安斎利洋の日記
2006年05月30日
23:38
複雑系はもう古い?
前の日記で、klonさんと武満について話していて思ったのは、15歳で被爆する文化というのは決定的だな、ということ。
猿のイモ洗いの話で、新しいことをするのは若い猿だ、というのがあるけれど、僕もそう信じていたので、自分を拡張する方法を学んだのは十代のときだと思っていた。でも、ある意味それは逆で、たまたま自分をとりまいている文化に方向づけられるのが十代で、そのレンジは想像以上に狭いんじゃないか。自分を異端にする方法を学んだのは、むしろもっと大人になってからだ。
あるフレッシュな研究者が日記で、AIに興味がある、と書いている。すると同世代の研究者が、AIなんて言ってるのはアメリカにはいないよ、と言う。そうか、複雑系同様あんまり口にしないほうがいいね、という話になる。ありがちな話だけれど、こういうのはがっかりする。
ほかのひとに認められないことなんて、したってしかたない、というフィードバックは異端を中心にひきつけてしまう。かくして、流行した概念装置は、まだまだやるべきことを残しながら消費されつくしてしまう。アカデミズムだけじゃなくて、アートだってけっこう同じ原理で動いていている。
若さという保守性は、けっこう手ごわい。
コメント
2006年05月31日
00:10
大和田龍夫
イモ洗いのサルの話で、新しいことをしたのは若いサルというのではないのかと。
たまたまイモ洗いをしたイモちゃんは、メスサルであって、まだ子どもがいない頃に洗い始めた。
まねしたのはまずお友達のサル。
爆発的に普及したのは「子ザル」が真似したからであって、
他の群れに普及したのは「オスザル」が放浪癖があったからで、
新しいことをするのは単なる確率と真似をする確率がシンクロしたときだけなんではないか。
ということはサルの話で学んだことであります。
そこに若いかベテランかというのはあまりないような・・・。
いえいえ、違った。
最後まで群れで真似しなかったのは「ボス」と「ナンバー2」そこにはプライドというものが真似をするのを阻害していたということも学んだか。
2006年05月31日
00:13
安斎利洋
子供っていうのは、ヒトで言うと10歳より前か。
若さって、構造が単純でないですね。
2006年05月31日
00:23
ミレイ
まさに私の年代(もう少し下かな)がそうなのですが、
個性やポリシーを主張しながらも、実は他者の目をいつも
意識している人が多いですね。そのことすら自覚していない
のかもしれません。
でも70年安保の顛末のことを思えば、それは若者の性なのかも。
だから、流行は立ち現れると同時にマスコミに食い尽くされる
まで徹底的にメジャー化され、金を生み出す価値を失えば、
現れた時以上の速度で廃れていく。
本人たちは「選択」しているつもりかもしれませんが、実際は
彼らの自意識を扇動するマーケットに踊らされているだけ。
戦後の日本の文化が成熟していかないのは、マーケットが
ターゲットとしている対象が若者に偏りすぎているせいも
あると思うのです。
2006年05月31日
00:29
大和田龍夫
違うことに生き甲斐を感じる人と同じコトを見つけて喜ぶひとと二種類いるような気がしています。
「問題発見」の時代が終わり「兆し」ということばがどうやら流行りつつあるみたいで、その兆しなるものをどのように「風が吹けば桶屋が儲かる」シナリオを書けるか、というようなことがどうも企業などで着目されているようです。
分析では会社は元気にならなかったという反省の反動のようです。
2006年05月31日
01:01
安斎利洋
>それは若者の性なのかも。
そう思います。僕は大和田さんの言う「違うことに生きがい」の方だと思うんだけれど、それでも若いときは与えられた文化フィールドのエッジにいるだけだったような気がする。そのエッジを越えるのは、若くちゃできない。
最近思うのは、ふるいを勝ち抜いてきたごく一部の老人は、すげぇな、ということです。
2006年05月31日
01:02
machiko
広告代理店的思考が、社会に浸透しているみたいですね。
初ガツオは女房を質に入れても食べ、ふんだんに出回った頃は、「あ、もう盛りを過ぎた。そんなの遅れてる」というような。
2006年05月31日
01:08
安斎利洋
うまい比喩だな。初がつおで儲けて、売り抜けようとするヤツって、たいてい知識が浅くて話が長い。
2006年05月31日
01:13
H.耕馬
>初ガツオは女房を質に入れても食べ
そのまま質流れさせて、新しい妻をメトルってサイクルなら憬れるなぁ。。。
2006年05月31日
01:24
ikeg
研究者じゃなくて学者になりたい。だから流行はいいや。複雑系は古いですか。そうかもしれない。15歳で被爆か、ぼくはまだ10歳くらいなので未知の領域です。明日、小柳にオラファーが来ますが、行きますか?
