安斎利洋の日記
2006年05月04日
02:20
ムービーカード報道文書
ニュースショーやワイドショーから流れる報道映像にBGMがつくことに、どうしても違和感を感じる、という
話の流れがあって
、それに関連して良いことを思いついた。
簡潔に書くと、こういうこと。
・報道機関が、ブログ素材として未編集映像を配信する。
・映像は、リーフという編集単位になっている。リーフ内を編集してはいけない。
・ブロガーは、リーフを並べて自分でニュース映像を再構成できる。
・リーフをどう並べようと、どう音楽をつけようと、どう論評をつけようと勝手。
・リーフのrawデータを、読者はソース提供社から見ることができ、リーフの捏造や改変をチェックできる。
この発想のもとは、みやばらさんと杉本さんの
ムービーカード
だ。彼らのワークショップのレポートは、すばらしかった。信州放送(だっけ?)で流れた「熊が人里に降りてきて大変だ」というようなニュースの素材映像を、カット単位でカードにする。テーブルの上にカードを並べると、その順序のとおり編集される。BGMもカードになっていて、映像に音楽をつけることができる。
編集されたニュースを解体すると、迷惑な熊の物語を、熊の立場に立った物語に変換することもできる。そういう物語の多態性を知ることができる。
彼らはムービーカードをメディアリテラシーのワークショップとして広めているが、僕はムービーカードはマルチメディア文書だと思っている。編集前素材という形で、ニュースをムービーカード文書で配信することができるんじゃないか、と思うわけ。
実はこういう形は、通信社が行ってきた方法だ。以前、俵万智+中村+安斎のコラボレーションが正月の新聞の特集になった。それを企画したのは共同通信で、地方の新聞社に配信された。これを購入した新聞社は、自分のレイアウトで紙面を作ったり、自社企画の一部に取り込んだりする。使い勝手が良いように、記事や写真はモジュール化されている。そのときの各紙(20紙くらい?)は手元にあるので、今度写真にとってみようと思うが、実に多種多様玉石混交。つまり通信社は、ニュースの卸問屋だ。
卸問屋はプロ相手だけれど、それを素人向けに転換していくのは、DIYや東急ハンズや築地場外と同じこと。
いまあるカンブリアンやムービーカードの技術で、なんかできちゃいそうな気がする。
コメント
2006年05月04日
04:03
H.耕馬
ニュースメディア改革案としては面白いケド、
抵抗勢力がどう反応するか?
2ch化しないか?
視聴者はバカじゃ無いか?
などなど、問題山盛り。
何か起爆剤が必要ダネ。
2006年05月04日
07:17
びすけっと
素材は配信元のサーバにあって,ダウンロード等はできなくする.これで素材の中身をルールじゃなくて技術的に編集できな
くする.あと,どうしてもいやだったら,配信元は一方的に
削除できるし,特定の引用だけ禁止させることもできる.
素材の中には提供元の情報が埋め込まれている.テロップで
表示されるのが提供元としては安心だろうけど,画面を汚す
のでできれば内部情報として入っている.再生ソフト(つま
りプレイリストのビューア)はこの情報に即アクセスできる
ことを保障する.
細いネットワークでも途切れなく再生できる.
課金の方法.
再生ソフトには2種類(無料版と有料版)があって,
無料版だと広告が表示される.
素材の使用をカウントしてて,それを集計する方法を
持っている(これはサーバだけでもできるかも).
で,利益を再分配する.
課題
素材の検索
個人による素材の提供
保護情報,キャッシュでオフラインでも再生もできる
(コピーはできない)
2006年05月04日
07:31
びすけっと
重要なことを忘れてた.
こういう一連の作業が,裏の方法を使ってやった場合と
比較して,圧倒的に使いやすくなっていること.
iTMSが成功したモデル.
こう考えるとアップルが一番近い位置にいるなぁ.
なんか面白くない.
