安斎利洋の日記全体に公開

2006年05月07日
15:48
 メタゲーム
ringoさんの日記から最新のゲームの動向をみながら、「やってみるか」とそそられつつ、しかしこの20年間、コア・ウォーを超えるゲームが流行らなかったのはなぜだろうと思う。

当時、コアについて書いたことがある。
『コアウォーズの詩人達』1987

コア・ウォーの面白さは、コアの戦士たちの挙動を決めるプログラムが、他の(あるいは自身の)戦士のプログラムによって書き換えられること。ここでは、命令Aと命令Bのコードを足し算すると命令Cになるという偶然も考慮しなくてはならない。

有限の言語システムを、無限に発展可能な過程に転換するのはメタ言語だ。自分が自分をコンパイルできるゲームだけが、人を飽きさせない。何日か前のテーマ、作品のメタ情報の話も、作品の付加情報ではなく意味の階層を突き抜ける方法の話として考えなおしたい。

そういう意味で、いまのゲームはどれも退屈だし、いま考えられている「コンテンツ」もまた安全な閉域の中にある。

さて、カンブリアンゲームをどうやってメタゲームにしていくか。
 

コメント    

2006年05月07日
18:05
結局そういうことですね。ゲーム業界とライフゲームとゲーム理論は違うゲームだよなあ。あと普通のゲームというのもありますね。
2006年05月07日
19:06
安斎利洋
ゲームを生成するゲームについて考えている先人っていうのは、どのくらいいるんでしょう。ソシュールやウィトゲンシュタインはどうなのか。

コア戦争を、もしいまの技術でやるとしたら、ってことを考えるんですが、いまのゲームは、たとえばキャラクタの形を好きに定義したりするけれど、あれは要するに「書き割り」や「着ぐるみ」にすぎない。身体の一部を三角形にしたら、それは幾何学的に三角形として機能して相手の形と相互作用する、というようなデザインのできるゲーム。そんなイメージをいだきます。
作ってみたくなってきた。
2006年05月07日
20:41
ikeg
1元論的なことが大事なんだと思います。メタゲームとゲームが表裏一体となってること。ラムダゲームでそういうことやったんだけど、もうひとつでしたか。
2006年05月07日
20:57
小林龍生
ぼく、最近ますます対話って重要だと思うようになっている。
で、一つ思い出すのは、三宅なほみさんの若いころ(失礼)の論文。佐伯胖さんが編集した『理解とは何か』(認知科学双書)に載っていた。
ぼくの関心は、要は、対話によってある対象事象に対する人の理解度は確実にアップするが、場合によっては、より理解度の低い人からの刺激がより理解度の高い人の理解度を高めることもある、ということ。
あまたの《書き割りゲーム》(いい言い方だね)がつまらないのは、そこでは決して三宅さん的なダイナミックな創発現象が起こらない、ということ。

ヴィットゲンシュタインが『語ることの出来ないことがらについては沈黙するしかない』(正確ではないかも)と言っているのは、今語ることの出来ないことがらが未来において語ることが出来るようになる可能性を否定しているわけでも、語ることが出来ない事柄が語ることの出来ることがらの外側にあり得ることを否定しているわけでもない。(安斎さんが《言語ゲーム》そのものについて厳密に言及しているつもりなら、少し外したかも)
2006年05月07日
21:04
安斎利洋
>メタゲームとゲームが表裏一体となってること。

コンピュータのユーザーインターフェイスが発達して、プログラムとアイコンが分離するように、コードとメタコード、ゲームとメタゲームの浸潤しあう関係がわかりにくくなっているんじゃないかな。
テキストベースのゲームを、任天堂DS上で作る、なんてどうでしょう。
2006年05月07日
21:56
ikeg
どうやります? むかしUNIXを始めた頃、erase を e 一文字に割り振ったら大変なことに。 そういう困惑を与えるopenendなゲームがつくれないですかね? ゲームで遊び出したら世界が微妙にずれるような、そういう感覚ゲームなら。
2006年05月07日
23:01
安斎利洋
e にeraseが割り振れちゃうところが大事ですね。幸村さんの日記に、「mixiの日記はすべて遺書である」っていう一言があって、それを読んでから「〜さんの日記」はみんな「〜さんの遺書」に変換して読めてしまう。そういう、世界の見え方が変わっちゃうようなゲーム。

いつか、PCにとって有用でどうしても感染したくなるようなウィルスが作られるんじゃないかと思うんですが、open-endedなゲームというと、そういう方向かも。
2006年05月07日
23:11
安斎利洋
>より理解度の低い人からの刺激がより理解度の高い人の理解度を高めることもある

RPGは、作者のタナゴコロの上の孫悟空という感じがしますよね。
ringoさんが紹介しているsporeなんかは、きっと作者の意図以上の経験をゲームに込めようと試みていると思います。でも、作品が作者を超えた経験をはらむというのは、仕組み以上のなにかなんだろうな。小説だって、作者の意図を超えた経験だと思うし。

作者が語った言葉から、作者自身が経験をするということ自体、語りうることを超えたところに経験がある証拠ですね。
2006年05月07日
23:53
ikeg
1元論的に、、ヤッパリ人に感染するコンピュータウィルスですかね?とりあえず濡れちゃう水のシミュレーションあたりから、、
2006年05月08日
00:18
安斎利洋
おー。McAfeeが健康保険あつかいで買える。
2006年05月08日
02:32
ikeg
生体内のゴミのようなタンパクが多くの複雑な病気を起こしてる。物理学者は一生懸命タンパクを折り畳もうとしてる。それらもみな自然現象なのだ、という事実はもっと考えてもいいと昔から、あまりにもナイーブだけど、考えてしまう。
2006年05月08日
03:39
安斎利洋
タンパク折りたたみゲームのプレイヤーは、もしかすると生体とは別のレイヤーにいるかもしれませんね。何が勝ちか、わかならい。
2006年05月09日
01:30
安斎利洋
>語りえぬことについては,沈黙するしかない。

こんなサイトがあるんですね。
http://www.geocities.jp/red_mad_hatter/Tractatus/jp/index.html

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