安斎利洋の日記全体に公開

2006年06月13日
02:21
 再会、触覚連画
写真

全盲の画家、光島貴之さんに会ったのはおよそ10年前。彼の見せてくれた一枚の絵に、衝撃を受けた。

たとえばテーブルの上のビール瓶を、自分はこのように見た、と報告するのが絵画だとする。それを、自分は違うなにものかに見る、と報告して会話が始まるのが連画だ。光島さんの絵には、あるものをあるもの「として見る」ということ自体への問いかけがあった。どうしても、光島さんと連画がしたい、と思った。

彼に絵を伝えるために、CGを凹凸に加工する方法を模索した。加工した凹凸を光島さんが作品の中に再利用する方法も考えた。そうして、光島さんと中村さんと僕との3人のセッションを、2回やった。刺激的な経験だった。

光島さんと会うのは、5年ぶり。昨日は早稲田で講義、明日は造形大で講義、その合間につかまえて、新宿で一献。最近は平面でなく、立方体をベースに触覚絵画を作っている。

「〜として見る(see as 〜)」ということは、僕らにとってまだまだ中心をなすテーマで、昨年の「星座作用」は、ふだん見ているものを「〜として見る」という転換によって、新鮮な切断面を晒す実験だった。

飛んでいる鳥は、触ることができない。その鳥が、光島さんの作品にときどき現われる。鳥を鳥として見る、ということについて、最近はどう考えている?
「うーん、まだよくわからないんだけど、でも鳥はきっとこういう形のほうがもっといい、と思う形を作っている、のかなー」と、光島さん。

また、彼とセッションをしたい、と思った。

触覚連画
http://www.renga.com/tactile/index_j.htm
光島貴之HP
http://homepage3.nifty.com/mitsushima/

写真
左から、阿倍こずえさん、光島貴之さん、中村理恵子さん、草原真知子さん、木原民雄さん
 

コメント    

2006年06月13日
13:36
俳胚
此岸にあって、古曲に曰く:”ーーー心づくしの楫枕 差して行方は遠くとも 遂に寄る辺は岸の上の 松の根硬き契りおば せめて頼まんーーー”

三途の川原の向こう、彼岸にある画廊には案外こんな触覚連画様の作品が並んでいるのかもしれない。
契りを超えて何世代にも渡って連綿と継続した連画。
 
2006年06月13日
17:04
安斎利洋
連画黎明期を精神的かつ物質的に支えてくれた人は、草原さん、NTTの木原さん、ICCの大和田さん、ジャストシステム(当時)の小林龍生さん、そしてなんといってもNECの俳胚さん。

みなさんとは一生のお付き合いになると思いますが、そうですね、川原の向こうってのもあったか。長いなー(笑)。
2006年06月13日
22:36
machiko
きのうの光島さんの講演、とてもインパクトありました。
私自身、アイマスクをつけて光島さんが描いた空間を辿るのははじめての経験でした。
光島さんのナビゲートがなかったら、道に迷ってますね。

見るということ、表現するということが何を意味するのか、それを考え続けてきたと自分で思うけど、光島さんは、私のものの見方に大きな一石を投じた1人です。

久しぶりにみんなで集まれてよかった〜!
2006年06月14日
17:05
安斎利洋
>見るということ、表現するということが何を意味するのか

結局ここですね。どんなに新しい技術や視覚に眼をくらまされても、見ることは何かというテーマに帰ってくる。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