2006年05月04日
10:59
みやばら
最近の感情入りのニュース見て、見る価値なしと思っている人は多いと思う。そんな人たちが構成しちゃうニュースは見てみたい。
問題はナレーションですよね。生の声もいいけど嘘っぽく見えてしまったら興ざめだし…
パターンがあるようなものは素材としてあっても面白いし
書いたら勝手に読んでくれたほうが参加する人が多様化して面白そう。
2006年05月04日
11:20
MATANGO
これは面白いですね。
まえにイラクの人々のインタビュー集のようなサイトをつくっていたとき、「戦争の絵」「フセインの絵」とかはテレビからとってつくったやつがいたのです。
これは「テレビをカメラで撮って」やってたんですが....(それならいまでも何の問題もないよいうで....)。
ただ、普通のひとは面倒でやらないんじゃないかと。
あと、自分でつなぎかえて自分で楽しむ...というのもあり得ないので、なにかワークショップとか、それとも外向けもかねたイベントなら面白いと思いました。
そういうオルタナティブ・ニュース・アワーみたいな場ができたりして...。
ただ、お金をかけて取材した側がよろこぶかというと、損得のまえに、まずイヤーな顔をするんだろうなと....。
2006年05月04日
14:04
安斎利洋
耕馬さんが言うように、うそつき合戦にならないで、それぞれの人にとってのニュースの本当が見えるような仕組みを作らないとだめだと思います。
また、これはたぶん既存のキー局は絶対にやらないでしょうね。キー局から配信を受けている地方局にとっては、自分たちの仕事そのものをユーザーがやることになるから、受け入れがたいだろうし。すると、きっかけを作るのは、フリーのビデオジャーナリズムなのかな。
「ネットとテレビの融合」というのが叩かれたときに、こういうモデルがあれば、違う結果になっていたと思うんだけどな。
びすけっとさんの言っている、運用的なルールや広告的なビジネスモデルを技術に埋め込む方法はきっと、現実的にはきわめて重要なんだろうけれど、緻密なデータ形式はひろまらないという矛盾とどう戦うかですね。
なんにしても、こういうことを夢想する雑談会のようなものを開きませんか>みや+すぎ(videologue)
水越さんやテレ朝に声をかけてみます。びすけっとさんも、かまない?こういう話は、はじめはブレーキのない車が集まるのがいい。
2006年05月04日
23:17
sugi2000 / 杉本達應
素材をどうやって用意するかはムービーカードの大きな課題です。
とくに報道素材へのアクセスがオープンになったら、一般人の映像表現は大きく変わります。
もちろん全ての人が表現者になるわけではありませんが、テレビ局よりも面白いものはごろごろ出てくるでしょう。
そうなっていちばん困る既存メディアは必死に既得権益を囲んでいるようです。
新聞社もNIEというけれど、自社が通信社の素材を料理していること自体を教材にしようとはしませんね。
実はムービーカードの野望で、素材の提供や使われかたをオープンにできるコミュニティサイトを作りたいんです。
このスレッドを読んで、何か動きだしたくなりました。
sugi2000@とりいそぎケータイ発信
2006年05月04日
23:50
N_apostrophe
ニュースソースを報道に求めると言うところにひっかかる。
現場に居合わせた人が目撃証拠をネットに上げる。むしろあちこちのPCにばらまく。
気になる情報を探して、見つけたらお互いにリンクして行く。(ウイニー騒動でこの技術が止まってしまいませんように)。
これを追求しています。
問題は、肖像権とのせめぎ合いで、これを緩和するのを報道企業に特権化しようとしている風潮です。これは知の独占と言う変わらぬ権力欲望の一つです。
むしろ他者と関わった面に関しては、私的権利を認めないと要求すべきです。隠したがるのは、大方、強者です。
2006年05月05日
00:01
安斎利洋
杉本さん
お互いの領域を踏まずにしかも連携ができるように、まずドキュメントタイプをそろえるというようなことをはじめませんか?
カンブリアンの音の樹が、ムービーカードで再構成される、というようなことができたらいいと思うんですよ。
2006年05月05日
00:11
安斎利洋
>ニュースソースを報道に求めると言うところにひっかかる。
報道がピュアp2pで成立する、という世界を夢想しますね。
ライブドアがフジテレビとやりあっていたときに、ブログで報道を一元化するような話に一番抵抗していたのはマスメディアです。報道はプロの覚悟が必要だ、というようなことをしきりに主張していました。
プロの覚悟が必要だと、僕も思います。しかし、プロはもっと散在しています。アジアプレスの友人がいますが、彼らの命がけの覚悟はそこらのテレビの報道局に比ではない。
でも、なんでフリージャーナリストがやりにくいかというと、記者クラブがあったりして、政治家や省庁や警察や芸能やスポーツ界からの情報経路が既得権益になっているから。
まずその構造を崩す方法を考えないと、前に進まないと思う。
2006年05月05日
01:12
godzi2
発信者の論理に終始しているところにひっかかります。
前のスレッドで私が提起したかった最大のポイントはそこにあります。
受け手は何のためにニュースを必要とするのか?
