安斎利洋の日記全体に公開

2006年04月26日
17:14
 mixiのなかの私をやめる
最近、ふとmixiから姿を消す人がとても増えている。それぞれ独特の理由があって、なかにはたいへんなことになっている人もいるそうだけれど、面白い事態だと思う。おそらく多くの人がmixiのなかの「私」から自由になりたいという気持をもっていて、たいへんなことになっている人でさえ、抜け出す喜びを発見したのだと想像する。

現実のソーシャルなネットワークは重層的な言語ゲームで、そのなかで「私」はいろいろなゲームに属する複数のプレイヤーだ。教師の顔と、親の顔と、同窓会の顔を使い分けたりしている。

mixiは単層の「私」を作り出す。しかも、通りすがりの友人も無二の友人も同じように関係が持続する。現実のSNの複雑な襞を、平坦にしてしまう。誕生日の日記に息子が闖入してきたときは、僕自身びっくりしてしまった。これが、mixiだ。

じゃ、mixiの人間関係はニセモノで現実の人間関係がホンモノかというと、「現実」と呼んでいる世界だって偶然覇権をとったゲームの集積にすぎない。こんにちはごきげんようというルールをもったご近所のSN、全社的利益を考えてなどという会社のSN。それらが安定しているのは正しいからではなく、mixiの覇権が偶然なのといっしょで、たまたまそこにあるだけだ。

だから、「現実」と呼ばれているネットワークの中の居心地の良い「私」が、mixiのなかにすっぽり嵌れない私らしくない「私」よりも、より私らしいということはない。

mixiは、そのように「私」の複数性を相対化する実験だと思ったほうが良いと思う。実験なのだから、ときどき致命的な失敗も発生する。
 

コメント    

2006年04月26日
17:37
みまぞう
普通の社会は多面的な高次元の位相をもっているのですが、MIXIはすべてが単一の平面世界に射影されてしまって、誰彼なく、親子や師弟の関係が平面化され、裏も表も見えてしまう。

これは、SNSの構造的な限界なのでしょうね。そういう限界が丸見えになってきたことも、また、それはそれで、おもしろいことだと思います。
2006年04月26日
17:48
godzi2
多くの人にとっては「実験」などではないですよ。ただ「より楽しい」遊びを提供してくれる場だと思って参加しているのです。
だから現実的な障害が起こったら、すぐにやめる。

ひとつの問題はSNSのサーバーに過去が蓄積していること?
例えば新しく加入した旧知の人物(例えば妻)が、その人(夫)の日記読んで、当人たちの間に起こっていた何事か(不倫?家庭不和?)の原因に気づいたり(例が卑近ですまねい)。
結局誰が見るか分からないところで、自分をさらけだすと危ないぜ、ということでしょうか?
ならばウソっこの人格作って、ウソっこの関係続けるほうがおもしろいかも(二つアカウント持って、そういうことやってる人も知ってます)。

私は最近マルチスレッドとしての「私」ということを考え続けています。
2006年04月26日
17:56
安斎利洋
orkutは、友人とのリンクの強さをランクづけする機能があって、するとmixiより高次元の空間になりますが、だからカンファタブルかっていうと、そうともいえなかったな。

時間軸については、もうちょっと工夫のしようがあるかもね。お互いに行き来のなくなったリンクは、だんだん消えていくとか、日記に揮発性のマークをつけると消えていくとか。
2006年04月26日
17:58
元祖いまじん
> 抜け出す喜びを発見した…

興味深い現象だと思います。
SNの構造を痛感しながら読ませていただきました。
2006年04月26日
18:25
びすけっと
昨日飲んだ友達が不思議なことを言っていて,
「mixiって一人でアカウントいくつも持つのが普通じゃないですか」
ですって.彼の言いたいのはこのことじゃなくて,
「アメリカでその事を言ったら,一人ひとつの方が便利
じゃないか,買い物の履歴も全部まとまっているし,
と言われたんですよー」
だそうで.
2段階でびっくりしました.

