安斎利洋の日記全体に公開

2006年05月17日
10:58
 問い(無垢の耳に)
生まれてからずっと、一切の音楽を実験的に遮断されて育った青年がいる。彼に最初の音楽を与える使命を負ったあなたは、音楽プレーヤーに何を詰めて彼に手渡すか。


写真
安斎利洋の日記とコメントはweb全体に公開されます
問いはks91日記のスタイルに倣っています
 

コメント    

2006年05月17日
11:14
Linco
まずは「街灯」です(笑)。
2006年05月17日
11:37
かーるすてん2こと
ええ? 風葬 でしょう!!
2006年05月17日
12:08
安斎利洋
たいへん名誉なことですが、実験台無し感がある。
2006年05月17日
12:15
stella
まじめに答えるとすると、シンプルな女声のアリアかしら。
2006年05月17日
12:17
中村理恵子
では。
仕切りなおして、(素人が生意気ですが、)
K627。
2006年05月17日
12:18
中村理恵子
追記;K627とは→彼の母が、夕方彼を呼びに来る謳うような声。
2006年05月17日
12:27
安斎利洋
>シンプルな女声のアリア

原・子守唄ですね。
2006年05月17日
12:35
安斎利洋
>K627
ケッヘル?

モーツァルトは音楽の原型である、という話って多いけれど、なんの音楽も刷り込まれてない脳に了解可能なんだろうか。

627って、なんだっけ。
2006年05月17日
12:49
かーるすてん2こと
まじめに

ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド

の ピアノの音 です。
なぜなら 僕が 一番初めの曲で
今でも なんとなく記憶にあり
いまでも 音感が とりやすい。。
2006年05月17日
13:08
中村理恵子
>627って、なんだっけ。
ふふ、いまだ人類が聞いてない音楽。
2006年05月17日
13:38
安斎利洋
>ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド

いきなり核心にせまってきましたね。

>いまだ人類が聞いてない音楽

mp3 にしようとすると「この音楽はこれ以上圧縮できませんエラー」が表示されるでしょう。
2006年05月17日
13:41
世界中の民族音楽
(ああ、まじめに答えてしまった)
2006年05月17日
13:51
安斎利洋
音楽を完全に遮断して育てる実験には、トゥルーマンショーくらいの設備は必要ですよね。
無垢の耳にとって、あらゆる音楽は「汚れ」で、彼をどうやって、どういう順序で汚していくか、それによって何がわかるのか、という実験になるわけです。もちろんどこにも正解はないので、どうやったらこの実験を準備した投資家を満足させられるか、という基準で考えるのも面白い。
2006年05月17日
13:52
安斎利洋
>世界中の民族音楽

混ぜるんですか?
2006年05月17日
14:12
一曲だけなんですか? じゃあアボリジニーの曲
ありとあらゆるのを聞かせるなら、ランダムに。シャッフルでかける。
2006年05月17日
14:20
安斎利洋
ちなみに、ドレミファソラシドは欧州の民族音楽です。ドレミファソラシドを聞かせるというのは、彼を「西洋音楽地方」の人として教育することで、アボリジニーの曲を聞かせるのは、彼をアボリジニーとして教育することになると思う。
2006年05月17日
14:41
小林龍生
ぼくは長男が生まれてくる前(つまり妻のおなかの中にいるとき)胎教のつもりでモーツァルトの音楽以外は聞かせまいと努力していたつもりが、はたと気がつくとストラビンスキーの春の祭典を大音量で慣らしていた。
で、もうすぐ30歳になろうとする彼は、ご幼少のみぎりにはチェロを習っていてバッハとかフォーレとか弾いていたけれど、一時猛烈にレゲエにこっていた。
今はどうかというと、詳細は詳らかにしないけれど、きっと彼の息子とNHKの幼児番組の音楽とか聞いているのだろうな。
2006年05月17日
14:43
安斎利洋
>大音量で慣らしていた