2006年05月31日
01:56
安斎利洋
そうだ、この言葉を忘れていた。
人間、十五歳になったらもう終わりさ。
>明日、小柳にオラファー
オラファーとテイラー渦をやる、とか。
2006年05月31日
11:39
安斎利洋
カンブリアンゲームで、子供が子供の絵を描く限界は、だいたい10歳でした。10歳より下の子は、集団としても特別な共振する力をもっているように思う。それを超えると、友人の絵に「死ね」と漢字を書いたりする。記号的なコミュニケーションが優位になってくる。
2006年05月31日
11:45
jetson
サルのいも洗い話はライアル・ワトソンの『生命潮流』の中で『他地域への距離を越えた意識の伝播』をした、というのが印象的でした。 ふるいをかえられて生き残る情報の一般化のプロセスを生態系の中で眺めてみて。
小柳にオラファー<そうでした
2006年05月31日
13:23
大和田龍夫
なんで日本中のサルがというのは今ひとつ分かりませんが、幸島は泳ぎの苦手なサルでも向こう岸に渡れる日がある。という事実は現地にいけば分かる話だったんですが、ついつい超科学に走るのは残念ってことを感じました。
類似の例では、お酒作りがその例に当てはまるような気がしています。
安斎さんにはその「コピーミス」こそ文化ですよね。などと話をしたのは多分2003年の話だったかと。
2006年05月31日
21:20
「新しいことがやりたいが」
「異端でありたい」にかわって
「異端と同じように見られてたい」にかわって
結局は新しいことをやてtる異端の人のまねごとか、コピーミスをやってるだけになってたのかもしれません
反省です
勉強がたりないのをごまかすのはやめないといけないですね
2006年05月31日
23:02
安斎利洋
>ついつい超科学に走るのは
こういう話をきくと、ヒトの赤ん坊を10人くらい、孤島に隔離して育ててみたくなりますねー。いや、聞かなかったことにしてください。
たぶん超科学的な能力は、誰でももっているのに早い時期に抑圧されちゃうんですよ。
>ナチさん
流行に左右されなくなる方法は、自分が流行になることです。
2006年06月01日
01:33
machiko
なんか、クソマジメな話に戻しちゃうみたいで、ちょっと気が引けますが・・・
今でもすごく新鮮な記憶として、座右の銘みたいに頭のどこかに居座っているのが、流行にまったく頓着しない研究者だった、伯父のケースです。
魚の分類という、おそろしく地味な分野で、毎朝、築地の魚市場に荷揚げの時刻に通う(電車がないので近所の個人タクシーと長期契約してた)生活をして、着るものにも頓着せず、善良で朴訥で、もう、マンガに出てくるような「学者」そのもの。
そんな伯父が、いきなり脚光を浴びた時期がありました。
漁業が国際化して、南太平洋とかでとれた、見たところ国産の魚とそっくりなのが市場に出て、それを食べた人たちが食中毒。
そうなると、単純な見かけで判断するのでなく、「新種」の魚の実体がなんなのか、見分ける必要が出てくる。
あのシャイな伯父が毎日のようにテレビに出てるのは、まったく、驚きでした。朴訥なところは全然変わらなかったですが。
しばらくして、毒魚騒ぎは収まり、伯父の姿はテレビから消えました。本人はほっとしてました。
世の中がすべて予測可能であるならば、流行に乗ってもいいのかもしれません。
でも、そうじゃない。
不測の事態が起こったときに、継続的な地味な研究がなかったら、どうすることもできないんだ、と、つくづく思いました。
2006年06月01日
01:47
安斎利洋
築地がフィールド、ってのがまずびっくり。
いま僕の頭の中で、その伯父様は黒いよれよれのスーツに長靴姿なんですが、そんな絵に描いたような話じゃないだろうな。
2006年06月01日
06:29
大和田龍夫
>こういう話をきくと、ヒトの赤ん坊を10人くらい、
>孤島に隔離して育ててみたくなりますねー。いや、
>聞かなかったことにしてください。
>たぶん超科学的な能力は、誰でももっているのに早
>い時期に抑圧されちゃうんですよ。
ほら、オオカミに育てられた子どもとか
クレオール文化
隠れキリシタン
そういう例を見ますとあまりいい結果が出ないような気がする反面、19世紀後半の日本が与えた西欧へのインパクトってのは、まさに250年の鎖国を経てた近世への進化のもうひとつの姿だったわけで、大いに期待は持てます。
「習って覚えて真似して捨てる」
これは1988年以来の課題であります。
2006年06月01日
07:52
machiko
>いま僕の頭の中で、その伯父様は黒いよれよれのスーツに長靴姿なんですが、そんな絵に描いたような話じゃないだろうな
あ、たぶん限りなく近いです。築地では当然、長靴です。
2006年06月01日
14:52
大和田龍夫
生きている魚を見て分類するのと、死んだ魚を見て分類するのでは結果に違いってあるんでしょうか?
昔、小島一慶というアナウンサーが何かで書いていたのを思い出したのですが、動物の絵を描くとかいう小学生の宿題で、小島一慶は「はえ」をたたきつぶしてそれを描いて持っていった。医者の息子は百科事典の昆虫を模写して持っていった。世の中にはすごいものがあると感動したってのを思い出しました。
タコって生きているときには赤くないとか、イカも生きているときは白くないとか、サバも生きているときは目が死んでいないとかあったので、フと気になりました。
もちろん、科学者はどちらでも同じ結論を出せるだけの経験と知識があるから科学者なんだと思うのですが。そこでどういう予想を立て(想像を思いめぐらし?)ていたのか伺ってみたいです。
2006年06月01日
21:49
machiko
当時はDNA鑑定などなかったので、ヒレの骨の数などで推論していました。外見より、解剖学的特徴。
たしかに、外皮の色は、カツオとかシイラなんか、すっかり変わります。とれたてのシイラは、虹色に光っていて素晴らしい。
私はこの伯父に連れられて漁港で1週間暮らしたことがあって、とれたばかりのすごくきれいな魚を、毎日、絵に描いてました。
ちょっと変わった魚が網に入ると、漁師さんが持ってきてくれるので。
毎日、最高に美味しい魚介類を食べてましたね。今でも思い出します。カワハギの刺し身とか。
科学者は生きてる魚も死んだのも見てるけど、魚市場見学に来る人は死んだ魚しか見られないのは困るので、「おさかな普及センター」というミニ水族館が築地市場にできたわけです。
今、ちょっとウェブを検索したら、10年前に亡くなった伯父の写真や記事がいろいろ出てきました。懐かしい・・・
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