mixiってローカルなつながりだけで使うから,僕らは
心地いいけれど,ちょっと離れたところではぜんぜん違う
使われ方をされているんでしょうね.
2006年04月26日
18:45
安斎利洋
確かにダブルビックリ。

ひとつの内観的な人格とひとつのソーシャルな人格が、ぴったり写像しているっていう考え方は、決して唯一の解じゃないですね。

そういう前提で設計されたシステムだから、一人でいくつもアカウントをもったりするのが「変なやつ」になる。それがあたりまえという前提だったら、一人一つのアカウントで処理しているのは変わったやつになるんでしょう。

これからSNSを設計するなら、僕だったらアカウントに対して複数の日記をもてるようにしますね。それぞれの日記がテーマをもっていて、それがほかの人のある日記とリンクしあう。人と人はリンクしない。

コミュニティはなくして、承認不要でリンクできる日記がそれに替わる。たとえば僕だったら「連画」という日記を立てると、そこに人がリンクしてくる。あたゆるリンクは、時間とともに衰えていって消える。何か活動をしていると、リンクは継続する。

やはり、SNSは一度作ってみたいな。というか、いろんなSNSを設計できるベースを、みんなが共有すればいいわけだ。
2006年04月26日
20:10
sugi2000 / 杉本達應
mixiは、規約で1人1アカウントになっていて、
複数アカウントのログインを厳しく取り締まっているらしいです。
実世界でもつ複数の「顔」を、SNSで否定されるのは、確かに居心地が悪いです。

ちなみに、はてなは、サブアカウントを許しています。
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20050616/1118906268
Yahooでは、1アカウントでいくつものニックネームを使い分けることができるので、
これくらいはやってほしい。

いくつの「顔」をもつか……これはユーザが決めることだと思います。
2006年04月26日
21:07
chee
私はMIXI以外でもう一つの顔をもっています。MIXI以外での私は主に「仕事」を中心とした日記調での私。MIXIでは感情をある程度そのまま出してしまっている弱虫な私。
どちらがいいとはいえないけれど、時々ブログを書くことがしんどくなるときがあります。
自分考えを他の人に知ってもらう良さはあるけれど逆にそれがしんどくなることも多々あります。。。。 私がmixiをやめるときは弱虫な自分が無くなったときでしょうか。
2006年04月26日
21:42
『私』はどこにあるのかという哲学的な問いにもつながりそうですね。
私を辞めたいとは思わないですが、人にとっての私の像を言葉の上で見知ることになるのは時々堪え難いこともあったり。。
2006年04月26日
22:20
しゅわっち
>それぞれの日記がテーマをもっていて、それがほかの人のある日記とリンクしあう。人と人はリンクしない。

これって面白い別の実験場になりますね.
でもそうすると,ひととひとが結びついている意識ではなくて,web上に浮遊する考え同士が結びついている(そこに人の影は見えない)って意識になるのかな?

いま多くの(特に若い年代の)人がmixiをやる理由は,いろんな理由で現実世界では結びつけないので,net上ででも誰かと結びついる感を持ちたいってことですよね.

だとすると,この安斎案は 若い人達には流行らないかも.知識階級層だけが,様々なアイディアを求めてサーフィンするような場になるのかもしれませんね.
2006年04月26日
22:26
あきら
あんなことも、こんなことも、そんなことも、みんなひっくるめて、よくわかんないんだけど、とりあえず、何かそうだと思うSNSを作ってみるってのは面白いんじゃないかと思います。
2006年04月26日
23:09
もっちぃ下北6/17
mixiのなかの「私」
会社での「私」
家での「私」
どれも本物で、どれも偽者です
2006年04月26日
23:47
しゅわっち
いろんな「私」,どれも本物です.その重ね合わせが僕.
2006年04月26日
23:50
Taro
mixiでいろんな人と知り合えて、世界が広がりました。
俺は、結構楽しんでます。
でも、仕事の話題等の現実はなんとなく避けてる。
これは、やっぱり架空の自分を作ってるんだと思う。
日記を複数持てるようにするのは、面白そうですね。
2006年04月26日
23:52
安斎利洋
>ひととひとが結びついている意識ではなくて,web上に
>浮遊する考え同士が結びついている(そこに人の影は
>見えない)って意識になるのかな?