この誤字は、お見事!
2006年05月17日
15:00
アボリジニーと言ったのはabcのaではじまるからです。
全ての環境音を遮断するときっとmpegの音しか聞き取れない人になってしまうのだろうなぁ。赤ちゃんに聞かせる語学教育のビデオは、すごく沢山の国のお母さんの声で、赤ちゃんをあやしてくれたり、こんにちはとか、いちにいさんしとか、を赤ちゃんが興味持ちそうなやさしい画像の後ろに流すというものでした。
全ての国のお母さんの子守唄というのもいいかもしれないなぁ。
2006年05月17日
16:16
imochang
miyoriどドイツ露さんも触れておられますが、この問いにおいて、遮断されてたのは、人工的につくられる「音楽」なのでしょうか? すべての「音」なんでしょうか?
すべての「音」が遮断されている状態と、「音楽」だけが遮断されている状態では、全く違うと思うのです。
「音楽」のみを遮断された人間であれば、必ず、様々な「音」の中から、自分の「音楽」を見つけるはずです。
たとえば、雨音、風の音、木々の揺れる音、小さな子供は、その音に反応して、声をあげます。
それに、「言葉」を知っているのであれば、歌うように話をする人に出会うこともあるはずです。
そうやって、最初の「音楽」は生まれたのではないでしょうか。
もし、彼が、すべての「音」を遮断されて育ったのであれば、私が最初に渡すのは、海の波音です。
2006年05月17日
16:25
安斎利洋
imochang、いいところに着目してくれました。どこからが「音楽」か、というのはこの問いそのものの成立にかかわる本質だと思う。雨音や波の音に含まれる反復は音楽か。鳥の鳴き声は音楽ではないのか。調子づいてしゃべる言葉は音楽ではないのか。などなど。
僕がこの実験の設計者だとしたら、こういう音は遮断しません。たっぷり聞かせます。文化的な刷り込みとしての音楽ではないから。
2006年05月17日
20:05
フナ­
ちょっと横道にずれているかもしれませんが、日記とコメントを読んでいて、彼に音楽プレーヤーではなく、楽器を一つ渡したいと思いました。彼に音をつなぐということだけ教えて(こんなことは必要ないかもしれない)どんな音をつないで、どんな音を気持ちいいと思うのかが知りたいと思いました。
2006年05月17日
20:27
安斎利洋
funaさん、プログラマブルな音楽プレーヤーで楽器を作りましょう。なにも刷り込みのない人間が、内発的な音楽を自分の中にもっているのかどうか、そこがわかるかもしれない。

しかし、楽器は万能なようで、その制約の中に特定の音楽をもっている。たとえばギターやピアノや笛の場合、楽器そのものに音律が刻まれているのでそれが影響してしまう。どんな楽器にすればいいだろう。
2006年05月17日
21:35
miyako/玉簾
>どこからが「音楽」か
あ、そうなんです。今そこで考えが止まってました。

最初に思ったのは、「鳥の声の録音」
次に、「誰にでも響く歌詞の子守唄」を、実際に歌ってあげる。

って思いました。
2006年05月17日
22:05
nazo
この「問いゲーム」は、回答を考えるより、問いそのものを考案する方が絶対面白いな。思考のカンブリアンだよ、これは。

で、回答ですが、皮相的にも深層的にも心身を目覚めさせるという意味で、朝6時半から流れるラジオ体操の音楽でしょう。
2006年05月17日
22:09
安斎利洋
その青年にとっては、玉簾さんのような人から音楽を受け取るのがいちばん幸福ですね。
でも、どうせ仮想の実験なんで、思いっきり彼の人生をもみくちゃにするストーリーも、ありです。
人工無能に作らせた音楽をずっと聴かせる、とかね。
2006年05月17日
22:12
安斎利洋
たぶん僕が生まれてはじめて聴いた音楽は、ラジオ体操じゃなかったかもしれないけれど、NHKのラジオだと思う。生まれたとき、我が家にはテレビがなかった。
2006年05月17日
22:56
MATANGO
子どもの時、親がたぶん押し売り(..)にまどわされてクラシック名曲集みたようなものを買い(河出書房?)、エジソンとそう変わるはずのない小さなプレーヤーで、はじめてオーケストラを聴きました。
楽器の存在は、たぶん知っていたと思うんですが、「ファーン」と鳴るこれは、「ファーン」となる何か(いま思えばシンセみたいなもの)がどこかにあるんだろうと思ってました...。

...というわけで、青年にきかせるのはフルオーケストラ。ブラームスみたような、境目のはっきりしないやつを聞かせておいて、ある日じつは...と実物を見せるのです....。

