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ゴミ屋敷の時間全体に公開
2009年06月27日19:55
近所のゴミ屋敷が、忽然と姿を消した。ゴミ屋敷というか、ゴミを集める住人の姿を長く見なかったので、廃屋と言うべきかもしれない。しかも、家と道の境界に生える巨木がしだいに家と一体化し、土が堆積した屋根からサボテンまで生えていて、あっちの空間へつながるゲートとしては完璧なのだが、なんてこと言えるのも離れて住んでいるからで、隣人はさぞ不安だったろう。と思うものの、でも正直言って、強烈な喪失感。家はもとより巨木まで根こそぎ抜かれて、跡地の駐車場に異空間の気配はゼロ。

練馬は半世紀ほど前、矛盾の中でひらけた土地だから、空間のひずみのようにおかしな場所が無数にある。それらが整頓されるたびに、大事な結び目が消えていく。

ゴミ屋敷の前に立つと、かつてそこにいたコレクターの時間が、まるで高速度撮影した桜の開花のように自分の時間にすべりこんでくる。外界の時間を自分にインストールするために、動きは必要ない。

美術館でも学校でも、「場」を作ろうとして入れ物をブートストラップしても、たいてい駐車場くらいの弱い磁場しか作れない。そこに誰がいるか、誰かいたか。「場」にとって大事なのは、きっとそれだけ。

写真

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コメント

Mike2009年06月27日 22:09
なるほど。平塚にもゴミ屋敷がありました。
喪失感がそれだけあるということは、存在感が大きかった、ということですね。
miyako/玉簾2009年06月27日 22:33
これはSANPOに出していた写真かな?

>なんてこと言えるのも離れて住んでいるからで、隣人はさぞ不安だったろう
同じ事考えます。

>でも正直言って、強烈な喪失感

廃屋好きなのでよく解ります。今日も白保で廃屋写真撮って来ました。島の鄙びた家屋にまだ人が住んでいる最後の地域です。

>かつてそこにいたコレクターの時間

これも同感。例えば、落ちている瀬戸物の欠片の模様からかつての住人の食卓風景を思ったり、日焼けして破れたカーテンの色や柄だとかが愛しいのです(変態かしら)。「人が住んでいた痕跡」ってどうしてあんなに強力なんだろう。

>ゴミ屋敷の前に立つと、かつてそこにいたコレクターの時間が、まるで高速度撮影した桜の開花のように自分の時間にすべりこんでくる。

そうそう。家の前に立つとその家の記憶が身体に入ってくる気がします。
粗大ゴミ置き場になった廃屋を草が覆う様はとても美しいと思います。
そういう家は草ぼうぼうで、土に昔の生態系が残っているため秋には虫が鳴いてそれがまたいい。
個人的にはそのまま朽ちるにまかせて土に戻って欲しい。古墳のように。
好きな建物が更地になったのを知った時はショック。誰かが死んでしまった時の気持ちに似てます。
全部壊してなにもかもなかった事になってしまうのは忍びないことです。

蛙(かはづ)ごと土さらはれし屋敷跡  玉簾
miyako/玉簾2009年06月27日 22:35
訂正
×これはSANPOに出していた写真かな?
○これはSANPOに出していた家の写真かな?

でした。印象的な写真が2枚ありました。
安斎利洋2009年06月27日 23:41
>喪失感がそれだけあるということは、存在感が大きかった、ということですね。

夢から覚めたときのようでした。
安斎利洋2009年06月27日 23:44
>これはSANPOに出していた家の写真かな?

そうそう。ここは、カンブリアンの巣みたいな場所でした。
屋根にサボテンだもんね。

>家の前に立つとその家の記憶が身体に入ってくる気がします。

imprinting、といいながら頭に注射器で記憶を注入する映画がありましたが、あんな感じ。
さすが廃屋萌え仲間。わかってますね。
あおいきく2009年06月28日 00:51
煮えきったサボテンのあるところ、たいていセットで、いい廃屋、もしくは廃屋になりかけがありますね。

住人がサボテンの存在どころか、昨日のことを忘れるようになっても、勝手に育ち、這い回ってく。
屋根サボの断末魔をキャッチしたのは、安斎さんだったんですね。
安斎利洋2009年06月28日 02:23
草や花などおなじみの植物は、人間社会の時間目盛りと親和性があるけれど、人間社会と付き合えない人の家には、目盛りが長い多肉植物がよく似合う。ということかもしれませんね。

10年くらい前に繁茂していた僕のベランダ園芸は、ある年に絶滅してしまいましたが、その後何年もサボテンとアロエだけ、勝手に生きてました。

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