安斎利洋の日記全体に公開

2005年04月26日
19:47
 国家には顔なんかない
人間と同じように、企業にも国家にも顔があるという。

しかし、アメリカの友人の顔を思い浮かべているときは、アメリカの顔は友人の顔ではないし、ブッシュの顔が乗ったボディの一部に友人が属しているというふうには決して思えない。だから、僕にとって友人のいる国には顔がないし、友人のたくさんいる企業にも顔がない。

よく「男の方って〜だから」という女性がいるけれど、僕はあれが大嫌いだ。個々の男を男の平均顔の一部として見ている女とは、僕は一生かかわらないと思う。個別の友人、個別の恋人に気持を向ければ、集団の全体を代表する顔なんかないはずなのだ。

青森産のニンニク1個250円と、中国産ニンニク5個100円を並べて、一瞬ケンカを売っている中国の若者の顔が脳裏をかすめ、つい青森産を買ってしまう。中国の顔に彼らを乗せているのかと自問自答してみるが、よくわからない。ただ、全体主義が染み付いている彼らにとって、僕ら日本人が扶桑社の歴史教科書を顔にのせたボディの一部に見えているということがたまらなく不愉快であることは確かだ。

カンブリアン・ゲームを、アジアの個別の顔を結びつける遊びにできないかな。
 

コメント    

2005年04月26日
20:03
HAL_♪I'm the one.
納得です。
顔は各々が持つ物。
民族みんなが同じ顔だと区別が付かないですからね(^_^)
顔文字でも見た目はみんな同じだけど、
言ってる意味が違うから。(^o^)(-_-)(*^_^*)
2005年04月26日
20:59
imochang
「つくられた顔」と「ほんとうの顔」は違う。
「つくられた顔」に踊らされたくない。
うちの大学には中国人留学生がたくさんいたけれど、みんな普通にちゃんと自分の顔を持っていて、お互いの顔でコミニュケーションすることができた。それが当たり前だった。韓国人留学生も。
学校の式典で無闇に国歌斉唱を義務づけたり、教科書から不都合を消去しようとする日本の「つくり笑顔」は、ひたすら醜い。
日本には、たくさんの在日朝鮮人の方がおられること、そして、彼らがいる経緯を決して私たちは忘れてはならない。
2005年04月26日
21:08
日本には天皇という顔がある。
それは朝鮮人民共和国の金正日と同じ事だ。
2005年04月26日
22:40
gilli
>よく「男の方って〜だから」という女性がいるけれど、僕はあれが大嫌いだ。

私もそういう女性は苦手かもしれません。えてしてそういう表現をする女性は「女性はかくあるべし」というワクを持っていることが多く、その彼女にとっての「かく」あるべきものは私にとっては非常に居心地の悪いものだったりするからです。
2005年04月26日
22:40
安斎利洋
日本の中にいると忘れますが、金日成のカウンターパートは首相ではなく天皇なんですね。
2005年04月26日
23:16
imochang
金日成、金正日の名はすぐに出てくるけど、小泉さんの前の首相の名前、思い出せません・・・私だけでしょうか?
でも、金日成と金正日では、歴史的な意味合いからいって、根本的に違う「顔」の持ち主であるような気がします。
同時に、世界において、今の日本の「顔」って、もしかしたら、アニメとかゲームのキャラクターかもしれないな・・・とも、ふと思いました。
もしも国家に「顔」があるならば、それは、その折々の権力者の顔なんかではなく、その国がずっと紡いできた「文化」や「歴史」からこそ読みとられるべきものではないでしょうか。
男性も女性も、枠でつくられるわけではなく、各々が辿ってきた生き様が、そのひとだけの素敵な「顔」をつくるのですから・・・
そうして考えると、カンブリアンで、豊かにつながることができそうな気がします。
2005年04月26日
23:51
安斎利洋
あ、打ち間違いです。金日成→金正日

カンブリアンは、韓国、台湾、中国とのコラボレーション企画を目下思案中です。
英語を共通語にしようかとも思ったんだけど、漢字を使うのも面白いかな、と。
2005年04月27日
01:20
あ っ こ
日本人も在日中国領事館や関係機関の建造物に損害を与えるようなことをしっかりやってますね。今回に関しては損害の額は比べようもないけれど精神構造は各国どんぐりの背比べですよね。

