安斎利洋の日記
2006年06月24日
00:11
虫の幸せ・不幸せ
震災前、神戸三宮の骨董屋で買った、半球ガラスの照明。
窓をあけているこの時期は、ガラスの底に虫の死骸が溜まる。
どうしてこの虫たちは、逃げることができないんだろう、ってことを下から見上げながらずーっと考えている。
コメント
2006年06月24日
01:35
godzi2
ヒマなんですね。
2006年06月24日
01:36
安斎利洋
おかげさまで。
2006年06月24日
01:44
安斎利洋
godzi2さんのために解説すると、これは
科学が科学の分野の枠組みの中でしか真理を発見できないというクーンの隠喩
専業主婦を作るものと専業主婦の関係の隠喩
異端を発見できないamazonの隠喩
砂の女と同形の隠喩
ではないか
2006年06月24日
02:02
godzi2
違います。
と、思います。
2006年06月24日
02:05
安斎利洋
僕はあの虫たちは、自分が同じところをまわっていることに気づかないんじゃないかと思うんだけど。くだらない学閥の人々みたいに、中にいることが幸せなんじゃないかと。
違うというのは、彼らは逃げようとしている、ってこと?
2006年06月24日
02:05
小林千早都
>どうしてこの虫たちは、逃げることができないんだろう
私も、うちの照明器具を見ながら、
同じことを思ったことがあります。
逃げたくても逃げられなかったんだろうな、
ご愁傷様、と、あっさり考えをやめてしまいましたが。
2006年06月24日
02:08
安斎利洋
この照明は、上の面が全部オープンなんですけど、なぜか外に行こうとしない。
ハエや蚊は、かからないんですよね。ハアリやカナブンは、かかる。
2006年06月24日
02:25
みやばら
自分の顔は『自分で見る』ことができないのと同じで
メタで見ようとすることはできても、本当は見ることはできないのかもしれません。
20年以上集合写真以外の自分の写真がないのは
案外あたりまえみたいです。
2006年06月24日
02:41
安斎利洋
>案外あたりまえみたいです
そうなのか。
幸せそうな大量の虫が、いいじゃないの今が良けりゃ、と合唱しながら屍になっていくのもまた、現代の景色です。
2006年06月24日
04:12
イトカワ
底に蜜を塗って実験してほしいです。いろいろ
2006年06月24日
04:49
Fibonacci
まず、安斎氏に救出された照明器具に祝福!そして問題はそこで死に往く虫たちですが、極楽死との解釈のほうが心安まります。虫たちの集団虐殺装置を設置したと、安斎氏を非難はしない!
2006年06月24日
10:45
ryukow
あ、タイトル変わっちゃった。
2006年06月24日
11:55
安斎利洋
>底に蜜を塗って実験してほしいです。いろいろ
もともと集まってくるんで、実験するなら底に無視の嫌がるものをおいて、どこまでトレードオフするかというのが良かろうかと。
2006年06月24日
11:56
安斎利洋
>極楽死との解釈のほうが心安まります。
昨夜も迷い込んだ甲虫が、壁面をずっとぐるぐる回っていました。
・外に出ようとして必死である
・外のことがあることがわからない騙された奴隷
・外があることなんて承知の上で極楽を満喫している
どのようにもみえる。
幸せって、なんだっけなんだっけ、という歌を思い出しながら、ついじっと見入ってしまいます。
2006年06月24日
11:57
安斎利洋
>あ、タイトル変わっちゃった。
すんません。弱気な編集者のようになってしまった。
2006年06月24日
14:00
にしの
進化と多様性の問題ともいえます。
虫たちが進化適応した時代には、人間が作り出した壁もガラスも地上の光源もありませんでした。
彼らの「規則」にはそれが「見えない」ということです。
もしかすると人間の回りの見えない障壁は人間であるかぎり超えられないという隠喩かもしれません。
2006年06月24日
14:15
安斎利洋
>もしかすると人間の回りの見えない障壁は人間であるかぎり超えられないという隠喩かもしれません。
にしのさん、まさにそのことをずっと考えていました。
2006年06月24日
14:45
中村理恵子
>>もしかすると人間の回りの見えない障壁は人間であるかぎり超えられないという隠喩かもしれません。
日本の太古、縄文あたりを今、旅していますが。
大事に育てた娘が、とても好んで愛でた庭の梅の木。
突然、その娘が亡くなったけど、毎年、ある季節になると
蛇がやってきて、巻きつく。
「ああ、娘が生まれ変わってやってきるんだな。」
という結末に、かつては情緒的な感情を懐いてましたが
案外とても自然な、一個の魂の旅を率直に描写したものかもしれないね。
2006年06月24日
14:50
安斎利洋
え、あの虫は、死んだうちの父ちゃんかよ。掃除機で吸い取ろうかと思ってたのに。
2006年06月24日
15:47
miyako/玉簾
>ハエや蚊は、かからないんですよね。ハアリやカナブンは、かかる
なるほどー。習性もいろいろなんですね。
私の家の照明器具もまったくおんなじです。
2006年06月24日
22:37
ニューギニアでは、死んだ人の魂はチョウチョに乗って帰ってくるといわれているらしいです。水木しげるの本に。
昔ニューギニアで、村長さんのような人にウチの娘をもらってくれというようなことを言われて、娘さんも親切にしてくれて、
何か、後ろ髪をひかれる思いがしたが、日本に帰ってきて、
もう長い間がたって、ある時、ハイビスカスの鉢をめずらしく買っ
てきて、窓辺に置いておいたら、日本ではあまり見ないような種類の蝶が訊ねてきて、ああ誰かが来たんだなよ思ったとかいう話。
その前後にその娘さんが(もうおばあさんだけど)亡くなったという話を聞いたとかそんな話でした。
2006年06月25日
02:21
安斎利洋
>「ああ、娘が生まれ変わってやってきるんだな。」
>という結末に、かつては情緒的な感情を懐いてましたが
>案外とても自然な、一個の魂の旅を率直に描写したものかもしれないね。
なんでこの話が、虫の限界の話に結びつくのか、ようやくわかった。人間には神秘的な話に見えるけれど、実は人間に経験不可能な回路で、娘と蛇の因果が合理的につながっている、ってこと、だよね?
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