安斎利洋の日記全体に公開

2006年05月02日
14:32
 プライベートライアンと拉致家族
スピルバーグの本性が、ときどきわからなくなる。

プライベートライアンは圧倒的な映画だけれど、たまねぎのように層をなす物語の構造がある。一兵卒の母を悲しませないために命がけで中隊が繰り出されるという感動的な物語、その美しい物語を軍が生産しようとする物語、そうした物語が通用しない圧倒的な戦場の物語。スピルバーグは、どの物語の語り手であるかわからなくなることがある。

スピルバーグはすごいヤツなのか、ダメまじりなのか、そういうのをひっくるめたすごいヤツなのか。ショスタコーヴィチがソ連時代を述懐するように、あとになって「商業主義なんてそんなもんさ」といいながら秘蔵ディレクターズカットを出してきたりして。

ブッシュがめぐみの母に会ったのは、そのような物語が米軍再編のうえで必要だったからだ。しかし「めぐみの母」という物語と、「めぐみ」という物語は、「めぐみの母に大統領が会う」物語とはまったく交差しない。

気になるのは、自分がどの物語を物語っているのかわからなくなっているマスコミの商業主義だ。
 

コメント    

2006年05月02日
15:44
godzi2
そうだろうか?

「作家」という言葉に幻惑されているのでなければ、そういう発言はあり得ないと思うけど。
映画は監督のものでないのは自明だけど、とりわけアメリカの映画監督って、フランスや日本の監督とは権限も仕事の中身も違うのです。
もちろん批判を受けるのは監督なんだけどさ。

>あとになって「商業主義なんてそんなもんさ」といいながら秘蔵ディレクターズカットを出して

くる必然性は、スピルバーグ個人の中に少しもないと思う。
商業的にはあるかもしれないけど。

マスコミ商業主義のすみっこにいる者として、後半はパス。
分からなくなっているのは読み手=受け手もまったく同じだし、それって仕方ないことだとも思うし。
2006年05月02日
16:34
安斎利洋
そうだろうか?<そうだろうか?

まず、基本的に僕は「作家」という言葉に幻惑されている単純な[作者:物語]の関係を信じないし、壊そうとしているん立場なんだけれど、、

にもかかわらず、ですよ。

僕はプライベートライアンのラストシーンは消したいね。鳥肌がたつ。それは趣味の問題というより、あの名作に、どうしてその安っぽい物語の語り手をまぜちゃったの?っていうこと。
それから、シンドラーのリストの涙を誘うシーンも消したい。
ほかにもいろいろあるけれど。

で、「めぐみの母」に大統領が会ってくれた、というドラマをベタに報道しているマスコミは、駆逐したい。

その感覚は、共有できない?
2006年05月02日
16:37
安斎利洋
>分からなくなっているのは読み手=受け手もまったく同じだし

語り手がわからなくなって、どうすんのよ。
衆愚の「衆」は、テレビ局下請けの衆という意味か。
2006年05月02日
16:38
安斎利洋
あ、godzi2は愚かでないと思ってますから。
2006年05月02日
16:49
godzi2
3発も撃たれて息も絶え絶え。

だけどさ、

>語り手がわからなくなって、

も電波止められないわけだよね、産業としたらさ。
創作じゃないわけだから。
免許事業だから。
そういうところで巻き起こる「物語」とか「言説」であるわけですよ、現在の映像表現って。
だから「スピルバーグ」に還元されない、もっと別の捉え方した方がいいんじゃないの?というお話しです。

なんかダメディレクターの言い訳みたいになってきちまったなあ。
2006年05月02日
16:51
Mike
スピルバーグの話はパスですが、後半の話は、「米軍再編」への布石として利用されている可能性を知りつつ、なおかつ大統領に会うという選択肢を選んだ「めぐみさんのお母さん」というように、解釈できませんか? 
2006年05月02日
18:01
安斎利洋
数撃つのが勝ちさ>godzi2

Mikeさんの「解釈」は、決して間違っていませんし、Mikeさんらしい温かみを感じますが、複数の物語が錯綜したままあらわれるのが現実の姿で、「解釈」は無数にあるのだというのがわかるのが、報道の役割だと思う。

湾岸戦争は、広告代理店が作った物語から始まりました。なにしろ、たいていの戦争は単純な小さい物語をきっかけにして始まるということを、報道する側は意識してほしい。

僕にとって良い映画も、やはり無数の解釈を殺さないもので(あくまで僕にとってですが)、ひとつの解釈に引力をつけるための音楽をつけたりするのが大嫌い。そういう意味では、篠田正浩の「スパイ・ゾルゲ」なんかかなり点数低い。

最近テレ朝の報道でがっかりしたのは、チェルノブイリの建屋の中を取材するときに、音楽を流しながら事故当時の映像をフラッシュバックしたこと。なんか間違ってないか?
2006年05月02日
18:31
godzi2
じゃあ僅かな石つぶて。

>複数の物語が錯綜したままあらわれるのが現実の姿で、「解釈」は無数にあるのだというのがわかるのが、報道の役割

これ、理念としてはまったく正しいんだけどさ、誰もがそういう判断・認識をしたいかというと決してそんなことはない、というのもまた事実で。
みんな「世界」なんかより「自分」やせいぜい「家族」の方が大切なんです。それはそうだろうと私も思うし。