そうなっちゃうような、気もしますね。でも「私」というのはそういう「私」でないようなものたちの重ね合わせの上に立ち上がってくるものだということが、SNSをやっていると了解できるようなシステムができたらすごいんですけどね。
2006年04月26日
23:56
しゅわっち
>「私」でないようなものたちの重ね合わせの上に立ち上がってくるものだということが、SNSをやっていると了解できるようなシステムができたらすごいんですけどね。

いや,身体性が欠けたところには,『私」は立ち上がらないのではないでしょうか.
2006年04月27日
00:00
安斎利洋
自分の日記群と、自分との距離が体感できればいいんじゃないですか。僕は懐の中の日記には、だれだれしかリンクしない、というような。
2006年04月27日
00:02
しゅわっち
「私が立ち上がる」という意味は,自分で自分を見つけるっていう意味ですか? それならok.

他人から見て,あの人の「私」が見えてくるってことではないのね?
2006年04月27日
00:11
安斎利洋
>自分で自分を見つけるっていう意味ですか?

そういう意味です。

>web上に浮遊する考え同士が結びついている(そこに人の影は見えない)

こういう無数のサブシステムが浮遊している状態から「自分だ」と思えるなにかが立ち上がってくる、ってことないですか。
2006年04月27日
00:47
社長
正直、mixiの中でどういう風に振舞おうか
最近ちょっと考えたりしますよ。

安斎さんがずいぶん前に
「今のmixiは集団的蜜月状態」みたいなことを
お書きになっていた頃が懐かしいです。
2006年04月27日
00:51
『コトで結びついてゆく』のでしかもトラックバックやリンクとは違って、また別の形として浮かび上がるということなのでしょうか。。

『私』をちゃんと写像してくれていると『私』が納得するのはどういうところなのでしょうね。

人を介して、勝手に『私』像が増幅しているのを見たりもしますからね。。うーんむずかしそう。。
2006年04月27日
01:04
安斎利洋
多くの人が
>『私』をちゃんと写像してくれている
という像を信じているけれど、そんなものはどこにもなくて、「私」は(本来の意味での)ソーシャルネットワークの中で生まれてくるものだ、ということを知るチャンスなんだと思います。他人がいるから、私が発生するんです。

だから、私が日記を書いているなんていうモデルはもうやめて、ひとつのアカウントが複数のペルソナをかぶっているシステムが出てくる時期なんじゃないかと思うわけです。

>「今のmixiは集団的蜜月状態」

音の樹は、まさにいまそうですね。カンブリアンのアカウントは、その樹限りだからいいのかもしれない。
やっぱりそろそろ、次の原っぱが必要ですね。これはチャンスかも。
2006年04月27日
01:44
>「私」は(本来の意味での)ソーシャルネットワークの中で生まれてくるものだ、ということを知るチャンス

それはそうだと思うのですけど、
mixiが2ちゃん化しつつあるみたいに
そうならないように、
「悪意」のようなものを、フィルタリングする仕組みというか、
そういうのが難しそう。。

音の樹などは悪意が入りにくいような仕組みだから良いですね。
2006年04月27日
01:48
にしの
実際の人間のロールプレイは本人も気づかないうちにやっていて、だから人間として生きていけるのだと思います。
とすると、それを意識的にやらねばならない段階ですでに社会としては破綻しているのではないでしょうか。その破れに付き合える人だけが残れるのだと思います。