「あーはははは!これがオーケストラというものなんじゃよ!」
「...なんや、オッサン、あんだけの音を、さもさも大仰に...。もっと、シュッとしたもんにしたらんかいな」
「はい....すびません.....」
2006年05月17日
22:58
eiko
そこらの木の棒で、アップテンポのリズムを刻んで見せたら、その青年は面白がってくれるかなあ。きれいな旋律は、理解しにくいかもしれない。
2006年05月17日
23:04
安斎利洋
あー、本当にその青年に会いたくなってきた。
2006年05月17日
23:16
大抵の子供にとっての、生まれて初めての音楽は、
お母さんの子守唄なんじゃないかなぁ。
病院で生まれるともしかしたら、ウェストミンスターチャイムかもしれない。。
2006年05月17日
23:25
Taro
あ、俺も、子守唄。
子供の頃の母親の歌声は、よく覚えてます。
(というか、今思い出した。鮮明に)。
子守唄も禁止とは、その青年、かわいそう。
2006年05月17日
23:50
stella
女声のアリアは子守歌よりも愛の歌をイメージしたのですが、子守歌派多いですね。

自分の場合ーーもちろん子守歌を聴いて育ったと思いますが、私が最初に出会った音楽は讃美歌でした。あとは「こんにちは赤ちゃん」を歌ってもらったのを覚えています。
2006年05月18日
00:10
MERC
iyoriど・ドイツ露さん
大抵の子供にとっての、生まれて初めての音楽は、実は胎内で聞いている母親の心臓の鼓動なんです。そういう意味でアボリジニーの奏でる音楽を連想した貴方は鋭い!
生まれたての子供が、どんなにあやしても泣きわめいて落ち着かない時に、ザー!ザー!っていうリズミカルなホワイトノイズを聞かせると、泣くのをピタリとやめて、目を細めてすやすや眠りについてくれます。モーツァルトより効果的。

でも、私が幼子に聞かせたい音楽って言うなら・・・ウイーン少年合唱団のアリアかな。天使の歌声って言うしな。あと、トンネルの向こうから聞こえてくるようなグレゴリオ聖歌とか・・・
2006年05月18日
00:35
安斎利洋
音楽は、そういう生理的な脈拍や呼吸や耳の特性や声域などにどのくらい縛られていて、またどのくらい、それと関係なく記号的に組織化されているんでしょう。

別な言い方をすると、人間って放っておいてもドレミファソラシドや世界の民族音楽のどれかに至るんだろうか。
2006年05月18日
01:14
安斎利洋
ホワイトノイズの話は、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=134786641&owner_id=489629
ここでびすけっとさんがやってる。
2006年05月18日
01:21
実は世界中の音楽の前に思いついたのは、
波が打ち寄せる洞窟につれてゆくというモノでした。
残響とか、手をたたいたり、足をふみならしたり、
波の音もあって、、
でもプレイヤーとあったので。。
2006年05月18日
01:26
安斎利洋
波の音が音楽であると思えるのは、すでに音楽を知っているからじゃないかな。
2006年05月18日
02:21
eiko
言葉や知識を得ている青年は、赤ちゃんと同じ反応を示さない可能性があります。ここにいる人はみんな詩人だから、はじめて音楽を聴く青年の反応を想像してワクワクするわけですが、もしかして、音楽プレーヤーを渡したら、「プレーヤー」に気をとられて、「音楽」にはさっぱり関心を向けてくれないかも...。

と、あまのじゃくになってみる。
2006年05月18日
02:35
安斎利洋
昔、ある友人に頼まれて音楽をカセットテープに入れたら、レベルが低すぎると言われました。一瞬むっとしたんですが、音量レベルの話だった。音楽よりも装置やオーディオに関心のある人はいるわけですね。
2006年05月18日
02:46
子供のころ輪ゴムの琴に夢中になっていた時期がありました。
輪ゴムをいろいろなところにひっかけて鳴らしてみるのです。
ドアノブや、机の角や。。
もっとも気に入っていたのは、テレビのチャンネルとボリュームとコントラストの三角ゾーン。辺によって距離が違うので、音の高さが3種類になるのと、スピーカーの近くなので音が響くので。。
というのを思い出しました。
2006年05月18日
09:50
温度
今朝ちょうどクルマのなかで聴いていたんですが、Kraftwerk「Tour de France Soundtracks」って、これからの赤ちゃん(?)にもいいような気しました。ひねりなしの正直な意見です。ノイズに満ちていて(都市を含めた大自然みたいに?)、ボディ(身体感覚)コンシャスで。こういうなかでスクスク育ってほしい気します。
2006年05月18日
10:56
ks91
思考のカンブリアン! 面白いですね。

私自身の問いは、くだらない仕事で停滞がちなので、もっと落ち着いて時間を使っていきたいです。

僕自身が最初に聴いてもらいたいのは、YMO "NEUE TANZ" です。

僕のこどもの頃の音楽体験で強烈な印象を残しているのは、セサミストリートで流れた 7拍子の、数を数える歌です。YMO の "TECHNODELIC" を聴いたときに鮮烈にその感覚がよみがえりました。
2006年05月18日
11:10
Linco
音があったから耳ができたのか、耳があるから音が聴こえる様になったのか?
その発生順はともかく、その器官を通じて届くべき部位が生命の中にあるとして。

