安斎利洋の日記全体に公開

2005年04月16日
01:29
 今度は俳句
連画は、俳諧や連歌を種にして生まれた。その連画から育ったカンブリアンを、もういちど俳句に接続しなおす「575カンブリアン」がスタートした。

ちょっとややこしい話だけれど、実は反対で、いろいろややこしいことになってしまっている俳句や連句の世界を、もっと素朴な、言葉から言葉が生まれる楽しさに帰してみようという試みだ。

宗匠(セッションを引っ張るマスター)は、俳句アーティストの玉簾さん。玉簾さんなら、あんまりややこしいことを言わないで、楽しませてくれそうだ。

こんな遊びの中から、疲弊しきった俳句というジャンルを蘇生させるきっかけがみつかるかもしれない。

http://cambrian.jp
(どなたでも参加できます)
 

コメント    

2005年04月16日
13:55
miyako/玉簾
>玉簾さんなら、あんまりややこしいことを言わないで、楽しませてくれそうだ。

2003年のニューイヤーカンブリアンで、わたしが迷い子のようにセッションをのぞき、そーっと入り込んで、きょろきょろした後、激走態勢に突入できたのは、あれこれルールが無かったし、言わずものがな的雰囲気も感じられなかったからです。その恩を忘れず、今回も楽しんでいただく方を優先します。いろんな人にどんどん遊んでもらった方がいいです。
2005年04月17日
00:17
imochang
>疲弊しきった俳句

うちは子供がいることもあって、ほとんどテレビはついていないし、ついていてもNHK教育が多いのですが、土曜の朝にやってる「俳壇」とかは、かなりツライもんがあります。
もちろん、中にはいい句もあります。
逆に、専門家が添削すると、悪くなる例もあります。

でも、筆と墨を用いて文字を揮毫する「書」などは、まさにそうだと思うのですが、社会に流通しなくなったもの、「壇」とか「道」の括りになってしまったものには、少し、風穴を開けてやる必要はあるように思います。
素敵な風が吹いて、素敵な言葉の樹が紡がれますように。
2005年04月17日
19:23
miyako/玉簾
添削ねー、あれは私は好みません。
変な句であろうが、その人がそう思ったんだから、そうなんだし、そういうところから言葉を綴ることがはじまるのだし、よしんば文法的に未熟であれば、それがその人の今の状態なのだし、それを自分で「これはだめかも」と思う所から、違う道が始まるのだと思います。
それを嗅ぎ取ろうとするか、しないかが分かれ目で、添削を切望する人には模倣という扉に続く道しかないように思います。何にでも言える事ですが。

でも詩の分野では文法的な事はあまり問われないので、私のようにいろいろ怠りがちな者には大変良いです。えへへ。
そして、あとでその分苦しんだり謝ったりするのでした。
2005年04月17日
20:53
miyako/玉簾

上のコメントの中に追記します。

いろいろ意見がありますが、
5-7-5カンブリアンの第一ルールは「遊ぶこと」です。
作法とか、文法とか関係なく、楽しくできればそれがいちばんいいと思っていますよ。
2005年04月17日
21:48
imochang
玉簾さんの上記コメントに追加するなら、

カンブリアンの第一ルールは「真剣に遊ぶこと」だと私は思います。

添削は、私も好みません。
生きている自分の言葉を信じて、五・七・五!
2005年04月18日
00:37
安斎利洋
ルールは、作るときが一番楽しいものです。誰かの作ったルールを守るときは、そんなに楽しくない。

俳諧は、成立にかかわった人たちが、ルールの作られる楽しみを全部吸い取ったあとの残滓みたいなもの。だったら、現代の新しいジャンルを作る楽しみを、僕らが享受しなくちゃね。
2005年04月19日
01:22
どきどきしながら、いくつか書き込んでみましたー。

俳句だから、どんなにいじっても17文字だから、思いついたら書いてみるしかない、と思いました。でも、その1/17文字がいろいろ工夫する楽しみなのかも。

どんな紙に書いてみるか考えるのも、おしゃれで面白いです。
2005年04月20日
01:40
あ っ こ
きょうから
参戦しようかな〜と思いきや
パスワードを忘れてしまって・・・
5−7−5だからって気張っていつもと違うコードにしたら、脳みそからはみ出した。安斎さん助けてください。
葉っぱはいっぱいかいたのよ〜

 安斎利洋mixi日記 一覧へ