映画の方では「社会が近代化している国の映画はおもしろい」という諺があるのだけど、それって社会が激変する時の個人の行動モデルを映画が提供しているからだという気もする。
それと同じく、現在テレビの報道が果たしているのは、社会からはみ出さない思考や行動モデルを提供することなんだよね、多分。しかもより多くのモノを買わせ、経済システム回すのに必要な範囲で。

これ嫌がらせで書いてるわけじゃなく、多少現場にいる者の実感です。それを乗り越える術を、細々ながら探りたいと思う今日この頃なわけです。
2006年05月02日
18:47
安斎利洋
コメント欄に画像が入らないのが残念なんだけど、もし絵が入るなら少女マンガ系のキャラで「godziさん、投げちゃダメ!」とせりふを入れよう。

最近テレ朝報道にいた人と飲むと、こういう話の空気になる。

テレビは、もう誰の意思も反映しない生き物になってしまってますね。一回滅びが必要だと思う。
2006年05月02日
19:47
godzi2
言われてみたいずら!

でも真面目な話、これって単にテレビ局・プロダクションなどの組織の問題ではなく、メディア論的なパースペクティブが必要だと思うよ。
2006年05月02日
21:00
どこかで、めぐみ母は気の毒だけどあのしゃべり方に嫌悪感を覚えると書いている人がいて、

テレビの報道のとりあげ方や、露出度が一方でこういう反応をよんでいるのだろうなぁと戸惑いました。

一辺倒の報道や、あまりによくできたハリボテのセットのような会見は、どこかで綻びが出たり、ガス抜きとして、
mixiの日記にしろ、2ちゃんにしろ語られていったりするのでしょうね。ただ、それが自覚的に語られればいいのだけど、
自覚がないまま、嫌悪感のみがふくれあがったりするのは、
なんか悲しいことだ。
2006年05月02日
21:09
H.耕馬
>利用されている可能性を知りつつ、なおかつ大統領に会う
一票!エライよね。悲痛だよね。それしか方法無いかもね。

でも、米国内にいると、米国の事しかニュースに流れない。
ある意味、中国や北朝鮮よりも※○△☆□×%&&?。。。
2006年05月02日
22:41
miyako/玉簾
あのご両親は、基本的にただ娘を返して欲しいだけなのでしょう。でも彼らは、随分前から、すでにご本人達の意思ではどうすることもできない流れの中のコマとして使われているように解釈しています。被害者でありながら、加害者扱いされる危険さえ背負ってしまった。そこに今日は在日米軍再編のニュース。どんな気持ちで毎日をすごされているのでしょうか。厳しい人生だと思います。
2006年05月03日
01:13
>あのご両親は、基本的にただ娘を返して欲しいだけなのでしょう。
全く賛成です。むぐみ母らには、悪者扱いされてしまう危険性があったとしても、娘が戻ってくさえすればそれで良いという覚悟を感じました。その手段としては、世界が注目したわけですから、日本国内の問題があったり、単に米国帝国主義の布石であったとしても、私は彼らの手段を強く支持します。

>在日米軍再編のニュース
このニュウスは、日本が2兆円超の税金を使って友達の引っ越しを手伝うような報道を目にしますが、大事なところは全く報道されていませんね。
もし、米国の軍隊が日本から出て行った場合、日本国民はどういう選択をするのか。日本国民は、防衛を自衛隊に依存できるのか。この米国軍隊のお引っ越しは、在日米軍に出て行って頂くための手切れ金でしかないのか。
もっと、大事なことを報道して頂きたいと思っています。

安斉さんの日記と、やや離れてしましました。すみません。。
2006年05月03日
02:04
いやいや、一方で、極東司令部を座間においたりもするので、
出ていってはいただけないようです。>再編
海兵隊のグアムおひっこしは全くのフェイクというか、
よりがっちりと日本が米国軍の戦略の一翼を担わされるということのようで。
2006年05月03日
02:12
安斎利洋
>メディア論的なパースペクティブが必要だと思うよ

まったくそのとおり。でも生物の本質を知るために、人工生命を作る方法があるように、メディア論の方法として、新しいメディアを設計しちゃったほうがいいと思うこのごろ。
2006年05月03日
02:16
godzi2
やってくらさい、ぜひ!
2006年05月03日
02:17
再編に関連した投資は、その一部が国内産業活性化につながるのはないでしょうか。
極東を舞台にした日本が関連する国際問題は、竹島問題、海底ガス田や靖国をはじめとした中国との関係など、最も解決が難しい問題が山積していて、日本国民はこれらの問題をどう考えてゆくのか、これなくして軍事問題は語れないのではないでしょうか。
それら問題を背景にして、国民がどのような意識で、自衛隊を含めた軍事をどう考え、扱うのか。その基本方針がないから、本質的な議論ができないのではないでしょうか。
たとえ、フェイクであっても、本質をどう考えるのか。それは日本国民の問題だと思います。
2006年05月03日
03:14
安斎利洋
ニュースにBGMがつく国の国民は、なにか考えてるとは思えない。
2006年05月03日
03:30
miyako/玉簾
>チェルノブイリの建屋の中を取材するときに、音楽を流しながら事故当時の映像をフラッシュバックしたこと。なんか間違ってないか?