そこで扱われるフォーマットにはきっと雛形があって、快感であったり、危険を感じさせるものであったりと、
生命そのものの基本構造に結び付いていると。

その少年にも雛形があるはずで、どう翻訳されるかは誰にもわからないですが、情報は多く絡まった方が良い(根拠無し)とするならば、なるべく垢の付いたものの方が面白い。

そんな事を思いました。

するとやはり「街灯」ですかね〜(笑)。
2006年05月18日
12:40
安斎利洋
この問いは、音楽とはなにかを考えるための結論のない運動ですから、どの解も正しいのですが、いちばん素朴な解というのは「私のipodを渡す」だと思う。そこにたまたまクラフトワークやYMOや街灯が入っているというのは、自然なストーリーです。

でもここで、結論を遠ざける運動を起こすなら、友人のipodを聴くときの感覚を思い出します。全曲ハワイアンだったってことはないんだけど、自分があまり精通していないジャンルだったりすると、その世界独特の自己参照性というか、ヲタクがヲタク言語の中に閉じこもるような独特のゲーム性というか、そういうのが見えてこないかぎり、その良さがわからない。

で、僕らがいま普通に聴いている音楽だって多分にそうなんじゃないかと思うんですよ。たとえば、いまヒットチャートにあがっているポップスなんて、もし30年前に聴いたら「これってパート譜?」と思うんじゃないだろうか。それくらい、実は不自然な旋律を自然に聴こえるように耳を変換してきた。

だから彼に日本民謡を聴かせれば、そういう耳を育てるだろうし、それはクラフトワークを聴かせることと原理的な違いはないんじゃないだろうか。
2006年05月18日
18:59
温度
一年モノ、十年モノ、百年モノ、というので私もよく考えます。書物であれ美術であれ音楽であれ。ねらって出来るものでもないんでしょうけれども、なかなか十年以上もつモノ(つまり社会的ゲームなしで?もつもの)って。で、クラフトワーク。たとえばエスキモーに聴かせてみたい(といってもこの時代、私が想定するような素朴な「エスキモー」のほうが希少で、じつは既にガンガン聴いてたりするんでしょうねぇ意外と)。あるいは100年前の人に、とか。

いまの何が今後「古典」になっていくのかホント、とても興味あります。普遍性のこととも絡んで面白いですね、ナルホドこういう思考練習。
2006年05月18日
19:13
盲学校にリーディングサービスに行くということを高校生の時にしていました。
全盲の少年が、もし目が見えたら見たいものはお母さんの顔と桜の花だと言っていました。桜はニオイしか知らないからと言われてはじめて桜のかすかなニオイに気づかされました。
一緒に行っていた友人はその子のために桜の花びらの形に紙を切ってあげました。友人はその少年の初恋の人になりました。
ということを思い出しました。
2006年05月18日
19:44
安斎利洋
>いまの何が今後「古典」になっていくのかホント、とても興味あります。

時代を超えたものを作りたい、と思います。でも、グレゴリオ聖歌だってたかだか1000年前、モーツァルトなんか250年前の人で、それ以前の数百万年、人類は音楽の能力が欠けていたわけでもなく、違うのは音楽をどう習ったかっていう違いだけです。それを思うと、僕らが超えようとしている時代の範囲なんて、すごく狭い。

認知的な実験のために子供を文化から遮断して育てるというのは、実は大昔からよくある話で、トゥルーマンショーもその傍流なんじゃないかな。特に、言語から遮断する話はよくあって、最も原初的な言語はなにかを調べるために、言語を遮断して子供を育てたら、最初にヘブライ語を話した、といった類。実にウソっぽい。故意ではないけれど、狼に育てられたといわれる「アベロンの野生児」の言語取得実験も有名です。

イアン・ワトスンの『エンベディング』は、遮断された特殊な言語環境で孤児を育てるという設定で、僕は音楽の起源もエンベディング(嵌め込み)だと思っているんですが、それを確かめるには音楽を遮断した孤児の実験がいい、なんて夢想しながらこの問いを考えました。

