安斎利洋の日記全体に公開

2006年05月01日
03:05
 第二の人生
承前

おととい、ringoさんにバーチャルワールドsecond lifeを見せてもらった。ringoさんは、この仮想世界に10万円ほどで購入した孤島を所有していて、そこでさまざまな実験をしている。gumonjiを開発するringoさんにとって、second lifeはコンペティターでもある。僕は、p2pのgumonjiには未来を感じるが、second lifeには過去を感じる。12年前、siggraphの連画ブースの周囲はVRだらけだった。直感的に僕は、VRは目指してはいけない未来だと思った。その気持はずっとブレていない。

にもかかわらず、second lifeは圧倒的だった。グレッグ・イーガンの小説を読むような気がした。ここまでやってしまえば、目をそらすことはできない。ここでは自分自身で建物を建て、その中でディスコを運営することもできるし、講演会を開くこともできる。風俗店を構えることもできるし、ゲームを盛り込んだアミューズメントパークを開くこともできる。

おととい光島さんをめぐって考えたのは、対象と決定的にかかわることと、対象とまったくかかわらないことの中間に視覚的空間が広がっているということ。人間はその中間層の空間を、極限までエンハンスするだろう。

HOTWIREDに、こんな記事をみつけた。
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「現実世界ではいろいろと大変なことがあるが、『Second Life』の世界ではそのほとんどが問題にならない」と語るのは、マサチューセッツ州マッタパンにある成人デイケア・センターで9人の介助をする職員のジーン=マリー・マヘイさんだ。この世界では「彼らとつきあうのが大変だと思う人は少ない。
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しかし、やはりこの記事には辟易する。それは、僕らが相変わらずリアルとヴァーチャルという二元論の中で思考し、その構造の中でものごとを構成しようとしているからだ。

(たぶん)続く

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コメント    

2006年05月01日
13:02
ringo
仮想空間に架空のルールを持ち込むことで、
新しい何かを発見できるようにするというところが、
仮想空間開発者の役目だとおもうのですが
まだまだ模索中です。。
2006年05月01日
14:14
miyako/玉簾
マックの最初の頃に子供用のゲームで「シム・タウン」っていうのがありましたが、これはそのグレードアップしたものかな?
確か「シム・タウン」も市長の政策が悪いと、水が足りなくなったり、無職が増えたとか、シリアスなことを迫られた記憶があります。
2006年05月01日
16:58
安斎利洋
シムシティは、神とか市長とか、支配者の視点で世界を作りますが、MMOG(多人数同時参加型オンラインゲーム)は、プレイヤーがそこで生きている人の一人になるのが大きな違いです。オンラインゲームというより、偽キャラを演じてもよいmixiが、仮想空間で繰り広げられているというべきですね。
2006年05月01日
16:59
安斎利洋
>新しい何かを発見できるようにするというところが

ringoさんの発想がscond lifeより新しいと思ったのは、参加するメンバーが自律系の中の要素として自律系と対峙して、何かを発見するというような像が見えるからです。second lifeは、制御系の中に多数の神がいて、神相互の制約解消をするようなモデルに見える。これって、きわめて西洋的発想だと思う。

ringoさんに聞きたかったのは、多数の要素をどうプログラマブルにするのかについて。生命のようにオブジェクトが自己複製していくのでしょうか。それとも、多数のオブジェクトに共通するローカルな規則を書き換える?(この惑星はDNAが鉱物でできている系、というような)
2006年05月01日
17:46
ringo
できるだけ「ルールは単純に、現象は複雑に」という状態になるようにしたいですが、いま手に入る計算機の資源が足りないという問題もあるので、今後しばらくについては、「いきもの」と「機械」とに見た目上わけて、機械についてはSLに近い方法でプログラマブルにしようとおもいます。ただし、その機械も「いきもの」というコントロールしにくいものに対して影響を与えあうので、両方を意識してプログラムしていく必要があるのですが。
例:「アリンコの動きがこうだから、この機械はこんな形になっている」「機械がたくさん動いたから、空気が熱されて、上昇気流ができて、雲ができて、雨がふって、洪水が起こって、機械が流された。」「機械が高速回転しすぎてオーバーヒートして壊れた。」
などなど。さまざまなルールがデザインに与える影響を知ることができれば良いのですが。というかむしろ、ついついこの世界独自のルールに対応するためにデザインしてしまって、ああ、そうか、と何かを発見できれば最高です。

そんなにうまくいくかわかりませんが!
2006年05月01日
21:04
H.耕馬
>偽キャラを演じてもよいmixi

エンジェルの不思議の国みたい(@_@)
2006年05月01日
21:15
チクリン
以前、自閉症の子供たちがsecond lifeの中で対人関係の訓練をしているという記事を読んでなるほどと思ったんですが、よく考えてみれば、訓練のツールということだけではなく、second lifeの中で適応できればそれだけでもすばらしいことかなと。
2006年05月01日
22:39
安斎利洋
ringoさん、何年後の計算機を想定して開発するか、というのは肝要ですね。いずれgumonjiは、量子コンピュータのキラーアプリになるかも。
2006年05月01日
22:40
安斎利洋
>エンジェルの不思議の国みたい(@_@)