無意識に複数のペルソナをかぶれるようなシステムが必要は同感ですが、システム的には良い実現方法が思いつきません。mixiでなくても高性能な検索システムのためにwebベースの空間はすでに平坦化していますし。若者の世界も携帯でくまなくネットワーク化されて、mixi的息苦しさにつつまれています。そこでは検索システムすら無くとも平坦化してしまってます。
2006年04月27日
01:49
しゅわっち
>こういう無数のサブシステムが浮遊している状態から「自分だ」と思えるなにかが立ち上がってくる、ってことないですか。

そうですね。
自分の力だけでは考え付かないような 様々の浮遊するアイディアが、それぞれの距離をもって自分にリンクされている。集団からの触発を借りて、(自分だけでは達成できない)「私」が立ち上がるのでしょうね。

それでも、ひとつだけ やっはり人が向こうに見えていることが重要なのかもと思う点があります。

自分の出したアイディアに、他人の出したアイディア(を気に入って)が結びつくときに、、、やはり誰それさんが出したアイディアと言うことで結びつきが生まれるという側面があるような気がしてなりませんね。

人の影が見えないアイディアに、果たして触発されるだろうか?? という疑問が残る。。
2006年04月27日
02:32
安斎利洋
それは、コンピュータとの囲碁対局プログラムで、相手の身体的な像があったほうが、脳が活性化する、というような話ですね。前に、どこかで話題になりましたね。

たしかにそういうことはあるけれど、でも人の影って、顔が見えるというようなUIの話なんだろうか。もし頭の良いコンピュータがしゅわっちさんと同じコメントを書いてきたら、頭の悪い生きた別の人のコメントより好きになるかもしれないじゃない。

mixiはダメだなと思ったのは、右側にニュースが流れ始めたとき。SNSはボトムアップの創発性が命だと思うんですが、管理者が日記のネタを拾ってきて提供するというモデルは、実はテレビのワイドショーと同じ。

そういう状態から何かを触発される、ってことは、まずないですよ。しゅわっちさんがしゅわっちさんの「人の影」として立ちはだかるときは、しゅわっちさんが既存のロールプレイに立ちはだかって、何かに気づいて、人の道を外れるときなんじゃなかろうか。
2006年04月27日
02:34
安斎利洋
>検索システムのためにwebベースの空間はすでに平坦化していますし

同感。僕はこれからの検索エンジンにはローカリティが必要だと思う。地域的な意味ではなく、興味の持ち方によって自分の立ち位置が変わる、というような。
2006年04月27日
03:02
しゅわっち
>「人の影」として立ちはだかる

ひとの影が立ちはだかるときもあるだろうし,,
ひとの影がないとアイディアだけでは意味をなさない場合もあるだろうし..

どういう条件だとどっちになる のかがわかるといいのだけれど..
2006年04月27日
03:11
安斎利洋
立ちはだかるというのは、ロールプレイに流れちゃうのに対して立ちはだかって、わくわくするような行動に出る、という意味です。

人の気配とか影って、本当に身体が必要なんでしょうか?
そこが、まだよくわからない。
2006年04月27日
03:33
H.耕馬
何年か前のSIGGRAPHのトリで流れた作品に「Mask」があります。(ジムキャリーのとは別です)
このアーティクルを読んでから、Maskを見るとフムフムと思います。
2006年04月27日
21:23
Fibonacci
参加する理由は一様で招待を受けるか受けないかだけれど。
やめる理由は死様と同様、一様でないですね。リアルにそのまま亡くなってアクセスが途絶えた人もあるやに思う。
2006年04月27日
23:12
安斎利洋
>リアルにそのまま亡くなってアクセスが途絶えた人もあるやに思う。

いま調べたら、最新の人のIDは417万。フィンランドの人口が520万人だから、規模は同じ。もう、国ですね。
毎日、何人か亡くなっているかもしれない。すごいなー。

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