政治的な問題と個人の感情の問題は同じ土俵で論じると見ためショートケーキにキムチを乗せたようになるのと思いますね。

遊びが文化交流になることは古のむかしから証明されています。それから芸術も異文化の壁をあっというまにふみこえてゆくものの一つでしょう。おそらく実験としては「言葉を使わない遊び」というのが一番面白いような気がします。

漢字は簡体字と繁体字とで表記が異なりますし、英語でインスピレーシが湧き思考を組み立てるとなると高度な語学力を有すでしょう。本当はハングルのような音を記号化したアジアの言語システムがあると面白いのかもしれませんね。
ルールの説明などは普通どの国の国際マニュアルでもそうであるように、同時3ヶ国語とか5ヶ国語表記が一番バランスがいいとおもいますね。




2005年04月27日
10:01
imochang
>漢字は簡体字と繁体字とで表記が異なります

ああ、それと同じ漢字でも、日本と中国では異なった意味で用いられているケース、多いですね。
その違いを楽しめれば、これまた一興なのですが、そのためには、かなりの相互理解が必要となるでしょうね。
以前にご一緒させていただいた「単純な絵で意味を表し、それを組み合わせて文章をつくる」プロジェクトですら、各国で、どれだけの差異がでてくることでしょう・・・これは、もう実験されたのでしょうか?
あと、「音」のカンブリアンこそ、異なる言葉を用いる国をつなぐ遊びにふさわしいかもしれないと思いました。

あ っ こさんのショートケーキにキムチ・・・という表現は言い得て妙です。
美味しかったら、どうしよう・・・と、ふと思った私は、はっきり言って、バカですな・・・
2005年04月27日
10:08
imochang
あ、書き忘れ。
「音」のカンブリアンの「音」には、当然、それぞれの国の「言葉」や「発音」、独特の「かけ声」なども含まれます。
それぞれの国の、それぞれの旋律の「鼻歌」なんかがつながったりしたら、面白いかも。
2005年04月27日
10:32
ユミ
>ショートケーキにキムチ
これは、ごはんにキムチが正しいでしょう、、日本ですから、、、
とすると、確実に美味しいですねっ!!

カンブリアンここら辺りを狙う?
2005年04月28日
02:24
miyako/玉簾
あっこさんの
>おそらく実験としては「言葉を使わない遊び」というのが一番面白いような気がします。

これを読んで「あ、音楽だ。」と思った。

imochangさんの
>音」のカンブリアンの「音」には、当然、それぞれの国の「言葉」や「発音」、独特の「かけ声」なども含まれます。
それぞれの国の、それぞれの旋律の「鼻歌」なんかがつながったりしたら、面白いかも。

とても的を得ています。私もそう思います。かけ声の掛け方だって、本当に違う。近場で言えば「oh,yeah!」が沖縄では「イヤサーサ!」だったりする。
言語によって、発音、発声、呼吸法が違う。
声はとても直接的で、雰囲気の違いが現れやすい。
楽器を使ったとしても、音楽の組み立て方やテンションの使い方に民族の違いが現れる。民族、文化の違いは、国境ではわけられないし、非常に入り組んで溶け合っているね。
そういう意味でも音(or音楽)は、深くネガティヴなところに触りにくいコミュ二ケーションだと思う。
あと、イメージで繋がる方法。それは抽象的な絵かなあ。それとも色のくくりだろうか。そのへんは、私はいま、あまりクリアに想像できないけれど。

とにかく「韓国、台湾、中国とのコラボレーション企画」は、大変興味深いですね。もしアジアがうまくまとまれば、凄いパワーを発すると思います。
「アジアがまとまる」ということに対して、アジア人全体(とりあえず近場の国々は)もっとポジティヴな想像力を働かせて物事を考える姿勢が持てるようになれればいいなあと思う。
この企画で、そんな風な感じで人が繋がっていけば、それはとても素敵なことだと思います。
2005年04月28日
02:29
miyako/玉簾
書き忘れですが、
このセッションが小さくともその礎にならんことを。

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