そこの論議、原理的な考察が不在なままにメディアが多様化したところで、何の解決にもならないわけで。
私ははっきり言って「プロの覚悟」なんかまったくないけど、そういう倫理に収斂してしまっていいのか、はなはだ疑問です。
2006年05月05日
01:40
安斎利洋
よっぽどの自閉的な人でないかぎり、ニュースを必要としない人間なんていません。何のためなんてものはなく、希求するんです。
新聞やニュースを見ない人が多いのは別問題で、彼らにとってのニュースのスコープが違うんですね。問題は、その人にとって何が「世界」か、です。
ある意味新聞やテレビのニュースしか知らない人は、困るんですよ。
2006年05月05日
01:45
安斎利洋
>私ははっきり言って「プロの覚悟」なんかまったくないけど
godzi2さんは身体を削ってるように見えるけどね。
ああいうことは、ブロガーはやらないわけで。
みんなブロガーだけで、報道が成り立つとは思えない。
誰かが命をかけないと、世界はすみずみまで見えない。
2006年05月05日
09:08
びすけっと
議論しなきゃならないことが山のようにあるので,
とりあえず集まりましょうよ.
2006年05月05日
10:50
安斎利洋
そうですね、こういう話って企画が先行するとかならず破綻しますから、まず作って「できちゃった婚」するのが良いよいです。
2006年05月05日
11:24
H.耕馬
>まずその構造を崩す方法を考えないと、前に進まないと思う。
こりゃぁ「ニワトリとタマゴ」だね。前に進まないから構造を崩す方法が分からないとも言えるしぃ。
まずアリの1穴を開けていけば良いんじゃあ無いの?
N_apostrophe さんの
>ニュースソースを報道に求めると言うところにひっかかる。
に、同意します。
例えば、小・中学校の美術の時間にビデオ撮影という単元を入れる。そうすると(時間はかかりますが)素人の撮影した映像のクォリティが上がって来ます。
「政治家や省庁や警察や芸能やスポーツ界」のネタはどうしようも無いケド、ニュースネタは日々起こっているわけで、その現場に一番近い素人が、優良な情報提供者になれれば、アリの1穴位にはなると思います。
2006年05月05日
11:40
N_apostrophe
>発信者の論理に終始しているところにひっかかります。
表現者の論理に終始しているところにひっかかります。といい換えても良いわけで。発信者にしろ、表現者にしろ、パイオニア意識というのがうさんくさいわけで、これは近代の亡者ですね。
ぼくの場合は、「助けてくれ」の発信ですから、いつも受け手に期待し、裏切られることも、無視されることもあるけれど、そこに立てば「クオリティが上がって』来ると思います。
ただし、報道の監督とか、コンクールの審査員は受け手(他者)から除外します。断固として。
2006年05月05日
11:40
安斎利洋
くりかえしですが、ニュースは世界を見でいるのではなく、世界のスコープを作っているんだと思うんですよ。
だから、もし報道を受ける集合と報道を供給する集合が等しくなったら、それがスコープになって、その集合のことしか見えなくなる。
近所の100円ショップで何が売っていたか、なんていうのもニュースで、そういうp2p報道はmixiのモデルですでにできていると思うんです。
誰がイラクを見に行くのか、ということ。
2006年05月05日
11:59
N_apostrophe
<誰がイラクを見に行くのか、ということ
一般的な問題としてなら、その必要を感じる人が行って伝えるか、そこの知人に頼むかだと思います。
ただし、そこの土地にとって「敵対的」と考えられているイラクのような時には、「国境なき・・・」のように関係を作って入り込むだけの専念が必要ですが、それでも「中立」の立場というのはできるでしょうか?現在の「報道」は、内戦を「抵抗勢力』と見ている時点で、敵対者から見れば「かいらい」にすぎません。
話題をそらせたくないけれど、「人道的立場」では入れないと思います。
2006年05月05日
12:23
godzi2
申し訳ないですが、そういうことをイラク開戦までやっていたのがmatangoくんとその仲間たちです。
彼らは特定の政治的立場からでもなく、商業的要請からでもなく、イラクに行き取材し、刑務所に拘束されました。
ネットでのほぼリアルタイム動画配信さえやっていました。
しかしこの日記を読んでいる誰も見ていないように、また恐らくこういうことを書いても誰も見に行かないように、人々の関心を集めることはできなかったのです。
安斎くんの言うのは「表現者」としては理解できるけど、「読解の仕方」を拡散させるのは「事実の伝達」からはほど遠いことです。
だからといって「中立」の報道があるわけではないという、発信者から言えばそういうジレンマに捉えられているのが「報道」をめぐる状況なのではないでしょうか?