これは本当に脱力しますね。情けないです。
現場の音だけで十分伝わる物があります。
以前、BSのアフガンのドキュメントで、ただ人を写して字幕しかでてこない番組がありましたが、大変臨場感を感じ考えさせられました。とても静かな番組でした。
2006年05月03日
10:19
nazo
>ニュースにBGMがつく国の国民は、なにか考えてるとは思えない。

ジャーナリズムとは何か、を考えればニュースにBGMの発想は多分でてこない。天気予報にBGMの感覚の延長だ(この場合でもBGMは不要)。報道メディアというより、広告メディアの発想といえる。

それと、ニュースにBGMを付けた記者に対して「面白いアイデアのつもりかもしれないが、はっきり言って不要だよ」と言い切る上司(デスク)が不在なのも気になる。

さらに、ニュースにBGMを付けるのは、現実的にはやはりごくごく少数だと思いますが。


2006年05月03日
11:49
MATANGO
>ニュースにBGMを付けるのは...

ぼくの認識だと、民放ならほとんどやってるという気がします。
NHKの定時ニュースでも、まあ音楽はつけないにせよ、ほとんどスレスレで...。
昨日もひさびさに見ましたら、とっぱなのニュース一覧で「...さて、そのナゾは?」なんてコメントがかぶる...。
ああ、これは「チャチャン・ジャーン!」と効果音が入るのも時間の問題だなと...。

音楽以上に問題なのは編集かもしれません。
たとえば、よく途中に街頭インタビューなんてのがはさまりますが、ほとんどがワンコメントしか出さない。
これは言ってる内容より、感情をつたえるためなんです。

その感情というのは、当然伝える側の論旨に都合のいいもので、「うれしいです」「かなしいです」「反対です」「賛成です」なんてごくわかりやすいフレーズだけをとりだす...。

実際、こういうのを「言ってるヒトに悪いな」という罪悪感なしに切ってつないでる人は少ないと思います。
「...いいよいいよ、やっちまえ....」

...というわけで、「新しいメディアを設計しちゃったほうがいい」。
実際、CNNなんかでは、インタビュー全編公開とか、編集前素材公開とかをネットでやってる。

少なくとも同じようなことは、やれば出来るだろう。
ことに欧米の先例があるということになれば、いずれそうなる。

でも、ぼくはそれだけじゃなく、「音楽がつくニュース」「感情に訴えないとどうも気持ちがおさまらない日本の報道」というのを逆に利用して、面白いことができるかも、と思うんですが、それはまた...。
2006年05月03日
12:07
H.耕馬
>その感情というのは、当然伝える側の論旨に都合のいいもので

ナチスのゲッペルスと同じ(@_@)
上からの圧力でやっていない分、タチが悪い。。。
2006年05月03日
16:44
安斎利洋
MATANGOさん

>編集前素材公開とかをネットでやってる。

これだ!
報道はみんな通信社になればいいんだ。
2006年05月04日
01:20
godzi2
蒸し返しで申し訳ないけど、安斎くんそんなもんほんとに見たいの?
そんなもの見ている時間あるの?

どっかの国では、ねーちゃんがストリップやりながらニュース読んで評判とってました。
たぶん世界中どこの国行ったって、みんな別に世界のことなんか知らなくたって、自分の生活にゃ影響ないと思っているわけです。

前に森達也が「民度の低い日本国民は、夕方のニュースで、世界中で起きてる紛争の犠牲となった人たちがハラワタはみでている姿を見るがいい」と発言しているのを見つけ、私は激怒しました。
これって傲慢の最たるもの。人が夕食時間に何を見ようが、そんなもん勝手なわけで。しかも「民度」とは何事か!

「報道」とか言って、まるであるべき「道」がどこかに厳然と存在しているかのような錯覚が、いろんな人の中にあるみたいだけど、でもそんなものはありえない。
「いらん」とはっきり言い切る上司だって、それはテレビドラマの中にしかいないでしょう。
特に日本の場合は、今も多くの読者を持つ新聞が、戦中みな参戦を呼びかけてた事実はみんな知ってること。
言論とは、常に時代に縛られているわけです。

私らヘナチョコディレクターは、そういうことを考えながら仕事してます(って言っても、報道の仕事なんてほとんどしてないけどさ)。いいんだか、悪いんだか分からないけど。
でもそういう中で、意味あることや人様の役に立つ仕組みを考えようとしているのは確かなのですよ。
2006年05月04日
01:34
安斎利洋
>安斎くんそんなもんほんとに見たいの?

そんなもん、って編集前素材の話だよね。
もちろん、そんなもん全部見てる暇はないけれど、いい方法を思いついたんだなこれが。
ブログ素材として、映像を共同通信みたいに配信するわけ。そのソースは誰でも購入できるようにする。
いや、この話、日記をあらためます。画期的だと思うんで。

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