みんなが役者で、自分のぶんの台本だけ書くinteractor を、カンブリアンでやろうか、と思ってます。
2006年05月01日
22:47
安斎利洋
>second lifeの中で適応できればそれだけでもすばらしいことかなと。

仮想世界、という考え方はもう通用しませんね。mixiは仮想世界じゃなくて、本当に人と人が傷つけあうこともできる。second lifeに適応することと、first lifeに適応することと、本質的な差はなにもなくなりつつある。
2006年05月01日
23:37
miyako/玉簾
「シムタウン」が面白かったので大人版の「シムシティ」を買いました。「市長!!大停電です!なんとかならないのですかっっ!!」とか、知らないアメリカ人の方々にせめられてばっかだし、わたしだってそこまでヒヤリングできなかったので、やんなりました。
多人数同時参加型オンラインゲームっていうことは、街を歩いている人も誰かが作ったキャラだって事ですよね。
関係ない人は出てくるのでしょうか。それとも、その空間にいる人は全員持ち主がいてその好みによって動いているのかな。
そうしたら、例えば、ホームレス役の人とか、ビルの清掃員っていう人も、持ち主がいるのかな。
面白そうですね。ヴァーチャルで凝ったな人形遊びみたいな感じなのかな。
2006年05月02日
00:02
MATANGO
>second lifeの中で適応できれば

...これは、治療の場でやってる「ロールプレイング」とおなじようなことになるんでしょうか?

...ロールプレイングについて、ちょっと思っていたことなんですが、その効果というのは、「適応」という言葉にすると、少しニュアンスが違うのかもと...。

勝手な考えなんですが、これ「役割(ロール)」というのを目に見えるようにすることで、その役割を「相対化」できることのほうが大きいんじゃないか...。

結果としては、たしかに「適応」できるようになるけれど、それは、その「役割」に自分をはめること...というイメージではなくて、それはたかが「役割」にすぎないと、自分をフリーにできるということなんじゃないか...。

「適応することなんて大したことない」ってな余裕をとりもどすというような....。

そこでこの「second life」ですが、たぶん「遊び」にとどめておくのがいいんだろうなと...。
「マジ」になったら、これはおしまいだと...そんなことを思いました...。
2006年05月02日
00:14
安斎利洋
ゲームソフトのロールプレイングゲームは、ロールの道筋が決められているけれど、second life や gumonjiが違うのは、自分のロールだけでなく、自分をとりまくゾーンにあるものは、すべて自分で決定し設計できるという点が違う。

むしろ、そういう世界に比べていま僕らが会社に行ったり友達と会ったりする世界のほうが、ずっとロールに関する制約が多くて、RPGに近いということです。実世界でマジになったら、これはおしまだぞ、って話にもなりかねない。
2006年05月02日
00:57
チクリン
>勝手な考えなんですが、これ「役割(ロール)」というのを目に見えるようにすることで、その役割を「相対化」できることのほうが大きいんじゃないか...。

おっしゃるとおり、ロールプレイングのいいところは、ふだん自分が気付かないで自然にやっているようなことを相対化するということにもあると思います。

ただ、自閉症の子供たちはそもそも「自然に」役割を演じることができないので、ロールプレイを明示的に学習する必要があるのだと思います。我々と仮想空間におけるロールプレイングの位置づけがまったく逆なのかもしれません。

逆ついでに、安斎さんがおっしゃるように、second lifeで人間関係に肩が詰まって、現実世界で役割的に家族と関わっていたらその詰まりが取れた、なんてことも起きる(起きている?)かもしれません。
2006年05月02日
01:21
安斎利洋
夢と希望をもって八ヶ岳のふもとに引っ越したら、けっこう人間関係がたいへんだった、なんて話を思い出しました。

しかし考えてみると、学歴や実績や容姿とまったく切れた世界で、経済活動ができて、人を喜ばせることができる人はお金が儲かり、そのお金で実世界の食材を買ってこられるようになり、セカンドライフで行き詰ったらとっとと別の空間に逃げていけるようになったら、社会も産業も変わりますね。前からそういうことは言われていたけれど、mixiとsecond lifeがくっついて、そこでオンラインショップやら学習塾やら出版社やら美術商が成立することを想像してみると、かなり強烈なリアリティがある。
2006年05月02日
08:01
H.耕馬
>学歴や実績や容姿とまったく切れた世界

微分の世界ですね。
そのときそのときの瞬発力やバイタリティだけが活かされる世界。
それはそれで、キツイかもしんない。

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