安斎利洋の日記全体に公開

2006年05月09日
23:55
 純ゲーム
僕は、すべての文書はゲームになるんじゃないか、と予測している。

演劇にしたって小説にしたって、はじめは安っぽくて胡散臭い娯楽から始まったわけだけれど、「純文学」なんていう言葉が大衆文学の対立概念として使われはじめた時点で、人間の本質を記述する方法としての文学は凋落の坂を下り始めていた。

ということは次の時代の「純文学」に代わるなにかは、安っぽくて胡散臭い世界に控えているはずで、その最有力候補はゲームだというわけ。

最近のゲームを見ていると、そういう予感はますます強くなる。安っぽいセンチメンタリズムを撒き散らす大衆娯楽の中から、噛み砕きづらい詩的ゲームが誕生するのはもうすぐだと思う。

ゲームが覇権をとるのは、たんに物語的なジャンルに限った話じゃない。テキストの広大な空間が、いっせいにゲーム的な文書に移行しはじめているように思う。web2.0という流れもそのひとつ。論文もゲームになるだろう。手紙もゲームになるだろう。契約書もゲームになるだろう。

そこまでゲームが重要になってくる背景には、電子的メディアの台頭が大きく作用しているけれど、それはたんなる後押しでしかない。ゲームの兆しは20世紀のはじめ、ウィトゲンシュタイン1.0からウィトゲンシュタイン2.0へのアップグレードに際し、世界の写像としての言語から、言語ゲームというパラドキシカルな運動としての世界を再構築しはじめたことと、ぴったり符合する。

テキストは世界の写像ではなく、世界を駆動するエンジンだ。世界にはパラドックスが必要なのだ。
 

コメント    

2006年05月09日
23:57
安斎利洋
という主旨の原稿を書き始めました。叩いてください。
2006年05月10日
00:34
machiko
写像。
英語で言えば、mapping.

たとえば地球上の各点が、論理的に地図上の各点に確実に対応するシステム。
それがたとえ、球形の地球を上下左右の定まった四角い紙に投影することだとしても。

mappingは論理的な「お約束」なんだけど、そこで、連続的に球形である地球の2次元投影が、日本を真ん中に東西にアメリカ大陸とユーラシア大陸がある配置なのか、それとも、真ん中にアメリカ大陸とヨーロッパ、アフリカが隣り合っていて、その東の辺境に日本がある図であるのか、それによって、その文化的な意味は大きく異なってくる。

でも、マッピングは、そんな責任は取らないわけですよね。

マッピングの論理的整合性から抜け落ちているのは、シミュレーションが現実に対して及ぼす文化的影響かもしれない。
2006年05月10日
00:41
ringo
純ゲームという言葉が気に入ったので使わせていただきます!
2006年05月10日
02:07
安斎利洋
サピエンスネットのオフ会では、3Dレンダリングにおけるマッピングの話と、地図業界の話とが、同じレイヤーで飛び交ってましたね。
マッピングも、繰り返すとゲームになる。
2006年05月10日
02:10
安斎利洋
ringoさんに使ってもらえれば、本望です。gumonjiは、ゲームを記述できるゲームである点において、純ゲームである要件を満たしていますね。
2006年05月10日
02:38
じゃい
純ゲームで思いつくこと

ヴェクサシオン;途方もない回数を繰り返し、体力と気力を競うサバイバル純ゲーム

裸のランチ:純ゲームのスコア(記録)

ジョイスやルーセル:純ゲーム愛好家

ちょっと待て、アルゴリズミックな作曲もまた純ゲームとなるだろう? 
2006年05月10日
05:53
Fibonacci
conceptual game ですね。
現代音楽、現代美術に倣って言えば、現代ゲーム。
文化や生活、全体をゲームとしてとらえようというのが、ホイジンガやカイヨアの立場です。戦争も経済も芸術も、当然ゲームです。石に刻まれてた神聖文字に始まる文書の歴史全体もゲームとして捉えれば、新しい文化考察になります。
2006年05月10日
07:45
みまぞう
ウィトゲンシュタイン2.0はなかなか面白いけど、「言語ゲーム」ってことばとのつながりは、なんとなく難しい感じですね。
2006年05月10日
09:09
去年発売されたワンダと巨像は個人的に詩的な純ゲームでした
2006年05月10日
10:20
jetson
クロスプラットフォームタイトル「うさぎカモ」近日発売

キャラクターデザイン ジャスパー・ジョーンズ
環境 オラファー・エリアソン
サウンド カンブリアン音の樹
設定 アボリジニ ドリームタイム最新
タイトル題字 篠田桃紅
プレイヤー 5歳以下の子供
2006年05月10日
11:50
安斎利洋
ヒントが満載だ。

>ルーセル

なるほど、純ゲームというと連想しますね。埋め込み式カンブリアン詩、のようなコラボレーションができないかな。

>現代ゲーム

モダンゲーム。いいですね、この呼称も。
宗教を言語ゲームとしてとらえる研究があって、引用でしか読んでないのですが、面白いです。仏教は、修行者が他の修行者にいまだ達していない悟りへの到達度を訊ねあう言語ゲームである。

>「言語ゲーム」ってことばとのつながりは、なんとなく難しい感じですね。

言語ゲームと、ゲーム理論と、テレビゲームと、進化ゲームと、マネーゲームと、みんな違うレイヤーにあるようで、それを結びつけるとことに新しい世界があるとイメージしています。
たとえばmixiもオンラインゲーム。ウィトゲンシュタイン2.0の著作そのものもゲーム。カンブリアンもゲーム。ルールがゲームの中から生まれ、どう変えられ、どう消えていくか、というゲームのルールに関するゲームがどう記述されるかがポイント。

>ワンダと巨像

買ってみます。っていうか、プレステ買わなくちゃ。

>jetsonさん

もっと情報ください。
2006年05月10日
12:20
安斎利洋
>アルゴリズミックな作曲もまた純ゲームとなるだろう?

クセナキスにゲームを明示した曲がありますが、世界のほとんどの音楽は多要素の制約解消系だと思います。
解消のプロセスが、作品になっている。じゃいさんの言う「スコア(記録)」。
2006年05月10日
19:26
今池荘
なるほど。文書はゲームになるのか。

僕たちのチームで以前発見したことがあって、それは、

すべての言葉は、その後ろに「プレイ」をつけるとHになる、 だ。
ありとあらゆる言葉にあてはまることをお試しいただきたい。

・地下鉄プレイ ・空き瓶プレイ ・ヘアトニックプレイ
・会議室プレイ ・国会議員プレイ ・液晶画面プレイ
・電圧プレイ ・社長プレイ ・スポーツジムプレイ

ねっ。

ごめん、話が逸れた・笑
2006年05月10日
20:53
安斎利洋
この話、最近別のところでも。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=127927032&owner_id=79891
2006年05月12日
00:52
jetson
こっちもかきわまわしてごめんなさ〜い。(笑)

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