安斎利洋の日記全体に公開

2006年06月16日
15:01
 バトン
バトンが嫌いというフォマールさんから、バトンが回ってきた。
僕もバトンが嫌いなので、やってみることにした。

このバトン、変数『』が含まれていて、そこに文字が指定されてやってくる。
◆最近思う『』
◆この『』には感動
◆直感的『』論
◆好きな『』
◆こんな『』は嫌だ
◆この世に『』がいなかったら
◆次に回す人、15人(指定付きで)

僕へのお題は『mixi』。僕は固有名詞mixiへの思いはないけれど、一般名詞としてのソーシャルネットワークへの思いは深いので、mixiをSNSと読み替えた。

◆最近思う『SNS』
最近SNSについて思うというより、SNSが思っている。

◆この『SNS』には感動
頭の中にできつつあるmixiを乗っ取るシステム。

◆直感的『SNS』論
人間はゴキブリのように人間に集まる生き物である。

◆好きな『SNS』
SNSの革命性に気づいている人の日記。

◆こんな『SNS』は嫌だ
検閲に走るmixi。
コミュニティを必要とするmixiのシステムの甘さ。
マイミクという言葉。

◆この世に『SNS』がいなかったら
朝起きて一番目にすることが、変わるだけかな。

◆次に回す人、15人(『指定付き』で)
以下のテーマが響いた方、どれでもかまいませんので、もっていって、ここにリンクを報告してください。

『猫のひげ』
『アジアの新聞』
『穴のあいたパンツ』
『バトン』
『中世の悪党』
『水疱瘡』
『20世紀後半』
『美少年』
『茶柱のようなもの』
『頭頂部に生えてきた木』
『電池の切れたリモコン』
『シリコン』
『回転寿司』
『繭』
『途中で建設が止まった建物』
 

コメント    

2006年06月16日
15:32
Ken☆
◆最近思う『バトン』
ネズミ講+伝言ゲームみたい。一部が編成して似たようなのが出回ってる。
◆この『バトン』には感動
ウルトラマンの攻撃を全部無効化してしまったこと。
あ…………、これ「ゼットン」か。
◆直感的『バトン』論
同じものが回ってきても、結局止めることなくやってしまう。
直感的というより反射的?
◆好きな『バトン』
覗くと次の世界が見えてくるようなバトン。
◆こんな『バトン』は嫌だ
受け取ったら、なんだこのヤローと噛み付くバトン。
◆この世に『バトン』がいなかったら
琢磨がBAR HONDAに残れてた?!
◆次に回す人、15人(『指定付き』で)
略。
2006年06月16日
23:44
セン
> ◆最近思う『SNS』
> 最近SNSについて思うというより、SNSが思っている。

2003年にジャン・ボードリヤールが来日、早稲田で講演をしたとき、<思考する者>と<される物>の関係図式(<思考する者>が主体で、<思考される物>が客体、というような)をひっくりかえしてみる必要があるのではないか――たとえば、「<私>が社会を考える」のではなく、「<社会>が私を考える」といったように――という趣旨のことを、しめくくりに提示していたと私は記憶しています。

これはボードリヤールの発言と言っても、通訳された言葉であり、しかも全く私の記憶が頼りなのですが、おおよそこのような趣旨の発言だったはずです。とても印象的な問題提起でした。そのことを安斎先生のこのレスポンスから思い出しました。

バトンであろうとなんであろうと、どこまでも柔軟かつ論理的なスタンスを崩さず、それでいて衒学的にも嫌味にもならない安斎先生の応答能力に敬意を表したいと思います。
2006年06月17日
00:17
安斎利洋
センさん、拡張するエピソード、ありがとうございます。SNSが思っている、なんていうのは、昨今は酢鶏が言いそうですが。

ボードリヤールの予見したシミュラークル的な状況は、インターネットとWebによってはっきり具現したというイメージを、僕もふくめてみんなもっていると思いますが、もしかすると本領はSNSからじゃないか、という気もしています。とりわけ<私>とか主体とか作者・読者という問題は、SNSの中のテクストが、軽々といままでのテクストを乗り越えている。
2006年06月17日
03:21
セン
>安斎先生

たしかに。
また、SNSの他にもあげられる例がいくつかあると思います。

著作権を乗り越えて生成し得るテクスト群、 Wikipedia などは、「読者自身によって書き換えが行われる」という特異性を秘めてますし、「世界最強の検索エンジン」としてわれわれが日常的に利用している Google などは、その地球規模の汎用性ゆえに、逆にユーザーの思考を規定してしまう危険性をも秘めているかもしれないと思うと、何だか怖くなることがあります。
2006年06月17日
03:24
安斎利洋
googleは、本当にそういう意味での窒息感があります。知のマップが一つになる怖さ。そういう意味では、Wikipediaもどうにかしないとね。「作者の死」ではなく、怪物のような単一の作者の誕生になってしまう。

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