安斎利洋の日記全体に公開

2006年04月25日
12:12
 外延を表現する
フォマールさんの個展は、カメラを回すことによって描くというアイデアを軸に組み立てられているが、展示作品のなかには高速で移動する車から撮ったほぼ平行に流れるブレの作品も混じっている。

ひとつ異物が入ると、作品群全体の意味が変わる。描くという行為と、撮るという行為が結合し、それに加えて地球上を移動することまで描く行為の一部になる。さらに、動かないということさえ特殊な動きに組み込まれる。

ひとつコーパスが加わることで、手に入れやすい解は霧消する。囲碁のすばらしい一手のように、盤全体の意味を変革してしまう。

多くのメディア・アートに力がないのは、こういう外延を表現する力が欠けているからだ、と気づいた。
 

コメント    

2006年04月25日
13:04
「外延を表現する力」
しばらく噛み締めます。
2006年04月25日
14:06
Fibonacci
フリッカーhttp://www.flickr.com/photos/fomalhaut/sets/1667101/の中から個展に出していない作品を丹念に拾い上げてくれてありがとう。デジカメは写真をとる為の装置ですが、無論いろいろな撮影技法がありうるし、写真的リアリティーを解体する力も、筆として使うこともできます。それは確かに写真表現の外延を拡げる事になります。
2006年04月25日
14:13
安斎利洋
フォマールさんのすごいところは、表現を拡張する入り口が、味噌煮込みうどんだったりするところです!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=120922138&owner_id=1599610
2006年04月25日
17:11
N_apostrophe
日常の中のものは日常に凝り固まっているからそこに新鮮な切り口を見つけると衝撃的ですね。
「女房に投げられようが』にいたく共感してしまった。
2006年04月26日
01:21
安斎利洋
N_apostropheさんとフォマールさんは、表現の手法も人柄もとても違うお二人ですが、行く手の「切り口」を切り開く姿に共通の何かを感じる、という話を中村さんとよくします。
2006年04月26日
01:34
慣れるまではにかみがちに話す感じも似ています。。
2006年04月26日
06:07
中村理恵子
[・・]
2006年04月28日
18:19
N_apostrophe
この話しはさっそくゼミで話しました。ゼミは身近なものを映像で発信するというテーマです。
アニメーションを専攻している学生がどぶ川を自転車で移動しながら撮っていて、運河に連続して支えにかかるコンクリのさんが水を不連続に切ることに関心を持ったみたいで、うまくいってないけれど、きたいできる。
2006年04月30日
13:29
安斎利洋
子供のころ、近所のどぶ川に木の棒などを流して、たどる遊びをよくやりました。途中で大きな土管に入り、地中を通って出てくる穴のところでじっと待っていると、出てきたり出てこなかったり。なぜか僕の記憶には、土管の中の映像があります。

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