私はいま太平洋戦争当時の「情報」のありようを勉強しています。そこでは「読解の仕方」がバラバラであったために、同じ事柄についてさまざまな表現が乱立し、しかし結果としては戦争遂行に人々を駆り立てるという図式が成立していたように思います。
いわゆる大本営発表はもちろんですが、実際の戦争指導者たちの後年の自伝などでも意図的な誤記や粉飾に充ち満ちています。
ほんとは何が伝えればよいのか、伝わればよいのか、「対抗」の立場ではなく、イチから作り上げる「覚悟」が求められるのかもしれませんね。
2006年05月05日
12:25
安斎利洋
>発信者にしろ、表現者にしろ、パイオニア意識というのがうさんくさいわけで、これは近代の亡者ですね。
通信社というのは、そういう意味で「近代の亡者」の影が薄いんですよ。それはなぜかというと、「お客さま」の多様な視点にこたえようとしているから。
見るということは視点をもつことで、同じことがテロにも、レジスタンスにもなる。テロにもレジスタンスにも見える目を装填して取材するのが本当ジャーナリズムで、それはパイオニア意識っていうよりも、穴があったら代表してまず先に覗くスケベな精神でしょう。そういう報道の意識を回復しないと、報道が市民レベルに解体したところで同じことです。報道じゃなくてアジテーションが飛び交うだけ。
報道を通信社化するというアイデアは、報道を正気に戻す手段です。
2006年05月05日
12:33
安斎利洋
このアイデアは、あたらしいビジネスモデルを作るところに力点を置くんじゃなくて、「複数の視点が重畳した表現形式」を一般化することに狙いを定めるべきでした。
カンブリアンもそういう思想があるから、実はムービーカードとカンブリアンは非常に近縁なんですね。疎結合すべきなんです。
情報の様態が変われば、メディアもそれをとりまく社会構造も必然的に変わってくる。
2006年05月05日
17:31
Yuko Nexus6
NHKの9時のニュースについて、相方が以下のようにこめんとしてますわー
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2006年05月05日
18:04
安斎利洋
>なぜそんなに急いで物語に固定するのか。
>通夜もすまないうちに葬式か?
>社員研修もすまないうちにプロジェクトXか?
うまいこと言うなー。
物語に固定しないと、視聴率かせげないということなんだろうな。
そういう視聴者を作っているのもテレビだし。
2006年05月06日
19:47
安斎利洋
godzi2さんとN_apostrophe さんの話をうけて、ネットワークと報道について考えることの困難を痛感しているのですが、蛇足になるかもしれないけれど思い出した話。
イラクのなんとかホテルに米軍の戦車が誤射して、ジャーナリストが何人か死んだことがありました。あのとき、アジアプレスの綿井さんはホテルの下の広場にいて中継をはじめようとしていた。爆裂した瞬間に彼が身をすくめる映像がテレ朝のニュースで流れたことがあった。
たまたまそのころ、アジアプレスを率いている野中さんと共著本があって飲んだりしていたのですが、彼の友人たちはみんなそれを画面で見ながら反射的に身をすくめたと言ってました。
そういう身体的につながった感じのする目が、権力や危険に切り込んでいく回路が必要で、アジアプレスくらいの規模と力をもったジャーナリズムを、キー局が買うんじゃなくて、ボトムアップで支える仕組みがほしいと思うのです。
2006年05月06日
22:46
godzi2
そのあたりは全然賛成です。
ジャーナリズム=報道を支えるのは、「仕組み」ではなく「現場」だということを、みなが認識しなければならないと思います。
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