人間に備わった小さい可能性を増幅するけれど、0を増幅することはできない。

ということを、この話から読み取るべきなんでしょう。か?
2006年06月25日
00:48
びすけっと
「人間が知覚できないこと」を定義したんだと思います.
2006年06月25日
00:48
miyako/玉簾
>宇宙空間の果てのその向こうについて考えるときの、その茫漠とした気持

偶然ですが、今日、N.Y.の天文学者の方々が来ましたよ。
すごく落ち着いてましたが、それは「茫漠とした気持」を何度も持ったせいなのかなあ。
2006年06月25日
00:55
MATANGO
>人間が自分の脳を改造して、「考えられること」を拡張する

これは可能だと思います。
いま、「拡張できるのか?」なんて考えてること自体、自分で脳を改造して、考えを「拡張」していることだ...といえると思います。

...て、なんだかあげ足とりみたいですが、そういうふつうの「拡張」とか「学習」でも、どうしても到達しにくい、まさに「見えづらい」ものもある。

それはなにか?

このまえ視覚と触覚ということで言われていたこと...これは、じつに本質的だと思うんです。

見ていちどきにバッとわかるものと、触ってシーケンシャルにわかるもの...これは音のようにわかるものともいわれてましたが、それがなかなか人間にはいちどきに把握できない。

というか、そうして「わかった!」「把握した!」ということがおこると、どうもたとえば「鳥」というのを、それそのものではなくて、「鳥」という概念で大ざっぱに納得しているような...なにかどこか「漏れている」というような違和感がある...。

たぶん、あの養老先生の言うように、ここには聴覚と視覚が脳ではわかれている...というような解剖的事情があるんでしょうが、これをたとえば外科手術で改造する...てなことで、くまなくしっくり「わかる」というようなことができるのか?

よくわかりませんが、こういう風に「先端的にわかる」ということと逆に、「退行してわかる」ということもあるのかなと...。

たとえばミミズは、人間の限界を超えて、「わかる」ことが、じつは、なんなくできているのかもしれない....というようなことを考えました...。
2006年06月25日
00:59
安斎利洋
おそらくHMDは外部の装置だから、ピタゴラスの作図と同じことになるんじゃないかな。

虫が虫であることを超える発明をしたら? そしたら、ほかの虫に説明する必要はなく、ほかの虫の中でも発動するシステムを作ればいい。

そのシステムは、ソフトウェア(ファームウェア)でも可能なのか。ハードウェアをいじらないとだめなのか、というのも問題だ。
2006年06月25日
01:05
安斎利洋
>「先端的にわかる」ということと逆に、「退行してわかる」ということもあるのかなと...。

MATANGOさんが言っているのは、ソフトウェアで人間は拡張できるってことですね。それは、忘れられたAPIが眠っているからだ、と。

ネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか」という本は、そういうことを考えている、ような。読み返してみよう。
2006年06月25日
01:11
安斎利洋
>今日、N.Y.の天文学者の方々が来ましたよ。
>すごく落ち着いてましたが、それは
>「茫漠とした気持」を何度も持ったせいなのかなあ。

観測可能な宇宙の縁を探す熾烈な研究は、茫漠となんかしてられないかもしれません。
2006年06月25日
01:52
安斎利洋
照明の外に飛んでいけるようなHMDを作ってしまっても、それを装着してONすることに気づかないとして、それを超える方法:

無数の装置を作り、ONやOFFを含む無数の状態を作り、遺伝的アルゴリズム的に無数の虫に装着していくと、脱出する虫が出ててくる。

というメタファーは、人間の知の限界に適用すると、何を意味するんだろう。
2006年06月25日
11:51
脳の使われていない部分の拡張をいかにするかという試みは
様々なされているのだろうけど

>>「先端的にわかる」ということと逆に、「退行してわかる」ということもあるのかなと...。

もしかして、スキャナーズではないが、
使わないことによって、照明の外にはゆけなくなるような強い指向性の記憶を持っているころなどを抑制しているのかも。
考えられないことを考えたり、封印されていたモノの封印の封印を解く事は、形は変わらないけど、ハエ人間や、蛾人間になることだったりして。
若者の昆虫化はもうはじまっていたり・・
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200606/sha2006061601.html
(脱線でした)
2006年06月25日
12:12
安斎利洋
10代の頃、駿河台下の交差点など、とくに高い周波数の音が強い場所があったんだけれど、友達でも聞こえない人と聞こえる人がいました。いつのまにか、自分も聞こえなくなってしまった。最近も可聴域ぎりぎりの音を聞くような気がするけれど、耳鳴りだったりする。
2006年06月25日
20:53
H.耕馬
それは、この話とシンクロニシティ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=161017518&owner_id=265050&comment_count=43
2006年06月25日
20:54
H.耕馬
↓ココに15Hz〜22.05KHzの音があるのでドコまで聞こえるかテストできます。
http://www-antenna.ee.titech.ac.jp/~hira/hobby/edu/sonic_wave/sine_wave/frequency/index-j.html
2006年06月25日
22:36
脱線した続きですが、上の耕馬さんがあげてくれたリンク、
私はヘッドフォンで15キロヘルツまでしか聞こえませんでした
ヘッドフォンをはずして、スピーカーで鳴らしていたら、
私には聞こえないのに
隣の部屋にいるチビが
『何これ!怖い音!お母さん何をしてるの?』
と言ってやってきました。19キロヘルツまでは聞こえるようです。
2006年06月25日
23:09
Linco
確かmp3は16k以上のレベルが落ちているはずです。
WMAってどこまでフォローしているのでしょう?
2006年06月26日
00:15
MATANGO
>忘れられたAPIが眠っているから

