安斎利洋の日記全体に公開

2006年06月04日
14:32
 盗作画家2
いま読んでいる本にある、「維摩経」の話が面白い。

主人公の維摩さんをV0とし、一番目の修行者をV1、以下V2,V3...Vnとして、うんとはしょって言うと、こういうこと。

「二項対立ってなんだ?」というテーマをV0が言い出す。つまり、善悪のような二元論をやってるからダメなんで、それを洗い出すブレストをしてみようよ、っていう議題がV0から提出される。パワポを使って、修行者たちが順番に発表をしはじめる。

V27「生じること:なくなること」

(中略)

V16「幸福:不幸」
V15「世間:超世間」

(中略)

V2「「功徳:非功徳」ということを考えること:考えないこと」

(ここで、いっきにメタにジャンプした。V1は一般化を試みる)

V1「言葉:沈黙」

(最後にV0は)

V0「」

(絶対的な沈黙)

盗作画家の話を思い出した。

盗作画家と、盗作しない画家の差は、きっとV16とV15の距離くらいしかない。

ピカソはアフリカの美術やベラスケスを貪欲に盗んで、自分の作品にレンダリングする。しかしピカソは面白いのは、ピカソがV2だから。

さてこの話の延長を考えよう。V0っていったい....
 

コメント    

2006年06月04日
15:43
今日テレビのニュースショーでやっていたけど。
あの人は、芸大現役合格で、
卒業後すぐに、国費留学生として、フランスやイタリアへ行って、
古典絵画の修復を学んで、その後修復の仕事をしていたそうです。
大学も奨学金だし、向こうでも、国費留学。

模倣ということに、喜びがあったのかもしれない。
そして、ずっと他者から、
ある権威と特権を与えられてきた。
77年に帰国して、すぐに国画会に入って特選をとったとか。
模倣なら模倣で、それをちゃんと表明すれば良かったのに。
sugiという人はイタリア語でテンプレートと言っていたけど、
模倣とか盗作とか転用とか日本語だと多用な表現になるけど、
イタリア語ではテンプレートなんだなぁと。

鑑定団の再放送を見ていたら、
棟方志功の鯉の版画が出てきて、
棟方志功は
『私の鯉は泳ぐようなもんじゃない。本物の鯉が見たら、
驚いて、思わず池の水の奥に隠れたくなるよな鯉だ』と言ったとか。

余談
和田という人が「ピカソだって盗作の神様だ」と言ったことについては、内田裕也が、『ピカソが盗作の神様だなんてふざけんじゃねえ。ピカソにはロックな魂があるんだ。ばかやろう』と言ってました。(笑
2006年06月04日
15:58
きのちゃん
VΩ「「」」
(絶対的な沈黙についての沈黙)
ってことにはならない。「」では記法として不足なんですね。
2006年06月04日
16:14
安斎利洋
>、『ピカソが盗作の神様だなんてふざけんじゃねえ。ピカソにはロックな魂があるんだ。ばかやろう』

このくらいの差だったら、ピカソはV7くらいかもね。
2006年06月04日
16:16
安斎利洋
>「」では記法として不足なんですね。

確かに「」で記述できるのはV1までで、V0の沈黙は「」の外ですね。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