青年には酷だけれど、普通の人が音楽として感情移入できないような音楽を組織的に作って、音楽のエッジを確かめるのが、僕の個人的興味からくる実験プランです。子守唄派から、非人道的だと謗りを受けるのは必至ですが。
2006年05月18日
21:05
かーるすてん2こと
それますが、、
>青年には酷だけれど、普通の人が音楽として感情移入できないような音楽
この音楽。。。に質問。
今ある 音楽 例えば今新しいといわれる音楽、、
思うに そのうち95%はベースが古典からの発展したもの
残り5%はテクノロジー。
基本的に ジャンル という時点で 古典からの継承を
振り分けてるだけにしか思えないんです。

その感情移入できないという音楽って何でしょう??
音楽、、、
どうしても 12種類の音階 がベースに感じます。
仮に この音階がつかない 音があって
それが あつまり 音楽になってるとします。
それを聴いて 快楽 不快 以外にかんじるのでしょうか??
それは 音楽なのでしょうか??
聴覚があるかぎり 音を感じるはずです。
音がある限り 感情移入 がおきると思うのですが、、
無音質にはいっても 感情が湧くのですけど、、、
(それは音を知っているから、、)
ここで音楽理論を語ると大学ノート10冊分くらい
書けそうですが、、 
音階という のがある限り 感情移入 できない
曲 という曲を作れるのでしょうか??
疑問です。。
2006年05月18日
22:38
安斎利洋
たしかにこの話はノート10冊じゃ足りないかもしれませんね。
その前に用語の統一ですが、感情移入というのは快+不快の総称なんでしょうか。僕は、単純に感情移入=快感ではないと思うけれど、感情移入できない不快な領域というのはあると思う。
2006年05月18日
23:11
かーるすてん2こと
>感情移入というのは快+不快の総称なんでしょうか。
そこは この2つでくくるには狭い表現です。
もっと複雑なんですがあえて 簡単にしてみました。
>感情移入できない不快な領域というのはあると思う。
それは音ですか 音楽 ですか??
2006年05月19日
00:38
安斎利洋
>それは音ですか 音楽 ですか??

音楽の世界のエッジから、滝のようにこぼれ落ちる音ですかね。クセナキスは、そのエッジがどこかを探そうとしていたんじゃないかと思う。耳がついてこられるのがどこかを、ちょっとづつ探していたような気がする。音響の塊のようだけれど、ここまでは歌の拡張に聴こえる。ここからは聴こえない、みたいな。
2006年05月19日
02:17
安斎利洋
ホヤが食えるものと食えないものの境界であるように。
2006年05月19日
02:20
喰えない人間の境界線をめざします。>言ってるソバから不可能ですが。。
2006年05月19日
11:37
かーるすてん2こと
もし あるのなら探したいですね。
2006年05月19日
15:11
じゃい
音楽、広い意味で考えると、その彼は無響音室で、まったくの無音で生活していかなくてはならないと考える。

それでも、自分のからだの中のビートは消すことができない。
ということは一時的に耳が聞こえないようにする外科的(あるいは薬学的?)技術を開発しなくてはならない。

たとえ、風の音でも、水の流れの音でも音楽と、あまり変わらない構造をしていると思うから。

そう、考えると、まず、期せずして、最初に聞いてしまう音楽とは彼との会話となるんですが。。。
2006年05月19日
17:34
安斎利洋
こういう判断はどうでしょう。1万年前と現在とで、共通に鳴っている音は先験的な音であるとみなして、OKとする。
そうでない音は、作られた音楽である可能性がある。
車のクラクションとか、教会の鐘とか、電話のベルは、グレイゾーンです。着メロは、もちろんアウト。
言語をどうするか、これは実験の本質にかかわるので、できれば青年をもうひとり増やすか。
(だんだん人でなし度が高くなってくる)
2006年05月19日
18:53
かーるすてん2こと
ド  レ  ミ  ファ  ソ  ラ  シ  ド 〜
の音階で
あ  ん  ざ  い   と  し  ひ  ろ 〜

と歌った曲を聴かせます。

但し その青年が 安斎さんなら、、
違う青年なら その青年の名前。
2006年05月19日
19:32
安斎利洋
名前が6文字なら、ペンタトニックにすればいいですね。
中国の友人に2文字ってのもいるなー。
2006年05月19日
19:50
かーるすてん2こと
短いのは問題ないんですけど
アルド・ヒジャウカルウ・ニコラテウスチャンゲンサバツリ
さんだと 歌うのが厳しい
2文字の方は あえて
レ ミ で
2006年05月20日
02:04
声調によっては
ドレミファソラシドで唱えない国の名前などもあるのでは。
上がると全く別の意味になってしまって。
2006年05月20日
03:25
安斎利洋
>2文字の方は あえて
>レ ミ で

料理、まずそう。

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