忘れられた、というのもあるでしょうが、それより多いのは、現にいまも機能してるんですが、それをわざわざ変形させて、あるいはフタをして、わけわからなくさせてる...ということなんじゃないでしょうか...。

人間の脳ってのはじつは余計なことをしていて、その機能をある程度停止させると、「わからなかったことがわかるようになる」...。

まえにテレビで、原始仏教独特の瞑想をしている最中に、脳の活動状態をしらべているのがあったんですが、左脳と前頭葉が不活発になっている...というのがすごく印象的でした。

禅宗の「不立文字」というのも、ほとんどそれと同じことかもと思うんですが...。

それと、カスタネダが紹介したヤキ・インディアンの呪術師ですが、これもたぶん同じようなことをやってるんです。
2006年06月26日
00:24
安斎利洋
>WMAってどこまでフォローしているのでしょう?

ビットレートによって違うけれど、圧縮率を下げるとmp3もwmaも20KHzくらいまであまり減衰しないはずです。しかもサイン波なら。
圧縮をたくさんかけると、wmaでも15KHzくらいでカットオフになるんじゃないかな。

しかし、若者はハイカットのmp3を聞いて、高域の聞こえない大人がDVDオーディオで聞こえない96KHzを鳴らしていたりするわけですね。
2006年06月26日
00:33
Linco
> しかし、若者はハイカットのmp3を聞いて、高域の聞こえない大人がDVDオーディオで聞こえない96KHzを鳴らしていたりするわけですね。

昔は男性でもパーマをかける方が結構多かったですが、特に年齢が上がる程Remix具合が激しかったのを思い出します。
2006年06月26日
00:52
>人間の脳ってのはじつは余計なことをしていて、その機能をある程度停止させると、「わからなかったことがわかるようになる」...。

BY MATANGOさん

私は多分、小学校低学年ごろまで、
今で言ったらADHDと言われるような子供で、
今思うといつも頭の中で、エコーが響きまくって、二つのことを同時に考えたりとか、なんだかワケガわからないというような状態でした。半分夢で半分現実みたいな。。頭の中のブンブンいうエコーを追い払うために走り回ったり、ぐるぐる畳の上で回ったりしてました。疲れると、丁度良い感じになるので。

そういえば、今日ダンナとチビはUFOを見たそうです。
私はその場にいなかったのだけど、
もし居て私だけ見えなかったら嫌だなぁ。。
2006年06月26日
00:55
miyako/玉簾
>観測可能な宇宙の縁を探す熾烈な研究は、茫漠となんかしてられないかもしれません。

うんうん、そう言われればそうかもしれません。発掘調査の時もそうでした。私にすればロマン溢れる仕事でしたが、教授などは発表に向けて忙しそうでロマンどころではなかったなあ。
2006年06月26日
01:03
安斎利洋
>その機能をある程度停止させると、「わからなかったことがわかるようになる」...。

MATANGOさんのこの話は、人間は言葉(ロゴス)によって世界を覆ったとたんに、たくさんの感覚を失っている、という話だと思う。人間が生来超えられない壁ではなく、生まれつきなかったのに、言葉で壁を作ってから人間はスタートするように仕向けられている。

計算の天才が、ある年齢でぴたっと計算できなくなる、というようなことは、まるで高域が聞こえなくなるように、なにかを失うんでしょうね。

これは大事なことです。なぜなら、もしかすると僕らに手の届く「照明の外」がある、ということだから。僕らにはもう手が届かなくても、照明の外を温存させる教育方法があるかもしれない。
2006年06月26日
01:08
にしの
ああ、そうですね!
幼虫ならうねうねと外に出られるでした。
2006年06月26日
01:16
安斎利洋
確かに幼虫は、ガラスの底にはいなかった。

サヴァン症候群は、おそらく超人間の兆しなんでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
進化担当の神様は、いまサヴァンを知的障害でない状態に接続しようと模索中なんじゃないか。

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